【後編】

「えーとぉ……りえきの半分を、ほけん金として残すからぁ、今日のじゅんりえきはぁ13ベルクだね」

 イーノが指折り数えて収支と支出を書き出したわら半紙。それを華蓮が受け取り、大きく書かれた数字に目を通した。

「よく、できました」

「えへへ」

「いっぱい稼いだね。イーノちゃん」

 満足そうに笑うイーノの頭をなでなでするティル。その横で、ノーラが面白くなさそうな顔をしていた。

「それにしても保険とは、よく考えましたね」

 感心する華蓮に、俺は当然とばかりに鼻を持ち上げた。

「目先の利益だけにとらわれ、配達の落ち度で弁償騒ぎになった時点で、保障できませんとかじゃあ、後々商売が成り立たくなっちまうからな」

 ようするに信用である。

 俺たちの世界では当たり前のことでも、この異世界では、そのようなことを考える観念もなければ常識もなかったのだ。それだけにティルなんかも「そこまでしなくても、いいんじゃないかなぁ」と難色を示していたのだが……根が素直なイーノだけは保険という制度をすんなり受け入れることができたようだ。

 だが、そんな妹を快く思わない人物がひとり。

「フン。くだらん」

 鼻を鳴らして、ふて腐れるノーラ。

 まったく、扱いにくい姉だな。するとイーノが売上金の革袋を差し出した。

「ねぇねぇ、おねーたん。このお金、あずかってて」

 その申し出に、誰もが驚いた。

「なんで、わたしに?」

 戸惑いをみせるノーラに、イーノがいう。

「おねーたんなら、大事にもっててくれそうだから」

 姉への絶対的な信頼。

 イーノにとって、唯一頼れる家族だけに、全財産を預けられるのだろう。

 姉妹の絆。そう考えると姉であるノーラも妹のことを思い、学校入学の反対したのかもしれない。

 思い起こせば……初めて会ったとき、ノーラは自分を後回しにして妹の飢えを満たすことだけを考えてたっけ。うーん、尊いなぁ……。

「ねっ、おねーたん。おねがい」

 再度、懇願するイーノ。こういうとき、姉はなんと言うのだろうか。

「フンッ。まぁ、そこまで言うのなら仕方ない。わたしの命に代えても守ってやる」

 やや照れくさそうに指で鼻の頭をかいて、革袋を懐に収めるノーラ。

 まったくもって、ツンデレな姉だな。でも、それでいいのかもしれない。血を分けた姉妹なのだから、きっと余計な気遣いなど無用なのだろう。

「さて、集計も終わったことだし、そろそろ食事にしないか」

 俺が夕食を促すとノーラが立ち上がった。

「ならば、今夜の晩飯はわたしが作ろう」

 珍しいこともあるものだ。普段はイーノを始めとするティルや華蓮が台所に立つのだが、今日に限ってノーラが作るとはな。

「たまには、作りたいときもあるのだ。と言っても、大したものは作れんけどな」

 そう言って台所に向かう姉に続き、妹が立ち上がった。

「イーノも、おてつだいする」

「じゃあ、かまどに火を起こしてくれるか」

 姉の指示に「うん」と元気よく返事をするイーノ。

 そんな姉妹の背中を見て、俺の心もほっこりした。

 きっと俺たちが来る前は、こういう風に仲睦まじく毎日を過ごしていたのだろう。

「ふたりとも、なんだか楽しそう」と羨ましそうに微笑むティル。

 聞けば、ティルには兄弟姉妹はいないらしく、ひとりっ子とのこと。まぁ、ドラゴンクォーターの兄弟がたくさんいたら、それはそれでしょっちゅう家が燃えてそうだし、なにより兄弟姉妹ケンカなんか勃発した日には、家が全焼しそうで怖い。

 それとは対照的に、華蓮は兄とのふたり兄妹。

 まさか、ブラコンとかじゃないよな?

「そんなことはありませんわ。普通に頭も良くてカッコいいだけです」

 お嬢さま。世間では、それをブラコンっていうんですよ。

「ねぇ、ユータ。ぶらこんってなに?」

 早速、ティルの興味が疼いたようだ。相変わらず知らないことや新しいことに対して貪欲になりますね、ティルさん。まぁ、それくらい好奇心旺盛じゃないと旅なんかできないんだろうけど。

「えーと、つまり……」

 男兄弟に対して強い愛着や執着を持つ性癖を説明した途端、華蓮が顔を赤らめ全力否定したのは言うまでもないだろう。

 なんて雑談を交わしていると、イーノがテーブルに食器を並べ始め、パンの入ったバスケットと野菜を置いた。

「今夜は、おねーたん特製の苔ポテトリゾットだよ」

「特製というほど、大層なモノではないけどな」

 ノーラの手により、ドンッとテーブルの真ん中に大きなフライパンが置かれた。

 具材の肉と苔ポテトを煮詰め、麦とともに炒めたこの地特有の郷土料理。香辛料によく似た苔ポテトの香りが食欲を誘い、腹の虫を大いに賑わした。

 そして、それぞれの皿にリゾットを盛り付け、ノーラが席に着く。

「今日は、イーノの仕事デビューの日だから、ありったけの食材を入れて贅沢にしてみた」

 さぁ、遠慮無く食べてくれ。と促すノーラに、たまらず全員がフォークを持って手を合わせた。

「いただきまーーーす」

 賑やかに過ごす夕食時。

 いつも思うことだが、こんな楽しい食事は小学校以来だ。特に今日の調理担当はノーラとイーノの仲良しコンビなだけに、ひときわ美味しく感じられた。

「楽しいね」とニコニコ顔のティルに、俺も「そうだな」と頷き返した。

 うん。なにはともあれ、めでたしめでたし。



 翌日。

 元締めイーノの指示により、午前中の仕事を終えたときのことだった。

「ユータォー、ユータォー」

 道場入り口の脇に生える垣根と同化したまま、手招きをするノーラ。なんか知らんけど、身を縮めてコソコソしているのは気のせいか。

「なんだよ?」

 一緒になってしゃがみ込んで耳を傾ければ

「実は折り入って相談があるのだが」

「相談?」

 だったら、家の中で昼飯を食いながら聞こうじゃないか。

「家の中ではダメなんだ」

「なんだ、そりゃ?」

「実はな……」

 蚊が鳴くようにボソボソとしゃべり始めるノーラ。そして明かされた事実に驚いた。

「はぁぁあっ! 預かった金を無くしただぁぁあ?」

「しーっ! 声が大きい! 中にいるイーノに聞こえたらどうする!」

 ノーラの指摘に、俺も声量を下げて訊く。

「それは本当なのか?」

「あぁ。気づいたら、懐から消えていた」

 ようするに落としたということか。

「どうしたら、いい?」

 事が事だけに、とりあえず紛失するまでの経緯を聞いてみた。

「ユータオーも知ってのとおり、朝、起きてから日課である自主練を行い、道場を掃除をしたのち、みんなで朝ご飯を食べた」

 うんうん。そうだったな。

「で、午前中は門下生の稽古もなくヒマだったので、散歩がてらに目抜き通りに行ってみたんだ」

 俺たちが仕事に出かけた後の話か。いいなぁ、暇で。

「そしたら、甘菓子専門の露店で新商品の菓子が売られていてな」

 あぁ、あの角の店か。なるほど。店の前でお姉さんやおばちゃんたちが群がっていたのは、そういった理由だったのか。

「知ってるか、ユータオー? 今日から売り出された新商品はな、砂糖と旬の果実を煉り合わせた餡をだな……」

 おい、大概にしろよ。今は新商品の説明をしてる場合じゃないだろ。

「す、すまん。で、みんなに甘菓子の土産でも買っててやろうと、懐から財布を出したときに、売上金が無くなっていることに気づいたんだ」

 と唇を振るわせながら涙目になるノーラ。

 想像するに、きっと店先で顔面蒼白になって固まったに違いない。なにしろ話を聞いていた俺でさえ、目まいを覚えたくらいなのだから。

「それで慌てて、元来た道を探してみたのだが……ヒック……」

 ボロボロと涙を流しながら言葉を詰まらせるノーラ。

「つまり、落ちてなかった……と」

 力無くコクリと頷くノーラ。見れば、鼻水までたらして無念の表情を晒していた。

「なぁ、ユータオー。どうしたら、いいと思う?」

 おそらく落としたお金は、他の誰かに拾われている可能性が高いだろう。お世辞にも、この世界の治安は日本ほど良くはないのだ。

「どうと言われてもなぁ……」

「死んで詫びるしか、ないのか?」

 いや、それはそれでイーノが悲しむだろ。

 とそこへ、昼食の食材を抱えた華蓮とともに、ティルが仕事場から戻ってきた。

「こんなところで、なにしてんの?」

「お昼ご飯にしますから、早く中に入ったらどうです」

 ……が、ノーラの泣き顔を見た途端、血相を変えてノーラに寄り添うふたり。

「どうしたの、ノーラさん? なんで、泣いてるの?」

「まさかと思いますけど、もしかして牧嶋さんに暴漢されたんですか?」

 おい、いい加減にしろよ。どうしたら、そう思えるんだ。少なくともノーラ相手に乱暴ができるほど俺は強くないぞ。

「実はな……」と俺が事の成り行きを説明した途端、ふたりが青ざめた。

「ちょっと、それって本当ですの?」

「それが本当なら、イーノちゃん、泣いちゃうよ」

 道場前にしゃがみ込み、円陣を組んで頭を付き合わせる俺たち。なにも知らない道行く人からしたら、完全に不審者の集まりだろう。

「とにかく、聞かれるまでイーノには内緒にしておけ」

「ヒック……うん」

「でもイーノちゃん、勘が鋭いし……正直に話したほうがいいんじゃないかな?」

「そうですよ。それに夜には集計しますし、すぐに気づきますよ」

 本当ならば、正直に事実を打ち明けるのがいいだろう。だが、イーノの落ち込む姿は見るに忍びない。

「だから、日が沈む前に手分けして探すぞ」

 俺の提案に、全員が賛成したのは言うまでもなかった。


「で、道順はそれで間違いないんだな?」

 ノーラに具体的な足取りを確認し、全員で探索にあたることにした。

「俺とノーラで目抜き通りを探すから、ティルと華蓮は道場から目抜き通りまでの道のりを探してくれ」

 表情を引き締めて「うん」と頷き、足早に去っていくティルと華蓮。

 なんだろう、心なしか頼もしい。もしかしたら奇跡が起きる気さえしてくるから不思議だ。

 それに比べ

「ユータオー、昼飯はどうするんだ? 食べないのか?」

「おまえなぁ……」

 この期に及んで飯の心配をするノーラの神経を疑う俺だった。


「そっちはどうだった。見つかったか?」

「わたくしたちの顔を見てもらえれば、わかるでしょ」

 覇気の無い華蓮とティルの表情からして、聞くまでもなかった。

「ユータのほうは?」

「こっちも落ちてなかった」

 ノーラが立ち入っていない裏路地まで探したにも関わらず、空振りに終わった探索。どうやら完全に、どっかの誰かにネコババされたようだ。

「どうする、ユータオー」

 夕刻時の斜陽を浴びながら悲しい目を向けてくるノーラに、俺はひとつの決断をした。

「雑貨屋にいって、同じような革袋を買ってこよう」

「どういうこと?」と首を傾げるティルとは対照的に華蓮が眉根をしかめた。

「まさか、イーノちゃんを騙すんですの?」

 ティルの非難に、俺の心が痛んだ。

「俺だって、偽装みたいなことはしたくはない。だけど、それ以上にイーノを悲しませたくないんだ」

 そうだろ? と同意を求めるものの、華蓮は否定も肯定もしなかった。

「でも、ホントにそれでいいのかなぁ?」

 ティルの疑問に、俺の良心がギュッと締め付けられた。

「とにかく、もう時間がないから買ってきた革袋に金を詰めて渡そう。金なら俺の蓄えで賄えるし。なっ、そうしよう」

 だが、ティルも華蓮も快く思わない表情をしていた。しかも無くした当事者でさえ、乗る気がないようだ。

「本当に、それが良策といえるのだろうか?」

 地面に視線を落とし、正義と不正の葛藤に悩むノーラ。

 そう言われてしまうと、なんだか俺も悪いことをしているみたいで気が引けてくる。すると「やっぱり、嘘はよくない!」とノーラが顔を上げた。

「みんなを巻き込んでしまって、すまなかった。この件に関しては、直接わたしからイーノに話すから、もう余計な気苦労は無用だ」

 その吹っ切った態度に、ティルや華蓮の表情も晴れていく。もちろん俺も例外ではない。

「わかった。ノーラがそう決めたなら、そうしよう」

 きっとイーノは泣きながら怒るかもしれないし……最悪、姉とも口を聞かなくなるかもしれない。そんな顛末を覚悟して告白しようというのだから、誰にも止める権利などないし、できるわけがない。

「あとのフォローは俺たちに任せておけ」

「大丈夫、大丈夫。イーノちゃんのことだから、きっと許してもらえるよ」

「そうですよ。何事も正直が一番ですわ」

 小さな拍手で後押しするふたりに、ノーラが力強く頷いた。


「わたしが無くしたお金が……なぜ、ここに?」

 事実を告げようと、イーノを呼んでテーブルを囲んだときのこと。テーブルのド真ん中に置かれた革袋に、俺たち4人は我が目を疑った。

「おねーたん。もっと大切にしてよね」

 幼い声で叱責するイーノに、俺たちは首を傾げた。

 これは、いったい……どういうことだ?

「洗濯物の道着の内ポケットに入ってたよ」

 はぁ? なんだって?

「おねーたん、朝練のあと、お風呂に入って着替えたでしょ」

「あぁ……。そういえば、そんなこともあったっけ」

 と納得顔で手を打つノーラ。

 って「あったっけ」じゃねえだろ! 見てみろ、ティルと華蓮を。笑顔が引きつってんじゃねえか!

「ま……まぁ、とにかく……無事、見つかって良かったですね」

 するとティルも口元で手を合わせ、嬉しそうに笑った。

「これでめでたし、めでたしだね」

 ねぇ、ティルさん。キレイに締め括るのは勝手だけど……俺たちの気苦労は?

 無くしたものだと勘違いし、空腹を抱えながら振り回された半日。どうにもこうにも、釈然としないんですけど。

 結局……俺たちは、なんのために町中を走り回っていたのだろうか。もう、怒るのもバカらしくなってきた。

「す、すまなかった。お詫びに今夜の晩飯も、わたしが作ろう」

 あぁ、そうしてくれ。そして、グツグツ煮えるたぎる鍋を見つめながら、たっぷり反省してくれ。


 と、いうことで……

 その日の夕食はノーラ特製の苔ポテトシチューを食べることとなった。

 なお、後日談だが

 屋敷の「とある部屋」の「とある一部分」を改築し、そこに売上金を保管することになったのは、5人だけの秘密である。


【おしまい】

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