■16■かりそめの仮面

「どうやら、ここが最上階のようだな」

 登り詰めた5階フロア。ザッと見回したところ、上へと続く階段はなく、代わりに迷路のように並ぶ書棚が占拠していた。

「この広さ……まるで図書室だな。で、こっちは実験室か」と俺が別室に並ぶ実験器具に触れていると

「思ったより、普通ですね」と、隣の華蓮が素朴な感想を漏らした。

「いえ。普通ではないみたいですよ」と疑わしい表情をして眉根をよせるパル。

「それは、どういう意味だ?」

「ここにある書籍類は、どれもこれもお蔵入りとなった禁書ばかりなんですよ。例えばこれ」

 と手近にあった本の背表紙をなぞるパル。

「【チェフロの死霊書】その隣には【ミットモンドの蘇生術】こっちは【転生術の聖域】あっ! こ、これは……幻の古代書と言われた【深淵の第三世界】の第9層巻じゃないですか!」

 いつになく大興奮するパル。察するに、ここに置かれている書物を始め、薬草棚に瓶詰めされた数々の呪物も、市場に出回っていないモノばかりなのだろう。

「こんな胡散臭いモノを集めていたとは……やはり、あの理事長はろくな人間ではないな」

 と並ぶ禁書と不可解な器具に唾棄するノーラ。

「どちらにしても、見当違いだったみたいだな」

 ティルが拉致監禁されていると思い込んでいた最上階。しかし、実際は禁忌に触れる所蔵庫だったのだから、正直、どうしていいのかわからなかった。。

「とりあえず、下に降りて別の場所を探すか」

 と考えをあらためたときだった。ギギギッと音を立てて、目の前の書棚が凹み始めた。

「隠し扉?」

 俺たちが武器片手に警戒していると、黒い外套を着た女が目の前に現れた。

「ん?」と目を疑う俺に対し「あら、いやだ」と驚くリシャン。

 同時に気まずい空気を感じ取ってか、頬を引きつらせながら

「お邪魔だったみたいね」と挨拶もそこそこで退散しようとするリシャンを引き止める俺。

「おい、ちょっと待て。いったい、どこへ行くつもりだ?」

「ちょっと1階のトイレまで」

「その前にひとつ聞かせてもらいたいのだが、学院関係者でないおまえが、なぜこんなところにいる?」

「まぁ、いろいろとあって……」

「へぇー。じゃあ、そのいろいろとやらを納得いくまで聞かせてもらおうじゃないか」

「その前にトイレに行ってもいいかしら?」と間近に迫る生理現象に堪えかね、涙目でモジモジするリシャン。

 口から出任せの演技とは思えない仕草。こりゃ、本気でトイレのようだな。すると、パルが目ざとく隠し扉の向こう側にある階段を見つけた。

「どうやら上に続いているみたいですね」

 途端に、ティルの拉致事件に関して一枚噛んでいる可能性が浮上した。

「おい、リシャン。いったい、どういうことだ? なんで隠し扉の向こう側にいたんだ?」

「た、たまたまよ。だから、お願い。トイレに行かせて!」

 店を臨時休業までして、そんな偶然があってたまるか。こっちは目撃証言をもとに、ここまで登ってきたんだ。しかも途中の階には用心棒の傀儡やら蜘蛛まで待ち構えていたのだから関係がないとは言わせない。

「洗いざらい吐くまでは、トイレには行かせねぇよ」

 ティルの安否がかかっているだけに、目の前でおしっこを漏らそうが俺には関係ない。そんな俺を鬼畜とばかりに、華蓮がドン引きしていたのは言うまでもないだろう。

「わ、わかったわよ!」

 股間を押さえ、目前に迫る尿意に苦悶しながらペラペラと喋り始めるリシャン。

 聞けば、学院から案内書状が届いたとき、リシャン宛としてもう一通の手紙が添えられていたのが始まりらしい。

【ティルスノッテの身柄拘束に協力すれば、望みのものを与える】と。

 その後、理事長と三度の手紙を交わし、段取りが整った時点で俺に学院案内を通告したというのだ。

「つまり、理事長が保管するドラゴンの鱗欲しさに、ティルを拉致したということか」

「そうよ!」

「どうだか。ホントはティルの鱗を剥ぐためじゃないのか?」

「理事長と約束した鱗があるんだから、そんな荒っぽい真似なんかしないわよ!」

「嘘じゃないだろうな? ティルを救出したら、尻尾の先から付け根まで厳しくチェックするぞ」

「この期に及んで嘘なんかつかないわよ!」

 激しく足踏みをするリシャン。どうやら、もう限界のようだ。

「まぁ、信じよう。それで報酬の鱗はもらったのか?」

「もらってないわよ! ねぇ、もういいでしょ! 早くトイレに行かせてよ!」

 そろそろ、このへんで解放してやるか。

「用が済んだら、上がってこいよ。まだ、聞きたいことは山ほどあんだからな」

 しかし、リシャンは返事をすることなく駆け出し、階下に続く階段をソロリソロリと降り始めた。

 あぁ……見るからにヤバそうだな、ありゃ。それはともかく

「この上にティルがいるのか」

 と書棚の隠し扉の部屋を覗き見て様子を伺っていると、階段下からシクシクと嗚咽を漏らすリシャンの声が聞こえてきた。

「どうやら間に合わなかったようだな」

 ノーラのお漏らし確定発言に、華蓮が気の毒そうに苦笑いしていたのは言うまでもないだろう。

「とりあえず、上に行ってみっか」

 と俺が意を決して足を踏み出した矢先

「気をつけろユータオー。理事長のことだ、なにを仕掛けてくるかわからんぞ」

「それは、どういうことだ?」

「今だから言えることだが……理事長には良くない噂があってな」

 真剣に話をするノーラの言葉に、俺たちは耳を疑った。

「生徒たちを使って人体実験?」

「確かではないが、何人か消息不明になっていたからな」

「その噂なら、わたしも聞いたことがあります。確か、人身売買にも携わってあるとか」とパルもノーラの話を後押しする。

 って、七つの怪談よりも怖い話じゃねぇか。

「もし、それが本当ならティルもタダじゃすまなそうだな」

 と俺は天井向こうを睨み上げ、気を引き締め直した。



「遅かったですね」

 我が祭壇へようこそ。と俺たちに一瞥もくれず、背中で出迎えたのは、言わずと知れた理事長本人だった。

 フロア正面に設けられた祭壇。かがり火と呪物に囲われた魔方陣の中心に、寝間着姿のティルが眠らされていた。

「話はリシャンから聞かせてもらったよ。ルロォ理事長」

 もちろん生徒たちにおける人身売買や人体実験の話もな。と非人道的な噂を口にした途端

「なるほど……そこのふたりに聞いたのですね」

 理事長は分厚い禁書を閉じて静かに振り返ると、両眼を覆う眼帯下の頬を険しく歪ませた。

「余計なことを」とコクリと頷いた瞬間、ノーラとパルの首が跳ね飛んだ。

「!」

 背後から振るわれた剣筋。容赦なしの殺戮に、血飛沫を上げながらガクンと床に倒れるふたつの体。その光景にあてられ意識を失う華蓮。

「おい! 華蓮!」

 咄嗟に、俺は倒れそうになる華蓮の体を支えた。

「おい! しっかりしろ!」

 失神した華蓮を揺さぶりながら、無残に痙攣している肉塊を垣間見た。

 白目をむいた両眼と、半開きになった口。切断された首。流れ出る赤い血と切られた後ろ髪が一緒になって散らばっていた。

 ダメだ……とてもじゃないけど直視できない。しかも一度見てしまったためか、生首がまぶたの裏に焼き付いて離れない。

 生死の境目などない一瞬の出来事。

 人の命とは、こんなにもあっけないものなのだろうか。

 俺たちも、あんな風に殺されるのか。

 幾度となく悲惨な未来図が脳裏を駆け巡る。

 いや、違う……あれは俺の知っているふたりじゃない。と逃げ出したくなる衝動を振り払い、何度も何度も自身に言い聞かせていると

「キキキッ。ザマァねえなぁ」と背後から耳障りな笑い声が聞こえた。

 恐る恐る振り向けば、血のついた青竜刀を肩に担ぐ有翼獣人たちが後ろにいた。

「おや、どこかで見たことある顔だな?」

「思い出したぜ。こいつ、半どら娘と一緒にいたヤツだ」

「こいつも、やっちまうか?」

「男はともかく、女のほうは犯してから売り払っちまおうぜ」

 とニヤニヤしながら剣を舌舐めずりする有翼獣人たち。

 まずい……。このままでは、こいつらの欲望の餌食にされてしまう。と、華蓮をかばうように抱きしめていると

「そこまでになさい」

 眼帯越しから睨みを効かせる理事長に、有翼獣人たちが「へい」と一歩下がっていく。

「さて……あらためて、あなたにお聞きします」

 そう言って理事長は近くの台座に禁書を置き、代わりに紙札を手に取った。

「これはなんですか、マキシマユウタロウ」

 街中を駆けずり回って探し求めていた呪符。見間違いでなければ、それは元の世界へ戻るための帰郷チケットだった。

 しかも3枚。

 遠目でもって、それぞれの呪符に描かれている文字を見れば1枚は牧嶋勇太郎。そして残りの2枚は華蓮と俺の名前が印として記されていた。

 なんで理事長が帰郷チケットを持ってるんだ?

 もしかしてリシャンの店で売られていた俺のナップザックを買ったのは、この理事長だったのか。もし、そうだとすると無くしたはずの華蓮のチケットも何らかの方法によって入手したに違いない。

 でも、なんのために? 名前を書かれた者以外には、なんの効力も価値も持たないただの紙切れのはず。

 ……どうする?

 理事長の真意がハッキリしない以上、迂闊に事情を説明するわけにもいかず、俺はダンマリを決め込むことにした。

「そうですか、言いたくありませんか。では質問を変えましょう」

 そして

「単刀直入に聞きます。ホウレンジマホの依頼で、この世界に来たのですか?」

 この理事長……いったい何者なんだ。

 なぜ、まほ先生のことを知っているんだ?

 呪符の裏に書かれた文字を読んだからなのだろうか。

 いや、この世界に日本語が読めるヤツなんかいないはず。

 でも、もし読めるとした場合、残る可能性は……。

 そんな俺の疑念を読み取ってか、理事長の口から流暢な日本語が紡がれた。

「正直に答えなさい、牧嶋勇太郎。さもなくば……」

 やはり、同郷の人間か。

「わかったよ。でも、答える前に教えて欲しい。理事長……あんた、いったい何者なんだ? まほ先生とは、どんな関係なんだ?」

 怖じ気づくことなく虚勢を張ってみるものの、声が震えていた。後ろで有翼獣人たちが剣を持って殺気を漲らせているのだから当然だろう。

「関係? それを、わたくしに聞きますか」

 不快そうに眉根をひそめる理事長。そして憎らしげに虚空を見上げた。

「あの者は、このわたくしを、この世界へと送った悪しき者です」

 まほ先生が悪しき者だって? 俺が知る限り、とてもそういう風に見えなかったが。

「それゆえ、もしあなたが法連寺と協力し、わたくしを追いかけてきたとするならば、生かしておくわけにはいきません」

 心臓を射貫くような強い言葉を向けられ、ゾッとした。

「さぁ、答えなさい。法連寺に指示されて、わたくしを追いかけてきたのですか?」

「まほ先生に人探しを頼まれたのは本当だ。……けれど、それはオッサンであって、あんたではない」

 部下に命じて人殺しをするような人物だ。これ以上、関わることなく穏便にこの場を去りたい。チケットは、あらためて別の方法で交渉すればいいし、場合によっては全財産を注ぎ込んで買い取ってもいいだろう。

 だが、しかし……

「オッサンとは、この者のことですか?」

 理事長が帰郷チケットの代わりに1枚の写真を手にした。

 そうか……理事長が俺の荷物すべてを買い取っていたのか。

「そうだ。だから、アンタをどうこうするつもりは俺たちにはない」

 少なくとも頭皮が薄くなりかけているオッサンとは因果関係はないはず。それでも理事長は厳しい表情のまま写真を見つめ……そして身の毛がよだつ言葉を口にした。

「ふたりを始末なさい」

 同時に、背後で待機していた有翼獣人たちがにじり寄る。

「ちょっと待ってくれ! どうして無関係の俺たちが、殺されなきゃいけないんだ!」

 死に際の猛抗議に、理事長が苦々しく呟いた。

「この写真の人物こそが、わたくしだからです」

「えっ?」

 それが……俺が最後に聞いた言葉だった。


【つづく】

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