■18■伝説の魔道士【前編】

 再び最上階に戻ってみれば、儀式はすでに佳境を迎えていた。

 気持ちの悪い呪物を捧げ、呪文を唱え続けている理事長。最初に会った優しそうな面影はすでになく、華蓮がドン引きしていたのは言うまでもない。

「………………」

 耳にしたことのない言語。

 それはまるで、悪魔との契約を果たすかのようなネチネチとした呪文だった。とそこへ

「おまえの悪事もここまでだ、理事長!」

 剣先を向け、藪から棒に引導を言い渡すノーラ。だが理事長はいきり立つ彼女に見向きもせず、呪文を続けていた。

「聞いてるのか、理事長!」

 業を煮やすノーラの問いに、ルロォ理事長が目障りだとばかりに顔をこちらに向けた。

 なるほど。どうやら話を聞いてくれる耳は、まだ持っているようだ。だとすれば……

「あんたに訊きたいことがある」

 ノーラの前に出て、俺が放った日本語に理事長が呪文詠唱を中断した。

「言ってみなさい」

 理事長の受け入れに、問いただしたいことを頭の中を整理する。

 女理事長としてこの学園を治めた経緯。

 そんな日本人が、なぜこの世界にいるのか。

 敵愾心を見せる法連寺まほ先生とは、どういった関係なのか。

 いくつか浮かんだ俺の疑問に、ルロォ理事長がフッと冷笑した。

「それを知ってどうすると?」

 この手の質問返しはやりにくいな。

「同じ日本人として、気になるのは当然だろ」

 気丈を張ってのタメ口で問い返せば

「愚問ですね。しかし、わからないままというのも不憫なので、少しだけ教えてさしあげましょう」

 理事長は過去を遡るように、虚空を睨み上げた。

「法連寺の手によって、わたくしがこの世界に飛ばされたのは約40年前ほど前のことでした」

 40年前だって? いや、日本時間にしたら2年ほどか……。

 そんな理事長のウラシマ効果に驚きつつ、俺は黙って話を聞き続けた。

「言葉もままならない世界へ放り出されたわたくしは、地獄のような日々を耐え抜き、血のにじむ思いでこの世界の言語を習得しました」

 恨み辛みを連ねて語る理事長の苦労話を、華蓮がありのままノーラとパルに通訳していた。

「乞食同然の生活を虐げられ、森で食料を調達していた時のことでした」

 そこで一息ついて、理事長はフッと自嘲気味に笑った。

「その時、ジェンダビー刺されてしまい、ごらんの姿になりました」

 男から女への性転換。だが、女理事長は誇らしげに語る。

 望みもしていなかったTS。だが不幸中の幸いか、突然、魔法が使えるようになったとのこと。しかも桁外れなチート法力とともに。

 それ以降、法力を得た理事長は魔虫を召喚し、襲ってきた野盗の魔物を返り討ちにしたという。そして伏した魔物たちを配下に従え、村から村へ、街から街へと渡り歩いたそうだ。

 そしてある時、配下が拉致してきた子供が金になることを知った理事長は、人身売買に手を染めるようになっていく。

 濡れ手に粟。この闇商売に味を占めた理事長は、孤児院を開設し、親のいない子供たちを引き取り、家畜のように育てあげて売ったそうだ。

「やはり、そうだったか」とノーラが憎々しげに理事長を睨んだ。

「そんな非人道的な悪事を長年繰り返し、この学院を作りあげ、理事長という座についたというわけか」

 教育者のトップが、偽善という行為を隠れ蓑に使って腐敗していたとは、とんだ悪党だな。

「非人道的と言われるようなことはしてませんよ。身寄りのない孤児たちを育て教育し、生きる道を指し示してあげたのですから、むしろ感謝してもらうべきでしょう」

 まるで自分が救世主と言わんばかりの口調だった。

 拾われた孤児たち。

 果たしてそれは本人が望んだものなのだろうか?

「幸せになるか、不幸になるかは、その子の持つ運勢次第でしょうね」

 テキトーなことを偉そうに。

「この世界は、あなたが生きてきた環境とは大きく異なります。物心ついたときから何不自由なく育ってきたあなたにはわからないでしょうね」

 正論過ぎて、なにも言い返せなかった。

 明日を生きる食事もなく、ひもじい思いをしていたノーラ姉妹。盗みを働きながら御用聞きの仕事で集まってきた子供たち。中には兄妹たちの腹を満たそうと、危険を承知で薬物や密輸品を運ぶ闇の仕事に手を染めてると聞く。

 生きていくために生きる。

 矛盾しているけど、そんな苦労を俺は知らなさすぎたのかもしれない。

「さて、くだらない身の上話はここまでにして」

 理事長は祭壇脇の台座に歩み寄り、帰郷チケットを手にした。

「牧嶋勇太郎と有栖川華蓮にお聞きします。元の世界に戻りたいですか?」

 なにを分かりきったことを。故郷へ帰りたいのは、誰もが望むことだろ。

「戻りたいです!」

 錫杖を握りしめて懇願する華蓮に

「お嬢さんは素直で良い子ね。で、牧嶋さん。あなたはどうなのかしら?」

 これ見よがしに俺たちの所有物であったチケットをチラつかせる理事長。

「俺の返事を聞いて、どうするつもりだ?」

 喉から手が出るほど欲しいチケット。しかし、今は妖しげな魔方陣に寝かされているティルのほうが心配だ。

「ふふ。人のことを気にしていられるとは、ずいぶん余裕があるのですね」

 チケットを理事長が持っていると分かれば、あとはどうにかして奪うだけだからな。

「そう。なら、こうしましょう」

 なにを思ったのか、理事長は祭壇のかがり火にチケットを放り込んだ。

 ジュッ! と蒼白い炎を放ち、一瞬にして灰となる呪符。その予期せぬ展開に俺と華蓮は目を疑った。

「そんな……信じられない」

 手にしていた錫杖を支えに、華蓮が膝から崩れ落ちた。

「あなたが……あなたが素直に答えないから」

 と両手で顔を覆って泣きだす華蓮。

 俺だって、まさか燃やすとは思わなかったんだ。

「あなたが理事長の機嫌を損ねるような真似をしなければ、日本に帰ることができたのに……」

 涙ながらに訴える声に、俺がなにも言い返せずにいるとノーラが鬼の形相で声を張り上げた。

「きさまぁ……それが人としてやることか!」

 日本語を理解できなくても、チケットを燃やしたその行為は理解できたようだ。

「流石のわたしも、人の心を踏みにじるその無神経ぶりは看過できませんね」

 泣き崩れている華蓮に寄り添い、パルも理事長に怒りをぶつけていた。

「勘違いしないで頂きたいわね。わたくしは善意で燃やしたに過ぎません。あなた方は知らないでしょうけど、わたくしたちが元いた世界は狂っているんですよ」

「どういうことだ、ユータオー? おまえの生きてきた世界は狂ってるのか?」

「し、知らねぇよ」

 少なくとも理事長の「狂っている」という意味がわからなかった。

「このふたりがいた世界は、機械文明が発達している監視社会なのですよ。その中でもネットと呼ばれる電子社会での情報発信……わかりやすく言えば、不特定多数の意見交換の場があります。そこでは個人が思ったことを主張することができる反面、考えに差違があると非難される世界です。凝り固まった認識。それができない者は協調性のない異端と見なされ、爪弾きにされます。人によっては、それを恐れ、己の個性を犠牲にして生きている。そんな理不尽で窮屈な世界なのですよ」

 SNSや動画配信などにおける炎上のことだろうか。

 利己的な自己顕示欲。そんな傲慢さに対する誹謗中傷。

 見方によっては確かにそうかもしれない。だが、それは大多数の常識の上での見解であり、無知な人間が非常識なことをすれば叩かれもするだろう。もっとも、これ見よがしに攻撃性を強め、本性を現す人間がわいてくるのも否めなくもないが。

「それに比べて、この世界では個人が尊重されます。個性は人格を。その人柄を誰もが優劣ゆうれつたがうことなく受け入れてくれます。それなのに、このふたりは不自由で規制された世界へ戻りたがってます」

 おかしいと思いませんか? と問う理事長にノーラとパルが困惑していた。

 重箱の隅を突く批判や炎上の世界。

 確かに否定はしないけど、それらは俺たち世代では当たり前のこと。もっとも、こっちの文明社会から比べれば、窮屈でギスギスはしてはいるが……だからといって、理事長が正しいとは言い切れない。

「言葉巧みにノーラたちを丸め込むのはやめろ!」

「異世界知らずの者たちに、真実を伝えたまでですよ」

 聞いて呆れる。今のが真実だって? だとすると、どんだけ嫌な思いをしてきたんだ。この人は。

「主観的な老害の戯れ言はたくさんだ。アンタが日本でどういう生き方をしてきたのか知らないが、俺たちは俺たち世代の生き方があったんだ」

 帰郷チケットを燃やされた怒りを吐き出した途端、理事長の表情が般若のような形相に変化した。

「齢十数年を生きてきた小僧ごときに、わたくしの生き方を批難されるいわれはありません」

 そして

「生かしておこうとも考え直しましたが、気が変わりました。そのまま故郷を懐かしみながら、ここで死になさい」

 一方的な死刑宣告に、流石の俺も頭に血がのぼった。

 こんな偏見を持った元オヤジに殺されてなるものか。唯一の帰省手段を絶ち、華蓮を泣かせた挙げ句、ティルを生贄に捧ぐような真似までしているのだ。こいつの身勝手さを、どうにかしてやりたい。

「ティルを解放しろ」

 俺は短剣を抜くと、理事長が高笑った。

「命乞いするならまだしも、この娘の心配とは……正直、あきれるばかりです」

「アンタが知らないそれぞれの事情ってのがあるんだよ」

 母に他界され、行方のわからない父を探して求めて旅をしているティル。そんな想いを抱えていることなど、了見の狭いアンタにはわからないし、わかってもらおうとも思わない。

 すると理事長が、不気味な嘲笑を浮かべた。

「まぁ、いいでしょう。ならば力尽くで、この娘を奪ってごらんなさい」

 そう言って眼帯を外す理事長に、誰もが驚愕した。

「なんだ、その目は?」

 紫色に光る角膜と十字に割れた瞳孔。どう見ても自然界には存在しない生物の目をしていた。 その隠されていた紫の瞳をギョロリと向け、右手をこちらにかざしてきた。

 仕掛けてくる! と俺は自身の直感を信じ、即座に警告を発した。

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