3-7 欺瞞に満ちて②


* 3 *


 私は、夢遊病者になりたかった。

 だって歩いていても夢を見ていられるんでしょう? 夢見がちな女の子って、ちょっと可愛いと思わない?

 そんな妄想をしていたら、私の天地がひっくり返った。


「どこ見て歩いてんだよ、バカ」

「……すみません」

「あーあ、シチューもったいねえ。ちゃんと掃除しとけよ」

「あ……はい」


 トレイに乗ってた夕飯と一緒に、私は食堂の床を転がっていた。

 きっと年長組の誰かが、見えないところから足を出してきたんだろう。私は食器を拾ってトレイに戻すと、皿の底に残ったわずかなシチューを指ですくって口に咥えた。


「うわっ、きったね……」

「行こうぜ、飯が不味くなる」


 いじめっ子達は談笑しながら去っていった。私の事なんてもう興味ないみたい。

 でもそれでいい。夢に生きる私を現実のあいつらが構う事自体、間違ってる。

 それは私も同じ事。


 おなかを鳴らしながら、床に零したシチューをモップで拭いた。もちろん手伝ってくれる子なんて一人もいない。

 悲しくはなかった。

 人を思いやる気持ちなんて孤児院ここでは必要ないって分かってるから。

 現実は生きづらい。だから人目を避けて日陰を歩く、私は夢見がちな女の子。


 そんな私の楽しみは、もちろん夜だ。

 消灯時間になって闇と静寂に包まれると、固いベッドもドリームマシン。

 私はすぐに眠りに落ちると、待ち焦がれた夢の扉を開いた。


「おかえり、ユースティア」

「ねーねー!」

「にゃあ」


 リビングに入ると、夢のお父さんとお母さんが笑顔で迎えてくれる。

 生まれたばかりの夢の弟はまだ赤ちゃんで、土砂降りの日に拾った夢猫ドリーは私に一番懐いてる。お父さんは靴職人で、家族の靴は毎日ピカピカ。お母さんは毎日美味しいジュレクを作ってくれる。

 夢の中の私は、幸せ家族の女の子。

 ちょっとおしゃまで優しいお姉ちゃん。


「点呼、はじめ!」


 朝の点呼が始まると、私は鉄格子の先に広がる忌々しい青空を見上げていた。

 朝が来るのは止められない。ならばせめて、意識だけでも夢の中へ飛んでいきたい。

 私は、夢遊病者になりたかった。

 だからいつもボーっとしてると思われてしまう。


「あいつがボーっとして、花瓶にぶつかって割ったんだ。俺のせいじゃない!」

「俺、あいつが割ったとこ見ました!」

「俺も俺も!」


 年長組が遊んで壊した花瓶を、たまたま通りがかった私のせいにされた。

 何を言っても、口裏を合わせるあいつらには敵わない。私は反省室に連れていかれ夜通し折檻された。

 あの部屋で気を失っても夢を見ない。泣いて謝り気が付けば、朝になってるだけだから。

 その日、夢の家族の元に帰れなかった私は、初めて「死にたい」と願った。

 死ねばずっと夢を見続けていられるかな? 

 天国なら、お寝坊しても許してくれるかな?


 自殺では天国に行けないって聞いた。だったら誰かに殺してもらおう。いじめっ子? 反省室の折檻? そんなので死ねるわけがない。

 もっと強烈な、誰にも理解できない不気味なヒト。そういうヒトなら私を殺してくれるんじゃないかって。永遠の夢を見させてくれるんじゃないかって。

 私は、夢遊病者になりたかった。

 それはつまり、死にたかったんだと気が付いた。


 ある日、教授と呼ばれる身なりの良いお金持ちが、孤児院を訪ねてきた。

 里親希望者が来るといつも愛想良く振るまう年長組が、蜘蛛の子を散らすようにどこかへ隠れてしまった。

 私が不思議に思っていると、近くの子のヒソヒソ話が耳に入ってくる。


「なんで年長組、逃げちゃったの?」

「あの人、もう何度もウチに来てる人みたいなの」

「里子を何人も引き取ってるって事? だったらいい人じゃない」

「あんたバカ? そんなの怪しいに決まってるじゃない。噂じゃ子供を引き取って人体実験に――」


 そこに先生と教授が入って来て、その子達の話は終わってしまった。


「はーい! それでは皆さん、検診を始めますよ~」


 私達は大部屋に集められ、上半身裸になって一列に並ぶよう言われた。

 列の先頭には教授が座り、健康診断のお医者さんみたいに、聴診器代わりの音叉を胸にかざしていく。

 列はどんどん進み、私の番となった。


「この子は新顔だね」

「はい~、まだ幼いですけど、黙々と仕事する頑張り屋さんなんですよ~」


 教授と先生のやり取りをどこか遠くの会話のように聴きながら、私は胸にあてがわれた音叉をじっと見つめていた。

 硬そうな二又の金属棒。これで殴られたら死ねるかな? そんな事を思っていたら、音叉が音を響かせた。

 教授は目を丸くして私を見つめる。私は笑顔でそれに応えた。


「君の名前は?」

「ユースティア」

「少し長いな。ティアって呼んでもいいかい?」


 ついに見つけた。私に永遠の夢を見せてくれるヒト。

 そのためなら、名前も、命も――。


「どうぞ、あなたのお好きになさって下さい。ヒップ教授」



 結局私以外にも当たりの子が三人いた。私達四人はその日のうちに荷物をまとめ、孤児院を出る事になった。

 教授の家に着くとそれぞれ個別の部屋が与えられ、音叉魔導の共鳴士になる事を義務付けられた。


 座学はともかく、身体を苛め抜いて鍛える共鳴士の訓練は、子供の私達には過酷なものだった。

 一人また一人と、一緒に来た子がいなくなる。

 追い出されたとは聞いたけど、訓練中に死んでいたとしてもおかしくはなかった。

 元々死ぬつもりだった私は、まさに死に物狂いで訓練に臨んだ。

 一番幼かった私は、他の子と比べまだ手加減されたプログラムだった事と、死ぬ気の姿勢が認められ、最後まで生き残る事ができた。


 そして八歳の誕生日。私は初めて古代魔導レガシーオーダーに成功し共鳴士となった。


 私はもう、夢遊病者になりたいとは思わなかった。

 夢のような生活は、自分の手で現実にすればいい。

 私は音叉魔導の習得に更にのめりこむようになっていった。


 共鳴士となった私の次の目標は、音叉共鳴レゾナンスを果たす事。そして魔導士になる事だ。

 音叉共鳴レゾナンス召喚魔導サモンスタイルを習得するためには、他の共鳴士や魔導士と交流を持たなくてはならない。

 私は飛び級でヴァルソヴィア魔導学院に入学し、そこで初めて挫折を味わった。


 今までまともな人付き合いをしてこなかったせいか、召喚魔導サモンスタイルどころか音叉共鳴レゾナンスすらできない。

 仲良くしようとしても、子供特待生の私はクラスメイトから敬遠されてしまう。

 焦れば焦るほど心の音叉は響かず、ずぶずぶと底なし沼に沈んでいくような毎日だった。


 そんなある日、教授に呼びだされた。ついに見放されるのかと覚悟していた私に、教授は小さな音叉を見せてきた。

 いえ、それを音叉と言っていいものか。

 その金属棒は根元が二又に分かれてるけど、分かれた先端は三又になっていた。

 錯視か騙し絵トリックアートか、普通ではあり得ない構造の音叉だ。


「これはブリヴェットと呼ばれる特別な音叉だ。心の音叉の力を増幅する効果がある」

「これを……私が戴けるのですか?」

「そうだ。これは魔導士を目指す君にとって、最後のチャンスとなるだろう」

「ありがとうございます。必ず教授のご期待に応えてみせます」

「そうか。なら早速始めよう」

「えっ?」

「ブリヴェットは、君の心臓に直接埋め込まなければならない。そうする事で心の音叉と共鳴し、今までより強く打ち鳴らす事ができる」

「それは……手術するって意味ですか?」


 私は、教授と初めて会った日の事を思い出した。

 孤児院の子が噂してた人体実験。あれはもしかして、この事だったのかもしれない。

 一緒に来た三人は、もっと早い段階で――。


「不安かね?」

「いいえ、ちっとも」


 私は迷いなく、ブリヴェットを受け入れた。

 成功すれば、夢に描いた幸せを現実のものにできる。

 失敗すれば、永遠の夢に旅立てる。

 どちらに転んでも、私の夢は叶えられるのだから。


 私はもう、夢遊病者になりたいとは思わなかった。

 夢を実現するためなら、どんな現実でも受け入れる。

 夢見がちな子は成長し、確かな一歩を踏み出すべきだと思ったの。


 それが取り外せぬ、枷とも知らずに。

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