【完結】どらごんくぉーたー

わごいずむ

■プロローグ

「2年2組、牧嶋勇太郎17歳。心身ともに健康」

 タブレットに視線を落としたまま、眼鏡のブリッジを押し上げる女擁護教諭。その対面で俺はナップザックを足下に置き、丸イスに腰掛けたまま黙って身元確認が終わるのを待っていた。

 保健室のデスクに似つかわしくないゲーミングチェアに腰掛ける美女こと、法連寺まほ先生。

 白衣の下はブラウスと紺のタイトスカート。黒の網タイツに包まれた長い両脚は艶めかしく、さりげなく大人の女性をアピールしている。

 全校生徒の半数が憧れを抱く保健の先生。優しく手厚い看護。それだけに彼女の存在を知らない者はいない。それでいてカウンセリングまで請け負っているというのだから、女子生徒からの人気もハンパなく厚かった。

 現代人に不可欠な心のケア。

 噂では教師を含め、学校以外でのカウンセリング依頼も請け負っているらしいのだが、本当かどうかは定かではない。

「ご両親は健在。ご兄妹は兄ふたりに妹ひとり。今どきのご時世にしては兄妹の多いご家庭ね」

 あれ? 俺、そんなこと書いたっけ?

 1学年の終わり間際、興味本位でカウンセリングを申し込み、問診票を書いたことを思い浮かべた……が、なにしろ半年前むかしのことだけに、細かいところはよく覚えてない。

「お父さんは証券会社。お母さんは保険会社にお勤め。役職キャリアも、それなりに上のほうみたいね」

 いやいや、俺、そんな家族構成、一言も書いてないんですけど。そもそも親の役職自体、あんまり良く知らないし。

「お兄さんふたりは学習院と国立大学……妹さんは私立の小学校。正に絵に描いたようなエリート家系ね」

 出来の悪い俺を除けばな。

 それにしても、なんなの、この先生? 俺を蔑むために、終業式に俺を呼んだの? 夏休み前日にディスられると流石に気が滅入るんですけど。

「で、キミ個人はというと、どれどれ……へぇ、そうなんだ」

 と俺を一瞥してから、タブレットに視線を戻す。

「親しい交友関係はなし。ゆえにカノジョもなし」

 なに、その納得顔? ちょっとムカつく。

「あなたが提出した問診票の長所と短所から察するに、根っからの楽天家の性格みたいね」

 おい、なに勝手に人の性格をプロファイリングしてんだよ。言っておくが、こう見えても俺は物事において慎重かつ繊細な人間なんだぞ。

「小学3年生まで剣道の道場通い。それ以降はサッカーに熱中するものの万年補欠止まり。中学では好きな女の子目当てで文芸部に入部するも2年生の時にフラれ、そのことを当時の元親友にSNSで拡散され、以来、息を潜めるように幽霊部員となって中学生活を終える……て、悲惨ねぇ」

 友達は選ばなきゃダメよ。と同情の眼差しを向けるまほ先生。やめてくれ、そんな哀れむ目で俺を見ないでくれ。

 というよりも、なんで一介の保健の先生が、そんな赤裸々な個人情報を握ってるんだよ? ほとんど丸裸じゃねえか。こう言っちゃなんだが、フラれたことなんか親兄妹も知らないんだぞ。

いずれにしても、これはただの個人面談じゃない。普通の高校生相手の身辺調査にしては、いくらなんでも度が過ぎる。

 もしやこの女、MI6の諜報員か? いや、もしかしたらCIAの特別情報局員かもしれない。そんでもって俺を特殊工作員エージェントとして育成し、闇の秘密組織の駒として操るつもりなのだろう。

「なにも知らない高校生相手に裏の仕事をさせるとは、なんて汚い連中なんだ」と反抗の意を込めて睨みつけた瞬間

 スコーーーン!

 どこから取り出したのか、いきなり特大ハリセンで頭を引っぱたかれた。しかも折り目のついた固い方で。

「どうかして?」と涼しげな表情で問う先生に、俺は嫌味ったらしく答えた。

「夏の星座、おおぐま座が見えました」

「あら、それはロマンチックね。先生も見てみたかったわ」

 と大人の微笑みを浮かべるまほ先生。くそぉ……これが年上の余裕ってヤツか。

「話を続けるけど、いいかしら?」

 淑やかに促す先生に、俺は頭頂部をさすりながらコックリと頷いた。

「確認のために訊くけれど、夏休みの予定は?」

「短期夏季講習以外は、特にないです」

 個人的にはな。自分でいうのもなんだけど、寂しい夏休みだよ。

「ご家族との旅行計画は8月のお盆休みだけで間違いないわよね?」

「えぇ……って、なんで、そんなことまで知ってるんすか?」

「あなたより、長く生きているからよ」と妖しい笑みを口元に浮かべるまほ先生。生徒たちの間では20代前半とか後半とも噂されているお姉さま保健医。それだけに、淫靡とも言えるミステリアスな瞳にやられそうだった。少なくとも性欲を持て余す思春期真っ盛りの男子高校生には毒そのものだ。

 そうして、いくつかの質問を終えたあと

「さて、牧嶋くん。最後に訊きたいんだけど」

 前のめりになって問うまほ先生。ブラウスの胸元から覗かせる谷間が、女性経験のない俺の心をかどわかした。

「なんでしょう?」

 平静を装いながらも、俺の視線は自然と女医の胸元へと伸びていた。

「バイト代はずむから、異世界に行ってきてくれないかしら?」

「あ、はい。いいですよ」

 あれ? 今、なんて言った? バイト代? 異世界?

「んじゃあ、よろしくね」

 おねだり上手な女擁護教諭に、俺は断ることができなかった。

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