【後編】
目抜き通りから雑貨店通りを跨ぎ、住宅地を抜けて工房地域に足を踏み入れる。
「ここなら、あいつらも来ないだろ」
二人が追ってきてないことを確認し、俺はあらためて辺りを見回した。
ひしめくレンガ造りの家並み。木工業や織物加工に加え、鋳物や油の匂いが俺の鼻を掠めた。その目抜き通りとは正反対の雰囲気に、俺の探検心がうずいた。
「そういえば、この辺りは未開拓だったな」
初日に訪れた異世界見物は主に目抜き通りだけで、このような製造拠点を見るのは今日が初めてだ。
カチンカチン! と響く金属音。
開け放たれた扉から中を覗けば、鍛冶職人たちが額に汗を流しながら一心不乱に真っ赤な鋼を打っていた。真っ直ぐに伸びた灼熱の棒状。そこから想像するに剣の制作だろうか。
「こっちは鍋かな?」
隣の工房では、作品と思われる真鍮色の器が並べられていた。その飾り気のない美しい器を眺めていると、気難しそうな職人が作業の手を止めた。
「鍋じゃねぇ。シンキングボールだ」
これだから素人は困る。と無愛想にぼやくおじちゃん。
なるほど。生粋の職人は異世界に限らず厳しいようだ。
ちなみに職人さんの説明によれば、それは
そんな感じでいろんな工房を渡り歩いていると、ある工房の前に人だかりができていた。
「なんだろ?」
と野次馬の隙間からヒョイッと中を覗き込めば、親方職人の声に従って火を吹く少女がひとり。長い髪を後ろにまとめ上げ、鍛冶職人の防炎エプロンをする作業姿に、俺は驚きを隠せなかった。
「ティルのやつ、こんなところで、いったいなにしてんだ?」
しかも凄い勢いで火を吹いてるし。
「もっと火力を上げろ! よし、そのまま、そのまま。その火力を維持し続けろ!」
そう言って親方はしばらく炉の様子を伺い……そして機を見計らったかのように、ヤットコばさみで真っ赤になった塊を抜き出した。
「うむ。俺が求めていた最高の焼き加減だ。おい、打つぞ!」
親方の合図に、弟子職人たちが飛び散る火花も恐れず、鉄ハンマーでもって叩き始めた。そして、ある程度まで叩き終えるとすぐに油に浸して冷やし、それをまた炉に戻す。
「よし! さっきと同じ要領で加熱してくれ」
親方に言われたとおり、煤で汚れた顔も気にせず、懸命に炎を吐くティル。その要領を得た火加減に野次馬たちも感心の声を上げた。
「凄ぇな、あの娘。気難しいノミナ親方の狙い通りに火力を調整してやがる」
「あぁ、まったくだ。そのおかげでノミナもいつになく気合を入れてやがらぁな」
「なんにせよ、ノミナも良い火吹き職人を拾ったもんだ」
羨む群集の賞賛。男でさえ根を上げてしまいそうな過酷な仕事場で、嫌な顔ひとつせず黙々と火を吹き続けるティル。
金のためなのか、それともノミナ親方から手伝ってくれと言われたからなのか。
どちらにせよ、道具扱いされているティルの姿は、俺にとって不愉快そのものだった。
「よし。今日はここまでにしよう」
親方の合図に職人一同が汗を拭い、同時に見物人たちもひとりふたりと散っていく。そんな中で俺も玄関口を離れ、窓の下に身を潜めて耳をそばだてた。
「疲れたか?」
窓から作業場を覗き見れば、一息ついたティルに親方が水を差し出していた。
「大丈夫です。むしろ、思いっきり火が吹けてスッキリしました」
微笑むティルに、ノミナが豪快に笑った。
「流石、ドラゴンの末裔だな。火力だけでなく、笑いのセンスも半端じゃない」
「冗談じゃなく、本当のことなんですけどね」
「そうだとしても、あんたのおかげで助かったよ。なにしろ人の手も納期も足りなかったからな」
ノミナ親方はそう言って、形が整ったばかりの剣を見て満足げに頷いた。
「お役に立てて良かったです。でも、あれで終わりじゃないですよね」
「ああ。この後、二日ほどかけて研磨作業だな」
「わたしも手伝いましょうか?」
「ありがたい話だが、職人たちを遊ばせるわけにもいかないんでな、今回は遠慮しておくよ」
親方はそう言って、懐から皮袋を取り出し、その中から硬貨を取り出した。
「これは働いてくれた二日間の賃金だ。本当はもっと何枚か上乗せしたいところなんだが、これで勘弁してくれ」
その手渡された報酬を見て、ティルが慌てた。
「こんなにもらえません!」
手の中にある硬貨5枚のうち、2枚を取って返そうとするティルだったが
「いいんだ、いいんだ。俺からの気持ちだから遠慮なく受け取ってくれ」
「じゃあ、いただきます」とティルは貰ったお金を大事にしまい
「ところで、わたしを必要とする仕事場を紹介していただけませんか?」
「なんだ、まだ働き足りないのか?もしかして借金でも抱えているのか?」
「いえ。借金はないんですけど、蓄えがなくなっちゃったもので」
苦笑いを浮かべるティルに、俺は首を傾げた。
金がないって、どういうことだ?
そして、あることが不意に脳裏をよぎった。
テントを作るための生地代。
風邪で頭がボーッとしていたため、いくら払ったのかは知らないが、大枚の硬貨を出していたのは覚えている。
まさか、俺のテントが原因で働らくことになったのか。
そんな経緯を知らず、ノミナ親方が腕組みをして頷いた。
「なるほど。それなら後日、仕事仲間に訊いといてやるよ」
新たなる仕事の口利きに、ティルがお礼を述べ、帰り支度を始めると
「とは言え、本当に良く働くな。しかも元気ハツラツときたもんだ」
これも若さかな。と凝り固まった肩をほぐすノミナ親方。
「どこから、そんな元気が沸いてくるんだ?もし良ければ、その秘訣を、この年寄りに教えてくれねぇか?」
するとティルは満面の笑みを浮かべ、元気よく答えた。
「それなら簡単です。楽しいことを見つければいいんですよ」
「ははぁん。さては、コレか?」
意味ありげに親指を立てた親方に、ティルは頬を染めながら恐竜のような尻尾を振り回した。
「もぉ、やだぁ。親方ったら」
と、テレながら必要以上に親方の背中をバンバン叩きまくるティル。そして
「じゃあ、また近いうちに顔を出しますのでお仕事の件、お願いしますね」
「おう、期待しててくれ」
その声に合わせ、俺は逃げるように窓から路地裏へと身を隠した。
なんで隠れなければならないのか、自分でも良くわからなかった。身銭を削って、テントの生地を買ってくれたことの後ろめたさからなのか。それとも内緒でティルの仕事を眺め見てたからなのだろうか。どちらにしても顔を合わせるのは、なんとなく気まずい気がした。
「おつかれ」と見送るノミナに、ティルも手を振って工房を後にする。
その仕事帰りの彼女を、ストーカーのようにコソコソと後をつけていく俺。
「まっすぐ、野営地に帰るのか?」
鼻歌を歌いながら目抜き通りへと向かうティル。その足取りは軽く、とても重労働をこなした者とは思えなかった。
「このお肉くださいな」
雑談を交わしながら精肉販売店で肉を仕入れ、続いて生鮮野菜店で野菜と果物を購入し、調味料専門店でスパイスを買っていく。
「ちょっと、奮発しすぎちゃったかな?」
と食料を抱えながら手元の残金を数え
「まぁ、いいか。
うんうん。と納得し、今度は野営場近くの泉に立ち寄るティル。
「こんなところで、なにをするつもりなんだ?」
泉のほとりの茂みから覗き見れば、ティルがキョロキョロと周囲を確認していた。
「誰もいないよね」
と服を脱いで裸になると、泉に足をつけて煤で汚れた体を洗い始めた。
まさかの行水。
「マジかよ……」
形のいいおっぱいに、ツンと上を向いたお尻。そして細くくびれた腰下から生えるドラゴンの尻尾。一糸まとわぬその姿に、俺は瞬きを忘れて息をのんだ。
「綺麗だ……」
自然と高ぶる性欲。だがしかし、それをも上回る何かが俺の心の中で膨らんでいた。
ずっと見ていたい。それほどまでに、彼女の裸は芸術的で美しかった。
「まだ水が冷たいなぁ……」
とティルがプルルッと尻尾を立てて身震いした。
春陽気とはいえ、水浴びをするにはまだ早いだろうに。と俺が思っていると
「さて、ユータもお腹減らしてる頃だし、そろそろ帰らなきゃ」
留守をする子供の心配をする母親のような台詞を口にしながら、泉から上がるティル。
それを聞いて、この世界において自分がいかに弱い人間なのかを痛感した。
「どぉ?おいしい?」
「うん、まぁ……」
出された晩御飯を俺が黙って食べていると
「アープロットの名物スパイスまで使ってんだから、おいしいって言って」と面白くなさそうに頬を膨らませるティル。
地元名産のスパイス。鷹の爪のようにピリリとくる胡椒は確かに美味かった。だが昼間のことが気になって、どうにもこうにも味覚がボケて感じるのだ。
スッキリしない胸の内。
泉で行水を終え、買い込んだ食料を持って野営地に帰宅した際、トボけてどこへ行ってたのかと聞いても「ちょっとね」としか答えなかったのだ。
そんな態度が許せなかった俺は、苔ポテトシチューが盛られた器を膝に置いて話を切り出した。
「ノミナ親方のところに行ってたよな」
彼氏ヅラをするわけではないが、内緒にされてはやっぱり気分が悪いのだ。すると
「あっ、知ってたんだ」
あっけらかんと素直に認めたティルに、俺はなおも問い詰めた。
「働きに出かけていたことを、なんで黙ってたんだよ」
「別に隠すつもりはなかったんだけど、ユータはチケット探しに忙しいし、それに……」
「それに?」
「ちょっとお金が無くなっちゃって」
えへへ。と舌を出して、金欠になったことを明かした。
「それって、俺のテント代で消えちゃったんだろ。どうして、そんな大事なことを言ってくれないんだよ」
「もしかして、そんなこと気にしてたの?」
「そんなことって、なんだよ!」
知らないままでいたら、俺はカワイイ恩人を働かせ、のうのうと遊んでいただろう。
異世界のヒモ男。正直、気分が悪いし、なにより男としてのプライドが許さなかった。
「金がないならないで、なんで俺に一言相談してくれなかったんだよ!」
自然と声が荒くなっていた。だが、ティルは気にする風もなく
「別に相談する必要がなかったからだよ」
えっ、どういうこと?
「テントの生地代とか関係なく、遅かれ早かれ、お金無くなってたし、それにお金が無くなると、いつも、ああやって地元の工房に声をかけてお金稼いでたから、今に始まったわけじゃないんだよ」
「いつも?」
「そうだよ」とスプーンを咥えて頷くティル。しかも竜眷属である彼女が噴く炎は、神聖なるものとして結構なお金になるそうだ。
「そんなことはないはずなんだけど、鍛冶屋さんにとっては縁起物らしいよ」
だからユータは余計な心配をしないで。と微笑むティルだったが……それでも気が収まらず、むしろ余計に自分の無能さに腹が立ってきた。
「わかった。だったら俺も明日から働く」
俺の宣言に、ティルが目を丸くした。
「働くって……ユータが?」
「なんだ、その反応。働いちゃダメのか?」
「ダメってことはないけど……ホントに大丈夫なの?ここはユータのいた世界とは違うんでしょ」
見れば、ティルの瞳に不安が浮かんでいた。って、そんなに俺って頼りないヤツに見えるのか?
「こう見えても、元いた世界では某焼き肉屋で
「疑っているわけじゃないんだけど、それってどんな仕事?」
「まぁ、早い話がウェイターだ。客を席に案内し、注文を受けたり、網を変えたり、会計もしてた」
まぁ、去年の夏休みに短期でやっていただけなんだけどな。
「ふーん……」
なんだろ、この信用の無さは。
「ううん、そんなことないよ。ちょっと意外だなぁっと思っただけ」
そんなに俺が働くことが変なことなのだろうか。
「だって最初に会ったときのユータって、もうこの世の終わりのような顔してたから、てっきりなにもできない人なのかと思ってた」
なんとも悲しい第一印象だな。まぁ、思い起こせば、あのときは人生詰んだと思ったからなぁ。
「じゃあ、明日にでもノミナ親方に仕事があるか、聞いてあげようか?」
過保護過ぎるティルの申し手を、俺は男らしく断った。
「いや、自分で探す」
「ひとりで探せるの?」
ここでティルの手ほどきを受けているようでは、仕事なんか見つからないだろう。
「安心しろ。こう見えてもバイトの面接で落ちたことはない」
一件だけしか、受けたことないけどな。
すると自信に満ちあふれた俺の言葉に、ティルが目を輝かせた。
「なんだか、今日のユータは頼もしく見えるね」
どうやら見直してくれたようだな。このバイタリティーこそが、本来の俺なのだよ。
「そうと決まれば、ティルのご飯を食べて、しっかり体力をつけなきゃな」
そういって、俺は再び器を手にしてシチューを口にかっ込んだ。
「たくさん作ったから、遠慮なくおかわりしてね」
「おう!」と男らしく応え、二杯目を頂く。
「まだまだ、あるからね」
「お、おう。じゃあ、おかわりで」
「男らしい食べっぷりだね。まだまだ、食べていいよ」
期待の目を向けながら、俺が持つ器にシチューを追加していくティル。
その結果、鍋の中の苔ポテトシチューのほとんどを俺が食べることとなり
「おやすみ……ウップ……」
経験したことのない胃の重さを引きずりながら、俺はテントに潜り込んだ。
その翌日。
俺は見事に腹を下してしまい、仕事探しどころか一日中寝る羽目となった。
【おしまい】
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