【013】懺悔

 □中野 奈々花


『今日は遅くなるので、冷蔵庫に保存しているものを食べt』

 あ、打ち間違えた。

 やっぱり、機械は少し苦手だなぁ。

 次こそはと、文章を作って送った。返信先はもちろん、ミサくん。返信は来るかなぁ、と思いつつも、そもそも彼はあまり携帯を携帯しない人だった。携帯の意味あるのかな、と毎度思う。

「中野さんー」

 名前を呼ばれた。

 わたしは呼んだ方に行く。

「中野奈々花さんで間違いないですね?」

「はい」

 精一杯の微笑みを付けて言った。

 看護師の人は惚れ惚れした様子で見ている。これくらい、なんてことはない。

「で、では、どうぞ。先生がお待ちです」

 わたしはそうして、部屋に入った。

 ……早く、ミサくんの顔が見たいなぁ。



 □多村 弥咲


 佐藤さんは泣き止むと、再び僕に頭を下げた。

「ごめん、急に泣き出して……」

「いや、別に、そんな……」

 正直なところ、どう対応すればいいのか、わからなくなってしまった。

「……僕は、別に、佐藤さんを、恨んでるとか、そういうのは一切無いんだ。本当に」

 僕は佐藤さんに言う。佐藤さんは僕に顔を向けた。目元が赤い。泣いた跡がまだ残っている。

「あ、お人好しとか、そういうわけじゃなくて。僕は昔からいじめ体質で、そうしてこなかったのも、諦めたのも、全部自分のせいだって、思ってるから」

 僕が、いじめを救いと感じてしまったように。

 僕には幾らでも手段はあった。

 それは良い方でも悪い方でも。

 たとえば。たとえばの話だけど、いじめていた人達に復讐をする手だってあった。いじめられている時のを記録して、警察に届けたり、いっそのことSNSに投稿してやったり。

 それはきっと、正しいことではないのだけど。僕にはやりようは幾らでもあった。

 僕は自分でいじめられる選択をした。

 それは無意識であっても、僕自身が選んだことだ。

 そこに偶然も体質も関係ない。

 僕が、僕に行った罪だ。

「変なこというとね、佐藤さんが来て、少し嬉しかったんだ。僕は痴漢事件の犯人で、君はその被害者だから」

「違うっ。弥咲は被害者じゃないっ」

「あ、そうだったね……」

「私、ずっと、ずっと後悔していたんだ。痴漢事件の噂が流れたとき、私、何も言えなかった。弥咲は犯人じゃない、って」

「それは……仕方ないよ」

「私、弥咲の力になりたい」

 佐藤さんは僕を見ていた。

 視線が交わる。こうやって目を長く合わせるのは久しぶりのことだった。

「本当に弥咲の力になりたい。弥咲は無実なんだって、みんなに伝えたいの」

「いや、そんなの無理に――」

「できるかもしれないの」

 佐藤さんは断言した。流石に驚いた。

「あの日も、今もそう。その噂が流れるまでが、異常に早い。きっと、誰かが広めているの。弥咲を犯人に仕立て上げようとしている人がいるんだ」

「え? いやいや、何でそんなこと」

「だって……、あの日、確かに痴漢事件の犯人は弥咲じゃなかった。電車に何人か同じ学校の人もいた。弥咲じゃないってわかってる。それなのに、次の日には噂が広まってるんだよ。普通じゃ、考えられない」

「……」

 僕は押し黙った。

「……ごめんなさい。これは、卑怯よね」

「卑怯?」

「私は、結局、私自身の為にしか動いてない。今まで弥咲にしてしまったものに対して、許しが欲しいんだ。自分の中で許してほしい妥協点を見つけてる……。今言ったことも、本当はそうでありたいと、私が思っているだけかもしれない」

 佐藤さんは再び視線を落とす。

「……佐藤さんは、難しく考えすぎなんだと思う」

 僕はどうしても言いたかった。

 言ってやりたかった。佐藤さんは本心で語る。自分も同じ土俵に立たないことは、失礼に値すると思った。

「……僕は、自分に何度も嘘をついた。今も、つき続けている。僕はずっと、独りでいるのが嫌だった。独りであることが、多分、怖いんだ。自分で嘘をついて、どれが本当で、どれが嘘なのかも、自分でわからなくなって。……僕だって、佐藤さんとあの時のように仲良くしたいよ。茜音、って呼んでた時みたいに」

 そうだ。僕は過去を望んでいた。

 過去の自分。過去の日常。過去の人々。

 道を進むことを諦めて、後ろを見続けていた。それを大切そうに抱え込みながら、一歩も進むことを拒み続けた。

 ああ、なんだ。簡単なことじゃないか。

 僕は未来を拒んでいただけだ。

 過去がもう過去に過ぎない事実を、知りたくなかっただけなのだ。


「僕も、自分の無実を、ちゃんと訴えたい」


 僕は佐藤さんに言った。

 佐藤さんは潤んだ目で唇を震わせている。

 袖で涙を拭うと、言う。

「うん。……絶対、弥咲の無実を証明してみせるから」

 いつか、僕らはあの時のように、幼馴染みであると思える日が来るだろうか。

 そんな未来を初めて思えた。



 □中野 奈々花


 今日はいつもより帰るのが遅れた。

 ああ、もう。予約しているのに受付で待つ時間長くないかな?

 もう時間も夜に近い。

 早くミサくんに会いたい。

 小走りで家に向かっていた。

 会いたい、会いたい、会いたい。

 早く会いたい……!

 アパートが見えてきた。

 寸前、わたしは身を隠した。

 アパートの二階、一番端の部屋から扉が開いた。そこから人が出てくる。

 …………は?

 そこにいたのは、佐藤茜音だった。

 佐藤茜音はミサくんに笑みを向けている。

 ミサくんも笑みで返している。

 おかしい。二人の仲は既に破綻しているはず。

 なのに、これは、なに?

 は? は? どういうこと?

 ねえ、どういうことなの?

 佐藤茜音、お前はなに?

 ねえ、なんなの?


 ……許せない。


 許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないズキッ許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないズキッ許せない許せない許せないズキッ許せない許せない許せない許せない許せないズキッ許せない許せない許せない許せないズキッ許せない許せない許せない許せないズキッ許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないズキッ許せない許せないズキッ許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せないズキッ許せない許せない許せないズキッ許せない許せない許せない許せない許せないズキッ許せない許せない――


 あ、そうだ。






















 消しちゃえばいいんだ。

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