3-8 欺瞞に満ちて③

 ティアの話が終わると、静まり返った森にしゃくりあげるロッティの鼻声だけが響いていた。幼い少女の壮絶な過去は、伊織やヴァンダにとってもショッキングな内容だった。

 それでも、今はヒップ教授やブリヴェットの事を知る必要がある。

 重い空気を最初に破ったのは、伊織だった。


「ティアはブリヴェットの効果……竜の正気を失わせる事についても、教授から聞かされていたのか?」

「いいえ。竜害誘因と、三年以内に新しいブリヴェットに交換手術をしないといけない事は、術後に聞かされました……」

「酷いよそんなの! 教授に騙されたみたいなもんじゃん!」


 淡褐色ヘーゼルの瞳に涙をいっぱい溜めたロッティは、心底憤っている。


「そうとも言い切れないの……。ブリヴェットのない私は、きっと魔導士にも魔導共鳴士にもなれなかった。たとえ事前に聞かされていたとしても、手術を受け入れていたと思うわ」

「でもティアちゃんが魔導学院にいた頃って、竜が後を追っかけてくるような事、なかったよね?」

「心の音叉を響かせないようにすれば、ブリヴェットも響かない。さっきはウェインスルトの音叉の力で、強制的に共鳴させられてしまったようなの」

「そういう事だったのか……」


 ウェインスルトが巾着袋から取り出した、サン=サーンス『死の舞踏』。やはりあの音叉が、ティアの倒れた原因だった。

 度重なる戦闘でボロボロだったところに新たな竜を呼び寄せて、試験中の事故として処理する気だったのだろう。


「てことは……蒸気機関車を襲った竜も、ティアちゃんが呼び寄せたって事?」


 恐る恐る訊ねるロッティに、ティアは申し訳なさそうに頷いた。


「岩竜は私のブリヴェットに呼応してやってきたわ。水竜は……おそらく同じ列車に乗っていたウェインスルトが呼び寄せたんだと思う。ブリヴェットは一本につき一体の竜しか惹きつけられない。ウェインスルトもブリヴェットを持ってるはずだから」


 伊織の背筋に、冷たいものが走った。


「ティアやウェインスルト以外にも、ブリヴェットを埋め込まれてるヤツがいるのか?」

「いいえ。身体に埋め込まれて生きているのは、おそらく私だけです。ウェインスルトはブリヴェット本体を使って、竜害を引き起こしています。普通に叩いてもブリヴェットは鳴らす事ができません。心の音叉で共鳴させるか、特別な魔音叉を使う必要があります。いずれにせよ、教授以外でブリヴェットを操れるのは、私達二人だけのはずです」


 ロッティが、はっと顔を上げる。


「ちょっと待って……ティアちゃんとウェインスルト先生は、そのブリヴェットを使ってポーラ各地で竜害を引き起こしてたって事? どうしてそんな……教授は何のために、そんな事をやらせているの!?」


 再び涙を浮かべるロッティを、ティアは優しく抱き寄せた。

 乱れたハイトーンブロンドを小さな指で梳き、幼女は少女を慰める。


「教授は音叉魔導の将来を危惧しています。蒸気機関に代表される科学技術の発展は凄まじく、今や私達の周りには生活に不可欠な機械が溢れかえっています。それに比べて古代魔導レガシーオーダーは使い手を選ぶようになり、召喚魔導サモンスタイルも未だ体系だった習得手順が確立されていない。このままでは竜害対応も、いずれ強力な銃火器に取って代わられる事でしょう。だから今の内に竜害を多発させ、共鳴士に竜を狩らせる事で、音叉魔導の必要性を世間に訴えたいのでしょう」

「そんなの間違ってるよ! 魔導士や共鳴士になりたいって子は皆、音叉魔導に可能性を感じて学院に入ってくる。それなのに、そんな事してたら……」

「魔導士共鳴士は教授の共犯。マッチポンプの火消し役でしかなくなってしまう」


 ティアは静かに、旧友の金髪に顔を埋めた。

 マッチポンプ――本来必要ない事件を起こし、それを解決する事で利益を得る行為。

 そんな事のためにティアは、胸に歪な音叉を埋め込まれ、操り人形にされたのか。

 逃げ出そうにもブリヴェットは魔導共鳴士の生命線。三年毎に交換が必要なら、逃亡は死に直結する。

 腹に渦巻く罵詈雑言を吐き出さないよう、伊織は必死に耐えていた。しかし――。


「ヴァルソヴィア魔導学院、ヒップ教授……許せない」


 怒りを露わにして立ち上がったのは、竜姫ヴァンダだった。そのままくるりと背を向けて、この場を立ち去ろうとする。

 伊織は立ち上がり、肩を掴んで引き留めた。


「待て、どうする気だ?」

「そんなの決まってる。私とダボーグで魔導学院に乗り込んで、ヒップ教授とやらを排除する!」

「無茶だ! 魔導学院は音叉魔導の総本山だぞ!?」


 伊織の手を払いのけると、ヴァンダは右手を掲げた。

 それを合図に、後ろで丸まって寝ていた黒竜は首を立て、厳つい顔を向けてくる。


「同胞が町に下りヒトに排除されても、私達は静観を貫いてきた。それは先祖代々受け継がれてきた共存不干渉の掟を守るためだ。しかしヒトが竜を操ってると知った今、見過ごすわけにはいかない。首謀者ヒップを断罪し、共存不干渉の秩序を取り戻さなければならない」


 ヴァンダの主張に賛同するように、黒竜ダボーグは森を揺さぶる咆哮を上げる。


「ダメだ!」


 すくむ足に鞭を打ち、伊織はヴァンダに駆け寄ると、後ろ手を掴んで引き留める。


「ヒップ教授以外にも、ヴァルソヴィアには魔導士共鳴士がわんさかいる。ダボーグが街中に入ったが最後、竜害対応の名の元に集中砲火され、打ち落とされちゃうよ!」

「ならばこちらも、竜の軍勢を率いて挑むまで」

「それこそ人竜戦争の再来だ! ヒップ教授にしてみたら、全面戦争は願ったり叶ったりなんだ。竜族の望みはヒトとの決戦じゃなく、共存不干渉の維持だろう?」


 ヴァンダは伊織の手を払いのけた。

 その目に涙を溜めて、まくしたてる。


「じゃあどうすればいいの? あなた達もヒトが襲われていたら助けるでしょう? 竜はヒトに正気を奪われ利用されてるってのに、私達には指を咥えて見てろって言うの!?」

「私のブリヴェットを……持っていくといいわ」


 幼い声に振り返ると、ティアが立ち上がっていた。

 ふらふらする小さな身体を、ロッティが寄り添い支えている。


「方法は分かりませんが、ヒップ教授がブリヴェットを生成している事は疑いようがありません。竜害を故意に誘発した教授見習いの遺体と、その原因となるブリヴェット……この二つの証拠を世間に公表すれば、さすがのヒップ教授も言い逃れはできないでしょう」

「ティアちゃん……」

「……ティアのブリヴェットは、外科的手術で摘出可能なものなのか?」


 心配する伊織とロッティに、ティアは苦笑しかぶりを振る。


「言ったじゃないですか、教授見習いの遺体だと。我が身可愛さに教授に従った私は、そこの竜姫に八つ裂きにされても文句は言えません。今頃ウェインスルトは、私の離反を教授に報告してるでしょう。私はもう終わりです。だったらせめて、この身体を贖罪として……」

「ダメだよティアちゃん! そんな事、させられるわけないでしょう!」


 しがみつくロッティに、ティアは優しく諭していく。


「あなたのおかげなのよ、ロッティ。魑魅魍魎の魔導学院で、私が正気を保っていられたのも」

「ティアちゃん……」

「一緒に魔導事務所をやろうって誘ってくれた時、嬉しかった。せめて二人だけでもと、上手く立ち回るつもりだったけど……教授には全部お見通しだったみたい」

「今からでも遅くないよ! ヒップ教授を失脚させて、三人で魔導事務所をやろう! なんならヴァンダちゃんも仲間に引きずり込めば、竜害なんてあっという間に解決だよ!」


 ヴァンダは伊織を突き飛ばし、ティアの前に歩み寄った。


「ティア……あなた本当に、死ぬ覚悟なの?」

「ええ。その代わり、この二人の言う事は聞いてあげて下さい。きっと味方になってくれます」


 視線を交わすティアとヴァンダに迷いはない。言葉通りの惨劇が、今目の前で起きてしまってもおかしくない! ――そう直感した伊織は、ヴァンダに体当たりを敢行する。

 ほぼ同じタイミングで、ロッティもティアを抱きかかえ距離を取った。


「だめっ! ティアちゃんが死んで解決なんてあり得ない! あったとしても、そんなの解決でもなんでもない!」

「ロッティ、放して。もうこうする以外、方法はないの」

「いやーっ!」


 一方ヴァンダは、ビキニの腰にへばりついた伊織に、強烈なボディーブローを放っていた。

 竜姫はパンチもドラゴン級。まともに食らった伊織は、腹ばいに崩れ落ちる。


「いっ、いきなり抱き着くなんて……共存不干渉とかそういうレベルじゃないわよっ!」


 真っ赤になった頬を両手で挟むヴァンダは、すぐに腰の違和感に気が付いた。

 地面に突っ伏した伊織を冷然と見下ろす。


「抜け目のない……あなた、それを盗んでどうしようって言うの?」


 ロッティとティアは、伊織が突き出した音叉を見て息を呑む。

 リスト『愛の夢』第三番の魔音叉は、伊織の手の中で激しい明滅を繰り返していた。


「ヴァンダ……君は魔導士でも共鳴士でもないと、言ったね?」

「えっ? ええ」


 頬を地面にこすりつけながらヴァンダに向けてニヤリと笑うと、伊織は自信満々言い放つ。


「僕にいい考えがあっ……おえっ、おええええっ!」


 逆流する、胃酸と共に。

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