■5■乱れるジェンダー

「邪魔するぜ、にーちゃん」

 【灯火亭】のテラスで昼食をとっていた俺たちのテーブルに、イカつい顔をしたおっさんがやってきた。

 恰幅の良い体格と、頬にざっくり残る深い傷跡。

 パリッと仕立てた着衣と、金色に輝くアクセサリーの数々。

 顎をしゃくりあげて睨む視線と横柄な態度。

 加えて、背後に立つガラの悪そうな付き人がふたり。

 俺の知る限り、この存在感は普通の一般人ではない。

 そうなると選択肢はただひとつ。

「あ……いま、どきますんで」

 半殺しにされる前に、こんにゃくポテトサンドと果実ドリンクを持ってテーブルを空けようとしたのだが

「どこ行くの、ユータ?」とティルに引き止められた。

「いや、どこって。別の席に移ろうかと」

「なんで?」

 不思議そうに訊ねるティルに、俺は眉間にしわを寄せた。

 こんな強面のおっさんの前で本当のことが言えるわけがない。だって、どっからどう見ても関わってはいけない業種の人なのだから。なのに、どうしてそれがわからないのだろうか。

「わたしたちが先に席についてたんだから、どかなくてもいいんじゃない?」

 流石、ドラゴンクォーター。

 ならず者の有翼獣人同様、相手が誰であろうと物怖じしないのは褒めてあげたい。

「ねーちゃんの言うとおりだ。まぁ取りあえず遠慮せずに飯続けろや、にぃーちゃん」

 そう言って、付き人が引く椅子に腰掛けるおっさん。

 もう一挙一動が怖すぎる。

 はむはむとサンドを食べ続けるティルと、その隣で凶悪な視線を投げつけてくるおっさん。正直、喉に飯が通らん。

「ところでにぃーちゃん。巷で聞いた話なんだが、なんでも金に困ってるらしいじゃねぇか?」

 生活費のために今日まで街のあっちこっちで、みみっちいバイトで小銭を稼いできたけれど……まさか、こんな危ない人に目をつけられるとは。

 って言うか、いちいち顎をしゃくらないと喋れないのか、この人は。

「いえ、別に……お金には、こ、困ってないです」

 路頭に迷い、のたれ死寸前だとしても、この人が持ちかけてきた話に乗っかってはダメだ。と思っていた矢先

「うん、困ってるよ」

 ティルさん……目の前のサンドばかり見てないで、そこは相手の素性を見極めて発言しようよ。

「ほぉ。やはり、そうか」

 おっさんの瞳が怪しい光を放った。

「だったら、いい稼ぎがあるぞ」

 臓器を売れと言いたげな表情。こりゃ、ヤバイ人種に絡まれたぞ。

 すると、おっさんは拳銃に見立てた右手の人差し指を、俺の眉間に向けていう。

「なぁに、簡単なことよ。奴らを、仕留めてくれるだけでいい」

「へっ?」

 つまり誰かを殺せと。ハッキリ言ってゴロつきアニキよりもタチが悪いぞ、このおっさん。

「もちろん報酬はたんまり弾ませてもらうぜ。なぁ、頼まれてくんねぇか?」

 なにもかもおかしいだろ、この世界。異世界って、こんな危なっかしい連中ばっかりなのか。

「それで、誰を仕留めればいいの?」

 と狼狽えることなくクサイチゴドリンクをストローですするティル。……て言うか、なんで勝手に話を進めるの?

「じつはな、最近、ワシの許可なしに西の森で縄張りを作り始めた不届きな輩がおってな」

 と、おっさんがドス黒いオーラを放ち始めたときだった。

「その前にクサイチゴドリンクのおかわり、頼んでいい?」

 その緊張感のないマイペースっぷりに、俺とおっさんは黙って頷いた。



「あれがヤツの縄張りだ」

 ボディーガードを務める若いふたりを引き連れ、おっさんの案内のもと、たどり着いた場所は小高い山の中腹だった。

 50メートル先にある大きな岩に、蜂の巣のようなものがへばりついていた。

「普通の蜂の巣にしか見えませんけど」

「あぁ、見かけはな。しかし、タダの蜂なんかじゃねぇ」

 若手ふたりとともに、岩場に身を潜めて前方の巣を睨むおっさん。

「見てのとおり、世にも珍しいジェンダビーだ」

「ふーん。ようするにアレを駆除すればいいんですね」

「バカヤロー! 金儲けになる獲物を駆除してどうする!」

「じゃあ、どうするんですか?」

「バカか、てめぇは! 生け捕りにするに決まってんだろうが!」

 張り上げたおっさんの声に気づき、巣から一匹の蜂が現れた。

 見た目はスズメバチ風だが、大きさがヤバかった。大根サイズの巨体に加え、毒々しい紫と緑色の縞模様。気持ちの悪いサイケデリックカラー。どっからどう見ても、危険な香りしかしない。

「やっぱり、やめませんか?」

 俺が中止することを進言すると、またもやおっさんが叫んだ。

「バカヤロー! ここまで来て引き下がれるか!」

「いや、しかし……」

「いいか。さっきも話したが、アレは非常にレアな蜂だ。そんなお宝を目の前にして、オメオメ帰れると思うか?」

「まぁ、わからなくはないですけど」と俺は飯屋での説明を思い出した。

 学名【ジェンダビー】

 その蜂に刺された者は、数時間のうちに性転換してしまうという、恐ろしくも楽しそうな攻撃能力を備えていたのだ。

 繁殖時期は今頃のような春陽気。

 メスが岩場に巣を作り、まき散らすフェロモンに誘われてきたオスと交尾をするらしい。

「にーちゃん。まさか、今さら怖じ気づいたんじゃねぇだろうなぁ?」

 するとティルが余計な一言を放った。

「お金のためなら、ユータはなんでもやるよ」

 日頃から「金がほしい」「金さえあったらなぁ」とぼやいていたからな……否定はしないよ。けど、それも時と相手によりけりだ。

「ちなみになんですけど、刺される確率は?」

「安心しろ。過去の参考文献によれば、刺される確率は50パーセントだ」

 つまり、それって運任せですよね。

「大丈夫だ。刺されても女になるだけで、死にやしない」

「アナフィラキシーショックとかはないんですか?」

「穴降らしショック? なんだ、そりゃ?」

 どうやら、薬物などにおけるアレルギーショックのことは知らないらしい。

「簡単に言うと一種のアレルギー反応でして、場合によってはショック死する可能性があるわけで」

「バカヤロー! そんなもんが怖くてヤツと闘えるか!」

 怒り任せに立ち上がるおっさん。その瞬間、迫る羽音とともにジェンダビーがおっさんの首筋に針を打ち込んだ。

「あ……」と倒れ込むおっさんに、ボディーガードたちが反撃にでた。

「この野郎! よくも親分を!」「親分の仇は取らせてもらうぜ!」

 剣の如く、素早く背中から網を引き抜いて応戦するボディーガードふたり。しかし、目にもとまらぬ早さでふたりに針を突き刺すジェンダビー。

「くっ!」「痛っ!」

 苦悶の声を漏らして倒れる男たちを見て、俺は咄嗟にジェンダビーの習性を見極めた。

「もしかして……」

 俺は腰を屈めると、ティルに向けて人差し指を口元に立てた。

「いいか。絶対に大きな声を出してはダメだからな」

「なんで?」

「たぶんだけど、ジェンダビーは大きな音や突発的な挙動に敏感なんだと思う」

「あー、いるよね。そういう生き物」

 俺の推測に、笑って同意するティル。って、声がでかいって!

「ごめん。それで、どうするの?」

 声を潜めたティルに、俺も小声で囁いた。

「この依頼、受けなかったことにしよう」

「そうなると依頼料なくなっちゃうよ」

 そう言われ、俺はもう一度、提示された依頼料とリスクを天秤にかけた。性転換を真剣に考える性同一性障害者にとっては願ったり叶ったりだろう。しかし、男として育ってきた俺にとっては不本意なことであり、もちろんそれはティルも同意見らしく

「そうね。どちらかと言えば、わたしも女の子のままのほうがいいかなぁ」

 だよね。ティルは女の子のままでいたほうが、いいに決まってる。

「とりあえず、このままジッとしてジェンダビーが巣に戻るまで待とう」

 上空で周囲を警戒するジェンダビーに、俺たちは息を殺して身を潜めた。


 十数分における無言の根気比べ。

 すると、待った甲斐あってか、ジェンダビーが遠退いていく。

「いいか、ティル。ヤツが巣に戻るのを見計らって逃げるぞ」

「うん。でもユータ、その前に……おしっこしたいんだけど」

「は?」

 さっきから、妙にモジモジしてると思ってたけど、まさかこのタイミングで生理現象を訴えてくるとは。そもそも美少女が言うセリフじゃないし、漏らしても言ってはならない。

「だいたい飲みすぎなんだって」

「だって、あのクサイチゴドリンク、美味しかったんだもん」

 まぁ、確かに美味しかったよな。でも時と場所をわきまえてほしかった。

「もう少しだけ、我慢できる?」

「ううん、ムリ……」

 泣きそうな顔をしてモジモジと身をよじるティル。どうやらガマンの限界のようだ。

「わかったよ、行ってきな。くれぐれもジェンダビーに見つからないようにね」

「うん」とティルは健気に頷くと、近くの草むらへと向かい

「覗いちゃダメだからね」と顔を赤らめ、茂みの奥へと入っていった。

 強面のおっさんに比べて、やることなすことすべてがカワイすぎる。と、ジェンダビーの毒牙を喰らってうつ伏せ状態のおっさんたちに目を向ければ

「うーん……」と意識を取り戻し、上半身を起こすおっさん。そこで俺は信じがたいものを目にした。

「えっ、マジ?」

 同時におっさんが自分の胸を掴んだ。

「なんじゃ、こりゃ? ワシの胸に乳が生えてんぞ!」

 さらに股間をまさぐり、頬を引きつらせた。

「ワシの大事なタマが……タマが、のぉなっとるがな!」

 まさかのTS。聞いた話では症状が出るのは数時間後のはず。それがどうして、わずか20分足らずで女体化してるのか。

「ワシに訊かれても知らんがな」

 ザルすぎる文献情報。おっさん……もとい、おばちゃん……そこはもう少し考えようよ。というよりも、おばちゃん声になっても、しゃくり上げて喋る癖はそのままなんですね。

 と同じタイミングで目を覚ましたボディーガードたちも、自身の異変に動揺を隠せないでいる。

「なに、これぇ?」「どうしよう、女になっちゃってる」

 なぜか、おばちゃんとは違い、こちらは早くも順応していた。

「おのれぇ、ジェンダビー!絶対に許さへんでぇ!」

 網を握り持ち、いきり立つおっさんことおばちゃん。どうでもいいことだけど肩から下げた虫カゴがシュールすぎる。

「こんなこともあろうかと、用意したものがここにある!おい、例のモノを出せ!」

 おばちゃんの号令で、ボディーガードのねーちゃんが果樹の実を差し出した。

「見ろ!おまえの好物のクサイチゴの実や!これで罠仕掛けて、おまえを生け捕りにしてやる!」

 実を天高く持ち上げ、カカカッと勝ち誇るおばちゃんとボディーガードのおねえさんたち。見れば、蜂相手に完全に目がイッていた。

「これで、おまえの負けじゃ!ハッハッハ……」

 プスッ!

 間髪入れずに、ジェンダビーに一突きされてぶっ倒れるおばちゃんとボディーガードたち。客観的に見て、ジェンダビーのほうが知性的に見えるのは気のせいだろうか。

 どちらにしても、こんなアホな連中の巻き添えはゴメンだ。と静かに腰を持ち上げた瞬間、草むらの向こうからティルの悲鳴が。

「ユータァァァ!」

「今度はなんだ?」と目を向ければ、膝まで下げたズボンと下着の裾を持ち上げ、半ベソになって逃げてくるティル。もうポンコツにカワイイ。が……

「ん?」

 見れば、紫色の小バチの大群がティルを追っかけていた。

「なんだ、あれ?」

 すると倒れていたおばちゃんが、なけなしの力を振り絞って言う。

「文献によれば……オスのジェンダビーだ。おそらく……娘の尿の匂いに釣られて集まってきたに違ぇねぇ」

 あぁ、クサイチゴの匂いか。今度から、森に入るときはクサイチゴを飲むのを控えよう。

「どうにかしてぇ、ユータァァア!」

 助けを求めて全力疾走してくるティル。

「待て待て! 群がるオスを引き連れて、こっちに来るんじゃないってば!」

「ユータァァァア!」

「ちっ、しょうがねぇな。ここは俺に任せろ!」

 とカッコ良く決める俺だったが、群れなす紫色の塊におののいた。

「やっぱ、ムリ!」と逃げる俺の後に続くティルとジェンダビーの群。そして

 プスッ!

 ジェンダビーのオスが、ティルのお尻に針を打ち込んだ。

「いやーーー!」

 振り向けば、ティルがパンツ半脱ぎ状態でお尻を押さえていた。

「もう……お嫁さんになれなくなっちゃったぁ」

 ワナワナと肩を振るわせ、涙目になるティル。そして憎悪を瞳に宿し、群れなすオスを見上げた。

「許さなぃ……。絶対に許さないんだからぁ」

 刹那、ティルの口から炎が放射された。

 吹き荒れる灼熱の劫火が、ジェンダビーのオスたちを一瞬にして消し炭にし、同時にその場にヘタレこんで泣き出すティル。

「ふぇーん……」

 子供のようなギャン泣き。女の子として生きてきた人生。しかし、これからは男として生きていかなければならないのだから、泣きたくもなるだろう。

 もう不憫すぎて、俺も泣けてきた。

「俺がついててやるから、気の済むまで泣きな」

 そう言って俺はしゃくりあげる彼女……いや、彼を抱きしめた。



 それから数日後……。

 いつものように【灯火亭】で昼食をしていたところへ、付き人を従えたおばちゃんがやってきた。

「先日は世話になったわね」

 とテーブル向こう側に座るおばちゃん。仕草がオカマ……じゃなくって、女らしくなっているのは気のせいだろうか?

「それで、これは約束の報酬よ」

 そう言って、小さな紙包みをテーブルに置くおばちゃん。

 それを広げて見れば、銀色の硬貨5枚と1枚の黄金色の硬貨があった。

「いいんですか。こんなにもらって」

「それだけの働きをしたんだもの。当然でしょ」と微笑むおばちゃん。

 あの後、オスたちを根絶やしにしてしまったことにより、ジェンダビーのメスはオスを求めてあっちうろうろ、こっちうろうろとしていた。そしてパートナー探しに疲れたところを見計らって俺が捕獲したのだ。

「それに、その娘がいなかったらジェンダビーを捕まえることができなかったし」

「えへへ」とデザートフォークを咥えて嬉しそうに笑うティル。

 いつものカワイイ笑顔。

 ちなみに、あの一件がトラウマとなり、ティルはクサイチゴドリンクを控えるようになったのだが

「マスター。これ、おかわりー」

 代わりに【タップリあまあまクサイチゴタルト】なるモノを食していた。

 流石は女の子。きっと、デザートは別腹扱いなのだろう。

 あとで聞かされた文献資料の話では、性転換を発症させるのはメスだけで、オスにはそのような特殊能力は備わっていないらしい。結果、ティルは男の子にならずに済んだのだ。

「ちなみに、ジェンダビーはいくらで売れたんですか?」

 闇の医療機関に売るということを聞かされていただけに売値が気になるところなのだが

「企業秘密よ」と怪しくほくそ笑むおばちゃん。うーん、やっぱり教えてはくれないか。

 ともあれ依頼者の性転換以外は、すべて解決といったところか。

 と、そこでおばちゃんが言う。

「ところで相談といってはなんだけど、今度は幻の鳥【シシルイルイ】の捕獲を手伝ってはくれないかしら?」

 懲りないな、この人も……。

「死んでもやりません!」と俺は力いっぱい断った。


【おしまい】

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