3-4 マゾフシェの森調査試験④

 木陰からヌッと出てきた筋骨隆々の男は、音叉とティアを交互に見比べるも何も語らず。背中を向け、森の奥へと走り去ってしまう。

 男の姿が見えなくなると、ティアは伊織に向き直り、震える声を絞り出した。


「お兄さんが悪いんですよ……あんなに教授に、余計な事を言わないでってお願いしたのに」

「余計な事?」

「……あなた達は竜害対応に失敗した。試験は不合格です。魔導事務所を開く事はできません。でも、私と一緒に魔導学院でヒップ教授の研究を手伝う事はできます。これからは三人、仲良くやっていきましょうね」


 ティアは笑った。無邪気な子供にしか見えないその笑顔に、伊織は背筋が凍る思いがした。

 今までのは全部演技? 教授の指示? 天才幼女の本心は、その作り笑いから読み取れない。

 確かな事は、ティアは事実を捻じ曲げて、嘘を強要しようとしてる事だ。


「ティアちゃんが、そういう事にしたいわけじゃないんだよね? 教授に弱みを握られて、仕方なくやってるだけなんだよね!?」


 音叉の枷から、力任せに逃れようとするロッティ。

 ティアは何も答えず、長尺音叉の持ち手に小さな手を添えた。


「がっ……は!」


 激しく背中をのけ反らせたロッティは、音叉と地面の間で大きくバウンドする。金属の二又に挟まれた身体を、古代魔導レガシーオーダーの電撃が駆け巡ったのだ。


「大人しくしてと言ったでしょう……音叉を持たないあなたでは万が一にも私には勝てない。私だって、旧友をいじめたくないの」


 ティアは眉間に皺を寄せ、下唇を噛みしめている――まるでロッティを傷つける事で、自分まで傷ついたかのように。望んでしてるとは思えない。

 白旗代わりに諸手を挙げて、伊織はティアに訴える。


「教えてくれ、ティア。どうしてこんな事をする……僕が教授に何を言ったって言うんだ?」

「それは帰ったら、教授にそれとなく聞いて下さい。私の口からは何も言えません」

「僕達を、ヒップ教授の元へ連れてく気か?」

「はい。でも安心して下さい。大人しく従ってくれれば、これ以上悪い事は起こりません」

「これ以上いい事だって、起きなさそうな口ぶりだけどな」

「……いいじゃないですか。教授はいつもこんな感じで、私達は彼の手駒として動かなきゃいけませんけど、その分お給金はそこそこです。それにお兄さん達となら、こんな腐った魔導学院でも、面白おかしくやっていけそうな気がするんです」

「僕らをハメたってのに、これから魔導学院で、一緒に仲良く働こうって言うのか」

「理不尽を受け入れる事も、立派な大人の処世術です。魔導学院に限らず誰だって社会に出れば、長い物に巻かれて仕事をする事になりますよ。これもその一つに過ぎません」

「仕事だから、仕方ない? 僕とロッティを、こんな形で魔導学院に繋ぎ留める事が、ティアのやりたい事じゃないだろう!?」


 伊織の必死の訴えも、幼女の微笑みを崩せない。

 そこに復活したロッティが声を上げる。


「ティアちゃん! もし教授に脅されてこんな事してるなら、ちゃんとそう言って! あたし達三人が手を組めば、なんとかできるかもしれないじゃん!」

「だから言ってるでしょう……これは処世術で、私は私の判断で教授にくみしていると」

「そんな……」

「二人とも、よく考えてください。これは決して悪い話ではありません。ロッティは教授見習いになって魔導士の夢に近付ける。お兄さんも、教授の研究をちゃんと手伝ってさえいれば、暇を見て人探しもできるはずです。魔導事務所なんてなくても、あなた達の望みは叶うんです」

「違うよそれ……ぜんっぜん違う! あたしと伊織が言ってるのはそんな事じゃない!」


 髪が汚れる事も厭わず、ロッティは横たわったまま激しく首を振る。


「あたし達は、ティアちゃんの事が心配なの! 教授に絶対服従する……どんな命令でも、友達のあたし達にすらこんな事しなきゃならないティアちゃんを、あたしは助けたいの!」


 目を大きく見開くと、ティアはロッティから視線を逸らした。

 愚直で真っすぐ、自由奔放なロッティと、思慮深く常に周囲に気を配るティア。正反対の二人は同じ学び舎に通い、同じ夢を見て、同じ悩みを抱えていた。

 互いに励まし、信頼していた間柄なのは間違いない。

 だからこそ嘘偽りないロッティに、嘘偽りだらけのティアは目が合わせられない。


「ティア、僕もロッティと同じ気持ちだ。まずは話し合って――」

「うるさいっ!」


 ティアは懐からもうひとつの音叉『カプリス二十四番』を取り出した。伊織の胸倉を掴むと、音叉の切っ先を喉元にあてがい、ロッティに見せつける。


「私だって……好きなように生きてみたいって思うよ。でも、できないのっ‼ 私には最初から自由意思なんて許されてない。だから否が応でも従ってもらいます。さもないと――」


 びゅうびゅうと、伊織の喉仏を小さなかまいたちが掠めていく。

 あと少し音叉が喉に近付けば、頸動脈を切り刻まれてしまうかもしれない。そう思うと、だらりと下がった伊織の指先に変な汗が吹き出てくる。


 そんな相棒の姿を見せつけられても、ロッティに慌てた素振りはない。

 愁眉しゅうびを開いた淡褐色の瞳ヘーゼル・アイズは、幼女を見つめて細まっていく。


「ティアちゃんが、伊織を傷つけるはずないよ……。誰も彼もが年上ばかりの魔導学院で、『お兄さん』なんて呼んだ人、伊織以外にいなかったじゃない」

「……」


 ティアは伊織を睨んだまま、微動だにしない。それはロッティが見抜いた通り、万が一にも傷つけないようにしているから……。

 押し黙る幼女の周りだけ、時が止まったように時間が止まっている。

 潤んだエメラルドの瞳から、今にも零れ落ちそうな涙の一雫さえも。


「あらあら、どうしたの~? あなたらしくもない。随分躊躇っているのね」


 突然第三者の声が響き、三人は一斉に振り返る。

 そこには音叉を持って立ち去ったはずの筋肉男と、紫色のローブを羽織った妙齢の女がいた。

 寸刻の沈黙後、ティアが重い口を開く。


「音叉は渡した。後は私に任せてと言ったはずよ。あなた達の出番はもうないわ」

「そうもいかないわよ~。教授見習いが増えるのは、もうたくさん。いい加減困っていたところなの」


 女がパチンと指を鳴らすと、筋肉男が猛ダッシュで、身動きの取れないロッティに突っ込んでいく。

 ティアは伊織を突き飛ばすとロッティの前に立ちはだかり、筋肉男の突進を風の音叉で受け流した。


「バースト! いきなり何をするの!?」


 バーストと呼ばれた男は答えない。

 代わりに女が、両手を広げ芝居がかった声を上げる。


「魔導事務所開設許可試験。毒竜に辛くも勝利した二人は、その後全身に回った毒で死亡した。この状況……誰にも疑われようがない、絶好のシチューエーションだと思わない?」

「ウェインスルト! そんなでまかせ、私が口裏合わせするとでも!?」

「あら。だったらあなたも一緒にくたばってもらって構わないのよ。教授見習いなんて、少なければ少ないほどいいんだから」


 高笑いする女を無視して、ティアは召喚魔導サモンスタイルの詠唱を始める。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ――がはっ!」


 しかし、バーストがそれを許すはずもなく。丸太のように太い足が、幼女の腹にめり込んだ。

 自ら後ろに飛んでダメージを軽減したティアは、ロッティの場所まで後退すると、彼女を封じていた長尺音叉を引き抜いた。


「逃げて」


 小さく呟くとそのまま長尺音叉を構え、追撃にかかるバーストを迎え撃つ。

 ロッティは急いで立ち上がると、腰砕けになってる伊織に駆け寄った。


「大丈夫? 伊織」

「ああ。それより、この曲は……」

「え?」


 後ろに控えるローブの女――ウェインスルトは、長剣のように長い音叉を打ち鳴らし、召喚魔導サモンスタイルを唱えていた。

 チェロの調べは森に佇む静かな湖面を想起し、舞い降りた一羽の白鳥が曲に合わせて優雅に踊る。


「サン=サーンス『動物の謝肉祭』、もっとも有名な十三番、『白鳥』だ」


 長剣音叉を受け取ったバーストは、氷のオーラを纏って音叉共鳴レゾナンスを果たす。

 音叉を横に薙ぐと、その軌道に氷柱つららの弾丸がいくつも生成され、ティアに向かって放たれる。


「音を導き閉じこめられし――くっ!」


 詠唱中のティアに、バーストの氷柱攻撃が襲い掛かる。ジャンプで避けるティアだったが、氷弾ひょうだんの一つが小さな足を掠めた。

 バランスを失い地面に激突しそうなところを、ロッティがスライディングで飛び込み受け止める。


「ロッティ……どうして」

「決めたから」


 ティアから長尺音叉を奪い取ると、ロッティは追撃の氷柱を全弾打ち落とした。

 バーストを睨みつつ、背中でティアに語る。


「あたしは逃げない。夢から、現実から……ティアちゃんからも! ショパンの魔導士になるためなら、どんな酷い現実にも抗って革命を起こす。そう、決めたから‼」


 音叉共鳴レゾナンスがなくとも古代魔導レガシーオーダーでなら戦える。

 ロッティは稲光る長尺音叉を両手で構え、気合と共にバーストへ突進する。その隙に、伊織は泣いてるティアを抱き上げた。


「大丈夫か? ティア」

「お兄さん……これを」


 涙でしゃくりあげたティアは、伊織に音叉を手渡した。


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