第四章 共存 - コイグジステンス
4-1 魔導コロシアム①
「先生、さようなら~」
「はい、さようなら」
学生と別れの挨拶を交わしたウェインスルト助教授は、誰もいない街路樹に差し掛かると一人ほくそ笑んだ。
ティアがいなくなって一週間、予想通りヒップ教授からの頼まれ事が増えてきた。このまま順調に仕事をこなしていけば、教授昇格の夢もそう遠くはない。
捕らぬ狸の皮算用を頭の中で描いていると、街路樹の合間に小さな子供が走り去る姿が見えた。学院の敷地に子供……まさか!?
ハンドバッグから愛用の音叉を取り出すと、子供が消えた街路樹に近付いていく。
色付き始めた新緑を愛でるフリして、勢い良く木の後ろに身を乗り出すも……誰もいない。
見間違いかと、ホッと胸を撫で下ろしていると。
「意外と臆病なんですね、ウェインスルト。可愛らしいところもあるじゃないですか」
頭上から、聞き憶えのある高い声。
慌てて見上げた木漏れ日の逆光、枝に腰かける幼女の姿が。
ウェインスルトを見下ろして、無垢な微笑みを湛えている。
「嘘よ……あなたが生きてるはずがない! 現場にはパガニーニの音叉だって……」
「『カプリス二十四番』の音叉は、竜に丸呑みにされた際、落としてしまったみたいです。でも音叉なんてもういらない。復讐は、この身ひとつで十分だから」
ウェインスルトは、サン=サーンスの『死の舞踏』を素早く打ち鳴らす。
街路樹に流麗なヴァイオリンが響くも、幼女はくすくすと含み笑いし、小さな足をぶらぶらさせるだけ。
「アハハッ……幽霊の心に、ブリヴェットがあるはずないじゃない。そんな簡単な事も分からないから、いつまで経っても助教授のままなのです。あなたは」
「そっ、そんな……ゆ、幽霊の方こそ、この世にいるわけないじゃない!」
「ふふっ。私はまだ、見た目が可愛いからそう思えるんです。かわいそうに、伊織とロッティなんて……」
じりじりと後ずさるウェインスルトの背中に、何かがぶつかった。
慌てて振り向くと――、黒髪黒目の半人半竜が、両手を挙げて叫んだ。
「グワーッ!」
「キャーッ!」
ウェインスルトは悲鳴を上げて倒れてしまう。そこに幼女の高笑いが降り注ぐ。
「アハハハハッ! 二人は竜と融合して、半人半竜のお姉さんになっちゃったの! せっかくだから~、あなたも怪物にしてあげるっ!」
「い、いや……やめて、こないでーっ!」
「あ~、そんな感じです~! 私も竜に襲われた時、そうやって泣き叫びました~、誰も助けてくれなかったけど~!?」
ウェインスルトは、尻餅を付いたまま後ずさる。
黒い翼をばさっと広げたヴァンダが彼女の上に飛び乗ると、絶叫して完全なパニック状態に陥った。
「うるさい」
馬乗りになったヴァンダは、『愛の夢』の音叉をポンと胸にあてがった。
ウェインスルトは糸が切れた操り人形のように崩れ落ち、そのまま動かなくなってしまう。
「え? ちょっ、大丈夫? もしかして、死んじゃった?」
「気絶しただけです」
慌てるヴァンダに、ティアはいつもの口調に戻って返事する。
木からジャンプして飛び降りると、落ちていたハンドバックを拾い中身を
巾着袋に包まれた音叉を数本回収すると、気絶したウェインスルトを見下ろす。
「ホント、バカで単純で思い込みが激しい。おまけに嫉妬深くて道徳心に欠ける」
「いいとこなしね。酷い性格」
呆れるヴァンダに、ティアは困ったような笑みを浮かべた。
「でも……それもまたヒトなんです。彼女の身勝手な言動は、言い方を変えれば猪突猛進。なりたい自分に一生懸命すぎて、周りが見えてないだけなんです」
「ティアにもなりたい自分……叶えたい夢があるの?」
ウェインスルトを抱きかかえたヴァンダは、ティアに問う。
幼女はウェインスルトの顔をじっと見つめると、彼女の鼻先をちょんと指でつついた。
「だから、憎み切れないのです」
* * *
一方、伊織とロッティはヒップ教授の魔導研究室で、深々と頭を下げていた。
目の前には肘を付き両手を組んだヒップ教授が、憮然たる面持ちで座っている。
「つまり君達は、本当は教授見習いになりたかった、と」
神妙な面持ちで頷く伊織だったが、レンズ越しに見える教授の目は、疑念の色に染まっている。
「僕は妹探しの間の職が見つかればいい。ロッティは魔導士の勉強がしたい。教授見習いの仕事は、そのどちらにも最適だと思ってます」
「でも君達は、私の打診を断った」
「それは、ティアに騙されていたからです。彼女は自分以外の教授見習いを増やしたくなかった。だからある事ない事吹き込んで、僕らが断るよう仕向けていたんです」
「なるほど……確かにティアは、私が見習いの件をもう一度打診してくれと頼んだ時、不機嫌そうな顔をしていた」
「マゾフシェの森では、ティアと同じ動機を持つウェインスルト助教授が現れ、僕ら全員殺されかけました。そこに竜が乱入してティアが餌食になり、僕らはその隙に、なんとか逃げきる事ができたのです」
「ウェインスルトは、ティアが隠し持っていた『幻想即興曲』の音叉を、君達が使ったと言っていたが?」
「ティアが僕らに音叉を渡したのは、ウェインスルトに対抗するため。仕方なくです」
教授は「ふむ」と一言漏らし、腕を組む。
皆で煮詰めたシナリオだ、矛盾はない。
ないはず、なのだが。
「ロッティは私の教授見習いになる事に、異論はないのかい?」
突然話を振られたロッティは、ひび割れた笑みを顔面に貼りつけ、大声で答える。
「はい! 伊織と一緒に頑張ります!」
「ティアと君は、学生時代から仲が良かった。思うところもあるんじゃないのかい?」
「もちろんありますけど……伊織と一緒に頑張ります!」
同じ勢い同じ文言を繰り返すロッティ。
面食らうヒップ教授に、伊織はさっと耳打ちした。
「ロッティは僕にベタ惚れなんです。僕が言えば、なんでも従ってくれます」
呆れ顔を見せるも、教授は一応納得したようだ。
多少強引な理由だが、下手に喋らせてボロを出すよりはいい。それにティアという有能な補佐を失った今、教授が新たな手駒を欲しているのも事実。
まだ知られていない音叉とその魔導士共鳴士のセットは、彼にとって貴重な実験材料。信用ならずとも、いざとなれば捨て駒にしてしまえばいいわけで……。
「よろしい、君達を教授見習いとして採用しよう。ただし条件がある」
「はい!」
「まずは、君が持ってるショパン『幻想即興曲』の音叉を、私に預けてもらおうか。こんな事があった直後だ。君達が完全に信用できると思えるまで、都度貸与する形にしたい」
「もちろんです。今後の働きで信用して頂けるよう、頑張ります!」
伊織は『幻想即興曲』の音叉を書斎机に置いた。
今は取られてしまっても仕方ない。どのみち教授見習いが音叉なしじゃ仕事にならない。必ず戻ってくるはずだ。
「では……早速だが明日の夕刻、教授見習いお披露目の模擬戦に出てもらう」
「模擬戦、ですか?」
「新しく教授見習いを立てる時は、音叉魔導実技訓練所――通称魔導コロシアムで、担当教授と模擬戦を行うのが習わしだ。生徒達が見守る中、我こそは教授見習いに相応しいと、実力を示してくれればいい」
「でも、ショパンの音叉はさっきお渡ししましたけど……」
「その時になれば、もちろん返そう」
「それで教授に勝てれば合格、という事でしょうか?」
「いや、模擬戦は試験ではない。新しく教授見習いになる者がどれほどの実力の持ち主か、観戦する生徒達が勉強がてら確認するだけのものだ」
教授見習いは一般生徒の模範とされる立場、誰でもいいわけじゃない。
そのため模擬戦という形で、その者の実力が試される――ティアから聞いていた通りだ。
「分かりました。あの、ウェインスルト助教授には……」
「もちろん内密にしておく。模擬戦前にちょっかいを出されても、かなわんからな」
「ありがとうございます。では明日の夕刻、魔導コロシアムで」
伊織とロッティは一礼して、研究室を後にした。
扉を閉めると声を出さずに微笑み合う。
これで、全ての手筈は整った。
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