【後編】
陽も傾き始め、空が赤く染まり始めた頃
観光を終えた俺たちは噴水広場の縁に腰を下ろし、一息ついていた。
「治安も良く、大変いい所でした」
目抜き通りに並ぶカフェテリアで購入した金の麦芽ラテを口にしながら感想を述べる華蓮。
「それにしても、あなた……ヘンタイのわりには人望があるんですね」
ヘンタイは余計だろ。
「少しは見直したか?」
「その、うぬぼれがなければですけどね」
その割には、俺に対する華蓮の態度が柔らかくなっているのは気のせいだろうか?
「さて、観光も済んだことですし、日本に戻りましょうか」
と腰を持ち上げる華蓮。それを見て、俺もようやく日本へ帰れると安堵した。だが、それと同時に俺の中でひとつの未練が込み上がった。
「有栖川さん。その前に、ちょっとだけ時間をくれ」
そう言って俺はティルの手を引き、華蓮のそばを離れた。
「どうしたの、ユータ? 帰らないの?」
「もちろん帰るよ。でも、その前に一言、ティルにお礼が言いたくて……そのぉ、今日までいろいろ、ありがとう」
頭を下げて感謝の気持ちを伝えた途端、なぜか涙がこぼれた。
もし、ティルと出会わなければ肉体労働を強いられた挙げ句、誰も知らない土地で人知れず死んでいたかもしれなかったのだから。
「ユータ、もしかして泣いてるの?」
彼女の前で、泣くつもりはなかった。しかし、人としてこの感情だけは隠し通せるはずがなかった。
するとティルが優しく俺を抱き寄せた。
「わたしも、ユータと出会えてすっごく楽しかったよ。だから、もう泣かないでいつものように笑って帰ろうよ。わたしもそのほうが嬉しいから」
そうだ、いつまでも女々しく泣いていてはティルも困ってしまう。と俺は涙を拭いて笑って見せた。
「あぁ、そうするよ」
「そうそう。それでこそ、わたしの知っているユータだよ」
と微笑むティル。うーん、カワイすぎる。もし許せるのならば、日本にお持ち帰りたいしたいくらいだ。
「じゃあ、そろそろ帰ろうね」
と揃って華蓮のもとへ戻る俺たち。が……
「どうしましょう、どうしましょう……」
華蓮が鞄をひっくり返して、地面に散乱する荷物を調べていた。
「いったい、どうした? もしかして財布でも落としたのか?」
それともスマホでも無くしたのだろうか。
「違います! もっと大切なモノです」
顔面蒼白で訴える華蓮に、俺は首を傾げた。
「大事なモノ? あぁ、人の心か」
間髪入れず、薙刀のツッコミを期待したのだが、それよりも恐ろしい事実を華蓮から告げられた。
「チケットが……ないんですの……」
「大騒ぎしてるからなにかと思えば、ただのチケットかよ」
って、えええええぇぇぇぇぇぇっ!
声にならない悲鳴を上げながら、俺も地ベタに這いつくばった。
「おいおい、ウソだろ? ポケットとかは?」
「ありません」
弱々しい華蓮の返事に、俺は声を荒げた。
「もう一度、よく調べろ!」
「何度も確認しました。でも、無いんです!」
半ベソになって地団太を踏む華蓮。どうやら本気で無くしたようだ。
「チケットなしで、どうやって帰んだよ!」
取り乱す俺に、華蓮がポケットからスマホを取り出した。
「け、警察に連絡して、落とし物が届いてないか確認しましょう」
「この世界に警察なんか存在しねぇよ。そもそも、ここでは圏外だ」
「それなら大使館へ行きましょう。そうすれば……」
「大使館なんかあるわけないだろ。なに考えてるんだよ、まったく」
「じゃあ、なにがあるんです!」
半泣きで詰め寄ってくる華蓮に、俺も答えに迷った。
「役場と自警団くらいかな」
「でしたら、そちらに行って相談しましょう」
「バカいうなよ。異世界へ帰るチケットがなくなっちゃったんで、どうにかしてください。とでも言うつもりなのか? 絶対、相手になんかしてくれないぞ」
むしろアタマのイカれたヤツと勘違いされるのがオチだ。
「そ、そうですわよね。あなただけならともかく、わたくしまで、そんな目で見られるのは困りますもの」
おい……言うに事欠いて、そういうことを言うあなたさまもどうかと思うけどな。
「とにかく、なんとかしなくちゃですわ」
と平常心を努める華蓮。……と、その矢先、スマホが華蓮の手もとから滑り落ちた。
「あっ!」と慌てて拾おうと前のめりになる華蓮。……が、石畳に蹴躓いた拍子に、つま先でスマホを蹴り飛ばし、さらに運悪く通りすがりのトカゲ馬車の蹄と荷車の車輪がその上を通過し
ペキッベギッバキッ! と、嫌な音とともに地面にメリ込むスマホ。
「あぁ……わたくしの大事なスマホが……」
ヨロヨロとスマホに詰め寄り、膝から崩れる華蓮。トカゲ馬の爪痕が残る手帳ケースを開けば、案の定、液晶画面がバキバキに割れていた。
続けざまに起こった負の連鎖。
それだけに俺もどう慰めていいのかわからなかった。
30分後。
俺たちは、まだ噴水広場にいた。
「それで、これからどうするの?」と心配するティルに
「どうしましょう……」とお通夜のようにしょんぼりしたまま、壊れたスマホを握りしめる華蓮。……ったく、しょうがねぇなぁ。
「いつまでも、ここにいても埒があかないから、とりあえずチケットを探すぞ」
最後に見たのは、行きつけの店である灯火亭。そう言えば、食事が終わって……そのあと、どうしたんだっけ?
「おい、華蓮。チケットしまったか?」
すると華蓮が眉をつり上げた。
「失礼ですね。ちゃんと、しまいましたよ!」
「本当か? 本当に鞄の中にしまった。と言い切れるんだな?」
再三の確認に、華蓮の目が泳いだ。
「たぶん……」
自信なさげな、あやふやな返事。もっとも俺自身も記憶が曖昧なので、それ以上の追求はできなかった。そうなると、ティルだけが頼りなのだが
「うーん。あんまり覚えてないなぁ」
予想通りの返答だった。なにしろ、華蓮との写真撮影に夢中だったから覚えているわけがない。そうなると、チケットは灯火亭のテーブルの上だろう。
「まだ、あるかどうかわからないけど、とりあえず灯火亭に行くぞ」
きっと店のマスターのことだ。きっと食器を片付けるときに気がついて保管してくれてるに違いない。と言うより、そうあって欲しい。
「チケット? いや、そんなもんなかったぞ」
閉店間際に押しかけた灯火亭。そこでマスターに忘れ物を有無を訊ねてみたものの、あっさり首を横に振られた。
「ちょっと待ってくれ。女房に聞いてみるから。なぁ、おまえ。ユータの忘れ物、見てないよな?」
するとキッチンで洗い物していた奥さんが答える。
「食器以外、なにもなかったわよ」
裏切られたわずかな期待。華蓮を見れば、ほうけた口から魂が抜けかけていた。
「とりあえず、その大事な紙とやらを見つけたら、大事に保管しとくよ」
「お願いします」とマスターに頭を下げる俺。
とは言え、ランチタイムでごった返し、客の入れ替わり立ち替わりの激しい時間帯だ。場合によっては、なにも知らない客がナプキン代わりに口を拭いて捨てている可能性もある。
なので、俺はマスターの許可を得てゴミ箱を漁らせてもらうことにした。
「マスターから貰った、このお魚、おいしいね」
野営地に戻り、いつものように焚き火を囲んで夕食を口にする俺たち。
「あぁ。やっぱ、魚は串焼きに限るよな」
岩塩がふられた焼き魚にかぶりつく俺たちを横目に、華蓮だけは食事に手をつけることなく気落ちしたままだった。
「まだ、気にしてんのかよ?」
思い詰める華蓮に、俺は焼き魚を取って差し出した。
「いつまでも落ち込んでないで、コレ食って元気だせよ」
まさか、この期に及んでナイフとフォークがないと食べれないとか、言わないよな?
「わたくしの不注意でこうなったのに、よく平気な顔して食べれますわね」
悔しげに睨む華蓮に、俺はたじろぐことなく答えた。
「自分のミスを認められるだけでも、尊敬に値するよ」
見苦しい釈明もしない華蓮のことだ。きっと、今も心の内で自身を非難し続けているのだろう。
「帰れなくなったのに、どうして、あなたは平気でいられるんですの?」
腹立たしげな表情で、怒りをぶつけてくる華蓮。無理もない。お嬢さまがいきなり路頭に迷えば当然のことだろう。
「平気じゃないよ。俺も初日にチケットを奪われたから、有栖川さんの気持ちは良くわかるよ」
「じゃあ、なんで?」
なおも噛みついてくる華蓮に、俺は笑ってみせた。
「良く考えてみろよ。仮にチケットが見つからなくっても20日間もしくは一ヶ月もすれば、先生が心配になって誰かを寄こすだろ」
例えば、おまえみたいに。と骨と頭だけになった串を向けた途端、華蓮がハッと我に返った。
「ようやく気づいたか。つまり一ヶ月だけ辛抱すれば、いいだけなんだよ」
もっとも俺の場合、あと、もう一ヶ月なんだけどな。
「そうだよ、カレンちゃん。一ヶ月なんて、あっという間だよ」
焼き魚を食べ終え、油で汚れた指をなめながら華蓮を励ますティル。
「そのとおりだ。というわけで……すまないけどティル、それまで華蓮の面倒をヨロシクな」
「もちろん。まかせて!」
と胸を張って応えるティル。ドラゴンクォーターとはいえ、同性だ。困ったことがあれば、なにかしら相談もできるだろう。
「よろしくお願いしますね。ティルさん」
あらためて頭を下げる華蓮に、ティルが嬉しそうに頷いたのは言うまでもない。
きっとお嬢さま育ちの華蓮にとって、この一ヶ月は過酷なサバイバル生活となることだろう。
まぁ、なんとかなるさ。
こうして華蓮の異世界生活が始まった。
【つづく】
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