■2■火吹き職人【前編】

 翌日。

 テントの外でパチパチと弾けるたき火の音と、動き回る人の気配で目が覚めた。

「もう、朝か」とスマホで時刻を確認するも、バッテリー不足で用をなさなかった。

「眠ぃ……」

 まぶたの裏が睡眠不足を告げ、同時に就寝前のやりとりを思い出す。


「一緒に寝よ」と寝床に誘われた昨夜のこと。

「これから朝方にかけて寒くなるから、無理しないでテントに入ったほうがいいよ」

 厚手の生地で作られたお手製テント。その野暮ったく小さなテントの出入口のシートをめくりあげ、ティルが俺を手招いた。

「早く、おいでよ」

「あのぉ……俺、男なんだけど?」と躊躇していると

「もしかしてユータ、わたしを襲うつもりなの?」

「そんなつもりはないけど男が女の子のテントで寝るって、ちょっとヤバくない?」

「そっかなぁ。わたしは別に気にしないけど」

 いや、俺が気になっちゃうんですけれど。

「それに風邪でもひいて、体壊したら帰るどころの騒ぎじゃなくなるよ」

 自身の貞操よりも相手の健康を気遣うティルの言葉に促され、俺はドギマギしながらテントに潜り込んだ。

 三畳ほどの室内。その狭い空間でティルは四隅に荷物を寄せ、寝床を作っていく。

「ちょっと窮屈かもしれないけど、我慢してね」と申し訳なさそうに笑うティル。食事の他に、寝るところまで提供してくれるのだから、文句など言えるはずがない。

 すると突然ティルが服を脱ぎ始めた。

「テ、ティル……さん?いったい、なにを?」

 まさか、早速いたすのか? と思いきや

「なにって、寝るんだけど……もしかしてユータの国じゃ、服着たまま寝るの?」

「あ、いや……俺の国でも服は脱ぐよ」

 勘違いした下心を見抜かれまいと、俺もティルに背中を向けて服を脱ぎ始めた。

 鼓膜をくすぐるお互いの衣擦れの音。

 エッチなことをするわけでもないのに、この胸の高鳴りはなんなのだろうか。

 激しく胸打つ鼓動と押し寄せる緊張が、俺の妄想をかき立てていく。

 狭いテントの中、背中合わせで服を脱ぐ男と女。

 お互いを見つめながら、触れ合う肌と肌。そして……

 って、ダメだダメだ……もうアレのことしか考えられなくなってきてる。と尽きることのない妄想を振り払い、消えかけている理性を呼び戻そうとしていると

「あれ?ユータ、もしかして全部脱いじゃったの?」

「えっ?」

 気づけば、俺は全裸になっており、しかも大事なところが節操なく男気を主張していた。

「ご、ごめん!」と慌ててトランクスを履き直す俺。

「勘違いしないでくれ! これは男の生理現象であって俺の意志じゃないんだ!」

「生理現象?」

「いえ……なんでもないです」

 もうサイテー過ぎて、顔も見れないよ。するとティルがクスクス笑った。

「ユータって、面白いね」

 その純真無垢な笑顔に、俺は自身の節操の無さに落ち込んだ。


「灯り消すね」

 俺が寝床に入ったのを確認し、ティルはランタンの火を消すと、同じ毛布に潜り込んできた。

「明日は一緒にチケット探ししようね」

 近くで聞こえるティルの生ASMR。その吐息が再び俺の理性を狂わせる。

 ダメだ、ダメだ! 恩人相手になにを考えてるんだ!

 と俺は毛布の中で手の甲をつねりあげながら「うん」とだけ答えると、目をつむって煩悩と闘うことに努めた。

 とは言うものの、この先、いったいどうすればいいのやら。

 奪われた荷物は見つかるのだろうか?

 もし見つからなければ、俺はこの世界で生きていかなければならないのか?

 果たして、都会育ちの俺が生きていけるのだろうか?

 気がつけば、結論の出ない自問自答を繰り返していた。

「ダメだ。コレじゃあ、別の意味で寝つけそうもない」

 と寝返りを打てば、肘が隣で寝ているティルの体に触れた。

「あっ、ごめん」

 暗闇の中で謝るものの、ティルからの返事はない。

「もう寝てるのかな?」

 流石は旅人。寝付きの早さは天下一品だ。

 すると、隣から寝息が聞こえてきた。

「うーん……」とモソモソと寝返りを打つティル。

 闇夜に慣れた目で隣をうかがえば、ティルのカワイイ寝顔がボンヤリと見えた。

 サラサラな髪と整った顔立ち。柔らかそうな唇から洩れる寝息が俺の理性を剥ぎ取っていく。

「ん……」と、今度は足で毛布を蹴飛ばすティル。

「長くて綺麗な足だなぁ」

 と引き締まった健康な脚を眺めていたら、キャミソールの肩紐がずれ落ち、ふくよかな胸の谷間が俺の本能を直撃した。

「少しなら……触ってもいいよな」

 小さな背徳感が俺のスケベ心を後押しし、欲望にかられるままそーっと指を伸ばす。……が、ティルが片脚を持ち上げたので、慌てて手を引っ込めた。

「うーん……ムニャムニャ……」

「なんだ……ただの寝返りか」ともう一度、手を伸ばした瞬間、ベチッ! と、なにかに手を弾かれた。

「へっ?」

 あらためて彼女を見れば、ガニ股の間からドラゴンの尻尾を前に回し、抱き枕のように抱えていた。

「ムニャムニャ……」

 なんだこれ?とあらためてティルを見れば股下や胸はおろか、尻尾の先でもって顔までもガードされていた。

 天然無欠な貞操帯。

 試しにもう一度ティルの頬に指を伸ばせば……やんわりと尻尾の先で弾かれた。

 なるほど。本人の自覚がないまま本能的に尻尾で防御する癖がついているのか。

「アホらしい。もう、寝よ」

 と、お手つきを諦め、ティルに背中を向けたときだった。

「チケット、見つかるといいね……ムニャムニャ……」

 尻尾越しで案じるティルの寝言に、俺は自分の性的衝動が恥ずかしくなった。


 そんなことを思い出しながら、服を着てテントから這い出れば、ティルが焚き火でネジ巻きパンを焼いていた。

「あっ。ユータ、おはよ」

「おはよう」

「だいぶ、疲れてたみたいだけど、眠れた?」

 体調を気遣うティルに、俺は寝癖のついた髪を手櫛で整えながら頷いた。

「まぁ、それなりに」

 と答えたものの……どちらかといえば寝たような寝れなかったような気がする。

 原因はティルの寝相の悪さ。

 特にドラゴンの尻尾は思った以上に凶暴だったのだ。

 突然、尻尾が体にのしかかってきたかと思えば、ズルズルと這いずり、俺をテントの隅へと追いやったのだ。正直、あの重い尻尾相手に熟睡できるヤツがいるなら、そいつはアホ以外、何者でもないだろう。

「とりあえずご飯にするから、顔を洗ってきなよ」

 俺は自覚なき尻尾を睨みつつ、ティルに言われたとおり野営地の茂みの奥で用を足し、沢の水で手と顔を洗って焚き火の前に座った。

「はい。今日の朝ごはん♪」

「ありがとう」

 とティルから焼き上がったばかりのネジ巻きパンとお茶を受け取り、囓りついた。

「ん、なにこれ? すごく美味いんだけど」

 香ばしい香りとともにほのかな甘みが口いっぱいに広がった。

 思わずこぼした俺の率直な感想に、ティルも嬉しそうに微笑んだ。

「でしょ。昨日、市場で試食したら、思いのほか美味しかったんで沢山買っちゃった。だから遠慮しないで食べてね」

 その言葉を聞いて、俺は心の底からティルに感謝した。

 もし昨日、ティルに出会っていなければ朝の冷え込みに震え、ひもじい異世界ホームレスを堪能していたのだから。

 同時に「襲わなくってよかったぁ」と心の中で呟いた。


「ごちそうさまでした」

 空腹を満たしてお茶を飲んでいると、ティルが焚き火の後始末をしながら本日の行動予定を訊ねてきた。

「それで、今日はどうするの?」

「とりあえず、荷物を盗んだ子供を探そうと思ってる」

 問題は、昨日のアニキとサルもどきのふたり。出会い頭に、また難癖でもつけられやしないだろうか。と浮かない顔をしていると

「じゃあ、わたしも一緒に付き合ってあげる」

 街の住人も怯える有翼獣人を追い返したドラゴンクォーター。

 それだけに、彼女がそばにいれば変な連中に絡まれる心配もないだろう。

「そうと決まれば、早速行こうよ」

 パパッと後片付けを済まし、立ち上がるティルに俺も腰を上げた。


 その日の夕方。

「子供……見つからなかったね」

 有力な手がかりもつかめないまま、野営地へと戻ってきた俺たち。

 浮かない表情で晩ご飯を作るティルを前に、俺は結果の出せなかった捜索を反省した。

 置き引きされた一瞬の出来事。

 俺自身の記憶が曖昧だったため、聞き込みをしても決め手となる目撃情報を得ることができなかったのだ。

 あのときアニキとサルの邪魔さえなければ、こんな面倒なことにはならなかったのに。

「もしかしたら犯人あっちが、探し回っている俺たちに気づいて警戒したのかもしれないな」

 こっちは馴染みのないよそ者。対して、あっちは土地勘が働く地元の子供。どう考えても俺たちのほうが不利だろう。

「明日は捜索方法を変えて、子供じゃなく荷物の行方を調べることにするよ」

 異世界に存在しないナイロン製のナップザック。少なくとも犯人捜しよりは確実だろう。

「そうだね。ユータの持ち物だし、きっと見つかるよ」

 微笑みながら肉の串焼きを囓るティルに、俺も自信を持って頷いてみせた。


 そして、その翌日。

「知ってる人……誰もいなかったね」

 噴水の淵に腰掛け、肩を落として途方に暮れる俺たち。

 朝から中古雑貨店を中心に聞き込みをしたものの、誰もが揃って首を横に振る始末。この世界で出回っていない品だけに簡単に見つかると踏んでいたのだが、どうやら見当違いだったようだ。

 もしかしたら盗品がゆえに、普通のリサイクル店には持ち込まれていないのかもしれない。だとすれば、裏取引に通じる店を探し出すしかないのだが……問題はどうやってそんな怪しい店を探せばいいのやら。

「裏家業に通じる人間に聞くしかないか」

 もしかしたら、アニキたちなら知っているかもしれない。

 正直、あの連中とは関わりたくないのだが……かといって、このまま当てもなく探して続けても無駄な時間だけを費やすことになる。

 それにしても……なんだか頭がボーッとする。それに今朝から寒気がして鼻水が止まらないのはなぜなのか。

「へっ、へっ……へっくしょん!」

「もしかして、ユータ、風邪?」

「うーん、どうかな? 朝から体調が良くないのは確かだけど」

「どれどれ?」と顔を近づけ、俺の額におでこをくっつけてくるティル。鼻先にまで迫った彼女の顔。その暖かい息により、俺の脈拍が跳ね上がった。

「やっぱり熱があるね」

 それが風邪によるものなのか、それとも異性と触れてドギマギしたからなのかは、今の俺にはわからなかった。

「ほらぁ。だから一緒に寝ようって言ったのにぃ」

 外で寝るとか言うから風邪ひくんだよ。と不平を漏らすティルに、俺も口を尖らせた。

「夕べも言ったけど、女の子が男と同じテントで寝るのはよくないじゃん」

 苦し紛れの建前。本当は嬉しいんだけど。

「なんで?」

「なんでって、言われてもなぁ」

 理性が崩壊して狼になってしまうから。なんて言えやしないし、ましてや寝相の悪い尻尾が邪魔してるなんて口が裂けても言えるはずがない。

「もぉハッキリしないんだから。とにかく、もうひとつテント作ってあげるから、今日はちゃんと寝るんだよ」

「あぁ、わかったよ」

 そう応え、ボーッとする頭でティルについて行く。そして雑貨店で厚手の生地を仕入れ、宿泊中の野営地へと戻ると、ティルは慣れた手つきで2つ目のテントを設営した。

「できた!」

 パンパンと汚れた両手をはたき、出来上がったテントに大満足するティル。流石、旅人ドラゴン。一時間足らずで完成させてしまった。

 しかし、気になることがひとつ。

「テントを作ってもらったのはいいけど、俺がこの世界を去った後、使わなくなったテントはどうするの?」

 高額だった生地。それだけにゴミとして処分するわけにもいかず……かといって、用をなさなくなった生地を背負って旅を続けるには邪魔でしかないだろう。

「いらなくなったら、中古雑貨店に引き取ってもらうから大丈夫だよ」

 なるほど、つまりはリサイクルってわけか。しっかりしてるなぁ。と感心していると、ティルが腰を上げた。

「さてと……今夜は薬膳料理を作ってあげるから、ちょっと待っててね」

 風邪に効く食材を探してくる。と言い残し、火に鍋をかけたまま林の奥へと入っていく。

「働き者だなぁ」

 どこの馬の骨かもわからないヤツなんかのために。と俺は柄にもなくちょっぴり涙ぐんでしまった。


 早々に夕飯を済まし、新しいテントに潜ったその夜から、俺は丸二日間高熱にうなされた。

 そして三日目を迎えた朝のこと。

「うん。熱も下がったし、もう大丈夫だね」

 おでこに額をくっつけて熱を測るティル。まだ朦朧とする頭ではドキドキするほどの余裕はない。

 それでも「ありがとう、ティル」と彼女の渾身的な看病に感謝した。

 夜な夜なテントに入ってきて、熱冷ましの葉っぱを代えてくれてたのは知っている。そのせいか、ティルの目元にかすかな疲れが浮かんでいた。

「ところでユータ。わたし、これから出かけなきゃいけないから、今日の昼ご飯はひとりで食べてね」

 葉でくるんだパンの包みを手渡され、焼き加減を教わりながら、どこに行くのかと訊ねれば

「内緒。夕方までには戻ってくるから、おとなしく留守番しててね」

 ティルは子供に言い聞かせるかのように笑うと、身支度を整え、手を振りながら野営地を後にした。

「とりあえず、言われたとおりにするか」

 病み上がりで本調子でない体だ。散歩でもして体力を戻そう。そう考え、俺は朝食のパンを囓った。


 翌日もティルは朝から出掛けていった。

 昼食として置いていってくれた鍋汁とパン。心なしか具も少なく、固くなりかけたパンがひとつだけ。

「なんだか、ショボくなったなぁ」

 それはともかく、とりあえず体力も戻ったことだし、今日から、また荷物探しを再開しよう。と俺は身支度を調え、街へと繰り出した。


「盗品を扱っている店?そんな店、うちが知るわけないだろ」

「バカにすんのも、およしよ。まっとうな商売をしている者が、なんで盗品を売ってる店なんか紹介しなきゃならないんだい」

「買う気がないなら、他を当たってくれ」

 何件もの中古品を扱う衣料店や雑貨店を回り、それとなく聞いてはみたものの、怒りを買うだけの徒労に終わった。

 結局、成果はゼロ。

 昼過ぎにして、すでに心が折れそうだった。とそこへ

「チッ。クソつまんねーなー」

「まったくもって、アニキのいうとおりでっさ」

 目抜き通りを我が物顔で歩く大男と腰巾着のサルもどきが目に入った。

「ったくよ、ムシャクシャするぜ」

 その不機嫌な様子に、通りの人たちもササッと道を空けてガラの悪い二人から遠ざかる。

「なんか、ヤバそうだな」

 ヤミ取引などの裏情報に通じていそうな二人組。願ってもないチャンス。だが、絡まれた初日にも増して、今日のアニキは特別に虫の居所が悪そうだった。

「また難癖でもつけられても困るし、今日はやめとこ」と俺は身を隠すようにして路地裏へと逃げこんだ。

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