3-2 マゾフシェの森調査試験②
「ふむ。それで伊織くんとロッティは、ヴァルソヴィアで魔導事務所を開きたい、と」
書斎机に腰掛けて、手の中で『革命』の音叉を遊ばせていたヒップ教授は、磨き上げられた銀縁眼鏡を中指で押し上げた。
五十代と聞いていたヒップ教授は、
「え、あ、はい」
魔導学院の筆頭教授。ましてや
吹けば飛びそうな己が
「伊織くん。君は極東の島国ニッポンで、音叉魔導士になったと聞きました。大変興味深い。君の故郷で音叉魔導は、どのような発展を遂げているのですか?」
「いえ、その……ヴァルソヴィアに比べればまだまだでして……」
「そうですか」
微笑みのままヒップ教授は『革命』の音叉に目を落し、その感触を指で確認した。
部屋の奥に控え立つティアが、恐縮しきりの伊織に心配そうな視線を送っている。
隣に立つロッティは「頭脳担当、代ろうか?」と小声で囁いた。
「それにしてもショパンですか。ジェラゾヴェイ村に、まだこんな音叉が残っていたとは……」
「伊織はショパンに詳しいんです。『革命』は彼だからこそ扱える、とても貴重な音叉なんです!」
委縮する伊織に代わって、ロッティが声高に主張する。
ティアの脅し文句を聞いてただけに、このまま教授に『革命』の音叉を持っていかれやしないかと、冷や冷やしているようだ。
「そうでしょう、そうでしょう。伊織くんにとっても音叉にとっても、良い出会いだったと思いますよ」
ヒップ教授は席を立ち、『革命』をロッティに手渡した。
あっさり音叉を手放した教授に、伊織は思いきって問いかける。
「ヒップ教授は、その……ショパンについて、詳しく知りたいとは思わないのですか?」
「もちろん知りたいと思っているさ。でも君が魔導事務所を開設したいと言うのであれば、それを簡単に教えてはならない事も、重々承知しておる」
そう言って微笑む教授は、
「ここにある音叉は、私が喚び出せる音楽家の音叉だ。もし私がこの音楽家の知識を誰かに教えてしまったら、こうして大っぴらに飾っておくわけにもいかんだろう」
「魔導士は、特定一人の音楽家の音叉しか扱えないから……ですよね?」
「その通り。私がショパンの知識を学んだところで、
その言葉に、伊織は安心感より胸騒ぎを覚えてしまう。
つまり、音叉研究は音叉だけ持っていても意味がなく――、
「そこでひとつ、伊織くんにお願いがあるのだが……私の音叉研究を手伝ってくれないだろうか? もし了承してもらえるならティアと同じく、教授見習いのポストを用意しよう」
魔音叉と魔導士がセットになって、初めて教授の研究材料足りえるのだ。
「魔導学院に籍を置く事になれば、魔導事務所は諦めなきゃいけないんですよね?」
「そうだ。だからこそ私も、全生徒が羨む好条件を出しているのだよ」
場が静まり返る。伊織はちらっと、ロッティの顔色を窺った。
百パーセントの信頼で
を奮い立たせる。
「とても魅力的なお誘いですが……そのお話はお受けできません」
ハッキリと拒否を示した瞬間、ロッティの顔がぱああっと華やいだ。
「もしロッティに気を遣っているなら、二人とも教授見習いとして引き受けても構わんぞ?」
「もちろん彼女との約束もありますけど……僕自身、人を探してまして」
「人探し?」
「実は僕の妹が、一緒にポーラに来てるはずなんです。魔導事務所を構えて竜害対応の仕事をこなしながら、妹を探すつもりなんです」
「妹さん、ですか?」
「ええ」
「……なるほど」
顎に手を添え少し考え込むと、ヒップ教授は指をピンと立てた。
「であれば、私がショパンの魔音叉を研究したい時に、君の魔導事務所に依頼すれば手伝ってもらえる。そういう事でいいのかい?」
願ってもない提案に、伊織よりも先にロッティが前のめりでまくし立てる。
「それって、教授があたし達のお客さんになってくれるって事ですよね!?」
「君達は魔導事務所を開きたい。私にはそれを許可する権利があり、君達の音叉を研究したい。双方の利を考えれば、良い落としどころだと思わないかい?」
「思います思います! 伊織貸出に母校割を適用します、オマケであたしも付いてきます!」
安請け合いで飛びつくロッティ。伊織は苦笑しつつ教授に確認する。
「という事は、許可証も今すぐ発行してもらえるんですか?」
「そうはいかん。この話は、君達が無事試験に合格すればの話だ」
「えーっ! 結局試験は受けなきゃならないの!?」
「当然だ。物事には手順というものがあり、それは形式的でも従ってもらわないと後々面倒な事になるからね」
そう言うとヒップ教授は、後ろで控えるティアに目くばせする。
それだけで全てを察したティアは、本棚から一冊のバインダーを取り出し机に広げた。
「こちらが現在報告されている、竜害発生区域です」
「魔導事務所開設許可試験は、全て実践で行われる。君達二人には実際の竜害に対処してもらい、我々はその手際を見て合否を判断するというわけだ」
教授は机に座り直すと、広げられた地図の一点を指し示した。
「ここ数日、ヴァルソヴィア領邦郊外にあるマゾフシェの森で、竜の目撃情報が多発している。ここは以前大規模な竜害が発生した森だが、その時の一掃作戦により、以後は竜が住まない
「森の竜を一掃する……それが試験という事ですね」
「いや。竜害対応は単に竜を倒せばいいという話ではない。竜害の発生する可能性をできるだけ低くする事も、立派な竜害対応だ。例えば森を調査した結果、君達では対処しきれないほどの竜がいたとする。君達は公国軍に、より規模の大きい竜害対応を要請すべきだ。逆に弱い竜一匹迷い込んだだけなら、君達の裁量で追い払えばいい。やむを得ず手にかける事もあるかもしれないが、それはあくまで最終手段。竜害対応であっても、人竜の原則は共存不干渉。必要以上に刺激せず距離を取らせる。竜害対応はこれが一番肝要とされている」
「お二人がどういう対応策を取るのか。その方針そのものが、試験結果を大きく左右します」
教授の話をティアが補足した。納得のいく話だが、そうなると新たな疑問も生まれてくる。
「もし軍への報告だけで済んだり、竜そのものがいなかった場合、試験はどうなるんです?」
「その判断が適切だと認められれば、仕切り直しとなる。もう一度別の目撃情報を元に、別の場所で竜害対応を行ってもらう。もちろん一回目の手際は次の試験結果に別途加算される」
「再試験に困る事がないくらい、竜害は頻発してるのね……」
印だらけの地図を前に、顔を曇らせるロッティ。教授は同意するように大きく頷いた。
「最近はポーラだけでなく、大陸スヴァトヴィート全土で多発している。ヴァルソヴィア魔導学院としても、魔導事務所が増える事は歓迎すべき事なのだ。それに……」
押し上げた銀縁眼鏡を光らせて、ヒップ教授は伊織に視線を送った。
全身をつぶさに観察されてるようで、またしても伊織の背中はムズ痒くなってしまう。
「あ、あの……それに、何か?」
「……伊織くん。君の妹さんも君と同じく、黒髪黒目の東方の
「え? ええまぁ、そうですけど」
「そうか。実のところ、君達の試験会場にマゾフシェの森を選んだのには理由がある」
「ここから一番近いから……とかじゃないんですか?」
「竜の目撃情報と共に、奇妙な報告がいくつか上がっていてだな……」
「奇妙?」
顎に手をやると、ヒップ教授は目線を上げた。
「実はこの森で、黒髪黒目の東方の
混じりけのない黒髪を、感心するように見つめて。
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