【後編】

 夕食時。ティルにノーラの話をしたところ

「ふーん……そんな大変なことがあったんだ」

 とティルは串を通した苔魚の姿焼きを囓りながら眉根を寄せていた。

「でも、どうしたらいいんだろうね?」

 まるで身内のようにノーラ姉妹を心配するティル。あぁ、なんて優しい娘なんだ、この子は。ホント、俺はティルに拾われて良かったよ。

「どう考えても、別の仕事をして収入を増やすしかないだろ」

 腹を空かし、道場としてやっていけない以上、最初から結論は決まってるといっていいだろう。

「だったら明日、ノミナ親方のところへいって仕事を斡旋してもらえるかどうか、聞いといてあげるよ」

 たぶん、そのほうがノーラ姉妹にとって有益だろう。

「面倒かけるけど、よろしくな」


 翌日。昼食をかねた休憩時間。

 俺は配達の合間をぬって、ティルの仕事先を訪れた。

「どうだった?」

 目抜き通りの一番人気のパン屋で仕入れた青チキンサンドを差し入れ、丸太に腰掛けて訊ねれば

仕事ひごと紹介ひょうかいはへきないって」

 チキンサンドを頬張りながら、答えるティル。おいしいのはわかるけど、食べるか喋るかどっちかにしようよ。

 しかし、会ってもいないうちから断られるとはいったいどうなってんだ?

「ねぇねぇ、もう1個、食べていい?」

 二人の間に置いてある紙包みを指差す食いしん坊ティル。もう、それで3つ目だぞ。

「それでね、どうしてなの? って聞いたら……親方、ノーラさんのこと知ってたみたいだよ」

「つまり面識があった、ってこと?」

 どういうことだ?

「実はね……」とティルはクサイチゴドリンクを飲みながら説明を重ねた。

 ノミナ親方の話では、三ヶ月前にノーラが雇って欲しいと訪れたらしのだ。そのやる気を買って、実際に仕事を与えたところ鍛冶の素質はおろか、試し斬りの仕事をさせても、まともにできなかったらしい。

「親方的には、ノーラさんはちょっとそそっかしいところがあるから、他の仕事を薦めるにも務まるかどうか。って、言ってたよ」

 具体的になにを試されたのかわからないが、なんとなく俺にも想像できた。何事にも愚直で真面目なんだけど……性格的にドジっ子要素持ってるもんなぁ。それをノミナ親方は、すぐに見抜いたのだろう。

「そっか。親方がそう言うなら、しょうがないな」

「ごめんね。役に立てなくて」

「いや、ティルが悪いわけじゃない」

 むしろ、わざわざ骨を折ってくれたティルには感謝しかない。

「サンキューな」と礼を言って、俺は配達仕事に戻った。


 すべての配達を終えた俺は、目抜き通りの十字路に立ったまま悩んでいた。

「どうしようかなぁ」

 道場に寄るべきか否か。このまま関わりを持たず、疎遠になってしまうことは簡単だろう。しかし泣きつくノーラの顔を思い浮かべると、非情に徹することができなかった。

「とりあえず、菓子でも買ってって様子を見に行くか」

 俺は配達仕事で馴染みとなった菓子屋の露天商に足を向けた。……が出くわしたくない連中が、そこにいた。

「おいおい、お嬢ちゃん。人の足を踏んづけといて謝るだけか?」

 買い物客でごった返す人混みの中にアニキとサル、そしてノーラの妹がいた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 涙ぐみながら、ひたすら頭を下げるイーノ。そのやりとりを見かねた果物店のおばちゃんがゴロつきふたりに注意した。

「ちょいと、あんたら。そんな小さな子をいじめて、恥ずかしいとは思わないのかい?」

 大勢の前で正論を突きつけられ、アニキが機嫌悪そうに怒鳴り散らした。

「うっせぇ、ババァ! 店をめちゃくちゃにされたくなきゃ、黙ってろ!」

 吠えるアニキに気圧されて、尻込みするおばちゃん。同時に周りの飲食店のおじちゃんたちも、悔しそうな表情を浮かべたまま、手を出せずにいる。

「さて、どうしてもらおうかなぁ? お嬢ちゃん」

 ボロボロと涙をこぼして怯えるイーノの顎を持ち上げ、薄笑いを浮かべるアニキ。

 くそっ! マジで胸クソ悪い!

 居ても立ってもいられず、俺は群衆の中心に飛び込んだ。

「おい、やめろ!」

 感情任せに発した言葉。って、なにしてんだ、俺!

「おにーたん、助けて!」

 俺は泣いているイーノの前に出て、不敵に笑うアニキと対峙した。

「ああん。おまえ、もしかして、この間のヤツか?」

 見下ろすアニキの睨みに、肝が震え上がった。

「だ、だったら、どうしようってんだよ?」

 と強がってみせるものの、声の震えは隠せなかった。

「いたいけな子供に対して、大の大人がすることかよ!」

 あぁ、もう! 無謀にもほどがあるだろ、俺! と頭の中で嘆き散らかすもうひとりの自分がいた。

「ほぉ。面白れぇこと、言ってくれるじゃねぇか、にーちゃん。このガキが俺にぶつかってきて足を踏んづけたんだぜ。おかげで、歩きが不自由になっちまった」

 痛そうに皮草履を履いた右足首をプラプラさせるアニキ。まったくもって、わざとらしい演技だ。イーノほどの小さな子供が足を踏んづけたくらいで、歩けなくなるほどの怪我を負うわけがないだろ。もっとも、それ以前に接触したのかもどうか怪しいもんだ。

「本当なのか? イーノ」

 するとイーノは「つま先がちょっと当たっただけ」と恐る恐る首を横に振った。

 やっぱり。弱者に対する言いがかりだったか。

「さて、そこでモノは相談だが……この間の当て逃げと、この右足を合わせた治療費をもらいてぇんだが?」

 どうする? もし、ここで有り金全部払えば見逃してくれるのだろうか。いや……たぶん、それはないだろう。性根の腐ったコイツらのことだ。その場しのぎで一回でも渡したら、何度でも金をせびり、骨の髄までしゃぶってくるに決まってる。

「あんたに、くれてやる金なんかない」

 と背中に隠れているイーノを庇いながら、キッと睨み返して否定する俺。

 あぁ、なんてバカなことしてんだろう。もう感情と理性がグチャグチャになって、自分でもなにをやってるのか、サッパリわからなくなってきたよ。

「へぇ。俺さまに盾突くとは、いい度胸してんな、にーちゃん」

 アニキの顔から笑いが消え、代わりに怒りが目に浮かんでいた。

「どうなるか、もちろん、わかってんだろうな?」

 ギュッと胸ぐらを掴まれ、体を吊り上げられた。

 ヤバイ……ボコボコにされる。と半殺しにされる未来図を描いた瞬間

「おい! そこでなにをしている!」

 声のするほうを見れば、怒りを瞳に宿したノーラがいた。

「おねーたん!」

 泣きながら走り寄る妹を、ノーラは優しく迎え

「帰りが遅いので様子を見に来たのだが……いったい、なにがあった?」

「あのおじちゃんたちがぁ」と正直に、ことのあらましを姉に伝えるイーノ。

 って、言うか……俺、まだ解放されてないんで、アニキたちのご機嫌を損ねるようなことを言わないで! ほらほら、言ってるそばから首元がギリギリ締まってくんですけど!

「アニキ。どうやら、あの女。ガキンチョの保護者のようでっせ」

「そのようだな」とニタリと笑うアニキ。

「……でね、そこへ、おにーたんが来てくれたの」

「そうか、よくわかった」

 そう言ってノーラは妹の頭を優しく撫で、そして怒りを込めて言い放った。

「貴様ら、絶対に許さん……」

「へぇ。面白えこと言うじゃねぇか、ねーちゃん」

 ギラリとノーラを睨みつけるアニキに、サル男もニタニタ笑って忠告する。

「アニキに楯突いたら、女でもタダじゃすまねえぞぉ」

 だが、そんなゴロつき連中の言葉などノーラの耳には届いていなかった。その証拠に、ノーラは帯刀していた木剣を腰帯から抜いていたからだ。

「イーノ、下がってなさい」

 姉の指示に従い、数歩後退る妹。それを見届け、ズシャッ! と地面を鳴らして剣を向けるノーラ。

 マズい! あの構えは、奥義じゃねぇか!

「おい! ノーラ、やめろ!」

 手を伸ばして制止するも、怒りのオーラを発するノーラにその声は届かなかった。

「おい、ゴリラ野郎! 今なら、まだ間に合うから早く謝れ!」

 と俺は足をバタつかせながら、アニキを説得するも

「なに言ってやがる。謝るのはテメェのほうだろうがよ!」

「そういうことじゃない! ノーラが奥義を発動させたら、おまえの首が跳ぶ……って、ん?」

 よく考えたら、こいつが危ないんじゃなくって周りにいる人たちが危ないのでは?

 どこに命中するかわからない無差別奥義。

 下手をすれば、間違いなく死人が出るだろう。

「みんなも死にたくなければ、早く逃げろ!」

 俺の必死の呼びかけも虚しく、周囲の者たちは首を傾げるだけだった。

 とそこへ、仕事終わりに立ち寄ったティルが現れた。

「ユータ!」

 俺が大男に吊り上げられているのを見て、飲んでいたクサイチゴドリンク片手に血相を変えるティル。って相変わらず好きですね、クサイチゴ。

「こら! ユータを離しなさい!」

 アニキに向かって怒鳴り散らすティルに、俺は忠告の声を張り上げた。

「来るな、バカ! 死ぬぞ!」と叫んだ刹那!

 ノーラが足を踏み出し、怒りとともに木剣を振るった。

「奥義! 真空絶後!」

 ヒュンッ! と鳴る風きり音に、俺は目をつむった。

 そよ風のように揺れる大気。

 ついに、誰かをやっちまったか。

 殺人を犯してしまっては、どんなに正当な理由があっても許されるはずはない。人柄の良いノーラだけに、悔やんでも悔やみきれない。と目を開ければ……アニキやサルを含め、誰もが「?」となっていた。

 カマイタチによる被害はなし。もしかして奥義が不発したのか?

 と思った矢先、目の前のアニキとサルの衣服が音もなく粉砕し、ついでにサル男のチョンマゲも地に落ちた。

「なにぃ!?」

 自身の身になにが起きたのかわからないまま、俺を放り出し、アニキとサルが裸同然の体をまさぐっていた。

「な、なにが、どうなってんだ?」

 理解が追いつかないアニキたち。

 そりゃそうだろう。離れた場所から木剣でもって、相手を傷つけることなく服だけを切ったのだから。むしろ、このカマイタチを受けて驚かないほうが、どうかしているだろう。

 と奥義を発動した当人を見れば

「外したか……」と狂気を瞳に宿したまま、アニキたちに歩み寄るノーラ。そして裸のアニキに向かって剣先を向けた。

「今度こそ、間違いなく仕留めてやる」

「やめろ! バカたれ!」

 常軌を逸した発言に驚かされ、反射的にノーラの頭をひっぱたいた。

「痛っ!」

 一瞬にして我を取り戻し、頭を抱えてうずくまるノーラ。

「痛いじゃないか、ユータオー」

 わりかし本気で殴ったからな。タンコブができていても、恨むなよ。まぁ、なにはともあれ、とりあえず正気に戻ってよかった。

「女! いったい何をしやがった?」

 大勢の前で素っ裸にされたアニキが、ノーラを恨めしそうに睨んでいた。

「今のは、我が道場に伝わる奥義であって……」

 素に戻って説明を始めるノーラの言葉を遮り、代わりに俺が言う。

「運がよかったな、おまえら。もしノーラが本気を出してたら瞬きする間もなく、あの世行きだったぞ」

 と、ここぞとばかりにハッタリをかましてみせた。

「これに懲りたら、二度とでかい顔をして街を歩くな。もし、同じことをしたら、今度こそ命の保障はないからな」

 俺の脅す警告に、アニキたちは震え上がり

「へ、へい! もう、しません! しませんから勘弁してください!」

 裸で逃げ出すアニキたちの背中を見やりながら、街の人たちがホッと胸を撫で下ろしていた。

 ふぅ、やれやれ。とりあえず、これにて一件落着といったところか。

 問題は、今後におけるアニキたちの報復だが……まぁ、あれだけ脅したのだから当面は安心だろう。

 ちなみに後日談だが、この日を境にアニキたちは借りてきた猫のようにおとなしくなったというのだから、脅しの効果があったと思っていいだろう。



 数日後……。

 仕事を終え、目抜き通りで落ち合ったティルとともに、道場に立ち寄れば、活気づいた掛け声が敷地内を賑わせていた。

「脇が甘い! もっと脇を締めろ!」

「はい!」

 汗を流して、懸命に素振りを繰り返す新門下生たち。

 街の噂で耳にはしていたが、まさか本当にノーラの道場に入門希望者がいたとはな。

 きっとアニキたちを撃退した武勇伝が、門下生たちの心を掴んだのだろう。

「剣筋が乱れてるぞ! もっと集中しろ!」

「はい!」

 師範であるノーラの指摘に、門下生たちも気合いを入れる。

 そんなお兄ちゃんお姉ちゃんに混じって、イーノも汗を流していた。

「えい! えい! えい!」

 うーん、健気でカワイイな。思わず、声援を送りたくなっちまう。と縁側からティルと一緒になって高みの見物を決め込んでいると

「おや、ユータオーじゃないか」

 姉の声に、イーノが素振りをやめて俺のもとへと駆け寄ってきた。

「こんにちは、おにーたん」

「こんにちは、イーノ。小さいのに頑張ってるね」

 イーノの元気な挨拶。そんな健気で元気な妹の頭を撫でていると、今度は門下生たちが詰め寄ってきた。

「お疲れさまです! 先輩!」

 部活動特有の挨拶に、万年帰宅部だった俺は困惑の色を隠せなかった。

「先輩? なんで俺が先輩なの?」

「みんなより早く入門したのだから、当然だろ」

 腕組みをして頷くノーラ。いやいや。たまたま泣きつかれて、人道的支援として入門しただけなんですけど。

 こりゃ、辞めるにも辞められなくなってしまったぞ。

 もし、この場で辞めると申し出れば、新門下生たちからの道場における信用を疑われるだろうし、それが原因で門下生が辞めていってしまってはノーラ姉妹が再び路頭に迷うことになってしまう。

 こりゃ、しばらく在籍してないとダメだな。

「そういうことだから、これからもみんなの模範になるよう頼んだぞ。先輩」

 と笑って期待するノーラ師範に

「毎日はムリだけど一応、頑張ってみるよ」と答えるしかなかった。

「良かったね、ユータ先輩」

 隣で嬉しそうに冷やかすティル。なんだか楽しそうですね。

 でも、俺が参加することによってノーラたちが幸せなら、それでもいいか。

「しかし、どんな形であれ奥義が体得できて良かったな」

 素振りを再開した門下生たちを横目に、耳打ちをすれば

「ぃや、実は……ゴニョゴニョ……」

 どうした? なんか、急に歯切れが悪くなったぞ。しかも、なぜ、うつむき加減で視線をそらす?

「まさか……」

 おもむろに尻尾を振って、恥ずかしそうに頷く師範。

「ユータオーだけには教えておくが、あのあと1回も出せてないのだ」

 マジかよ。つまり、あの時はマグレの一発だったと。

 しかし、ノーラは顔を上げて言った。

「奥義たるもの、そう簡単にポンポン出していたら、ありがたみも薄れるからこれで丁度いいのかもしれん」

 焦らんでも、そのうち使えるようになるだろう。と笑い飛ばすノーラ。

 そんな彼女のポジティブさに、思わず俺も笑ってしまった。

「じゃあ、俺も門下生らしく稽古に励むとするかな」

 と俺はティルに上着を預け、木剣を握った。


【おしまい】

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る