3-2 マゾフシェの森調査試験②

「ふむ。それで伊織くんとロッティは、ヴァルソヴィアで魔導事務所を開きたい、と」


 書斎机に腰掛けて、手の中で『革命』の音叉を遊ばせていたヒップ教授は、磨き上げられた銀縁眼鏡を中指で押し上げた。

 五十代と聞いていたヒップ教授は、しわばんだ顔とロマンスグレーの髪さえなければ三十代に見えるほど生気に満ちていた。がっしりした筋肉質の身体を仕立ての良いスーツに包み、眼鏡の奥から理知的な視線を向けてくる。


「え、あ、はい」


 魔導学院の筆頭教授。ましてや召喚魔導サモンスタイルの実質的創始者だって言うから、もっとヨボヨボの爺さんを想像していたが……なんで音叉魔導の人はこう、プロレスラーみたいな人ばっかなんだろう?

 吹けば飛びそうな己が痩躯そうくに劣等感を抱きつつ、伊織は俯き加減で頷いた。


「伊織くん。君は極東の島国ニッポンで、音叉魔導士になったと聞きました。大変興味深い。君の故郷で音叉魔導は、どのような発展を遂げているのですか?」

「いえ、その……ヴァルソヴィアに比べればまだまだでして……」

「そうですか」


 微笑みのままヒップ教授は『革命』の音叉に目を落し、その感触を指で確認した。

 部屋の奥に控え立つティアが、恐縮しきりの伊織に心配そうな視線を送っている。  

 隣に立つロッティは「頭脳担当、代ろうか?」と小声で囁いた。


「それにしてもショパンですか。ジェラゾヴェイ村に、まだこんな音叉が残っていたとは……」

「伊織はショパンに詳しいんです。『革命』は彼だからこそ扱える、とても貴重な音叉なんです!」


 委縮する伊織に代わって、ロッティが声高に主張する。

 ティアの脅し文句を聞いてただけに、このまま教授に『革命』の音叉を持っていかれやしないかと、冷や冷やしているようだ。


「そうでしょう、そうでしょう。伊織くんにとっても音叉にとっても、良い出会いだったと思いますよ」


 ヒップ教授は席を立ち、『革命』をロッティに手渡した。

 あっさり音叉を手放した教授に、伊織は思いきって問いかける。


「ヒップ教授は、その……ショパンについて、詳しく知りたいとは思わないのですか?」

「もちろん知りたいと思っているさ。でも君が魔導事務所を開設したいと言うのであれば、それを簡単に教えてはならない事も、重々承知しておる」


 そう言って微笑む教授は、高級飾り棚キュリオケースに飾ってある六本の音叉を仰ぎ見た。


「ここにある音叉は、私が喚び出せる音楽家の音叉だ。もし私がこの音楽家の知識を誰かに教えてしまったら、こうして大っぴらに飾っておくわけにもいかんだろう」

「魔導士は、特定一人の音楽家の音叉しか扱えないから……ですよね?」

「その通り。私がショパンの知識を学んだところで、召喚魔導サモンスタイルで喚び出す事は不可能だろう」


 その言葉に、伊織は安心感より胸騒ぎを覚えてしまう。

 つまり、音叉研究は音叉だけ持っていても意味がなく――、


「そこでひとつ、伊織くんにお願いがあるのだが……私の音叉研究を手伝ってくれないだろうか? もし了承してもらえるならティアと同じく、教授見習いのポストを用意しよう」


 魔音叉と魔導士がセットになって、初めて教授の研究材料足りえるのだ。


「魔導学院に籍を置く事になれば、魔導事務所は諦めなきゃいけないんですよね?」

「そうだ。だからこそ私も、全生徒が羨む好条件を出しているのだよ」


 場が静まり返る。伊織はちらっと、ロッティの顔色を窺った。

 百パーセントの信頼で淡褐色ヘーゼルの瞳を輝かせてる相棒に、自らの気持ち

を奮い立たせる。


「とても魅力的なお誘いですが……そのお話はお受けできません」


 ハッキリと拒否を示した瞬間、ロッティの顔がぱああっと華やいだ。


「もしロッティに気を遣っているなら、二人とも教授見習いとして引き受けても構わんぞ?」

「もちろん彼女との約束もありますけど……僕自身、人を探してまして」

「人探し?」

「実は僕の妹が、一緒にポーラに来てるはずなんです。魔導事務所を構えて竜害対応の仕事をこなしながら、妹を探すつもりなんです」

「妹さん、ですか?」

「ええ」

「……なるほど」


 顎に手を添え少し考え込むと、ヒップ教授は指をピンと立てた。


「であれば、私がショパンの魔音叉を研究したい時に、君の魔導事務所に依頼すれば手伝ってもらえる。そういう事でいいのかい?」


 願ってもない提案に、伊織よりも先にロッティが前のめりでまくし立てる。


「それって、教授があたし達のお客さんになってくれるって事ですよね!?」

「君達は魔導事務所を開きたい。私にはそれを許可する権利があり、君達の音叉を研究したい。双方の利を考えれば、良い落としどころだと思わないかい?」

「思います思います! 伊織貸出に母校割を適用します、オマケであたしも付いてきます!」


 安請け合いで飛びつくロッティ。伊織は苦笑しつつ教授に確認する。


「という事は、許可証も今すぐ発行してもらえるんですか?」

「そうはいかん。この話は、君達が無事試験に合格すればの話だ」

「えーっ! 結局試験は受けなきゃならないの!?」

「当然だ。物事には手順というものがあり、それは形式的でも従ってもらわないと後々面倒な事になるからね」


 そう言うとヒップ教授は、後ろで控えるティアに目くばせする。

 それだけで全てを察したティアは、本棚から一冊のバインダーを取り出し机に広げた。


「こちらが現在報告されている、竜害発生区域です」

「魔導事務所開設許可試験は、全て実践で行われる。君達二人には実際の竜害に対処してもらい、我々はその手際を見て合否を判断するというわけだ」


 教授は机に座り直すと、広げられた地図の一点を指し示した。


「ここ数日、ヴァルソヴィア領邦郊外にあるマゾフシェの森で、竜の目撃情報が多発している。ここは以前大規模な竜害が発生した森だが、その時の一掃作戦により、以後は竜が住まない無竜森むりゅうしんとなっていた。都市部に近いこの森を竜が再び住処にしようものなら、竜害の危険性は極めて高くなる。そうなる前に実態を調査し、必要あらばなんらかの対応を取らねばならない」


「森の竜を一掃する……それが試験という事ですね」


「いや。竜害対応は単に竜を倒せばいいという話ではない。竜害の発生する可能性をできるだけ低くする事も、立派な竜害対応だ。例えば森を調査した結果、君達では対処しきれないほどの竜がいたとする。君達は公国軍に、より規模の大きい竜害対応を要請すべきだ。逆に弱い竜一匹迷い込んだだけなら、君達の裁量で追い払えばいい。やむを得ず手にかける事もあるかもしれないが、それはあくまで最終手段。竜害対応であっても、人竜の原則は共存不干渉。必要以上に刺激せず距離を取らせる。竜害対応はこれが一番肝要とされている」


「お二人がどういう対応策を取るのか。その方針そのものが、試験結果を大きく左右します」


 教授の話をティアが補足した。納得のいく話だが、そうなると新たな疑問も生まれてくる。


「もし軍への報告だけで済んだり、竜そのものがいなかった場合、試験はどうなるんです?」

「その判断が適切だと認められれば、仕切り直しとなる。もう一度別の目撃情報を元に、別の場所で竜害対応を行ってもらう。もちろん一回目の手際は次の試験結果に別途加算される」

「再試験に困る事がないくらい、竜害は頻発してるのね……」


 印だらけの地図を前に、顔を曇らせるロッティ。教授は同意するように大きく頷いた。


「最近はポーラだけでなく、大陸スヴァトヴィート全土で多発している。ヴァルソヴィア魔導学院としても、魔導事務所が増える事は歓迎すべき事なのだ。それに……」


 押し上げた銀縁眼鏡を光らせて、ヒップ教授は伊織に視線を送った。

 全身をつぶさに観察されてるようで、またしても伊織の背中はムズ痒くなってしまう。


「あ、あの……それに、何か?」

「……伊織くん。君の妹さんも君と同じく、黒髪黒目の東方の旅人エトランゼなんだよね?」

「え? ええまぁ、そうですけど」

「そうか。実のところ、君達の試験会場にマゾフシェの森を選んだのには理由がある」

「ここから一番近いから……とかじゃないんですか?」

「竜の目撃情報と共に、奇妙な報告がいくつか上がっていてだな……」

「奇妙?」


 顎に手をやると、ヒップ教授は目線を上げた。


「実はこの森で、黒髪黒目の東方の旅人エトランゼが竜と一緒にいたという証言があってだね……」


 混じりけのない黒髪を、感心するように見つめて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る