■1■どらごんくぉーたー【前編】

「詰んだ……」

 あろうことか、異世界に来てわずか数時間で荷物と全財産を失った俺は、ひとり寂しく噴水広場でたたずんでいた。

「あぁ……こんなことになるなら、引き受けなきゃ良かった」

 と、立てた膝頭に顔をうずめて後悔した。そして

「くそぉ……あいつら、絶対に許さねぇ」

 俺は元凶の発端となった子供の背中を思い出しながら、数時間前のことを思い出した。



「想像してたより、でっかい街だな……」

 轍だらけの街道を歩き続けて小一時間。

 まほ先生から預かった手書きの地図を頼りに、俺は目的の街であるアープロットに辿り着いた。

「疲れたぁ……。どうせなら、直接、街に転送してくれればいいのに」

 先生が用意した質素な服と地味なズボン。移動に必要な履物といえば履き慣れていない革の靴だったのだ。おかげで靴擦れが痛くてしょうがない。

「なにはともあれ、まずは観光だな」

 と俺はナップザックを担ぎ直し、アープロットに足を踏み入れた。

 石畳で整地された街路と町並み。日本の現代建築とは異なる建造物は三階建ての家屋が多く、まさに異国の地そのものだった。

「思ったより、オシャレな街じゃん」

路上にゴミは落ちてないし衛生面もしっかりしているだけに、渋谷の街より綺麗な気がした。

 まぁ、これだけ大きな街だ。このくらいの文明社会を築けているのも当然だろう。むしろ土壁と藁葺き屋根とかだったら、不安でバイトどころじゃないだろう。

「それにしても外人だらけだな」

 往来する多種多様な人種。それゆえ、むしろ俺のほうが外国人といってもいいだろう。

「もっとも、こんなダサい格好じゃあ怪しまれることもないけどな」

 と俺はまほ先生の見立てに感謝し、そのまま居住区を歩き続け、大きな建物に囲まれた噴水広場へと躍り出た。

 パフォーマンスを披露する大道芸人や、聖堂前で若いカップルの結婚式を祝福する人々。うーん、いいなぁ。

 ちょっとだけスマートフォンで写真を収めたい衝動にかられたが、まほ先生から「くれぐれも撮影禁止だからね」と、きつく言われていたので我慢した。

「騒ぎを起こしたら面倒だしな」と街を漫歩しているうちに、露店が居並ぶ繁華街に出た。呼び込みや取引で活気づく人々の声。それは、まるでお祭りを思わせるほどの賑わいだった。

「そういえば、昼飯がまだだったな」

 スマホでこっそり時間を確認すれば、午後2時半を過ぎようとしていた。

「とりあえず、どっかで飯にすっか」

 俺は露店で、肉の串焼きとフルーツジュースを買い、路上に設けられていたテーブル席に腰を降ろした。

「どうやら言葉のほうは大丈夫みたいだな」

 露店で取り交わした会話や、メニューが書かれた立て看板の文字。多少、早口で解らない単語はあれど、気がかりだった言語は識字含め日常会話程度ならば、なんの支障もなさそうだった。勝手な憶測だが魔法陣で異世界こちらに転移された段階で言語習得したのだろう。

 ちなみに注文の際「コーラってあります?」と訊いたら、変な目で見られたのは言うまでもない。

「さてと……」

 買い物客や子供たちの声でごった返す通りで、俺はナップザックを足下に置き、先生から渡された手帳に視線を落とした。


「ある人の行方を調査してほしいの」

 そういって見せられた一枚の写真には、頭部の薄いオッサンが写っていた。

「探してほしいのは、この人なんだけど」

「誰、このおじさん?」

 背筋を伸ばし、口元をムッと引き締めている作業服姿の男性。正直、男の俺としては面白い写真ではないし、なにより目つきが悪すぎる。

「名前は小城治おぎおさむ。とある学校の元用務員よ」

「そこまでわかってんなら、自分で調べればいいじゃないですか」

 電話やメールでもすれば済むことなのに、なんでわざわざ俺に調べさせる必要があるのだろうか。

「カウンセリングの仕事が立て込んでて、現地入りしている暇がないのよ。それに、ちょっと混み入った事情もあってね」

 つまり大人の事情ってやつか。

「もしかして先生の恋人ですか?」

 それにしては年齢が離れすぎてはいないだろうか。20代と噂されるまほ先生。それに比べ写真のオッサンは、どうみても4~50過ぎのオッサンだし、なにより顔が小汚い。

「子供のくせに余計な詮索はしないこと。そんなことだと女の子にモテないぞぉ」

 柔和な笑顔でお茶を濁す先生。なるほど。女の子に野暮なことを訊くことは非モテへの第一歩らしい。

「理由は聞かず、黙って調査をしてちょうだい。成果次第によってはバイト代のほかに、特別ボーナスもつけてあげるから」

 と言われるがまま保健室で着替えをさせられ

「時間がないから、あとはテキトーによろしくね」と有無を言わさず異世界へと投げ出されたのだ。今さらだが、あらためて考えてみれば、かなり大雑把でいい加減な話である。

 言い渡された調査期間は二週間。

 持たされた荷物は手引き書代わりの手帳と写真のほかに、わずかな下着と洗面道具一式。あと、この世界で使える貨幣と二週間後に帰郷するための呪符チケットが一枚だけ。

「予定より早く調査が終わることができたら、それ使っていつでも戻ってきて良いからね」と言っていたまほ先生。つまり……ターゲットのオッサンを見つけ次第、自発的に元の世界に戻ってもかまわないということなのだろう。

 とは言え……

「なんか、面倒くさくなってきたなぁ」

 本来の予定では、終業式後に中目黒の大型書店で参考書を買い、明日からの夏休みを有意義に過ごす予定だったのだが

「どのみちステータスの確認もできないし、魔法も使えないしなぁ」

 ここまでの道中、人目を気にしながら何度も何度も能力発動を試みた。……が、魔法の「ま」の字すら発現させることができず、「精が出るねぇ」と農作業中の夫婦に笑われたのだ。

「帰ろうかな……」

 そもそも小城治という人間を知らないし、なによりこれだけ人だ。二週間やそこらで見つけるなんて、赤い糸でも繋がってもいない限り無理だろう。

「よし。東京へ帰ろう」

 うん、そうしよう。そして二週間後に何食わぬ顔で「いませんでした」とまほ先生に報告すればいいだろう。

 手帳に写真を挟み込み、財布と一緒に私物のナップザックに放り込んだ。

「今、何時だ?」

スマホで時間を確認すれば、こっちの世界に来てからすでに4時間が経過していた。

「特別ボーナスは惜しいけれど、俺の思い描いていた異世界じゃないならしょうがない」

 なにより思った以上につまらんし、右も左も分からない世界に長居はしたくない。と食べ終わった食器類を片付け、足下に置いたナップザックを取ろうとしたら

「あれ?」

 数秒前まであったナップザックが跡形もなく消えていた。

「ウソだろ?」と辺りを見回せば……ナップザックを抱え、足早で逃げる子供がひとり。

「おい、それ俺の荷物!」

 すぐに置き引きと気づき、慌てて後を追う俺。

「ちょっと待てよ!」

「やべぇ、バレた!」

 ひしめく人混みの中をチョロチョロ逃げ回る子供を、俺は必死になって追いかけた。ナップザックに入っている帰郷チケット。それだけに、あの荷物を失えば二度と生まれ故郷へと帰れなくなるのだ。

「フザけんなよ!」

 しかし、子供の足は想像以上に速く、距離が縮まらない。

 くそ、見失ってたまるか。と通行人の脇をすり抜けた瞬間

「イテっ!」

 背後から聞こえてきた声に足を止めて振り向けば、モヒカン刈りの大男が左肘を抱えてうずくまっていた。

「アニキ、大丈夫っすか?」

 ちょんまげを結ったサルもどきのチビ男が心配そうに寄りそうと、モヒカン男が呻きながら訴えた。

「あいつがぶつかってきたせいで、腕の骨が折れた……」

 苦悶の表情を浮かべて睨みつけてくるモヒカン男。ぶつかった覚えのない俺にとっては、なにかの間違いだと思った。

「よぉよぉ、にーちゃん。アニキの腕、折れちまってるってよ。いったい、どう落とし前をつけてくれんだ?」

「いやいや、ぶつかってないっすよ」

 とにかく急いでるんで。と、その場を去ろうとした途端、アニキにガシッと肩を掴まれた。

「おい。詫びも入れずに逃げんのか?」

 ギロリと凄みを効かせるアニキ。ゴリラのような大きい体格と太い腕。ついでに胸毛の生えた厚い胸板。それゆえ喧嘩沙汰になれば間違いなく一発KOを食らうだろう。

「スミマセン」

 一刻も早く子供を追いたい一心で謝った。が……

「だったら、治療費を頂こうじゃねぇか」

 遠巻きで眺め見る大衆の面前で、折れたはずの左手でもって金銭を要求してくるアニキ。

「治療費? でも左手動いてるじゃないですか」と指摘すれば

「はぁ? でもおまえ、今、謝ったろ。つまり、てめぇの過失を認めたってことだろ」

 異世界にきた早々、お近づきになりたくない人種に絡まれるとは俺もツイてないなぁ。

「スミマセン。実は荷物盗まれちゃって、お金持ってないんです」

 これで相手も諦めてくれるだろう。と思いきや

「はぁ? 持ってねえだとぉ。ふざけんじゃねぇぞ! 【地獄のモンタフル】と恐れられているオレ様を知らねぇのか? あぁん?」

 モンタン? いやいや、どう見ても動物園のゴリラだろ

「なんだ、その人を見下した目は?」

 すると腰巾着こしぎんちゃくよろしくなサルがニヤついて助言する。

「アニキ。金がないってんなら、体で稼いでもらいましょうや」

「そうだな。こんな細っちょろいヤツでも、炭鉱の土運びくらいはできそうだしな」

 まさかの強制労働。初めて来た異世界で奴隷のような扱いを受けるなんて、まっぴらゴメンだ。

「だ、誰か……」

 助けを求めて辺りを見回すものの、傍観を決め込む野次馬たちは関わりたくなさそうに視線をそらすだけだった。

 そんな中、ひとりの美少女と目が合った。

 綺麗な藍色の瞳にサラサラ艶々のロングヘア。主張することのない胸と長い脚。腰に短剣を帯刀する冒険者のような出で立ち。特産フルーツをモシャモシャと囓るその表情は、まるで小動物のように可愛かった。

「お願いです! 助けてください!」

 わらをもつかむ思いで少女に懇願した。……が、彼女は他者に向けられたと勘違いしたらしく、キョロキョロと周囲の人たちに目を走らせていた。なので、もう一度助けを求めた。すると首を傾げながら自分を指さす彼女。

 そうです。そこのあなたです!

 意思の疎通を確信し「これで助かる」と思いきや、彼女は呑気にフルーツを食べ続け、甘味に舌鼓を打っていた……って、緊張感ゼロだな。

 そして最後の一欠片を口に放り込むと、彼女の目元がキリリと引き締まった。

「よひゃいものひひめふぁ、みっほもないへすよ!」

 せっかくの啖呵が台無しになるから、口の中のもの飲み込んでからにしようね。

「はぁ、なんだって?」

 ほら、アニキも眉根を寄せてんじゃん。

「だから、弱い者イジメはみっともないですよ」

 美少女からの弱者認定。情けないことだが、正直、ゴリラのような大男相手では認めざるえなかった。

「あぁん、なんだとぉ?」

 表情が険しくなったアニキに、周囲がザワついた。

「わたし、さっきから見てましたけど、その人、ぶつかってなんかいませんし、勝手にあなたが転んだだけじゃないですか」

 見て見ぬふりの野次馬とは違い、ド直球な目撃証言にアニキが片眉をつり上げた。

「ねーちゃん。変な言いがかりをつけるのは勘弁してもらおうか。それとも、なにか? ねーちゃんが、こいつの代わりに治療費を払ってくれるってのかぁ?」

 あぁん、どうなんだ? とアニキは絡む相手を俺から彼女に鞍替えし、ノシノシと歩み寄る。

「見たところ、ワニとの半獣人のようだが」

 あぁ……俺としたことが、カワイイ美少女を巻き込んでしまうとは。って、ワニ?

 見れば、彼女の腰下から爬虫類らしき尻尾が生えていた。

「なに……アレ?」

 その見慣れぬ長い尻尾に、目をこらす俺。とは言え、ここは異世界だ。そんな獣人が存在していても、なんら不思議ではない。その証拠にアニキたちも特別、疑問を抱くことなく彼女を睨みつけていた。

「このあたりじゃ、見ねえ顔だな。もしかして旅行者か?」

 しかし彼女は答えない。

「しかも、近くで見れば男受けしそうなべっぴんときたもんだ」

 指先でもって彼女の細い顎をすくい上げるアニキに、サルも調子にのって彼女の尻尾を触ろうと後ろへと回る……が、すぐに彼女の太い尻尾に払いのけられた。

「気安く触らないでください」

 その拒否する強い声に周囲が青ざめた。

「可哀想に」「あの娘、ただじゃすまないよ」「放っておけば良かったものを」

 巻き込んでしまってごめんなさい! と俺も心の中で謝罪した。

「ワニ娘の分際で、いい度胸してんな。ねーちゃんよぉ」

 凄みを効かせるアニキに対し、無言のまま一歩も退こうとしない彼女。ってかさぁ、もう逃げようよ、お嬢さん。俺なんかのために、体張ることないんだからさ……と願った矢先

「大変だ! ミトーレの連中がやってきたぞ!」

 ミトーレ? と野次馬たちに習って空を仰ぎ見れば、十数の黒い影が空を舞っていた。

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