【後編】
「悪趣味極まりないな」
フロア手前の階段の陰から4階を覗き見れば、熊並みにデカい蜘蛛たちがワサワサと蠢き、所狭しとそこら中を徘徊していた。
「な、なんなんですの。このおびただしい数は」
引き返したくなるほど気持ち悪い光景に、虫嫌いの華蓮が青ざめていた。
「あの理事長……魔虫までも飼い慣らしていたか」
と激憤するノーラだったが
「もっとも、わたしの奥義の前では文字通り虫ケラ同然ではあるがな」
スチャッと木剣を構え持ち、先陣切ってフロアに躍り出るノーラ。
「ひとりで大丈夫なのか?」
と階段越しから心配すれば
「安心しろ、ユータオー。わたしの腕前を知ってるだろ」
腕前を知っているからこそ余計に不安なんだよ。
「失礼なヤツだな。これでもユータオーの知らないところで稽古に励んで、だいぶコントロールできるようになったんだぞ」
と俺たちの方を向いている隙に、一匹の蜘蛛がお尻から糸を吐き出し、あっという間にノーラを絡め捕って逆さ吊りにした。
「は、話をしている最中に攻撃してくるのは卑怯者のすることだぞ!」
アホか! 蜘蛛相手に、そんな道理が通用するわけがないだろ!
「ここは、わたしに任せて先に行け!」
手も足も出せない状態で、よくもまぁ、そんなカッコいいセリフが言えたもんだな。もっとも先に行きたくとも蜘蛛たちに4階を占拠されていてはどうにもならないのだが。
「くそ……」
護身用の短剣に手をかけて打開策を模索していると、背後にいた華蓮が俺のシャツをチョイチョイと引っ張った。
「どうした?」
振り向けば、華蓮が口元を振るわせながら人差し指を上に向けていた。
「く……く、くく……蜘蛛が……」
見れば、天井に二匹の蜘蛛が張り付いていた。
「いつの間に!」
次の瞬間。天井から俺たちの背後に降り立ち、逃げ道をふさぐ二匹。怪しくテラテラ光る8眼と細く長い足。間近で対峙するその容姿はガチでキモかった。
すぐさま最後尾にいたパルがホウキを蜘蛛に向けて傾けた。
「バァァスト・コンプレッション!」
狙い通り、階下へと弾き飛ばされる二匹。だが壁に押しやられただけで、すぐに俺たち目がけ、ワシャワシャと壁伝いに階段を這い上がってきた。
「どうやら、相手を刺激してしまったようですね」
ぼやきながらバーストコンプレッションを連発し、押し戻そうとするパル。しかし相手は魔虫。俊敏な動きで攻撃をかわし、パルの頭上を跳ね越えてきた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁあ! こっちに来ないでぇぇえ!」
涙目で絶叫する華蓮。同時に短剣をホルダーから引き抜く俺。だが相手は長い手足を持つ魔虫。リーチ不足の短剣で、どこまで対抗できるのか?
そんな不安が迷いとなり、対応が遅れた。
「くそっ! 間に合わない!」
クワッと牙をむき出し、華蓮に襲いかかる蜘蛛たち。
喰われる! と華蓮の死を想像した矢先、華蓮の体から眩いばかりの光が放たれた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
瞬間、華蓮が振るった錫杖から水鎌が放たれ、蜘蛛たちを八つ裂きに切り刻んだ。
「えっ?」
黄色く粘っこい体液を撒き散らしながら階段下へと転げ落ちていく屍に、俺は目を疑った。
「おい……今、なにしたんだ?」
華蓮のほうを見れば、暗黒オーラを身にまとい、瞳に憎悪を宿す女がそこにいた。
「許さない……」
やべぇ……。恐怖のあまり精神が崩壊したか。
「ほぉ。これは面白い展開になりましたね」
「面白がってる場合か!」
ユラリと4階フロアに足を踏み入れる華蓮を横目に、俺はパルの頬を抓りあげた。
「華蓮を見てみろ! 完全に目が
「覚醒してるのですから当然です。どっかの誰かさんみたいに、魔法が使えないのではお話になりませんよ」
こいつ、まるで俺が役立たずみたいなことを
「それに見てください」と指さすパル。見れば華蓮を守護するように、いくつものブーメラン状の水鎌が飛んでいた。
「なんだ、あれは?」
ヒュンヒュンヒュン……。
風切り音を警戒しつつ、新たに現れた餌に釣られ、我先にと華蓮に襲いかかる蜘蛛たち。
だが当の華蓮は逃げることなく、錫杖を軽く一振りし、水鎌でもって蜘蛛たちを糸もろとも引き裂いた。
「強ぇ……」と俺が驚いていると、目の前の水鎌が弾け散り、華蓮が膝から崩れ落ちた。
「おいおい、冗談だろ!」
慌てて階段から飛び出し、華蓮の体を支えた。
「おい、しっかりしろ!」
息はしているようだ。だとすると、単に気を失っただけなのか。でも、どうして。
「きっと慣れぬ魔法を使った反動でしょうね。わたしも近所のいじめっ子相手に初めて風魔法を使ったとき、同じように失神しましたから」
いじめっ子への仕返し。でも、だからといって魔法はやり過ぎだろ。
「生まれて初めて書いた絵本をバカにしたのですから、当然の報いです」
ダメだこいつ。俺の世界だったら、間違いなくネットに晒されて炎上するタイプだ。
「しかし、なんでまた急に魔法の類が使えるようになったんだ」
元々、華蓮には法力が備わっていた……ということなのだろうか?
「覚醒した理由は不明ですが、古来より研究者の間では、大なり小なり女性は法力を宿していることがわかっています」
だとすると、ノーラの奥義も法力によるものなのだろうか。
「それで男はどうなんだ?」
「なんでも統計によれば、男性の場合、女性に比べて一割未満といわれてますね。母親から受けた血が濃い人ほど、法力値が高いとされているみたいですよ」
いわゆる遺伝ってやつか。
「当然のことながら、そういう男性は生まれ持ってして出世が約束され、親族含めて将来は安泰かと」
生まれ持った運と才能。しかも男と女の差があるというからには、明らかに体の違いからくるものなのだろう。
「だとしても、不公平すぎるだろ」
「男の人の場合、女子に比べて力があるじゃないですか。それを考えたら差し引きトントンですよ」
男に比べ、体力的に劣る女性。代わりに神は、神秘なる力を与えたということか。まったくこの世界の天地創造の神様ってヤツは、ずいぶんえこ
などと魔法の真理に不満を抱いていると、頭の上から情けない言葉が降ってきた。
「おーい。誰でもいいから、早く下ろしてくれないかぁ」
見上げれば蓑虫ノーラがぷらーんぷらーん揺れていた。
困っているわりには、ずいぶん楽しそうだな……おまえは。いっそのこと、蜘蛛に囓られて己の不甲斐なさを反省したらどうだ。
「あなただけは、期待を裏切らないキャラなので安心しました」と華蓮の薙刀杖を借り、蜘蛛の糸を切るパル。
まったくもって本当に楽しそうだな、この世界の住人たちは。
なにはともあれ、全員が無事だったのは奇跡だろう。
「わたくしが魔法で、やっつけたですって?」
床に散らばる死骸の山に、うぇっとばかりに目を背ける華蓮。
「覚えてないのか?」
「えぇ。階段で蜘蛛が襲われそうになったところまでは覚えているのですけど、そのあとはあまり覚えてなくって」
ようするにトランス状態になり、自覚のないまま魔法を使ったということか。そこでパルから聞いた魔法真理を伝えると
「つまり、女性のほうが魔法を使えるケースが多いと?」
「どうやら、そうらしいな」
本当かしら。と手のひらを見つめ、ムムムッと寄り目をして力む華蓮。
うーん、なんだか仕草が子供っぽいのは気のせいか。
「できませんね」と華蓮が拍子抜けしていた。
もしかして危機的状況にならないと発動しない。ということなのだろうか。
「たぶん、慣れの問題でしょう」
そのうち使えるようになりますよ。と楽観的なパル。そして
「今度っから【シックル・ウォーブレット】と叫んでから、技を出してください」
「お断りします」と力強く即答する華蓮。
まぁ、あの自作小説を読まされた後ではイヤだよなぁ。
「ひとつ聞いておきたいんだが……詠唱しないと魔法は使えないものなのか?」
「高官術者が使うような高度な魔法の場合は必要となるでしょうけど、生活魔法程度のモノならば必要はありません」
だとすると、パルのバーストなんちゃらも必要性がないということか。
「当たり前じゃないですか」
それを知ってて、何度も厳しく俺にレクチャーしたのかよ。
「いえ。ユータさんが魔法を使えるものだとばっかり思っていたので、ついつい」
なにがついついだ。くれぐれも言っておくが、魔法が使えるのはおまえの小説の中だけだからな……ったく、バカらしい。
「そんなことより先を急ぐぞ」
と気持ち悪い死骸を跨いで、俺たちは上層階を目指すことにした。
【つづく】
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