【005】本性

 □田中 明夫


 私は強者だ。

 あの高名の某大学に入学し、天才と持て囃されてきた。周囲の人間は私の能力に嫉妬した。そうに違いない。私が提出する論文を次から次へとはねのけた。なに、これも天才の苦悩というやつ。許してやれた。

 ただ許せなかったのは、私を見下すことだ。奴らは私をプライドだけはやたら大きく、それでいて小心者、とほざいた。

 許せなかった。お前たちはただ私に嫉妬し、憎悪しているだけに過ぎないだろう。

 今、私が教鞭をとるのも土台に過ぎない。

 やがて、私は天才として名を連ねる者の一人となるのだ。今はただ、満を持しているだけなのだ。

 誰が、好き好んで頭の悪い餓鬼に教えようとするか。奴らの頭では私の理解の百万分一にも及ばないだろう。

 そう、最近、私の中での面白いことを見つけた。

 生徒を指名し、問題を解かせる。

 もちろん、問題はやや難しめだ。

 私が考えついたオリジナル問題。

 当然、馬鹿には答えられない。その者らを貶す。それを初めてしたとき、私は優越感に浸れた。いつの間にか、久しくなっていた感覚。それは私の中にあるもう一つの感覚を呼び覚ました。

 人を見下すことの喜び。

 ああ、いつかの彼らが私を見下そうとするのも理解できた。意味のないマウントを取ろうとするのも、まるで自分のほうが上であるとアピールするのも、それらの行動を納得できた。

 誰かを見下すこと。

 それは私自身を満たす悦なのだ。

 どっぷりとハマれた。

 最高だ。最高に気持ちが良い。

 そして、今は絶好のカモがいる。

 多村弥咲。

 どうやら、ヤツはクラスでいじめを受けているようだ。学校側は認知しているが、あえて気づかないふりをしている。仮にバレたとしても知らぬ存ぜぬの顔を突き通すつもりだろう。学校側も不祥事を隠そうと必死だ。

 いじめの原因は、多村弥咲がクラスメートの女子を痴漢した、という噂から始まっているらしい。見た目、そんなことができる性格とは思えないが、そういうやつほど、異常性癖を持っていることもある。きっと、やつもそれに違いない。

 なら、と。

 私も多村弥咲を標的に据えた。

 ヤツはサンドバックだ。

 良いストレスのはけ口だ。

 私は弱者はこの世には要らない存在だと思っていたが、彼らのような存在は必要だろう、と思い返した。

 強者をより強者として見せるために、弱者は必要なのだ。このクラスは狂ってはいるが、それ故に安定している。

 それが多村弥咲ということか。

 くくっ、実に皮肉な話だ。



 その日、私はいつものように授業を終えて、その後はテストの採点や成績処理などの事務作業をしていた。

 なぜ、私がこのような雑務を……。私には相応しくない。そう思いながらも手だけは動かす。文句だけ垂れ流して何もしない無能とは私は違う。やるからには徹底的にやるのだ。

 それはそうと。

 今日の多村弥咲は少し違和感があった。

 打っても打っても響かないのが売りのヤツはその日では顔を俯かせて、体を震わせていた。よほどショックを受けたのか。

 親の話を持ちかけられたからか。

 そういえば、多村弥咲は孤児だと聞いたことがある。それが響いたのかもしれない。

 雑務を終える頃には、空は既に暗くなっていた。職員室にはまだ雑務の処理に追い込まれている同士たちがちらほら。

 私は帰ろうかと、席を立とうとしたところ、机に一枚のメモ用紙があることに気付いた。どこにでもある、メモ用紙。

 そこに書かれていた文字はやけに直線的だった。文字の間隔も異常に狭い。意図してそう書かれたかのようだ。

 メモ用紙には一言。


 放課後、旧校舎の二階2204教室でお話したいことがあります。


 名前は書いていなかった。

「……?」

 私は迷った。最初は悪戯かと思った。

 が、これが一般人であれば、無視も可能だったが、教師としては見過ごすことができない。もしその場所に待ち人がいれば、責任追及をされるかもしれない。それでは私の経歴に傷が付く。

 私は机を片付けてから旧校舎に向かう。

 旧校舎は秋ヶ丘学園が以前まで使っていた校舎だ。私が新任として秋ヶ丘に来たときには既に新校舎は出来上がり、あまり使われなくなっていた。部活や、教科ごとの物置小屋のようになっている。取り壊しの予定もあると聞いたことがあった。

 旧校舎は薄暗かった。

 二階の一番端っこ。そこに2204教室はある。部屋の明かりがついていた。

「あ、こんばんわ、先生」

 驚いた。

 そこにいたは中野奈々花。

 学校一の美少女と言われる生徒だった。

 私は中野が苦手だ。

 以前、高嶺の花とチヤホヤされているヤツに軽い気持ちで痛い目を見せてやろう、と指名したところ、難なく答えた。初めてのことだった。

 だが、驚いたのはそこではない。

 ――思ったより簡単だったよ。

 その後、生徒にチヤホヤとされている中野が呟いていた。私のオリジナル問題を、簡単、だと?

 ああいう人間には手出ししにくい。

 私は苦手意識を持った。

 が、顔の造りは良い。それこそ、私が出会ってきた女の中でも特上だ。良い体もしている。

 と、彼女のことはともかく。

 ……なぜ、彼女が呼び出したのか。

 私には理解できなかった。

「先生、すいません。どうしても、先生と二人っきりで、お話したいことがあって」

 中野は恥じらった様子で言う。

 不覚にも、性的な意味で刺激された。

 もしかすると。

 中野は、私に告白しようとしている。

 わざわざ人目のない旧校舎まで呼び出す。

 それも目の前で恥じらいを見せる。

 告白されたら、どうする?

 断るだろう。だが、せっかくの好意を無下にするのも良くない。

 それに優秀な私を見定めた者はむしろ正しいと言えるだろう。

 それに、中野に告白されるのも、まあ……悪くない。

「それで、話したいこととは?」

 私は動揺を隠しつつ、訊いた。

 中野はにこりと笑いながら言った。

「――教師が援交ってどう思いますか?」

 ………………は?

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