3-12 欺瞞に満ちて⑦

 ある日いつものようにお婆の家に行くと、玄関先に見知らぬ男が二人、強い口調でお婆を責め立てていた。隠れて聞き耳を立てると、男達は竜害がどうのこうの言っている。

 嫌がるお婆を突き飛ばし強引に家に入ろうとしたので、私は我慢できず飛び出した。


「お婆に触るな!」


 殴れば腕の鱗が見られてしまう。私は体当たりで男の一人をぶっ飛ばした。


「なんだお前は!」

「この子は私の孫ですじゃ。およし、ヴァンダ」

「どうして止めるの!」


 年寄相手に粗暴な振る舞いをしたのはこいつらの方だ。私も手加減する必要なんてない。

 お婆は私の腕を掴んで引き止めようとする。身体を捻ってその手を振りほどくと、フードが落ちて頭のツノが露になってしまった。

 慌てて被り直すも、今度はローブから出た鱗付きの腕が男達の目に晒される。


「こいつ……ツノに、鱗まで生えてるじゃないか! りゅ、竜だっ! ヒトに化けた竜だ!」


 慌てて逃げ出す男達。

 見られてしまったからには仕方がない。このまま生きて帰すわけにはいかない!


「およし、ヴァンダ」


 背後でポーンと、音が響いた。

 興奮に滾る私の頭が、嘘のように冷えていく。

 振り返ると、お婆は二又の金属棒を手に持って、聴いた事のない音楽を鳴らしていた。


「お婆……なに、それ」

「さ、もういい時間だからご飯にしようかね。手伝っておくれ」


 お婆は金属棒に指を触れ音楽を止めると、さっさと家の中に入ってしまう。不思議と私も逃げた男達を追いかける気が失せ、お婆に続いて家に入った。

 二人でジュレクを作って食べてると、お婆はさっきの金属棒を見せてくれた。


「これは魔音叉と言ってね、叩くとたかぶった竜の気持ちを鎮める音楽を鳴らすのさ」

「聞いた事がある。魔音叉は竜の天敵、音叉魔導の使い手がそれを使うって」

「そうね。でもこの音叉は、竜やヒトを傷つけない。ただ音楽で心を癒すだけなのよ」

「癒す……?」


 お婆は叩き棒を使って音叉を叩いた。ポーンという音の後に、甘く優しい音楽が部屋に充満する。

 耳を傾けていると、確かに穏やかな気分になっていく。


「この曲はリスト『愛の夢』第三番。ヒトが家族を思いやる愛を、音楽で奏でているのさ」

「綺麗な曲ね……」


 音叉はヒトの武器と聞いていたけど……お婆の言う通り、こんな素敵な曲が竜を傷つけるとは思えない。


「ヴァンダ。私はヒトだが、お前を孫娘のように思っている。そしてお前には、大事な竜の家族もいる。今を幸せだと思うなら、共存不干渉なんていう古いしがらみに縛られてはいけないよ。人竜問わず自分の周り全てを愛する。そういう心の広い子になりなさい」

「……お婆やお父さん、ダボーグは大切な家族だと思ってるよ。でもさっきみたいな連中は、同じように思えない」

「そうかい。なら、その音叉はお前が持ってておくれ。怒りで我を忘れそうになったら、音叉を鳴らして怒りの心を静めるんだよ」


 お婆は立ち上がると、クローゼットからヌメ革のベルトを取り出した。

 私の腰に巻くと、ぶら下がるホルスターに『愛の夢』の音叉をしまう。


「これ、お婆が大事にしてたものでしょう? 私がもらっちゃってもいいの?」

「お前が持っていた方が音叉も喜ぶだろう。大事にしてくれるかい?」

「もちろん、ありがとう」


 お婆は満足そうに微笑むと、私の皿を取ってジュレクのおかわりを出してくれた。その後は他愛もない話をして、私は住処に戻った。


 なぜあの時、お婆は私に音叉を託したのか。

 なぜあの時、お婆を連れて逃げなかったのか。

 半分ヒトのくせをして、私はヒトについて知らなさ過ぎた。



 ――姉さん、行っちゃダメだ!

 ――放して!


 翌日、お婆は姿を消した。

 昨日のヒト族が街に連れていったと、ダボーグが教えてくれた。

 私みたいな竜もどきと一緒にいたせいで、共存不干渉に背いた裏切り者と見做されたのだ。森に住む老婆が、ヒトに仇なすわけないのに!


 ダボーグとの姉弟きょうだい喧嘩は、どうあがいても勝てない。私は弟の口に咥えられ、お父さんの前へ連れてこられた。

 ボロボロの私が吐き出されると、お父さんは哀れみの目を向けてくる。


 ――ヒトと竜は共存不干渉。ヒトがお婆を連れていったのなら、それはもうヒトの問題。竜族のお前が干渉してはならん。

 ――お婆は森で暮らしてるんだからヒトじゃないって、お父さんが言ったんじゃない!

 ――それは我々竜族の理屈だ。ヒトはヒトで、彼らの理屈で動いている。

 ――私のせいなの……昨日私がヒトに見られて、それでお婆が竜と一緒にいるって……。


 お父さんはダボーグに念話を送ったようだ。私は再びダボーグの口に咥えられる。


 ――とにかく、今は町に行ってはならん。何があってもな。ダボーグ、頼んだぞ。


 ダボーグは頷くと、私を連れて森奥の住処へ飛んで行った。

 私は幽閉され、ダボーグはその見張りに立った。私はただ泣く事しかできず、そこで一晩を明かす事になった。



 ――姉さん、姉さん起きて。行くよ。


 泣き疲れて眠ってた私を、ダボーグが念話で起こした。弟は私を背中に乗せると、朝露の中、翼を広げ飛んでいく。


 ――なに? あれ……。


 遠くに見える空が、禍々しいほど真っ黒な雲で覆い尽くされている。

 その下のところどころ、町から炎が噴き出して、断続的な爆発音まで聞こえてくる。


 ――昨夜、お父さんが町を襲った。一晩かけて滅ぼしてしまったんだ。

 ――そんな……お父さんがお婆を助けに行ったって事!? 共存不干渉の掟は絶対だって、あれほど自分で言ってたのに!?

 ――口止めされてたんだけど……お父さんとお婆は、昔馴染みの知り合いだったんだ。姉さんの半人半竜も、あのお婆が深く関わっているらしい。

 ――どういう事?

 ――詳しくは知らないよ。ただ、お父さんは森長もりおさを僕に継がせ、お婆を助けるため一匹で町に向かった……もう行くよ姉さん、これ以上町には近付けない。

 ――ちょっと待って! 行くってどこへ!?

 ――他の森さ。間違いなくヒト族は、マゾフシェの森で竜狩りを始めるだろう。

 ――お父さんはどうするの!? 助けなきゃ!

 ――共存不干渉の掟を破り、これだけの竜害を引き起こしたんだ。掟破りはヒト族に倒されないと収まりがつかない。僕らが助けてしまったら、それこそ全面戦争になりかねない。


 私はダボーグから飛び下りた。ローブを着たまま翼を広げ、自力で空を飛ぶ。


 ――私なら、ヒト族の恰好で町に近付ける。お婆とお父さんを連れ戻す!

 ――ダメだ姉さん! 何のためにお父さんが一匹で町に向かったと思ってるんだ!

 ――ごめんダボーグ、先に行ってて!


 説得を重ねるダボーグを振り切って、私は町へと飛んで行った。


 町は凄惨な様相を呈していた。建物という建物が倒壊し炎に焼かれ、数多くの死体が転がっている。

 私以外に動く人影はなく、皆死んだか逃げたか隠れたか……バチバチと何かが燃える音だけ、通りに空しく響いていた。


 ――お父さん!


 町の中央広場、折り重なった死体のすぐ傍に、巨大な黒竜が横たわっていた。

 口をわずかに開き、目を見開いたまま動かない。

 銃創、裂傷、火傷、凍傷……音叉魔導らしき様々な傷跡が、竜の身体のあちこちに刻まれていた。


 ――お父さん……。


 もう一度念話を送るも反応はない。代わりに――、


「ヴァン……ダ?」


 しわがれた声が聞こえてきた。慌ててお父さんの口を開くと、ボロボロの老婆を見つける。


「お婆! 良かった……お父さんが助けてくれていたのね……」


 口の中から引っ張り出そうとするも、お婆は首を振ってそれを拒否する。


「ヴァンダ、私はもう十分生きた。ここでスヴァと一緒に死んだ方がいい。そうすればヒトに化けた竜が、元の姿に戻って私を連れ戻そうとしたと、単独の竜害とみなされる」

「そんな……このまま放っておけないよ! お父さんだってまだ生きてるかもしれないのに!」

「私らは殺しすぎた。ここまでの事をしでかして、私もスヴァも生き永らえるわけにはいかない。それよりも、お前に伝えねばならぬ事がある。いいからよくお聞き」


 掠れる声を絞り出し、お婆はゆっくり話し始める。


「お前は産まれた時、ダボーグと同じく竜の姿をしていた。お前の母は、お前達双子を産んで力尽き亡くなったが、お前も瀕死の状態だった。私の『愛の夢』の音叉を知っていたスヴァは、なんとかならないかとお前を抱いて飛んできた」


 私は生唾を飲み込んだ。生まれた時の話は、いつもお父さんにはぐらかされていた。


「私は後輩の音叉魔導士を呼び寄せた。彼は森に捨てられた赤子を拾ってきて、『復活』の音叉で赤子の身体と竜の魂を融合し、お前を甦らせたのだ」


 貧しいヒト族の母親が、口減らしに子供を森に捨てる事はままあった。

 とはいえ、ヒトの身体に竜の魂が宿るなんて……もし自分自身がそうじゃなかったら、信じられなかっただろう。


「お前を生かすため、この方法に頼らざるを得なかったのじゃが……存在自体が共存不干渉となってしまったお前には、辛い思いをさせる事になってしまった。すまなかった、ヴァンダ」


 私はお婆の手を取った。涙が左右に飛ぶくらい、思いっきり首を振る。


「お婆やお父さん、ダボーグのおかげで、私は幸せだよ。他の竜族の皆だって優しいし、お婆も優しくしてくれたじゃない」

「そうかい……お前こそ優しく、真っすぐな子に育ってくれた。いつか宿命の時が来ても、その心根を忘れないでおくれ」

「……宿命?」

「共存不干渉は絶対の掟。それでもお前は、生まれながらにヒトと竜をその身に宿している。だからヴァンダ、その時が来たら躊躇ってはならない。仲間と共に自分の運命を切り開く、そういう覚悟を持ちなさい」


 巨竜の口がわずかに動いたかと思うと、念話が頭の中に差し込まれてくる。


 ――マリア……ありがとう。ヴァンダ……強く生きろ。

 ――お父さん!?


 返事はない。繋いだお婆の手からも、すっと力が抜けていく。


「お婆!? お父さんっ!?」


 いくら呼びかけても、二人はもう返事をしてくれなかった。


 竜の口内に横たわる老婆と、彼女を守った老竜は、その生涯で一度も言葉を交わす事はなかった。竜はヒトの言葉を発する喉を持たず、ヒトは竜の念話を受け取れないから。

 それでも二人の死に顔は、互いを深く信頼してたとしか思えない。

 誰も知らなくても、二人は物言わぬ共存共栄を築いていたに違いない。


 人竜の絆が半人半竜の私を産み、育て、生かしてくれた。

 遠くに勇ましい軍靴の音が聞こえる。二人を埋葬する事も、花を添える事も叶わない。


 私は腰のホルスターから音叉を取り出すと、近くの石に打ちつけた。

 リスト『愛の夢』第三番は、二人を送り出す鎮魂歌レクイエム

 音楽が荼毘だびの炎に舞い上がる。


 安心して、お父さん、お婆。

 宿命も、運命も、一切合切私が引き受ける。

 だから二人は、天国で一緒に私を見守ってほしい。

 だってそこはもう、この世界に先駆けて、共存不干渉なんて存在しない世界だろうから。


* * *


「あれから数年。世界は共存どころか、竜害が頻発するようになってしまった」


 両手で包んだ木製コップに話しかけるように、ヴァンダは視線を落とした。


「多発する竜害には必ず原因がある。その真相を突き止めるため、私とダボーグは竜害疑惑が新聞に載ったマゾフシェの森に帰ってきた。そして今、ヒトの造ったブリヴェットがその元凶だと知った」


 ヴァンダは顔を上げた。真剣な顔で話を聞いていた三人を見回す。


「これがお婆の言ってた宿命かどうかは分からない。でも、ブリヴェットは排除しなくちゃならない。人竜の共存共栄のために」

「ならここはひとつ、景気づけに乾杯といきましょうか~!」


 ロッティの掛け声で四人は水盃を掲げ、乾杯した。


 笑顔を浮かべる三人の中、ティアだけは深刻な面持ちで何か考え事をしている。


「どったの? ティアちゃん」


 心配するロッティに会釈だけ返すと、ティアはヴァンダに向き直った。


「ヴァンダ。産まれたばかりのあなたを半人半竜にして救ったのは、お婆さまが連れてきた後輩の音叉魔導士で、そのヒトは『復活』の音叉を使った……それで間違いないですね?」

「ええ、そうよ」

「何か気になる事でもあるのか?」


 ティアは胸に手を添え、意を決したように口を開いた。


「ヒップ教授はマーラーの魔導士です。私の胸にブリヴェットを埋め込む手術の際、教授はマーラー交響曲第二番『復活』の魔音叉を使っていました」


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