■7■共同生活【前編】

「ユータたっての頼みだ。そのくらい、お安いご用だ」

「無理言って悪いな」と俺がそう言うと

「ご迷惑をおかけしますが、どうぞよろしくお願いします」

 道場の板の間で深々と頭を下げる華蓮。うーん……なんだか、まるで嫁ぐ娘を見ているかのようだ。

「神妙な顔して訪ねて来るから、何事かと思えば……まさか、住まわせてくれとはな」

 腕組みして笑うノーラに、華蓮が申し訳なさそうに縮こまっていた。

 まぁ、気持ちはわからなくはないけど……都会育ちのお嬢さまには、ちっとばかし、野宿は厳しかったようだ。



 華蓮が異世界に取り残され、一夜明けた翌日。

 朝食を済まし、工房仕事に向かうティルと別れた俺は、華蓮とともに目抜き通りへと向かった。

「俺は配達仕事の御用聞きに回るけど、有栖川さんはどうする?」

「仕事? そんなことをしている場合じゃないでしょ。肝心なチケット探しはどうするんですか?」

「もちろん、チケットも探すさ」

 灯火亭でのチケット紛失。

 店のマスターたちも見ていないとなれば、誰かが持っていってしまった可能性が高いのだ。だったら、仕事ついでに聞き込みをして地道に手掛かりを探すしかない。しかも、この仕事は基本的に時間に縛られず、人との会話が多い仕事だ。それだけに有力な情報も掴みやすい。なのに……

「あなた。この一ヶ月間、そんなことしてたんですの?」

 非難の目を向ける華蓮に、俺もカチンときた。

「べつに遊んでたわけじゃない。なにも知らない、金もない裸同然の状態だぞ。ついでに、ここは便利な東京とは真逆な異国の地。そんな土地で生きるためには、どうしても金が必要だったんだから、しょうがねぇだろ」

 もちろん盗まれたカバンの行方も調べていたのだから、文句を言われる筋合いはない。

 そんなこと言うなら、おまえがやってみろよ。と心の内で毒づいていると

「ごめんなさい。ちょっと言い過ぎました。そうですよね……なにも知らない異世界で、一ヶ月も生きてきたあなたの意見はもっともだと思います」

 急にしおらしくなって、どうした? もしかして昨夜の焼き魚が合わなくて腹でもくだしたか?

「あの……それで相談なんですけど」

 と、なぜかしどろもどろする華蓮。あっ。なるほど、そういうことか。

「もしかしてトイレか? それなら、すぐ近くに知り合いの金物屋があるから、声をかけて借りることもできるぞ」と紳士的に促した途端

 シャキーンッ!!

「どうやら本気で異世界に骨を埋めたいようですね」

 喉仏に突きつけられた鋭い刃先に、俺の背中に汗が伝った。

「ちょ、ちょっと待って。俺は真面目にトイレにいきたいのかと心配してだな……」

 異性に対し、う○こ? と聞かなかっただけでも感謝しろ……なんてことは伏せておこう。

「なんで、わたくしがトイレに行かなければならないのですか?」

 モジモジしてたから、てっきり我慢してたんだと思ったのだが……どうやら違ったらしい。

「ちょっと勘違いしただけだ。とりあえず、この物騒な刃物どけてくれるかな?」

 気を利かせたのに、殺されかけるとは思いもよらなかったよ。

「それで、相談ってなんだよ?」

 すると華蓮は薙刀の杖を収めていう。

「あのぉ、もし、良ければですけれど……宿を紹介していただけませんか?」

 できれば、女性でも安心して泊まれるようなところを。と、うつむき加減で付け加える華蓮。

 それって、どういうことだ?

 昨夜は同性であるティルとのテント泊。それだけに暴漢に襲われる心配はなかったはずだが。

 ははーん、さてはティルの寝相の悪さにやられたか。

 確かに、一夜を明かした今朝の華蓮は少々やつれ気味だったしな。もし、そうなら華蓮専用のテントを作ればいいだけのこと。

「馴れてないせいか、テントだと落ち着かなくって」

 やはり、お嬢さま育ちゆえの弊害が出たか。

 まぁ、こう言ってはなんだけど、俺も最初の頃は馴染めなかったからな。見たことのない夜行虫とか、地面の硬さとか。けれど、ティルから教わった虫除けの葉や、フカフカな寝床の作り方を教わったおかげで快適とまでいかないが、それなりのテントライフを送ることができていた。しかし、だからといって華蓮も同じ生活を送れるかといえば……どうやら、それは無理だったようだ。

「紹介するのはいいけど、一ヶ月分の宿泊代はあるのか?」

 素泊まりの安宿で3ベルク。一ヶ月で90ベルク。一日限りの使いとして寄こした先生のことだ。きっと、そんな大金は持たせていないだろう。

「ですから、なるべく安い宿を紹介してほしいんですの」

 不安な表情を浮かべる華蓮。なんとかしてやりたいけど、流石に、こればかりはどうにもならなかった。

 異世界に取り残されてしまったお嬢さま。

 そんな同郷の女の子を気の毒に思い、俺も自分の所持金を頭で勘定した。

「90ベルクかぁ……無くはないけど……」

 革袋の中にある所持金は約500ベルク。ここから一ヶ月の宿代を立て替えても、今後の生活において特に大きな影響はない。ついでに街の知り合いを通じ、宿代の割引でもしてもらえれば、なお嬉しいのだが。

 ん、待てよ……知り合い?

 同時に、俺の中でひとつの当てが思い浮かんだ。

「喜べ、有栖川。お前の希望が叶うかもしれないぞ」

「本当ですか!」

 一縷の望みにすがりつく華蓮に「任せろ」と俺は胸を叩いて見せた。


 そして仕事終わりのティルと落ち合い、ノーラの道場におもむいたのが、つい先ほどのことだった。

「まぁ、うちはご覧のとおり広いし、ひとりふたり増えたところで問題はない」

 聞けば、先代時代に住み込みの門下生を下宿させていたこともあり、屋敷にはいくつもの空き部屋があるとのことだった。

「好きな部屋を使ってくれてかまわない」

 ほぉ、それは願ったり叶ったりだな。と俺が興味を示すと

「なんなら、ユータオーたちも住むか?」

「いいのか?」

「もちろんだとも」と頷くノーラ。

 屋根付きの個室。これで野営地生活とはおサラバだ。しかし、喜ぶ俺とは対照的にティルの反応は薄かった。

「どうした、ティル。嬉しくないのか?」

「ううん、なんでもない。ユータが、そうしたいなら、わたしもそうするよ。ただ……」

 少しだけ寂しそうな表情を浮かべるティルに、俺は首を傾げた。

「ただ?」

「そのぉ……ううん。やっぱり、なんでもない」

 変なやつだな? 普段はハキハキと自分の意見を言うのに、今日に限って歯切れが悪いのは気のせいか。

「とりあえず、タダというわけにもいかないだろうから、一ヶ月分の家賃を支払うよ。少ないかもしんないけど、3人合わせて200ベルクくらいでいいかな?」

 配達仕事のかたわらで知った家賃相場。少なすぎず多すぎない提示金額だけに不満はないはず。

「そそ、そんなにもらっていいのか?」

 と瞳をキラキラさせるノーラ。どうやら、揉めることなく交渉成立のようだ。

「急いで部屋の掃除をするから、待っててくれ!」

 あたふたしながら立ち上がるノーラに、俺は慌てて制した。

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「なんだ? もしかして気が変わったのか? そうなのか? お願いだから、やっぱりやめたなんて言わないでくれ」

 と今にも泣きそうな顔をして狼狽えるノーラ。相変わらず天国と地獄の落差が激しいヤツだな。

「落ち着けって。部屋の掃除は自分たちでやるから、ノーラはなにもしないでいいよ」

「いや、それでは貸す側としては気が引けるのだが」

「気にしなくても大丈夫だから、とりあえず有栖川に部屋を案内してくれ。その間に俺たちは野営場へ戻って荷物をまとめてくる」

 そう言って俺は腰を上げ、ティルとともに野営場へ向かった。


「ねぇねぇ、ユータ。本当にノーラさんとこへ行くの?」

「もしかしてイヤなのか?」

 珍しく気乗りしないティルに、俺が訊ねると

「そうじゃないけど……ユータとのテント生活、結構、気に入ってたから」

「そうか? まぁ、確かに悪くはなかったけど、やっぱ、俺としては屋根のあるほうが落ち着いていいんだけど」

 それとも、なにか別に心配事があるのだろうか。

「ほら、ノーラさんちって木造でしょ」

 まぁ、この地域にしては珍しい木造家屋ではあるけど。

「それが、どうかしたの?」

「実はわたし、石造りの家じゃないとダメなんだよね」

「どういうこと?」

「めったにないんだけど、実は夜中に寝ぼけて火を吹いちゃうんだよね」

 はぁ? なんだ、そりゃ?

「子供の頃、何度もボヤを出しちゃってお父さんに笑われちゃったことがあったの」

 ちょっと待て。それってどういうこと?

「ドラゴン特有の生理現象なんだって。ほら、人間で言うところのおねしょと一緒」

 つまりお漏らしならぬ、火漏らしということなのか?

「旅に出た初めの頃も、旅先の宿でね、寝ぼけて火吹いちゃって」

「ボヤ騒ぎになっちゃった。ってわけか」

 恥ずかしそうにコックリ頷くティル。

 なるほど。それでテンションが低かったのか。

「それ以来、なるべく宿に泊まらないようにしてきたの」

 シュンとしょげるティル。てっきり野外泊は節約のためかと思っていたが……まさか、そんな理由があったとは。

「まぁ、今じゃ、もう馴れっこになっちゃったけどね。とにかく、わたしは野営地のままでいいからユータはノーラさんとこに行きなよ。そのほうがカレンちゃんも安心できるだろうし」

 と作り笑顔で気遣うティル。そんな彼女に俺の決断も鈍った。

 自分と華蓮のふたりだけがノーラの屋敷に泊まり、ティルだけが野営地に残る生活。

 誰もいない場所で、ひとり焚き火を囲って過ごすティル。火の後始末をしてテントに潜れば、獣の遠吠えと気配無き闇に包まれて寝なければならないのだ。

 野営地での静かな環境は俺も嫌いじゃない。ただ、話し相手もいないのではあまりにもティルが可哀想だ。それに俺自身も彼女の笑顔に癒され、何度も心が救われてきただけに、ティルを置き去りになんかしたくはなかった。

 と、そこで名案が閃いた。

「俺にいい考えがある。だから、ティルも一緒にノーラのところで世話になろう」

「いい考え?」

 俺の誘いに、ティルは不思議な顔をして首を傾げた。


「なに? 庭でテントを張りたいだと?」

 ノーラの問いに、俺はティルの火漏らしを説明した。

「なるほど、そういった事情があったのか。まぁ、見てのとおり広い庭だし、テントのひとつやふたつ張ったところで大した問題はないから遠慮なく使ってくれ」

 ノーラの快諾に、ティルが両手を挙げて大喜びしたのはいうまでもない。

「しかし、そうなると一人分の家賃を返さなければならないな」

 うぅ、残念だが仕方がない。とノーラは渋々立ち上がり

「ちょっと待っててくれ。部屋に戻って預かった金を取ってくる」

「いや、わがままを言ったのは俺のほうだから、家賃はそのまま据え置きでいいよ」

「本当にいいのか? あとで泣いてせがまれても返せないぞ?」

 そりゃ、あんたの専売特許だろ。

「泣かねえよ。とにかく、そういうことで今日からよろしくな」

 そして

「じゃあ、日が暮れないうちにテントを作らないとな」

 そう言って俺は、ティルと庭先に出てテントを張り始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る