■完■エピローグ【異世界編】

 代わり映えしない長閑な景色を懐かしみながら、俺は街道を歩いていた。

「相変わらず空が広いなぁ」

 先生の計らいにより、俺は2度目の異世界訪問を満喫していた。

 約1年半ぶりの異世界。だが、ウラシマ効果によりこちらの時間はゆうに30年が経過していた。

 そのためか、土くれだらけだった道は舗装され、道行く馬車の車輪はゴムタイヤのようなものに取って代わられていた。

「しばらく見ないうちに、ずいぶん進歩したんだな」

 想像より文明が進んでいたことに、俺の中の異世界シンドロームが消えかけていく。

 しばらく行くと、目の前にアープロットの街が見えてきた。

 以前はなかったはずの砦。

 しばらくこなかっただけで、こんなにも変わるものなのか?

 と俺は槍を持った門衛さんに会釈をして街の中へ入った。

「見たところ、街はそれほど変わってないな」

 記憶と変わらない街並みに、俺は胸をなで下ろし、思い出を追うように歩を進めた。

 最初に向かったのは、ティルと初めて会った露店街だった。

 旅の原点となった場所。多少、露店の扱う品々は変わっているものの、活気は昔となんら変わりはなかった。

「おばちゃん、クサイチゴジュースひとつ」

「あいよ! ん、アンタ……どこかで見た顔だね?」

 いや、俺はまったく知らないけど?

「気のせいかね。ほい、クサイチゴジュース」

「ありがと」と俺は慣れた手つきで小銭を渡し、紙コップに入ったジュースを受け取った。っていうか、昔に比べて物価が上がってないか? というよりも……なぜ、紙コップ?

 以前は果実の頭をぎ落としたモノだったはずなのだが。

 懐かしいクサイチゴを飲みながら、コップをクルクル回して観察して見れば、どうやら薄い木の皮を糊付けした容器らしい。

 うーん……たった30年で、こんなにも生活環境が変わるものなのだろうか?

 と時の流れを受け止めきれず、半信半疑のまま噴水広場に向かってみたりする。

「懐かしいなぁ」

 初日から迷える子羊となった俺に、ティルが手を差し伸べてくれた思い出の場所。今思えば、なんとも情けないきっかけだ。

「あれ? こんなんだっけ?」

 なぜか噴水の形と彫刻像が変わっていた。

 取り壊して、新しくしたのかな?

 周囲を見渡せば、ところどころの建物が新しいものに取って代わられていた。そんな言い知れぬ違和感に、俺は少しだけ不安になった。

「もしかして、ここは違う世界線の異世界なのでは?」

 街の風景と自分の記憶を照らし合わせながら自問自答を繰り返していくうちに、わずかだった不安が大きな恐怖へと変わっていった。

「どうする?」

 もし違う世界なら、急いで帰郷チケットを使って保健室に戻る必要があったからだ。

「確認のため、あそこに行ってみるか」と俺は、生活拠点となった知人宅へと走った。


「あった!」

 変わりばえしない屋敷の門前に、俺は本気の本気で胸をなでおろした。

 耳を澄ませば、屋敷内から門下生たちによる稽古の声が聞こえる。

「ノーラって、まだいるのかな?」と垣根の陰から屋敷を覗こうとした瞬間、背後から男の声が飛んできた。

「何者だ、キサマ!」

 驚いて振り向けば、ノーラそっくりの若者が木剣片手に立っていた。

 まさかと思うが、ここって、知り合いの性別が逆転している世界じゃないよな?

「見るからに怪しいヤツだな。さてはキサマ、スリリット魔王軍の生き残りだな!」

 はぁぁぁあ! 初対面に向かって、いきなりなにを言い出すんだ、コイツは!

「いや、違う違う! 俺は怪しいもんじゃない!」と慌ててホールドアップする俺。って、そもそも魔王軍ってなに?

「なら、証拠を見せてみろ!」

 なんだろう。この妙なテンポとダイレクトな思考……まるで、どっかの誰かさんに似ているのは気のせいか?

「証拠? 証拠となるようなものは……ない」

 魔改造されたスマホにノーラの写真が残ってはいるものの、迂闊に異界の電子機器を見せるわけにもいかず、また見せたところで証拠と呼べるシロモノではない。

「ますますもって、怪しいヤツだな」とジロリと睨む若者に、俺は必死になって弁解した。

「本当に違うんだ。信じてくれ! 俺は、ただノーラに会いに来ただけなんだ」

「ノーラだと? キサマ、うちの母に恨みでもあるのかぁ!」

 一瞬にして、俺の鼻先に剣先が向けられた。同時に、この若者がノーラの息子であることを悟った。にしても、この短絡思考は筋金入りの母親譲りだな。

「頼むから、落ち着いて聞いてくれ。俺の名前はマキシマユータロウ。そうノーラに伝えてくれればわかるはずはすだ」

「マキシ……マムユータオーだと?」

 なんとも懐かしい響きだなぁ。

「キサマが?」と疑わしそうに眉をつり上げる息子。そして

「母の友人の名を語るとは、不届きなヤツめ!」と木剣を振り上げる息子。

 やっぱりダメだ……コイツ。

 頭上から降ってきた木剣を紙一重でかわし、絡みとった腕を関節技でもって締め上げた。

「うっ! キサマ……」

「威勢のわりにはノーラの足下にも及ばないな」と俺が格好よく気取ってみせると

「くっ、母を侮辱するな!」

 おまえが侮辱されてんだよ。と足掻く相手に対し、俺は手を緩めずにいった。

「そういう台詞はノーラを越えてから言え。それで、おまえのかーちゃんは、今どこにいる?」

「死んだ者の名を語るヤツに、教える義理はない」

 あ、そうか。みんな、俺が死んだのかと思っているのか。まぁ、一度は死んでるから嘘じゃないんだけどな。

 というか、いつまでもコイツの押し問答につきあっているほど暇じゃないんだけど。うーん、困ったなぁ。

「じゃあ、イーノは?」

「キサマァァア! 叔母さんまでたぶらかすつもりかぁぁあ!」

 ガチでコイツのアタマを叩いていいかな? とそこへ

「えっ、ウソ。おにーちゃん?」

 と買い物かごを下げた面識のないおばさんが道端に立ち尽くし、驚いた様子で俺たちのことを見ていた。

 って、いうか誰? このおばちゃん?

「イーノ叔母さん! コイツ、母さんの友人の名を語る不届き……」「このおバカ!」

 イーノ叔母さんは甥っ子が落とした木剣を拾うと、フルスイングで甥っ子の尻にケツバットをかました。

 同時に木剣を放り出し、俺の体をペタペタ触りまくるイーノおばさん。

「ユータおにーちゃんよね? 幽霊じゃないわよね?」

「一応、生きてます」と、なぜか敬語になってしまった。

「痛ぇなぁ。なんなんだよ? なんで俺がひっぱたかれなきゃいけないんだよ」

 愚痴をこぼしながらお尻を押さえる甥っ子には目もくれず

「おにーちゃん、早く早く。早く家にあがって」

 と俺はイーノに手を引かれるがまま屋敷に連れ込まれた。



「そう……そんなことがあったの」

 懐かしい居間に通され、出されたお茶を飲みながら、俺はこれまでの経緯をイーノに話した。

「おにーちゃんも大変だったね」

「まぁ、それなりに。で、それよりイーノ……じゃなくてイーノおばさんたちのほうはどうですか?」

「年寄りくさいから敬語はやめてよ。昔みたいにイーノでいいわよ」

 といっても、俺の母親と同い年くらいなんですけど。どちらにしてもイーノの中の俺はいつまでも「おにーたん」のままらしい。

「じゃあ、イーノで。それで、こっちの世界はどうなってんだ? 街に入るとき、城壁みたいなのが築かれてたけど?」

「それがねぇ」とほんの少しだけイーノの表情が曇った。

 黙って話を聞けば、なんでも俺がいなくなったあと、遠方のスリリット魔王軍が攻めてきたらしいのだ。そして5年以上に及ぶ戦争の末、事実上の勝利を収めて現在に至るらしい。あの砦は、そのときの名残だそうだ。

「今はすっかり落ち着いてるけれど、当時は大変だったのよ。知ってると思うけど、ねーさんもあの性格でしょ。もう、てんわやんわだったんだから」

 あぁ……なんか、わかる気がする。

 そんなノーラも戦争終結後に結婚し、ふたりの子供を授かったらしい。さっきの甥っ子とお茶を煎れてくれた娘が、その子供たちだ。ちなみに娘のほうはノーラと違って、お淑やかで人見知りする美少女。それでもって、この道場の三代目師範だというのだから驚きだ。

 なお、これは余談だがふたりの父親は10年前に門下生の女性と逃避行したらしい。

「イーノは結婚してないのか?」と聞けば、残念ながら未婚とのこと。代わりに、幼少の頃に培った商業経験を生かし、20代で保険会社を起業して胴元の座に就いたらしい。

「そんなことより、おにーちゃん。今日はどうするの?」

 イーノに言われて窓の外を見れば、すでに日が傾いていた。まぁ、30年分の話だ。いくら話をしたところでネタは尽きやしない。

「じきにねーさんも学院から戻ってくるから、泊まってけば?」

「学院?」

「うん。おにーちゃんがいなくなってから、ねーさん、ミトーレ学院の理事長になったんだよ」

 聞けば、新制度である教職の資格を取得し、理事長までのぼりつめたらしい。

「道場経営に加えて、子育てと教員でしょ……それだけに、わたしたちも大変だったんだから」

 イーノの愚痴から察するに、息つく暇などない生活だったのだろう。

 とそこへ、タイミング良くノーラが帰宅し

「成仏できず、化けて出てきたか!」と腰に差していた剣に手を掛けるノーラ。

 まったく、いくつになっても変わらないな、おまえは。

 とりあえず挨拶代わりに、ちょっとだけ老けたノーラの頭にチョップをお見舞いしてやった。


 翌日。

「さて、参ろうか!」

 朝食を終え、腰に剣を差して立ち上がるノーラかーちゃん。

 俺との再会を喜び、夜遅くまで騒いでいたはずなのに……この元気は、いったいどこから湧いてくるのだろうか。

 すると俺の後ろを歩いていたノーラの娘がいう。

「きっと、ユータオーさんと会えたのが嬉しいんだと思いますよ」

 慎ましい物腰。この母親とは似ても似つかないほど淑やかな子だ。

「チッ、なんで俺まで付きあわなきゃ、なんねぇんだよ」

 息子は息子で、母親以上に捻くれまくってるな。

「それでユータオー。まっすく農場へ向かうか?」

「いや、とりあえず街を散策してからにしよう。それとついでに昼食の弁当も買っておこう」

「うむ。それがいい」と頷くノーラ。

 そして見覚えのある目抜き通りを抜け、市場へと向かう道中、俺は気になることを口にした。

「なぁ、ノーラ。みんながおまえのことを畏敬いけいの目で見てるんだが……おまえ、この30年の間になにかやらかしたの?」

 若い人はともかく、会釈する年配の人や手を合わせて拝むお年寄りがいたのだ。

「いや、特になにも」

「だったら、なんでみんながおまえを崇めてるんだよ?」

 すると息子がしゃしゃり出てきた。

「ふっ。うちの母さんはなぁ、おまえと違って街の人から慕われる存在なのさ」

 いや、おまえに聞いてないから。

「そんな大したことじゃない。15年ほど前に、長年務めた町長を失脚させただけだ」

 もしかして、俺がいたときに当選したおばちゃん町長のことか?

「そうだ。あれは終戦後からだったかなぁ、毎年増税を強いるようになってな。明日の生活もままならなくなり、支払いも滞るところへもって、強引な差押えまでするようになっていたんだ」

 そりゃ、大変だな。

「それで門下生を連れて役所に押しかけ、町長の座から引きずりおろし、新たなる町長を推薦して税金を安くしたまでだ。ただ、それだけの話だ」

 おまえはジャンヌ・ダルクか……。

 とは言え、とんでもない話だな。細かい情景が浮かばないが……それって、もしかして反逆クーデターなのでは?

「さぁ、どうだろうな。それ以来、なぜか街の人たちから礼を言われるようになったのは違いないな」

 自覚のないやらかし。しかも改革までしたというのだから、俺の住む増税世界とは大違いだ。

「どうだ、凄ぇだろ。うちの母さんは」と威張る息子。

 こっちはこっちで、自覚のないマザコンらしいな。

「そんな自慢のかーちゃんだけどな、ノーラは昔、大事なイーノのお金を無くしたと勘違いして、俺に泣きついたことがあったんだぞ」

 と俺にとって最近の秘話を告げた瞬間、グッと年甲斐もなく恥ずかしがるノーラかーちゃん。その姿を見て、ふたりの子供が信じられないとばかりに目を丸くしていた。

「ユータオー。子供たちの前で、そんな大昔の話をするのはやめてくれ」

「姉妹愛あふれる感動的な話なんだから、いいじゃないか」

 息子はともかく、娘のほうはクスクス笑っていた。

 そんな感じで会話を交わしながら、街を散策する俺たちだったが

「あれ? あそこって、確かリシャンの店じゃなかったっけ?」

 かつてあった魔法具店は本屋にとって代わり、その店の前に長蛇の列ができていた。

「もしかして廃業したのか?」

「あぁ、あの魔法屋なら、今は法力省に勤めているはずだぞ」

 へっ? あのリシャンが?

「あぁ。人からの又聞きだが、なんでも法力学の偉い先生になったとか」

 へぇー、ずいぶんと出世したもんだな。と感心していると本屋の前でサイン会をしていた作者らしき人物が顔を上げた。

「ユータさん……もしかしてユータさんですか?」

「誰、アレ?」と首を傾げていると、ノーラが眉根を寄せた。

「誰って、パルバールだろ。なんだ、もしかして知り合いの顔も忘れたのか?」

「パルバール? って、あの自称文学少女のパルか?」

「だから、そう言ってるだろ」と呆れるノーラかーちゃん。とそこへ、パルが椅子を蹴り上げ、萌え袖を振りながら俺のもとへと走ってきた。

「ユータさん、ユータさんですよね?」

 この食いつきようは、確かに俺の知っているパルだった。

 とは言え、これから半日の道のりをかけて出かけるのだ。その長い道中、パルおばちゃんに付きまとわれて30年分の話を聞かされるのは、正直ウザくてしょうがない。

「いえ、たぶん人違いです」

「えっ、ユータオーじゃないのか?」と驚くノーラ。

 って、一晩一緒に過ごしたおまえが、それを言うのはおかしいだろ。

「ユータさん、生きてたんですねぇ」と抱きついてくるパルおばちゃん。そのハグに俺もしらばっくれることをやめた。

「それでパルおばちゃんは、ここでなにを……」

「おばちゃんはやめてください! って、いうか、まだ全然若いんですから」

「じゃあ、パルで。それでパルはここでなにしてるんだ?」

 するとパルは店先の簡易テーブルに戻り、積み上げていた本から1冊を抜き出してきた。

「新刊発行記念のサイン会をしてました」

「新刊って……まさか」

「はい。ユータさんが死んだ後、本を出しまして」

 間違っちゃいないけど、死んだは余計だろ。

「そのおかげで人気作家になりました」と、ほくほく顔で自慢するパル。

 聞けば、なんでも俺を主役とした物語が大当たりして売れっ子作家になったらしい。

 とそこへ、お付きの人と思われる女性がやってきて

「先生。あとがつっかえているので、仕事を優先してください」と所定の位置に連れ戻されていく。

 その姿を見ながら俺は「頑張れよぉ、先生ぇ」と泣きながらサインを続けるパルに別れを告げた。

「おまえみたいなヤツが、あの話の主人公だと? とても信じられねぇな」と鼻で笑う息子。もちろん相手にはしない。

「多少、脚色はあれど、あれの半分は本当のことだぞ」

 母の言葉に、流石のバカ息子も黙ってしまった。

「ちなみにその本って、どんな内容なんだ?」と聞けば、母の代わりに娘が答えてくれた。

「剣と魔法の冒険小説です。わたしとしては4冊目の【深淵の魔女】の友情物語りが好きです」

 まさかのシリーズ化!?

「へぇー、そんなに面白いの?」

「えぇ。それはもう凄いです。魔物の血を浴びながら主人公が血みどろになって戦う姿なんか、もうゾクゾクしちゃいます」と、恍惚こうこつとした目をして紅潮する娘。

 あ……なんだか、この子あぶなそう。

「そ、そうなんだ……」

「そうなんです。特に飛び散る内臓の描写なんか、それはもうたまりません」

 おい……友情どこいった?

「なぁ、ノーラ。子供に買い与える本は選ばなきゃダメだぞ」

「?」とノーラかーちゃんが不思議な顔をしていたのは言うまでもない。

 そんな感じで街を散策したのち、俺たちは昼食代わりの弁当を持参して半日がかりの旅に出た。


 農園までの道中、魔物らしき気配を感じたが、幸いなことに襲われることはなかった。

 もっもと山賊や魔物と出くわしたところで、こっちには剣術師範の二代目三代目親子がいるのだから、恐るるものはなにもない。

 ちなみに息子のほうだが男にしては珍しく、桁外れの法力を持っているとのことなのだが、残念なことに生活魔法以外は、からっきしとのことらしい。

 そんな会話を交わしながら、俺たちはノーラかーちゃんが務める学院を経由し、無事、ティル夫婦が営む農場に辿り着いた。

 小高い丘の麓に広がるクサイチゴ畑。

 その緑色豊かな農道を歩いていると、畑の中から5人の子供たちが飛び出してきた。

「最後に積んだヤツが、収穫小屋まで引っ張ってくんだぞ!」「おにいちゃん、ズルい! わたしのほうがカゴ大きいのにぃ!」「そうだよ。僕たちより力あるくせに卑怯だよ」「まったく、おにーちゃんは、いつだってそうなんだから」「お父さんに言いつけてやるからぁ」

 と農道脇に停めてある荷車に、収穫したばかりのクサイチゴを積んでいく子供たち。すると、そのうちのひとりが俺たちを見つけ、畑の中に向かって叫んだ。

「コカラねーちゃん、ノーラおばちゃんがきたー!」

 その幼い声に呼ばれ

「もぉ。おばちゃんじゃなく、理事長さんだって何度、言ったらわかるのよ」

 と生い茂った畑から、収穫道具を抱えた少女が現れた。

 その姿に、俺は思わず立ち尽くしてしまった。

「ティル……」

「?」と首を傾げる少女。

 俺の記憶の中にある瓜二つの美少女。

 それは30年前と、なんら変わることはなかった。

 するとノーラが笑った。

「ビックリしただろ。たぶん気づいていると思うが、この子はティルの娘だ」

「娘?」

 言われてみれば、どことなく雰囲気が違っていた。それになにより、ドラゴンの尻尾がない。

「こんにちは」と会釈するコカラに、俺は自己紹介を忘れたまま会釈で返した。

「コカラ。この人が、わたしたちの友人のユータオーだ」

「えー! この人が、あのユータさんなの!」

 母親譲りの大きな声。ほんとにリアクションまでティルそっくりだ。

「だぁれ? このおにーちゃん?」

 と興味津々とばかりに俺に群がってくる子供たち。

「ねぇねぇ、どこからきたの?」「あたしワースノッテ。ワースって呼んでいいよ」「おにいたん、クサイチゴ好き?」「ママのおともだちって、ホント?」

 押し寄せる子供たちの質問に、俺が対応しきれずにいるとコカラがパンパンと手を鳴らし、優しく一喝した。

「こらこらぁ。お客さまに失礼でしょう。それは後にして早く荷物を運ぶわよ」

「はーい」と一斉に返事をし、荷車を引き始める子供たち。そんなみんなを見守るコカラに、ノーラが訊く。

「あれからティルの容態はどうだ?」

「はい。ここ最近は食事も取れてますし、少しですけど家事も手伝ってくれてます」

 寂しげに答えるコカラに「そうか」と頷くノーラ。そのふたりの会話を聞いて、俺はノーラを呼び止めた。

「おい。ティルが病気だなんて一言も聞いてねぇぞ」

 結婚していることは昨夜の話で知ったけど、具合が悪いとは聞いてなかったからだ。

「早まるな、ユータオー。別に病気になってるわけじゃない」

「病気じゃない?」

「詳しい話はティル本人から聞くといい」

 病気でもないのに容態を訊ねるって、どういうことだ?

 意味がわからず、居ても立ってもいられなくなった俺は、子供たちと一緒になって荷車を押し始めた。



「こちらです」

 ティルの旦那さんに案内され、俺は夫婦の寝室にお邪魔した。

「ティル。珍しいお客さんが来てくれたよ」

 その声に反応するかのように、ベッドに横たわる婦人が顔を向けた。

「えっ……うそ……」

 俺を見るなり、婦人は驚き、瞳を潤ませて上半身を起こした。

「じゃあ、僕は収穫物の選別があるから、なにかあったら呼んでください」

「わたしたちも手伝おう」と、ノーラたちも旦那さんと一緒になって退室していった。

「この椅子使って」

 ベッド脇の丸椅子を薦められ、言われるがまま腰掛けた。

 母親と同年代くらいだろうか。俺の好きなティルは髪を切り、30年の月日を経て年相応のおばさんになっていた。それでいて、まだカワイイ面影を残したままなのだから、見とれずにはいられなかった。

「よく来てくれたね、ユータ」

 ティルは俺の手を掴むと、嬉しそうにベッドを弾ませた。

「元気してた?」

「うん。元気してたよ」

「そのわりには、浮かない顔してるね?」

「そうかな? そんなことないと思うよ」

「もしかして、カレンちゃんとケンカでもしたの?」

「いや、残念ながら華蓮とは、あっちの世界に戻ってからは会ってないんだ」

「えっ、付き合わなかったの?」

「うん……」

 本当は数ヶ月ほど付き合ったのだが、俺が異世界に想いをはせ続け、次第に疎遠となり自然消滅したのだ。

「そっかぁ。まぁ、それならしょうがないよね」

 昔と変わらない互いの会話。

 野営地で焚き火を囲んだ頃のように、強ばった俺の心がゆっくりゆっくりほぐれていく。

「まぁ、華蓮は華蓮で元気にやってんじゃないかな。それよりティルはどうしたの? どうしてベッドで横になってるんだよ」

 黙っていられず、勇気を奮って気になっていたことをズバリ聞いてみると

「あ、やっぱり気になる?」

「ノーラの話では病気じゃないって言ってたけど」

 するとティルは毛布の裾からドラゴンの尻尾を出し

「ねぇねぇ、見て。若い頃に比べて鱗が痩せてるのわかる?」

 確かに昔に比べて艶もなく、いくぶん細くなっている気はするけど

「どうしたんだ? もしかして、シシルイルイのときの後遺症か?」

 するとティルは静かに首を横に降った。

「ううん、違うの……寿命なの」

 その告知に、頭の中が真っ白になった。

 目元に浮かぶ細かい笑い皺。それでも30年という月日を重ねたくらいで、なにも変わってないはずなのに……なぜ……

「嘘だよな?」

 病気と言ってくれたほうが、まだマシだし、納得もできただろう。なのにどうして……

「寿命ってなんだよ! そんなはずないだろ!」

 荒げる声に、ティルは動揺することなく俺の手を握った。

「落ち着いて、わたしの話を聞いて」

 なだめる言葉に、俺は黙ってティルの話に耳を傾けた。

 俺が元の世界に戻ってから、ティルは再び父親探しの旅を始めたそうだ。そして西の地で父親と無事再会を果たし、他界した母のことを伝えたらしい。

 だが、それから1ヶ月後……父親も母親の後を追うようにして亡くなったそうだ。

 そのときの父親の年齢は72歳。この世界における一般的な平均寿命での往生だった。

 父親から聞かされた話によれば、ティルたちのドラゴン種族における寿命は約150~200年。それを証明するかのようにドラゴンハーフである父親は半分の寿命で往生したそうだ。

「それって……まさか……」

「うん。だいふ通り過ぎちゃったけど、クォーターのわたしの寿命は約35年から40年……」

 その残酷な運命に、俺はかける言葉が思い浮かばなかった。

 聞けば、ティルの場合、ドラゴンの血が濃く、母親ひとの遺伝は限りなく薄いとのことだった。もちろん医学的な立証はなく、父親の最期を看取ったときに本能で悟ったらしい。

「なにかの間違いだろ……」

 否定する俺の言葉を遮るように、ティルが黙って首を振った。

「うそだろ? ホントは、まだ生きれるんだろ? 生きるんだよな? 死なないよな?」

「さぁ、どうなんだろうね? でも……」

「でも?」

「いっぱい人生を楽しんだからいいかな」

 顔を上げてニコッと笑うティル。

 その笑顔に、俺の中で悔しさが込み上がってきた。

 自分が子供なのが悔しかった。

 大人になっていたティルに、置いていかれたことが悔しかった。

「なんだよ、なんだよ……。みんなして勝手に大人になりやがって……ちくしょ……ざけんなよ……」

 歯がゆい思いを吐き出しながら、俺はティルの胸に顔をうずめて幼子のように泣いた。



 それから2週間後。

 ティルは家族に見守られながら、静かに息を引き取った。

 享年47の若さだった。

 俺はノーラたちと葬儀に参列し、土に帰るティルにお別れの挨拶をした。

『人生は一瞬だよ』とティルが残した言葉を噛みしめ

「わかってるよ、ティル」と、俺は永遠の眠りについたドラゴンクォーターに笑ってみせた。


 農園が一望できる小高い丘の上で、俺はティルが残した冒険日記を読み終えた。

 そして帰郷チケットと、形見としてもらったティルの鱗を眺めながら

「コカラノッテか……」と漠然と口ずさみ、地べたに寝転んだ。

 父親が考えた子供たちの名前に、ティルが「ノッテ」と付け加えることを希望したそうだ。理由は、俺がこの世界に戻ってきたときに気づけるように。とのことだったらしい。

「ティルらしいな」とひとり微笑んでいると、ノーラとパルが丘に登ってきた。

「そろそろ、わたしたちは街に戻るが……ユータオー、おまえはどうする?」

 その声に俺は腰を持ち上げ、体を伸ばした。

 どのみち帰ったところで勉強漬けの浪人生だ。閉鎖的で窮屈な生活。とてもじゃないが、今は堪えられそうもない。

「国へ帰るのか?」と再度、ノーラに問われ

「いや。やりたいことができたから帰らない」

「やりたいこと?」と首を傾げるふたりに、俺は言った。

「あぁ。ティルが見てきた世界を見て回ろうと思う」

 人生は長くて短いのだ。少しくらい道草を食ってもかまわないだろう。

「と、いうことでヨロシクな」

 そう言って、俺は帰郷チケットとドラゴンクォーターの鱗を冒険日記に挟んだ。


【おしまい】

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【完結】どらごんくぉーたー わごいずむ @wago023

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