3-11 欺瞞に満ちて⑥


* 4 *


 湖の上をゆっくり飛ぶと、湖面に映る自らの肢体がよく見える。

 ツノに翼、尻尾はだいぶ大きくなってきた。それに比べて身体は、四肢の一部にちんまり鱗を纏うだけで、そのほとんどが白肌のままだ。いつになったらお父さんやダボーグみたいに、全身鱗で覆われるのだろう?

 くるくると、きりもみ回転しながら飛んでいると、腋の下あたりでビリッと音がした。

 湖面に映すと案の定、胸当ての布が腋の下で破けている。またか。

 面倒だなあと思いつつ、とりあえず帰ってお父さんに訊いてみる事にした。


 ――背も伸びないし鱗も生え揃わないのに、どうして私は胸だけ膨らんでいくの?

 ――そっ、それは……、そういうものだからだ。


 お父さんは、戸惑い丸出しの念話を送ってくる。異形の私を気遣ってか、お父さんはたまに知ったかぶりをする。こうなると良い解決案なんて出てこない。


 ――また胸当て、破けちゃったの。手持ちの布もないから、もう着けなくていい?

 ――ダメだ! ……南西の森外れに小さな家屋がある。そこに行けば布は手に入るはずだ。

 ――えー、もういいよ面倒くさい。

 ――胸当てはしなさい。そこには年老いたヒトのおばばがいる。他にも色々、お前の面倒を見てくれるだろう。

 ――えっ? それこそダメだよ! ヒト族と竜族は、共存不干渉でしょう?

 ――あのお婆は、町を捨て森で暮らしている。リスやタヌキとさして変わらぬ。


 共存不干渉の掟に厳しいお父さんが、この時ばかりは屁理屈をこねてきた。

 私は胸当てよりも、お父さん公認のヒト族お婆に興味が湧き「なら行ってみる」と答えた。

 森外れは町外れ。町にほど近い森の入口に、お婆の掘っ立て小屋は建っていた。


* * *


 ヴァルソヴィアに戻れない伊織達にヴァンダが案内したのは、森外れの古びた家屋だった。

 中に入ると、質素ながら生活用品は一通り揃えてあり、部屋の掃除も行き届いていた。


「どうぞ座ってて。私はお水を汲んでくるから」


 そう言うと、ヴァンダは勝手口から出て行ってしまう。残った三人は、それぞれ四人掛けダイニングテーブルの椅子を引いた。


「あれ?」

「どうしました?」


 伊織が座ろうとした椅子だけ、座面に大きな穴が開いていた。座れない事はないが、どう座っても尻の収まりが悪そうだ。


「それ、ヴァンダ専用の椅子じゃないでしょうか」


 ティアは椅子穴を覗き込んで言った。確かにヴァンダの尻尾を通して座るなら、丁度具合が良さそうだ。

 伊織は向かいの椅子に座り直し、改めて部屋を見回した。

 小奇麗なキッチンに北欧風の食器棚、小物が飾られているサイドテーブルは、どれも清潔に保たれている。

 敷居のない隣部屋には、シングルベッドと小振りなクローゼットが置いてあり、誰かが一人で暮らしてる家で間違いないだろう。


 三人が興味津々部屋を見回していると、ヴァンダが桶に張った水を手に戻ってきた。裏庭の井戸から水を汲み上げてきたようだ。

 ヴァンダは柄杓ひしゃくを取って、慣れた手つきで円錐形フィルターに井戸水を注ぐ。ろ過された水がガラスポットに注がれると、それを木のコップに注ぎ替えて、伊織達に振る舞った。


「ありがとう、ヴァンダちゃん」

「今は食材も燃料もないから、他におもてなしはできないけど」

「ちょうど喉が渇いてました。ありがとうございます」


 ロッティとティアに続いて、伊織もコップを傾け一口飲んだ。これといった違和感のない美味しい飲み水だった。


「随分手慣れてるみたいだけど……ヴァンダはここで一人で暮らしてるのか?」

「ううん、今はダボーグと一緒に森の奥で暮らしてる。ここはたまに掃除しに来るだけ。森外れで町にも近いから、竜のねぐらには適さないのよ」


 ヴァンダの弟・黒竜ダボーグとは、森の広場で別れていた。

 ヴァンダの言う通りここまで巨竜と一緒に来てしまったら、また竜害だなんだと大騒ぎになってたかもしれない。


「もしかしてヴァンダちゃんとダボーグくんってさ、ずっと前からこの森に住んでた?」

「昔はね。色々あって他に移り住んだんだけど、最近になってまたこっちに戻ってきたの」

「色々、ですか?」


 ティアは小首を傾げて訊き返す。


「来るまでに話した、お婆の事よ。ここは元々、お婆が住んでた家だから」


 ヴァンダはサイドテーブルに視線を向けた。可愛い小物が並ぶその中に、大きめのガラス瓶が置いてある。中にたくさん入ってる貝殻は……よく見るとヴァンダの腕に生えているものと同じ、赤みを含んだ竜の黒鱗だった。


「さて、話の続きよ。お婆と私、ダボーグとお父さんの運命を分けた、竜害について」


* * *


「…………!」


 木陰に隠れて様子を窺っていた私は、どういうわけかあっさり見つかってしまった。

 腰の曲がった皺くちゃお婆は、私の半人半竜に驚きもせず笑顔で手招きしてくる。

 なめられてると感じた私は、老婆を睨みつけ低い声で凄んでみせた。それでもお婆は意に介さず、何やら話しかけながら近付いてきた。


「お腹…………? ……ジュレク…………」


 ヒトの言葉は分からない。でも、ジュレクという単語には聞き覚えがあった。たっぷりの野菜を煮込んだ、ヒト族が作るスープだ。

 私のお腹がグーッと音を立てた。


「………ジュレク、ジュレク!」


 お婆はスプーンを掬う真似をして、食べていかないかと誘っているようだった。

 もうろくしすぎて異形に気付かず、私をヒトの子と勘違いしているのだろうか?

 それならそれで都合がいい。私はお婆に連れられて、一緒に家の中に入っていった。


 中に入ると、いい匂いが鼻をくすぐった。お婆はキッチンに向かうと、鍋から作り立てのジュレクを取り分けてくれた。

 たっぷり具材の入ったスープがテーブルに置かれる。私は立ったまま皿を取り、喉奥に流し込んだ。

 酸味と辛味が程よく利いたスープは野菜以外にゆで卵とソーセージも入っていて、とにかく美味しかった。

 私は皿を投げ捨てて、キッチンの鍋から直接食べ始めた。

 夢中で食べ続ける私の後ろから、お婆がメジャーを使って身体のサイズを測り始めた。寸胴鍋が空になる頃には、お婆は私の胸当てをほとんど完成させていた。


 竜の鱗を縫い付けた、ゴム素材の胸当て。

 お婆はビキニトップと言っていたが、ただの布より動きやすい。トップとお揃いのビキニボトムもあって、これを三セットあつらえてくれた。

 私は翼や尻尾があるのでヒトの服はほとんど着れないが、ビキニなら何の問題もなかった。


 更にお婆は、大きめの外套ローブも用意してくれていた。フードを被って股下に尻尾を隠せば、遠目からはヒト族にしか見えない優れものだ。


 お婆は他にも、年頃の女の子なら誰でも知ってる身だしなみについて教えてくれた。

 身体の洗い方、肌や髪の手入れ、爪研ぎ、鱗磨き、翼のブラッシングまで。

 半分ヒトのくせをして、私はヒトについて知らなさ過ぎた。


 その後も私はお婆の家に通いつめ、様々な事を教えてもらった。

 言葉を習ったり料理を手伝ったり。

 私はそのお返しに井戸を掘ったり畑を耕したり、家の修繕や掃除を手伝った。


 お母さんがいたらこんな感じなのかなと、私は密かに思っていた。

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