3-3 マゾフシェの森調査試験③

* 2 *


 パーンッと大きな音が響くと、野鳥が一斉に飛び立ち、森が葉擦れにざわめいた。


「見て見てほらーっ! 今日一番おっきな獲物~!」


 ウサギの耳を掴んで、遠くで飛び上がって喜ぶロッティ。伊織は小さく手を振ると、手近の大樹に背中を預け額の汗を拭った。


「全く、休憩中は休憩しろっての。どこまで体力持て余してるんだ、あいつは」

「ふふっ。お兄さんは筋金入りの都会っ子ですもんね」


 へばってる伊織を見て、ティアはくすくすと笑いだした。


「僕だって、森を散策するだけならここまで疲れない。ただ、こう度々銃声を聞かされると、いちいちびっくりして精神的にクるんだよ……なんで小動物仕留めてるんだ、あいつは」

「針金入りの野生児ですから。大自然に囲まれて、狩人ハンターの血が騒ぎだしたのでしょう」

「いくら田舎育ちだからって、試験中にハンティングはおかしいだろ。それにもう半日以上森を彷徨ってんのに、あの体力はもっとおかしい」

「ロッティの体力については同意しますが、彷徨ってるは誤解です。現在地はちゃんと、私が把握してますよ」


 ティアは唇を尖らせると、バインダーを見せてくる。様々な情報が手書きされた、マゾフシェの森全体地図。その一点を指し示し「今はこの辺りです」と教えてくれた。


「えっ? まだ半分しか調査が終わってないって事!? もう二、三周はしてると思ってたのに」

「どれだけ方向音痴なんですか……私がいなかったら今頃、二人は遭難してますね」

「それでもロッティがいれば大丈夫だろ。キャンプしてジビエ料理食って、明日も朝からハンティングだーって喜んでそう」

「そういえば……ロッティの在学中、私も何度かイノシシ鍋のご相伴にあずかりました」

「音叉に共鳴する前に、大自然に共鳴しちゃってたのね……」


 自由奔放、天真爛漫。

 たとえ今が大事な試験中だとしても、ロッティに緊張感なぞ微塵も感じられない。

 やっぱりティアが一緒にいるから、楽勝で合格できると思っているんだろう。


 ヒップ教授との交渉の結果、マゾフシェの森調査試験には監督官としてティアが同行する事になった。それは「形式的でも従ってもらわないと」の台詞に含まれた、優遇処置なのだろう。

 初めての竜害調査に戸惑う二人に、ティアはその手法を丁寧に説明してくれた。

 いざ試験が始まっても、こうしてマッピングから調査報告書まで作成してくれるわけで、監督官という名の助っ人である事は明らかだ。


「それにしても……これだけ広い森なら、竜が住み着いたっておかしくないんじゃないか?」

「竜は犬猫以上に賢い生き物です。町に近く、過去に竜が一掃された事もあるこの森に住みつけばどうなるか、分かってるはずです……少なくとも、今までは」

「最近の竜害は、そんな忖度そんたくお構いなしってわけか」

「先日の蒸気機関車襲撃も、単独行動を好むはずの竜が二匹で連携して戦っていました。もしかしたら竜族に、何か変化が生じているのかもしれません。それを突き止めるためにも、こうした地道な調査が必要なのです」


 伊織と話してる間も、ティアは報告書にペンを走らせている。こういう事務処理も今の内に覚えておかなきゃいけないな――そう思ってティアの手元を覗き込もうとすると、幼女はさっと身を引いた。


「心配しなくても大丈夫ですよ。試験の提出書類は私がちゃんと作っておきますから。お兄さん達は、実際に竜と鉢合わせた時の事を考えておいて下さい」

「でも事務仕事を任せっぱなしってのも、悪いから……」


 その時、蔦を伝って飛んできたロッティが、息せき切って二人に駆け寄ってくる。


「伊織、ティアちゃん!」

「どうした?」


 ロッティは両耳に手を添えて、聞き耳を立てるポーズを取った。


「聞こえない?」

「何が?」


 伊織も真似して耳を澄ます。

 野鳥と虫の音。その奥に、微かに聴こえる甘美な音色は……まさか、ここは森だぞ!?

 耳を疑う伊織に代わって、ロッティは確信めいた声で言った。


「ピアノの音が」


* * *


 伊織とロッティ、ティアの三人は、森の奥へと歩みを進めていく。微かに聴こえていたピアノの音は、奥に進むにつれはっきり聴こえてくるようになった。

 甘やかに耳を包み込むその曲は、リストの有名なピアノ曲――『愛の夢』第三番。

 どうしてこの曲が……と思いつつ、音のする方向へ歩いていると、曲の途中で演奏が途絶えてしまった。


「終わっちゃった……どうする?」


 先頭を歩くロッティは、伊織とティアに振り返った。


「とにかく、このまま音のした方向に進んでいきましょう」


 ティアに頷いたロッティは前を向き、目の前の大樹の葉を手で避けると――そこには大口を開けた竜の顔が。


「きゃあっ!」


 野生の勘だけで咬みつき攻撃を躱したロッティは、ライフルを竜の鼻先に押し付けトリガーを引く。

 銃声と共に大きくのけ反ると、竜は怒りに満ちた目で睨みつけてくる。

 ジェラゾヴェイ村の炎竜同様、全長五、六メートルはあるだろうか。竜は明らかな興奮状態で、牙を剥いて襲い掛かってくる。

 連続で繰り出される爪攻撃を地面に転がって躱すと、ロッティはライフルを連射しつつ開けた草地を走る。竜も彼女の後を追い駆けていく。


 こうなっては共存不干渉もクソもない。

 伊織は『革命』の音叉を取り出すと、ベルトのバックルに打ち付け音を鳴らした。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て。来たれ魔導士イオリ・タレイシの名と身において」


 鳴り響く『革命』が登場曲となり、背中からショパンの幻影が現れた。何度も喚び出し練度が上がっているせいか、抵抗なく伊織の五感と同調シンクロしてくる。


「演じよショパン、ピアノ練習曲エチュードハ短調Op.10-12……かき鳴らすピアノの音に『革命』の炎を纏いて――!」


 伊織の投げた『革命』の音叉を、ロッティがジャンプ一番キャッチすると、すぐに赤壁のオーラが彼女を包み込む。ライフル先端の汎用音叉を取り外すと『革命』に付け替えた。


 伊織とロッティが戦闘に入ったところで、ティアは遠くに避難していった。監督官という立場上、竜との戦闘まで手助けするわけにはいかないのだろう。

 それでもティアは自前の長尺音叉を取り出して、万が一のために備えてくれている。


 ロッティは『革命』のライフルを竜に向け、トリガーを絞る。

 とんでもない大きさの火球が先端に膨らみ、轟音と共に放たれる。

 汎用音叉がハンティング・ライフルとすれば、『革命』音叉は火炎弾のナパーム砲。直撃こそしなかったものの着弾の爆風に晒され、竜は大きく吹っ飛ばされる。

 広範囲に飛び散ったマグマは焼夷弾となり、周囲の草むらに燃え広がった。


 マズイ。もし火の手が森の大樹にまで及んだら――ぞっとした伊織はロッティに叫んだ。


「ロッティ! 火の音叉はダメだ、山火事になっちまう!」


 その声に、ロッティだけでなく竜まで振り向いた。伊織目掛けて息を吸い込む竜。

 ロッティがダッシュで伊織に飛びつくと、間一髪オーラが竜のブレスを防いでくれた。


「なに……これ」


 二人を守った赤壁のオーラ。その赤い外殻に、ヘドロのような汚い緑がべっとり染みついていた。

 オーラの外側にある植物は紫に変色し、急激に腐り朽ちていく。


「これ、毒!? あいつ、毒竜なのか?」

「え、マジ!? ちょっとキモーイ、あとクサーイ」


 ロッティは伊織の背中に抱き着いたまま、顔を埋め鼻を押し付けた。

 背中に伝わる二つの膨らみに、伊織は心臓を打ち鳴らすも……今はとてもそういう気分になれない! オーラ越しでも毒竜のブレスは、鼻がひん曲がるほど強烈な悪臭を放っているのだ。

 オーラで防がれる事なぞお構いなし、毒竜はヘドロブレスを連発してくる。

 その度に嗚咽を伴う腐臭は強くなり、五感を共有するショパンも、どこか集中力を欠く演奏になっていく。


「うぉえっ……これってこっちから攻撃もできないし、ぐへええっ……伊織を守らなくちゃだから動けもしないって事?」

「こいつのブレスでオーラが破られる事はないにせよ、うげへぇ……この匂いの中で、いつまでもピアノ弾いてらんないよ!」


 たまらず伊織は、ショパンと五感の同調シンクロを一部切り離し、自由になった両手で鼻を塞いだ。

 嗅覚はショパンと共有したままにしているので、臭さは多少軽減されたはずだ。


「うぅえっ……あたしもうダメ、吐きそう」

「おまっ、がげるなよっ! ぐええっ……更に臭いキヅクなってないかこれ! ディアは?」

「遠くから見てる。やっぱり実戦は助けてくれないみたい」

「ぞうが……」


 鼻をつまみながら、伊織は脳味噌をフル回転させる。

 もしショパンがあまりの臭さに演奏を中断したら、オーラが消えてヘドロブレスをまともに喰らってしまう。

 かといって遠隔から『革命』の古代魔導レガシーオーダーで攻撃したら、今度こそ山火事を起こしかねない。

 だったら――。


「ロッティ、こっちに来て」

「え?」


 ロッティの背中に右手を回すと、半身になって彼女を抱き寄せる。


「あ、あの……伊織?」

「いいから。そのまま左手で僕を支えて。あと、口を開いてごらん」


 ロッティは頬を染めつつ、伊織のお尻あたりに左手を回すと、小さな口を開けた。

 伊織はロッティの左腕にぴょんと腰掛け、彼女の頬に左手を伸ばし――鼻をつまむ。


「さぁいけロッティ! 鼻つまんでてやるから、このまま近接で仕留めろ!」

「んふんふん~、はだづよぐつまみずぎ~!」


 右手にライフル、左手に伊織を抱きかかえたロッティは、毒竜へ突進した。

 半身で体当たりをかますと、下を向いた竜の口に音叉ライフルの切っ先を突っ込む。そのままトリガーを何度も引くと、竜の体内で爆音が響く。

 噛み付かれたライフルから手を離し、伊織と一緒に竜から退避すると、腹中のマグマに耐えられなくなった毒竜は爆発四散。肉片と炎とヘドロが、びっちょびちょに飛び散った。


「な……なんとか勝った」


 さすがのロッティも疲労困憊。汗と泥とヘドロに塗れた身体を仰向けに、寝っ転がる。ショパンに別れを告げた伊織は、その隣にあぐらをかいて座る。

 どうにか倒した毒竜の成れ果てに目を向けると、爆散した死骸から、ティアが音叉ライフルを回収してくれている。


「まさか匂いで、召喚魔導サモンスタイルを邪魔してくる竜がいるなんてな……」

「ホントだよね~、結構危なかった~」


 そのままの態勢で話していると、回収を終えたティアがロッティに近寄り、手にした長尺音叉を振り下ろした。


「え?」


 大の字に寝転がるロッティの両脇腹――その隙間に、巨大な金属の二又が地面深く付き刺さりロッティの胸を圧迫する。


「ティア?」


 問いかけた伊織の後頭部に、強い衝撃が走った。


「があっ!」

「伊織っ!?」


 頭を抱えて、その場にうずくまる。

 その横で、伊織をライフルで殴ったティアは、平然と『革命』の音叉を取り外していた。


「そこで大人しくしてて下さい。ロッティ、あなたもですよ」


 伊織の耳に幼女の冷たい言葉が響く。

 混乱する意識の中「なぜ? どうして?」の疑問だけが、頭をぐるぐる回っていた。


「どうしたのティアちゃん……なんでこんな事するの!?」

「……」


 ロッティの呼びかけを無視し、ティアは森の奥に視線を送った。

 そのまま腕を大きく振りかぶり、『革命』の音叉を視線の先に投げつける。

 木陰から屈強な男の腕が伸びると、投げつけられた音叉をいとも簡単に受け取った。


「これで……信用した?」


 いつもより低い声色で、男に問いかけるティア。

 下から見上げた幼女の横顔は、ロッティと三人でいた時には一度も見せた事がない、冷然とした大人の顔つきをしていた。

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