■21■エピローグ【東京編】
虚無の中で人の気配を感じ取り、おもむろに目を開ければ、天井からぶら下がるカーテンレールと空調機器が視界に入った。
そんな光景を、俺はなんの疑問も抱かず、目だけで辺りを探った。
ベッド脇の心電図モニターが安定した波を表示していた。
指先にはパルスオキシメータが付けられ、左腕から伸びるカテーテルはスタンドに吊り下げられた点滴袋へと繋がっていた。
……病院かな?
寝起きの頭で、そんなことを考えていると
「お目覚めのようね。気分はどう?」
とデスクワークをしていたまほ先生が立ち上がる。
気分? いや、特にこれといって悪くはないけど……。
「瞳孔の確認するから、目を開けててね」
と白衣の胸ポケットからペンライトを取り出す先生。俺がその言葉通りに従っていると、ペンライトの光が目の奥を刺激した。
「うん、問題なし」
そう言って、今度は人差し指を立てて
「じゃあ、今度はこの指を動かすから、首を振らずに目だけで追ってみて」
言われたとおり、中央から右へ。右から左へと移動する指を眼球のみで追ってみせる。
「うん。大丈夫みたいね」
そう言ってカテーテルの接続部分を外し、腕に埋め込まれた針のような管を抜き、それらを移動式作業台に置く。
「さてと……名前と生年月日を言ってみて」
俺は言われたとおりに、名前と生年月日を伝える。
って、言うか……なんだ、このくだらない質問は。
と思いつつも、パッと答えられない自分の反応の遅さに首を傾げていると、先生が俺の体に貼ってあった電極パッドや指先の器具を手際よく片付けていく。
「今日までなにがあったか、覚えてる?」
それって、どういうこと?
「だって、あなた1回死んだんだもん」
えっ? 俺って……死んだの?
「そうよ。ちなみに死因は出血性ショックよ」
実感のない恐ろしい死に方に、俺は過去の記憶を探った。……が、頭がボーッとしてて、なかなか思い出せない。
「あれ? 俺って、なにしてたんだっけ?」
「焦らないで、ゆっくりでいいわよ」
苦悶を浮かべる俺を察し、優しく促すまほ先生。
いったい、俺はなにをしてたんだ?
あぁ、そういえば異世界に行ってたんだっけ。……って、異世界?
思い出そうにも、記憶がスッポリ抜け落ち、断片すら頭に浮かんでこない。
って、おいおい……なんだか怖くなってきたぞ。今までなにしてたんだ、俺は?
まほ先生を見れば、黙って微笑んだまま、俺の言葉を待っていた。
懸命に頭を働かせるものの、血液がまるで脳ミソに行き届かない。そのもどかしい感じに、俺は記憶喪失という恐怖を覚えた。もし、このままだと確実に病院送りだったからだ。
「ヤバい……ガチで、なんにも思い出せない……」
焦る気持ちに頭がついてこない。……が、しばらくすると脳裏に真っ白な光が宿り、ひとりの少女の姿が浮かびあがった。
誰だ、この娘……。
光の中の少女の名前が思い出せなかった。が……
「さよなら、ユータ」
その声音に、押し寄せる波のごとく様々な記憶が蘇った。
ティルと過ごした2ヶ月間はもちろん、異世界の人々も鮮明に。それを皮切りに、次々と異世界というジグソーパズルのピースが抜け落ちていた記憶を埋めていく。
ルロォ理事長とシシルイルイとの戦い。
そしてコンシェルジュに刺されたこと。
同時に体感した背中と腹の感触にゾッとし、着せられていた患者衣をまくり上げた。
「あれ、傷跡がない? なんで?」と患部だった場所を探っていると
「完全蘇生だから1ミリも傷はないわよ」
蘇生? そういえば死んだって言ってたっけ。
「止血治療魔法を施したんだけど、残念ながら出血が酷くって、昏睡状態のまま死んじゃったのよ」
だったら、その場で蘇生することもできたんじゃないのか? なのに、なんで異世界じゃなく病院……じゃなくって学校の保健室にいるんだ?
「怪我とかなら現地で回復させることもできたんだけど、残念ながら蘇生だけはできないのよ」
なんでだよ? 俺が向こうで勉強した精霊術書にはゾンビでない限り、蘇生できるって書いてあったぞ。
「元々、あなた自身の生命起源はこっちの世界のものであって、
ようするに向こうの人間じゃない俺は、精霊の加護を受けられなかったというわけか……。
そう納得した俺は、真夏の日差しを受ける窓の外を眺め、まだ
「……そういえば、あの後、どうなった?」
すると、まほ先生はデスクに戻り、カルテ代わりのタブレットにペンを走らせながら答えた。
「急いで、有栖川さんとこっちに戻ってきちゃったから、知らないわ」
おいおい、それって別れの挨拶もできずに帰ってきちゃったってことじゃねぇか。いくらなんでも理不尽すぎんだろ!
「一刻を争う事態だもの、当然でしょ」
少しでも遅れれば蘇生もままならなかっただけに、なにも言い返せなかった。
とりあえず冷静になろう。と俺は気になっていたことを訊ねることにした。
「なんで俺だったんだ?」
小城治の行方を調べるためなら、別に誰でも良かったはずなのに、あえて俺を選んだのはなぜなのか?
「信じられないでしょうけれど、前日に占った精霊術であなたを示す神託が降りたのよ。わたしも小城治の行方が気になってたから、終業式にあなたを捕まえたってわけ」
おかげで嫉妬に狂った男子たちから、やっかみという私怨を浴びせられたけどな。
「で、結局のところ小城治と先生って、どういう関係だったんだよ?」
あのときのやりとりからして、少なくとも恋仲じゃないだろう。
「知ってのとおり、彼は元々こっちの人間だったのよ」
「その人間が、どうして
「あの男は、どうしようもない人間だったのよ」と語り始めるまほ先生。
遡ること約2年前。
不特定多数の女子生徒たちから、被害相談を受けたのが事の始まりだったらしい。相談内容はセクハラであり、その加害者すべてが、あの用務員の小城治だったのだ。
「そんなことがあったのかよ」
まさかの性犯罪に、俺は驚きを隠せなかった。
「そうよ。詳しくは言えないけど、相談に来た女の子の数は十数人。自主退学した女の子や卒業生を含めると、たぶんそれ以上でしょうね」
撮った画像をSNSに晒すと脅し続け、自分の欲求を満たしていたというのだから、どうにもこうにも胸クソが悪い。
そもそも奥さんと子供もいるはずなのに、なんてことしてんだよ。
「未婚よ。ついでに親兄弟もなし。というよりも、わたしが調べた結果、親族一同から絶縁を言い渡されていたわ」
「調べた?」
「ええ。嘘や冤罪の可能性が低いとはいえ、法的に訴える確証が欲しかったのよ。それで手始めに彼の人物像を探ってみたの」
すでに、その段階で保健の先生の領分越えてますけど。……というか、俺の身元確認も行き過ぎだったけどな。
「で、いろいろと調査した上で本人と面談したの。でも、これが間違いの元だったのよねぇ」
間違いって、どういうこと?
「うーん、あんまり語りたくはないんだけど、実は面談の場所が用務員室で……迂闊にも薬を盛られたお茶を飲んじゃったのよ」
あ、なんかヤバそうな予感。というより、もうすでに
「まぁ、そのあたりは常識ある牧嶋くんの想像にお任せするわ」と、白衣の襟を整えるまほ先生。
「でね、目が覚めたら……彼がわたしの写真でもって脅してきたのよ。って……あぁ、なんだか思い出しただけでもキモいわぁ」
なるほど。つまり小城治は無抵抗なのをいいことに、己の欲求を満たした挙げ句、さらに脅していたってことか。
ったく、男の風上にもおけない最低のクズだな。
「なんか思い出したら、また腹が立ってきたわ!」
わからなくもないけど、もう理事長、死んじゃってるから。
「ねぇ。ちょっと場所変えて、これから飲みにいかない?」
見えないグラス片手にクイッとあおる真似をするまほ先生。これは、もしかしてス○バに誘っているのだろうか?
「バカね。コレっていったらお酒に決まってるでしょ」
未成年なので遠慮しておきます。
「それで、先生はどうしたんだよ?」
なーんとなく結末は想像できるけど一応聞いておく。
「威勢余って、その場で転移……あとは聞かないで」と頭を抱える先生。
そんなことだと思ったよ。
「なるほど。で、ほとぼりが冷めてから
まぁ、ジェンダビーに刺されて別人になってたからな。無理もない。
「もし、あそこで死ぬことなく小城治を捕まえていたら、どうするつもりだったんだ?」
性転換したクズ男だけに、先生の采配が気になるところだが……
「あれだけ、あっちの世界に染まってたんだもの。もう、なにもできないわよ。それに、もう寿命だったみたいだし」
俺にはピンとこないけど、歳を取るとは、そういうもんなのか。
「小城治は幸せだったのかなぁ?」
そんなことを漠然と口にすれば
「さぁ、どうなのかしらね」と受け流すまほ先生。そして制服を入れたキャスター付きのかごを運んできた。
「さて、この話はこれでおしまい。牧嶋くんも着替えて家に帰りなさい。数日の外泊とはいえ、ご家族も心配してると思うわ」
窓から外を覗けば、夏の空が青と紺色のグラデーションを織りなしていた。
2ヶ月ぶりの里帰り。
俺は、人混みの流れに戸惑いながら電車に乗りこみ、漠然と車窓の外を眺めていた。
きらびやかな繁華街の明かり。
無機質なオフィスビルの灯り。
LED照明に照らされた車内。
周りに関心を持たない人々。
当たり前だった日常が、ひどく平凡に思え、世界が寒く感じた。そう考えると小城治にとって、あの異世界は新天地だったのかもしれない。
山手線から私鉄に乗り換え、見慣れた駅を降り、家路へと急いだ。
「ご家族には、それぞれ電話越しで催眠魔法をかけてあるから」
先生の話では、家を空けた数日間における俺の存在を不確かなものにしたそうだ。
帰宅すれば、相変わらず両親は仕事でおらず、学業に専念している兄たちもまだ帰宅していなかった。唯一、妹だけはいたが、コンビニで買ってきた菓子パンを夕食代わりに食べ、俺と二言三言話すと、スマホを持ってそそくさと自室に戻っていった。
「なんだ、あれ?」と妹のぶっきらぼうな態度に文句をつけながら、用意されていた夕飯を電子レンジで温め、ひとり寂しく食べた。
翌日。
まだ訊きたいことがあった俺は、夏休み中にも関わらず、学校へ行くことにした。
クソ暑い夏の日差しを受けながら、習慣のように正門の守衛さんに挨拶をした。校内に入ると、運動部の掛け声や吹奏楽部の奏でる楽器の音色が耳に触れる。
もちろん、俺の知っているいつもの日常だ。
俺は上履きに履き替え、そのまま保健室へと直行した。
だが、まほ先生の姿はなく、廊下を歩いていた部活動の顧問を捕まえて尋ねれば、夏休み中はお休みとのことだった。
まさかの不在に、俺はなにもできないまま家に帰った。
一ヶ月後。
学校が始まると同時に、俺は保健室を訪れた。
「まほ先生!」
「あら、早いわね? もうHR終わったの?」と腕時計でもって時間を確認するまほ先生。
「誰よりも早く教室を出て、ダッシュしてきたからな」
「一度死んだとは思えないくらい元気よねぇ」
思い返しただけでも怖いんだから、そういうこと言うのやめろよ。
「少し遅れたけど、これ約束のバイト代よ」
と先生が机の引き出しから大判の封筒を出してきた。
「ずいぶん、重いけど?」と中身を確認すれば、帯封された札束が入っていた。
「二百万?」
初めて持つ大金にビックリしていると
「申告しなければ、非課税だから安心して」
「いや、でも、こんなにもらっていいのかよ?」
「命を賭けたんだもの、当然の報酬でしょ」
それ言われちゃうと、高いのか安いのかわからなくなるからやめて。となると華蓮は俺の半分くらいか?
「ということで、あらためてご苦労様でした」
と、まほ先生が頭を上げてデスクに向き直った。
「いや、ちょっと待ってくれよ」
「まだ、なにか用があるの?」
「あのさ……もう一度異世界に行かせてくれないかな?」
できれば、今週末の土日にでも。と願い出れば
「もしかして今回のバイトに味をしめて、また稼ぎたいのかしら?」
「いや、バイト代欲しさに行きたいんじゃない。ほら、みんなになんの別れも告げずに帰ってきちゃっただろ。だから、ちょっと行って、挨拶をしたいだけなんだ」
なんだったら、もらったお金を返してもいい。それだけ俺にとっては大事なことだった。のだが……
「あなた……まだ死に足りないの」
予想と違う真剣な反応に、俺は驚きを隠せなかった。
「今度は敵になるヤツなんかいないから、大丈夫だって」
「死なないという保障がない以上、ダメよ」とまるで相手にしてくれない。
くそぉ。この手だけは使いたくはなかったのだが……こうなっては仕方ない。
「そんなこと言っていいのかな? 先生が異世界の魔女だって世間に知れ渡ったらどうなるかな?」
と、これ見よがしに新しいスマホをチラつかせた。
「それって、もしかして脅し? なら、やめたほうがいいわね。今の時代、あなたみたいなフォロワー数ゼロの高校生がSNSを使って情報発信したところで、誰も相手にしてくれないわよ」
くっ……痛いところをえぐられた。
「とにかく、もう忘れなさい。ということで、この話はもう終わり」と冷たくあしらわれた俺は、どうすることもできず無言で保健室を後にした。
やがて時は流れ……
翌年、俺は留年することなく無事に卒業式を迎えることができた。
とは言え、卒業後の進路は浪人生。理由は、言わずもがな学力不足。
死の淵から蘇ったあの日から、頭から異世界が離れず、もどかしい日々を過ごし続けた結果、学校の成績はダダ下がり……当然のことながら大学受験に失敗。
両親が希望する志望校とは別に、AO入学の大学を申し出たのだが、あえなく却下となり、春から予備校生の仲間入りとなったのだ。
そんなパッとしない気持ちを引きずりながら、俺は卒業証書を持って保健室を訪れた。
「遅かったわね。あなたが最後よ」
まほ先生を見れば、帰り支度を始めていた。
「卒業おめでとう」とまほ先生から笑顔の祝福を頂いた。
「どうしたの? あんまり嬉しそうじゃないわね?」
ほら、もっと胸を張りなさいよ。と背中を叩かれた。
「先生、やっぱり俺さぁ……できれば、異世界のみんなに会ってから、本当の卒業をしたいんだ」
今さら異世界に行ったところで、みんなが大人になっていることは承知しているし、昔のような面影もないだろう。
「先生の言いたいことはわかってる、わかってるよ。でも……それでも行きたいんだよ。みんなに会いたいんだよ。会わないことには前に進めないんだよ」
この一年半の間、ずーっとそればかり考えていた。正直、このままでは精神が堪えられず、なにをやってもダメな気がするのだ。
どうして、こうなっちまったんだ。と声を震わせていると、まほ先生が俺をそっと抱き寄せた。
「ごめんなさい……わたしのせいで、人生の進路を見失ってしまったのね」
見れば、先生が俺のために涙を流してくれていた。その優しい同情に触れ、俺も先生を抱きしめて泣いた。
「先生……俺、どうやって生きていけばいい? 今のままだと、どうすればいいのか俺にはわからないよ」
18歳になったというのに、まるで子供のように涙が止まらなかった。
すると、なにを思ったのか先生はゲーミングチェアの背もたれにかけていた白衣を手に取り
「治療するわよ」と白衣の袖に腕を通した。
次回最終話 ■完■エピローグ【異世界編】
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