【012】味方
□佐藤 茜音
私には幼馴染みの男の子がいた。
恋愛感情は無かった。
母曰く、人は好きになる一歩手前が素敵な関係であるんだそうな。人を好きになると、嬉しいことが増えるけど、悲しいことも増えるから。それに耐えきれないのなら、人を好きにならないほうがいい。
私はこの母の持論が割と好きだ。
そして、多分、私にその覚悟はない。
だから、その覚悟というものが決まるまで、ゆっくりと待つ気でいる。来ないなら来ないで、まあ仕方ないかな、と軽く考えてる。
一応、私はモテるほう、らしい。
けど、私はそれを上手く自覚できていない。周りの意見だ。そりゃあ、中野さんのような美少女であったなら。少しは意識するかもしれないけど。
告白もよくされた。私は母の持論の元、当然断った。
それからというもの、幼馴染みの男の子というのは、実に貴重な関係だと思う。
時折会えば話したりする。話は割と合い、その時間はけっこう楽しかったりする。彼との時間は心地よいとも思える。
私は母の持論に新しい一文を加えている。
人を好きになる一歩手前。
これが多分、理想の関係で、大切にするべき関係なのだと。
しかし、それは脆かった。
ずっと、ずっと後悔していた。
私は痴漢事件に遭った。
誰かに肌を触れられることが、こんなにも恐怖だとは思わなかった。それ以来、私は男の人と触れることが出来なくなってしまっている。
そんな私に声を掛けてくれたのが、幼馴染みであった弥咲だった。
安心して、涙が出そうになった。でも、堪えた。弥咲の前では強い自分を見せたかった。私なりの見栄だ。
私と弥咲は姉と弟のように近い。弱っちい弟を庇う姉。だから、立場を逆転させたくなかった。
弥咲と別れたあと、私は泣いた。
恐怖と、僅かな安堵から。
明日、弥咲に礼を言わないとな、なんて思いながら寝て、学校に行くと。
痴漢事件の犯人が、弥咲であるという噂が流れていた。
◇
もう気づいたときには、手のつけられない状態だった。弥咲は必死に無実を訴えていた。けど、弥咲は昔からいじめ体質だ。その意見はことごとく潰され、最終的にはいじめの対象になってしまった。
そのいじめはいじめではなく、制裁であるという名目付きで。
クラス自体が、弥咲に制裁しろ、という空気が広かった。それに従わないものは、弥咲と同類である。
みんな、弥咲のようになるのを恐れた。
私も、恐れてしまった。
怖い。怖くて、私はいじめる側に付いてしまった。
よく、いじめを見て見ぬ振りをする者もいじめに加担している、という。
ああ、こういうことかと、思った。
いじめを匿名で報告することもできた。やりような幾らでもある。ただ、私は空気に屈した。倫理よりも、その場の空気に負けたのだ。
情けなく、浅ましい。
なんと、愚かなことか。
それ以降、私は、私を許せなくなった。
◇
こんな噂が流れるようになった。
ねっちーを殺したのは弥咲ではないか。
噂は一瞬にして広まっていた。
その噂に真実味が帯びてしまったのは、弥咲のクラス……一年三組の授業にある。
ねっちーは生徒に解けもしない問題ないでしょう当てては、できないことにねちねちと文句をつける最悪な性格を持ち合わせていたらしい。それに関しては弁明の余地は無い。
弥咲はねっちーの標的にされていたらしい。
その日、両親の話題が出たとか。
弥咲の両親の死は母から聞いた。
不幸な事故、だったとか。
詳しい話は知らない。
が、それ以来、弥咲がどんな思いで生きてきたのかは計り知れない。きっと、私には永遠に理解できないことなのだ。
弥咲にとってのタブーに触れた。
弥咲は遂に、今まで溜めていた鬱憤を爆発させ、ねっちーを殺してしまった。
そういう噂が流れたのだ。
それは、ありえない。
私は、弥咲は犯人ではない。
そんなことはありえないと理解した。
弥咲は両親の死を経験している。人の死を、知っている。そんな人が、人を殺せるはずがない。誰よりも命の尊さを知っている人間が、殺せるはずない。
弥咲は人殺しの噂が流れて以降、物理的ないじめを受けなくなったようだ。ただ存在自体を消した。みんな、関わりを絶つことに必死だった。もしかすると、自分も殺されるかもしれない。そんなことを考えている。
弥咲は、独りになった。
本当の意味で、独りになってしまった。
人は誰かがいることで、初めて自分を認識できる。自分の顔を見ることができないのと同じように、誰かと支え合って生きている生き物。
私はそれを弥咲に教えられたから。
今度は、私が弥咲の味方にならないと。
弥咲の今の住んでいる場所は知っていた。
けど、訪れることは避けていた。
扉の前に立つと、少し震えた。
今、弥咲はここに住んでいるんだ。
私は、何も知らなかった。
知ろうとしてこなかった。
ごめんなさい。ごめんなさい。
謝って、許せる話ではないのと。
一生、背負うべきことなのに。
呼び鈴を押した。
ピンポーン、と大きな音が鳴る。
その音はやけに響いて、静寂さを際立たせた。
遅れて扉の先から音がする。
どこか慌てたような。
扉が勢いよく開いた。
「――弥咲、」
「――――――――――――――ぇ?」
◇
部屋は綺麗に整っていた。
生活感があった。少しだけ甘い匂いがする。
なんだろう、この匂い。
どこかで嗅いだことがあるような……。
「あ、どうぞ」
弥咲が丸いテーブルと座布団を敷いて、私を促した。
「し、失礼します……」
私はゆっくりと座った。
「え、えー、えっと……」
弥咲は私の前に座る。
困っている、というより戸惑っている。
それも、そのはずだ。
「佐藤さん、今日は、その、どんなご用事で?」
佐藤さん。
……当たり前、かな。
いちいち傷ついている自分が恨めしい。
「――ごめんなさい」
私は頭を下げていた。
「え? え?」
弥咲の戸惑った声が頭上から聞こえる。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……、謝って済むなんて、思ってないのに、こんなことしか言えない私を……本当にごめんなさい」
「――」
ああ、なんでいつもこうなんだろう。
言わなければいけないことがあった。
言いたいこともあった。
それなのに、どうして。
こんな泣いているの?
どうして私が泣くの?
泣きたいのは、弥咲のはずなのに。
こんなことしか言えない。
本当に、情けなくて、浅ましくて。
ごめんなさい、ごめんなさい……。
ひたすら謝ることしかできない。
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