4-4 魔導コロシアム④

 教授も、観客も。スタジアムにいる全てのヒトが、異形の竜姫から目が離せない。

 注目を一身に浴びたまま、ヴァンダは腰のホルスターから新たな音叉を取り出した。

 全員によく見えるよう頭上高く掲げられたそれは――音叉ではない。

 根本は二又でも切っ先は三又になっている、悪魔の音叉ブリヴェット。


「この歪な音叉ブリヴェットは、そこにいるウェインスルト助教授が持っていたもの。ティアの胸にも同じものが埋め込まれていた。ヒップ教授、お前がこれを作ったんだな?」

「はて。なんの事やら」


 肩の高さで両手を広げるヒップ。

 しらを切らせるかと、伊織も音叉を取り出した。


「じゃあ、これは知ってますよね? サン=サーンスの魔音叉、交響詩『死の舞踏』 。これも、ウェインスルト助教授が持っていた音叉です」

「彼女はサン=サーンスの魔導士だ。持っていても不思議ではあるまい」

「ならどんな曲か……この場で鳴らしてみましょうか」


 伊織が音叉を振り上げると、ヒップ教授は咄嗟に手を上げ「待て!」と止める。


「……やめておけ。扱い慣れぬ音叉は、何が起きるかわからない」

「何が起きたって構わないはずです。ここは音叉魔導実技訓練所――どんな音叉魔導にも耐えられる、魔導コロシアムなんですから」

「……」

「それとも、音叉を鳴らされたら何かまずい事でもあるんですか? 例えばここに、突如として竜が舞い降りてくる……とか」


 伊織の主張に「そんなわけねーだろ」と、観客席から野次が飛んでくる。当然だ。

 竜は犬猫以上に賢い生き物。ヴァルソヴィア魔導学院が音叉魔導の総本山だという事もよく心得ている。学院の敷地内に竜が来るなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。

 あり得ないからこそ、教授は窮地に立たされる。


 竜害を誘発させるブリヴェットと、その起動音叉『死の舞踏』。

 竜害セットの持ち主は、ヒップ教授を信服するウェインスルト助教授だ。教授も知らないでは済まされない。

 更に――。


「ヒップ教授! あなたは私の身体にブリヴェットを埋め込みました。それによって私は魔導共鳴士として覚醒しましたが、同時に竜を誘き寄せる能力も付与されました。私はあなたの命に従い、ウェインスルト同様、各地で竜害を引き起こしました。私と彼女の出張記録と、最近の竜害発生状況を照らし合わせれば、その関連性が証明できるでしょう」


 元教授見習いティアの、涙の告発。

 半信半疑でブーイングしていた観客も、ティアの主張に静まり返る。

 そして最後のダメ押しは、誰も見た事がない半人半竜、竜の姫。


「私は竜族の姫として、不可解な竜害を追っていた。そして伊織たちに出会い、ティアの胸に埋め込まれたブリヴェットによって、竜が正気を失う姿を目の当たりにした。もしここでブリヴェットを鳴らし竜が来たとしても、すぐに破壊すれば被害は出ない。論より証拠で試してみてもよいだろうか?」

「そこまで言うんなら、やってみろ!」

「そうだそうだ!」


 ヴァンダの提案に、同意の野次が乱れ飛ぶ。ヒップ教授は俯いて黙ったままだ。


「ヒップ教授!」


 騒然とする魔導コロシアムに、学院長の鶴の一声が飛んだ。

 右手を上げて合図を送ると警備員らしき数人がグラウンドに入り、ヒップ教授を取り囲む。


「模擬戦は一旦中止にした方が良いみたいじゃな。事ここに至っては、彼らの主張を確かめたいと思うのじゃが」


 最大の後ろ盾だった学院長は、どうやらヒップ教授を見限ったようだ。銀縁眼鏡の奥に鬼火を燃やし、教授は学院長を睨み上げる。


 これで完全に四面楚歌、もはや言い逃れは許されない。

 さすがのヒップ教授も因果応報を受け止め――て!?


「ふふふ……はーっはっはっは!」


 教授は笑い出した。おかしくてたまらないと顔に手を当て身体をくの字に曲げ、気でも触れたかのように笑い続ける。

 警備員の一人が取り押さえようと手を伸ばした瞬間、教授は火炎を放つ。

 警備員が慌てて飛び退くと、教授は音叉を薙ぎって炎のカーテンを広げ、傍に誰も近寄らせない。


「これで私を追い詰めたつもりかね、伊織くん」


 オーケストラ演奏が盛り上がる中、炎に囲まれた教授は音叉を逆手に持ち替えた。

 ロッティ、ティア、ヴァンダの三人が、伊織を守るように前に出て対峙する。

 コロシアムの端で様子を見ていたバーストは、ウェインスルトをおぶって安全な場所に避難していった。


「マーラー交響曲第六番『悲劇的』の音叉か。だがあんたには音叉共鳴レゾナンスしてくれる共鳴士はいない。古代魔導レガシーオーダーだけで戦うつもりなら、ここにいる共鳴士三人相手に勝ち目はないぜ」


 と言いつつ、伊織は内心焦っていた。こちらの戦力も実は心許ない。

 ロッティはショパンの音叉を二本とも取り上げられ、徒手空拳。

 ティアは長尺音叉を持ってはいるが、先のバースト戦でかなり体力を削られてる。

 ヴァンダの持つ『愛の夢』の音叉は、そもそも戦闘向きではない。


 それでも、相手がヒップ教授一人ならなんとかなるだろう。

 観客の学生も教授の乱心を見れば、加勢してくれるはず。少なくとも教授の味方になる者はいない。いない……はずなのに!


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て。来たれ魔導士ベルンハルト・ヒップの名と身において……」


 教授は一人、召喚魔導サモンスタイルを唱え始めた。それと同時に、遠くから合唱の歌声が聴こえてくる。

 なぜ召喚魔導サモンスタイル? 他の共鳴士が近くに? なぜ『悲劇的』ではなく、この曲を選んだ!?

 疑問だらけの伊織の耳に、壮大な聖誕曲オラトリオと大音量の声楽曲カンタータが入ってくる。


 マーラー自身が指揮した初演では、楽器奏者一七一名、独奏者八名、合唱団八五〇名の総勢一〇三〇名が参加した、音楽史上最大規模と言われる大交響曲――。


「演じよ、グスタフ・マーラー! 声楽も器楽として鳴り響かせた、ラテンの賛歌と『ファウスト』第二部最終局面。来たれ、創造主たる精霊よ! この地を震わせ示せよ交響曲第八番変ホ長調、『千人の交響曲』となりて!」


 ヒップ教授の背後に、幻影の大交響楽団が出現した。

 最後に出てきたマーラーは、指揮棒を振るって千人を超す大オーケストラを率いていく。

 迫力の演奏に圧倒されながらも、伊織はまだその意図が掴めない。共鳴士もなしになぜ今、召喚魔導サモンスタイルを……!?


 その時、ヴァンダの持つブリヴェットがうなりを上げた。いや、ヴァンダだけではない。

 スタジアムのあちこちから、ウォンウォンと耳障りな音が聴こえてくる。

 よく見るとスタジアム装飾用音叉の中に、何本か三又の音叉が混じっている。更にコロシアムの外からも、同様のうなりが聴こえてきた。


 まさか……学院や町を彩る装飾用音叉に、既にブリヴェットを紛れ込ませていた?

 教授の起動音叉『千人の交響曲』が鳴る事によって、その全部がうなりを上げている!?


「いつの間に……なんだってこんな事を!?」

「伊織、上っ!」


 翼を広げた巨竜が、コロシアム上空をすごい速さで横切った。

 一匹だけではない。一〇、五〇、一〇〇……とんでもない数の竜が、大空を埋め尽くしている。


 そのうちの三匹が、地響きを立て魔導コロシアムに降り立った。どの竜も涎をまき散らし、血走った目でブリヴェットを探している。手あたり次第にブレスを吐き始めると、爪や尻尾で観客席を薙ぎ倒す。

 文字通り降って湧いた竜害に一部の生徒は音叉で反撃を開始する。


「はーはっはっは! 召喚魔導サモンスタイルがヒトだけを強化すると、誰が決めた!? 私に共鳴士がいないだって? 冗談じゃない。こんなにもたくさんいるじゃあないかっ!」


 オーバーアクションで音叉を振るうヒップ教授は、まるで殺戮を指揮する狂人指揮者マッド・コンダクター

 心なし、隣に並ぶ幻影マーラーが険しい表情で指揮してるように見える。


 ヴァンダは手当たり次第『愛の夢』の音叉で竜を鎮めようしているが、一旦は落ち着いてもすぐまたどこかのブリヴェットに反応し、狂暴化してしまう。

 ティアは逃げる観客を誘導するも、そこに竜が襲い掛かりやむなく応戦、戦闘に入ってしまう。

 もはやブリヴェット実験どころの騒ぎではない。

 魔導コロシアムは人竜入り乱れての大乱戦。

 ヴァンダやティア他学生共鳴士のおかげで、どうにか人的被害は免れているものの、竜は次から次へと降ってくる。


 混乱の最中、ヒップ教授は演奏を続ける幻影マーラーを残し『巨人』の音叉を回収すると、一人外へと逃げていく。


「このヒト達、全然演奏止めてくれないよ~!」


 ロッティは指揮を止めようとマーラーに掴みかかっているが、幻影相手では拳もすり抜けるだけ。他の楽団員も、竜害なんてどこ吹く風と演奏を続けている。


「無駄だロッティ! 教授の音叉を止めない限り、曲が終わるまで演奏は止められない!」

「何分かかるの? これ!?」

「一時間十五分……」

「いくらなんでも長すぎじゃない!?」


 マーラー本人を前に失礼な事を口走るロッティだが、今はそれどころじゃない。

 おそらく竜害は魔導学院だけに留まらない。ヴァルソヴィアの町、至る所で発生してる可能性がある。

 早くヒップ教授を捕まえて演奏を止めさせないと――。


「行くぞロッティ! このままじゃ本当に、人竜戦争の再来になっちまう!」


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