4-3 魔導コロシアム③

 交わす視線が重く切ない。

 それでも教授は、穏やかな声でティアに話しかける。


「よくぞ無事戻ってきました、ティア。ウェインスルトから君が竜に連れ去られたと聞いた時は、とても心配しましたよ」

「教授……今日はずっとあなたに言いたかった事を、言わせて頂きます」

「なんでしょう?」

「三文芝居に付き合うのは、もううんざりです。私はあなたから……いいえ、ヴァルソヴィア魔導学院から、本日をもって卒業します!」


 堪えてた涙が頬を伝う。ティアは後ろを振り返ると、伊織の元へ飛び退いた。


「教授見習いの、そのまた見習いにでもなるつもりですか? それとも歳の差ゆえの愛の逃避行か……。早熟な娘を持った自覚はありましたが、まさか十一で駆け落ちされるとは思いもしませんでしたよ」

「娘だと思った事なんて、ないくせに!」


 伊織はティアの肩に手を置き、長尺音叉に触れた。その瞬間、眩い光が放たれる。


「なっ!? やはりお前……パガニーニを!?」


 驚くヒップ教授を無視して、伊織はティアに話しかける。


「本当にいいんだな?」

「子はいつか親元を去ります。枷を嵌めこみ、檻に閉じ込める親なら尚の事!」


 教授を睨みつけるエメラルドの瞳に、迷いがないと言えば噓になる。それでも伊織は、ティアを引き留める事はできなかった。


 暗中模索。不安と葛藤を抱きながら、それでも現実に立ち向かう決心をしたティア。

 そんな時、周りの仲間ができる事なんて小さな背中を押してやるくらい。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て」


 革命に赴く戦士の、心の音叉を震わせる、素晴らしき音楽を奏でるくらい!


「来たれ魔導士イオリ・タレイシの名と身において」


 電撃の中心で、ヴァイオリンが咽び泣く。早く弾かせろと、伊織の詠唱を急き立てる。

 教授は驚愕と興奮をない交ぜにした顔で、伊織の背中に現れた小男を見つめている。


「演じよパガニーニ。ヴァイオリン協奏曲コンチェルトロ短調No.2-Op.7、第三楽章ロンド・アレグロモデラート――鳴り響く鐘の競演を、超絶技巧で響かせよ!」


 悪魔のヴァイオリンが響き渡ると、すぐにティアを紫のオーラが包み込んだ。

 電光石火、ティアは教授に飛び込んでいく。


 伊織の召喚魔導サモンスタイルを最後まで見守った教授は、自らも音叉を取り出し詠唱を始める。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て。来たれ魔導士ベルンハルト・ヒップの名と身において」


 威厳に満ちたテノール、淀みのないフレーズ。

 詠唱を完遂させてなるものかと飛びこむティアに、バーストが立ち塞がる。

 長剣音叉と長尺音叉が派手な金属音を鳴らし交わると、教授の背後に何十人もの交響楽団オーケストラが出現した。

 指揮棒代わりの音叉が頭上高く掲げられると、幻想の楽団員達は一斉に楽器を構える。


「演じよグスタフ・マーラー、交響曲第一番第四楽章シュトロメスト・ヴェクト。奏でよ、嵐のように全てを粉砕する『巨人』が如く!」


 教授の背中から現れたのは、長身面長で額の広い眼鏡男――生涯十曲の交響曲を作曲した、ロマン派後期の天才指揮者グスタフ・マーラー。

 マーラー交響曲第一番『巨人』は、彼の音楽家人生初の交響曲。

 中でも第四楽章は傑作と名高く、フィナーレの大音量はコンサートホールの天井を巨人が突き破ったかと思うほどの衝撃。

 その名曲が今、天才指揮者グスタフ・マーラーの手により演じられていく。


「ダメだよ伊織! あの音叉は……」


 ロッティが伊織の腕に縋りついてきた。

 何がダメなんだと言う前に、マーラーと同調シンクロを解いたヒップ教授が、バーストに音叉を投げつけた。

 受け取ったバーストの身体が、みるみる膨らんでいく!?


「教授の『巨人』の音叉は、共鳴士を巨人化する楽曲の加護ムジカブレス持ちなの!」

「いくらなんでも安直過ぎない!?」


 驚いてる間にもバーストの膨張は続き、二メートル近くあった身長はおよそ三倍、六メートルほどの巨人となった。

 腰に差した小さな音叉が光ると、巨人の足元から大岩が出現し、バーストはそれを軽々持ち上げた。

 興奮に滾った目が幼女の姿を捉える。


「危ない!」


 ロッティが叫ぶ前に、ティアは小さな稲光を残し姿を消した。

 次の瞬間、巨人の左後方に出現すると、長尺音叉を肘関節に叩きつけた。

 バーストは大岩から手を滑らせ、自らの頭に落としてしまう。地響きを立て仰向けにひっくり返る巨人。

 その顔面に瞬間移動したティアは、巨人の鼻先を小さな足で踏みつける。


「私ってただでさえ小さいのに……どうして巨人とか巨竜とか、でっかいのばっか相手するのかしらねっ!」


 長尺音叉の切っ先が、バーストの眉間にめりこんだ。

 音叉の振動が『ラ・カンパネラ』のボリュームを上げ、脳内に直接電撃が流し込まれる。振り払う巨人の腕をかいくぐり、ヒットアンドアウェイ戦法で電撃を重ねていくティア。


 雷神幼女の圧倒的スピードに翻弄されるバーストは、立ち上がろうにも立ち上がれない。よく見ると、巨人の右膝が真っ赤に腫れあがっている。

 一つ一つの攻撃は致命傷ならずとも、ティアは繰り返し同じ場所に攻撃を仕掛け、ダメージを蓄積させているのだ。

 立てなくさえしてしまえば巨人とて脅威ではない。伊織が勝利を確信したその時、バーストは気合の絶叫と共に地面を拳で殴りつけた。


 大地の振動は地震のように、コロシアム全体を揺るがす。

 着地する瞬間だったティアは、振動に足を滑らせ転んでしまう。そこに巨人が四つん這いで迫ってきた。


「きゃあああっ!」


 横に飛んで躱そうとするも完全回避とはならず。ティアはバーストの肩に弾き飛ばされ、きりもみ回転の末、地面に叩きつけられた。

 更にバーストは四つん這いのまま大ジャンプ。小さな幼女に全体重で圧し掛かる。


「ティア!」

「ティアちゃんっ!?」


 ロッティが慌てて駆け寄ると、うつ伏せになった巨人の腹部から、小さな稲光が漏れていた。

 バーストの巨体がひきつけを起こしたようにビクッと跳ねると、腹部の隙間に、屹立する長尺音叉が見えた。

 ティアは音叉をつっかえ棒にし、巨人のボディプレスをなんとか凌いでいた。

 腹部から這い出たティアを、巨人バーストは指でつまんで吊るし上げる。


「……ウェインスルトを、返せ」

「いいですよ。もしあなたが、私の仲間に勝てたら……ですが」


 その時、何者かが空中で外套ローブを脱ぎ捨て、幼女をつまみ上げた巨人の手に着地。

 鱗を纏った尻尾と腕でバーストの指を締め上げ、ティアを解放する。


「だっ……誰だ!」


 ビキニ姿の竜姫は、デカい指関節を極めたまま不敵な笑みを零す。


「私は竜姫ヴァンダ。ヒト型の竜であり、ティアと同じく伊織の共鳴士だ」


 半人半竜ヴァンダの登場に、バーストやヒップ教授だけでなく、コロシアムに集った観客全員が驚きどよめいている。

 だが当のヴァンダは気にもせず、更に巨人の指を締め上げる。


姉弟喧嘩きょうだいげんかでデカブツ相手は慣れている。指を折られたくなかったら音叉共鳴レゾナンスを解除しろ」

「ぐっ……誰が……」

「見ろっ!」


 ヴァンダはグラウンドの一点を指し示した。

 そこにはぐったり横たわるウェインスルトと、彼女に寄り添うロッティの姿が。

 その横で、伊織が新たな召喚魔導サモンスタイルを詠唱している。


「骨折したお前では、大事な人を守る事もできないぞ」

「ウェインスルト……生きて、いるんだな?」

「当然だ。ここで負けを認めるなら彼女は解放する。お前には彼女の面倒を見てほしい」


 その言葉が決め手となり、バーストは腰に差した『巨人』の音叉を地面に放った。

 みるみる元の姿に戻っていくバーストは、ウェインスルトの元に走っていく。


 ヴァンダは伊織から『愛の夢』の音叉を受け取ると、橙色のオーラに包みこまれる。


「聞け! 私はヒト型の竜であり共鳴士のヴァンダだ! 私は今日、ヒップ教授を断罪するためここに来た!」


 名指しされたヒップ教授は、幻影マーラーを引っ込めて震える声で呟く。


「お前まさか、あの時の……」

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