4-11 それぞれの選択⑦

* 3 *


 ドーム状に立ち並ぶ防御壁の中央、巨人ヒップの頭上を、翼を広げたダボーグがゆっくりと通り過ぎた。

 そこに『ラ・カンパネラ』のヴァイオリンが鳴り響くと、長尺音叉を持った幼女が落雷となって降ってくる。


 狙いすました一撃が巨人の脳天を直撃――したかに見えたが、音叉が達する直前に、巨人の姿は忽然と消え失せた。

 音叉は虚空に弧を描き、ティアは岩壁ドームに着地した。巨人の頭が突き出ていた天井穴を覗く。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て」


 ドームの中からヒップ教授の召喚魔導サモンスタイルが聞こえてくる。

 ティアは長尺音叉をぶんぶん振って、上空の伊織に合図を送った。


 ダボーグの背中の伊織はパガニーニに別れを告げ、新たな召喚魔導サモンスタイルを紡ぎ出す。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て」

「来たれ魔導士ベルンハルト・ヒップの名と身において」

「来たれ魔導士イオリ・タレイシの名と身において」


 二人の詠唱は、ほぼ同じスピード、タイミング。


 ヒップ教授の背中から再びマーラーが姿を現し、ドーム内ステージに幻影のオーケストラを出現させる。

 伊織の背中からも赤茶けた癖毛を指で払い、ハシバミ色の瞳を輝かせるピアノの詩人が起き上がる。


「演じよショパン、ピアノ練習曲エチュードハ短調Op.10-12……かき鳴らしたピアノに『革命』の炎を纏いて――今この一撃に全てを奏でよ!」


 ショパンの前に幻の鍵盤が出現すると、『革命』の冒頭――和音とアルペジオが響く。

 音叉を受け取ったロッティは、音叉共鳴レゾナンスのオーラを纏うや否やダボーグの背中から飛び降りた。


「演じよ、グスタフ・マーラー! 声楽も器楽として鳴り響かせた、ラテンの賛歌と『ファウスト』第二部最終局面。来たれ、創造主たる精霊よ! この地を震わせ示せよ交響曲第八番変ホ長調、『千人の交響曲』となりて!」


 マーラーとなったヒップ教授は、音叉を振って再び『千人の交響曲』を響かせる。

 その瞬間、『大地の歌』でグノイナの丘一帯にバラまかれたブリヴェットが、一斉にうなりを上げた。


 岩壁ドームを取り囲む竜たちは再び我を失い、涎を巻き散らし暴れ始める。突然の竜の反乱に、背中の共鳴士達は慌てふためいている。

 頼もしかった竜の援軍が、一瞬で大規模竜害へ変貌する。

 その様を見て、伊織は下唇を噛み締めた。


 想定通り教授は再び竜の正気を奪ったわけだが……想定以上に竜の暴徒化が早い。これじゃロッティが間に合わない!


「いやああああっ!」


 襲い掛かる竜をオーラと音叉で弾き飛ばし、ロッティは岩壁ドームめがけて落ちていく。

 ドーム上ではティアが、竜相手に天井の侵入経路を必死で確保している。

 長尺音叉が竜三匹をまとめて振り払った瞬間、ロッティは猛烈なスピードで天井穴を潜り抜けた。

 派手に転がって着地の衝撃を逃がすと、音叉の切っ先にマグマを灯しヒップ教授に向かっていく。


「もうこれ以上、ヒトと竜を引き裂かないで!」


 ロッティの侵入に気付いたヒップ教授は、『アダージェット』の音叉を取り出した。

 古代魔導レガシーオーダーを無効化するはずの音叉は……どういうわけか光らない。そうこうしてる内に、ロッティと教授の音叉が激しくぶつかり合い、マグマを飛ばし鍔迫り合う。


「これは……魔導共鳴士の制約か!? 召喚魔導サモンスタイル中は他の音叉の古代魔導レガシーオーダーも使えんのか!?」

「違う! 誰かが誰かを傷つける音楽なんて、マーラーさんだって望んでないって事よ!」


 炎の音叉を握り締め、そのまま力で教授を押し切ろうとするロッティ。

 だが気合だけでは押し切れず、逆に押し戻されてしまう。


「ははは……ふははは! いくら綺麗事を並べても、結局その程度の力しかないから夢を叶えられんのだ! このままお前を人質に――っ!?」


 刹那、二人に注いでいた天井のスポットライトが、半人半竜の影で遮られた。

 橙色のオーラを纏ったヴァンダは、二人の元に舞い降りて教授の胸に音叉をあてがう。


 目を見張ったヒップ教授が、ロッティの背後にピントを合わせると……そこには千里の肩を借りた伊織が。その隣ではリストが幻想のピアノを弾いている。


「まさか……戦闘中の共鳴士ロッティ音叉共鳴レゾナンスを解除し、リストの召喚魔導サモンスタイルを行使した……!?」


 ヒップ教授の胸の中、カシャンと何かが弾けると、後ろで演奏していた大交響楽団が泡となって消え失せる。

 ドーム外からひっきりなしに聞こえていた竜の喚き声も、急に聞こえなくなる。

 教授はロッティとヴァンダを突き飛ばし、伊織に向かって駆け出した。


「お前さえ……お前さえポーラに来なければ!」


 ヒップ教授が拳を振りかぶった瞬間、伊織の目の前に幻影ショパンが立ちはだかった。驚愕で動きが止まった教授の隙を突き――、


「やーっ!」


 伊織は下から上へと、拳を振り抜いた。

 不格好なアッパーカットはショパンの身体をすり抜けて、教授の顎をわずかに掠める。

 素人パンチは脳震盪を誘うラッキーパンチとなり、教授は全身を痙攣させ仰向けにひっくり返った。

 すぐにロッティとヴァンダ、ドーム天井から下りてきたティアが教授を取り押さえ、コートを脱がせて音叉を回収、武装解除する。


「伊織! 大丈夫?」


 うずくまって拳を庇う伊織に、幻影ショパンを従えたロッティが心配して駆け寄った。


「ロッティ……どうしよう」

「どうしたの?」


 泣き出しそうな顔でロッティを見上げる伊織。震える右手を、ぎこちなく広げてみせる。


「生まれて初めて、ヒトを殴っちゃった……」

「まさかの罪悪感!?」


 ――今はそれどころではないだろう?


 誰かの苦言ツッコミが、伊織の耳奥で響く。

 でも目の前のロッティはその声に無反応で……。

 そうか……ヒトを殴ったショックで意識が遠のいてるから、誰にも聞こえな――。


* * *


 気が付くと、僕は白い世界にいた。

 ぽつんと、思考のモニタだけが置いてある。

 なんとはなしにその前に座ると、モニタの電源が勝手に付き、ショパンの姿が映し出された。


 ――ありがとう伊織。君達の活躍で、人竜戦争の再来は潰えたようだ。これで僕ら音楽家も、この世界に留まる必要がなくなった。


「礼を言いたいのはこっちの方だけど……留まる必要がなくなったって、なんの事だ!?」


 ――君と千里、そして君らの世界で知られる音楽家ぼくらは、君達と同じ現実世界に属している。本来違う世界の人間が、異世界ポーラと干渉してはならない。それは死した僕らも同様だ。


「……ちょっと待ってよ。ショパンの音叉はポーラにあったんだから、ショパンはポーラでも生きてたんじゃないのか!?」


 ――先の人竜戦争では、天使の歌声だけで十分な数の魔音叉を作れなかった。だから死後の音楽家ぼくらの楽曲を音叉に籠め、異世界ポーラで配った。今ある魔音叉はその使い残しなのさ。


「先の人竜戦争って……絵本にあった、大昔に天使がヒトに魔音叉を配ったっていう?」


 ――そう。天使の歌声音叉であれば誰でも古代魔導レガシーオーダーが使えた。でも僕ら音楽家の魔音叉は、使うヒトの心の音叉が音楽に共鳴しなければ使えない。必然、天使の歌声音叉は早々に魔耗し、音楽家の魔音叉は長くポーラに残り続けた。


「そういう事だったのか……でもそれと、ショパン達の魔音叉がポーラに留まる必要がないってのは、全然違う話だろ?」


 ――魔音叉は竜の脅威にヒトが対抗するため、天使がもたらした神の御業。余った魔音叉は、人竜戦争の再来に備えポーラに残されたままになっていた。必要なくなれば、過ぎた力は回収されなければならない。君達兄妹も、元の世界に戻らなければならないんだ。


「千里と僕が『別れの曲』でポーラに来たのも……人竜戦争を防ぐため!?」


 ――共存不干渉の掟だけでは、再び人竜戦争が起こる事は分かっていた。その時、二つの世界を往来できる楽曲の加護ムジカブレスを持つ『別れの曲』が悪用され、竜を現実世界へ追いやる事もね。だから僕はポーラに残る魔音叉全ての力を借りて、『別れの曲』だけ現実世界へ転移させた。魔音叉に宿る音楽家の意識があやふやになってしまうほど、膨大な魔力を使ってね。


「それでお父さんが『別れの曲』の音叉を見つけて、お土産として僕らに送り、僕と千里がポーラに転移した……。十年もの、時を隔てて」


 ――先に来た千里が魔導士となり、竜とヒトとの仲を取り持ってくれれば良かったのだが……彼女は魔導士になれず、代わりにヒップが知識を得て召喚魔導サモンスタイルを発展させてしまった。


「そして千里はブリヴェット手術で魔導共鳴士になり、現実世界に戻っていった……」


 ――そうだ。その時点でヒップ教授によるポーラ支配が確定し、その後のブリヴェットや魔音叉の研究により、現実世界へのゲートが開かれた。だから千里が戻った世界では、竜害蔓延る最悪の世界線になってしまったんだ。


「だから今回、ヒップ教授が失脚する事で、ポーラも僕たちの世界も同時に救われたって事か……。だからって、ショパン達がポーラを去らなくたっていいだろう?」


 ――人竜戦争の脅威がなくなった今、ポーラはポーラの音楽を発展させるべきだ。現存する僕ら世界の音楽家の魔音叉は、すぐに魔耗し使えなくなるだろう。


「そんな……誰も召喚魔導サモンスタイルできなくなったら、音叉魔導は衰退していくだけじゃないか!」


 ――召喚魔導サモンスタイルは、ポーラ出身の音楽家の魔音叉でも行使できる。ただし楽曲の加護ムジカブレスを持つような強力な音叉はないけどね。二つの世界を二度と交わらせないためにも、過ぎた力は回収されなければならない。


「そんな……なら、ロッティはどうなるんだ!? ロッティは夢を叶えてショパンの魔導士になった。でもポーラの魔導士は、特定一人の音楽家の音叉しか使えない。もしポーラからショパンの魔音叉が全部無くなったら、ロッティはもう……」


 ――君と千里が『別れの曲』で現実世界に戻るチャンスは、あと一回。今後二度と交わらない彼女の身を、君が案じても仕方ない。異世界と現実世界は共存するが、干渉すべきではないのだから。


「人竜の共存不干渉は止めさせておいて……僕らには共存不干渉を押し付けるのか!?」


 ――改めて礼を言うよ、伊織。ありがとう。どうか元の世界で、君は君の夢を叶えてほしい。


 そこで思考のモニタは電源が切れ、ショパンの姿もぷつんといなくなってしまった。

 僕はモニタを掴んで思いっきり投げ捨てると、手のひらに残る傷跡に目を落した。


 次に目が覚めた時、僕は……僕らは、選ばなくてはならない。

 それぞれの夢を、現実を。

 この手を伸ばし、掴むために。

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