【011】孤独
□多村 弥咲
――人殺し。
暗い闇の中で僕は溺れている。
その様子を無数の目が僕を見下ろしている。そこには目と口しかない。口は異口同音に紡ぐのだ。
――人殺し。人殺し。人殺し。
僕は人殺し、なのだろうか。
否定できる。僕は人を殺してなんていない。それなのに僕、は人殺しであるという空気が充満していた。
それは僕にとって毒だ。僕の体は毒によって侵されてきている。
――人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し。
たとえ、僕が無実を主張しても。
個では集団には決して勝てない。
空気が濃い。視線が鋭い。口から吐く言葉は刃だ。それら全てが僕に襲いかかる。僕はそれを苦痛に思えなかった。
多分、僕はずっと昔に壊れていた。だから、言われた言葉に傷つくことが無い。苦しみも悲しみも不幸も。それら全てが無い。
ただ、この地獄が続くだけ。
――人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し人殺し……
たとえば。たとえばの話である。
僕がまともな人間であったら。
どうなっていたんだろうか?
◇
田中先生が死んでから一ヶ月。
最近、僕は教室に入る瞬間が苦手になっていた。
僕が入ると、教室の雰囲気が変わる。
それを肌で、空気で感じるのだ。
視線こそ集まるが、僕に近づこうとする人間はいない。机は相変わらず落書きとゴミが詰め込まれている。今日は下駄箱もぺちゃんこに凹んでいた。
だけど、物理的ないじめは来ない。
もう、一ヶ月近く、だ。雑巾を投げてくることも、バケツの水を浴びることも、チョークの粉がかかることもない。
ただ、僕の存在を抹消しようとしている。
徹底的な無視だ。
まるで、教室に一部分だけ穴が開いてるかのようだ。
「……」
僕は席に座った。
今日も、いつも通り日常は過ぎた。
僅かな、歪みを残して。
◇
「多村君、だよね?」
学校から出て帰路を歩いている最中、声を掛けられた。学校から出てから五分も経っていない。
僕が声の方向に振り向くと、見覚えのある男女がいた。一人は四十代前半の男性。もう一人は若い女性だ。どちらも見知った顔だった。僕に声を掛けてきた女性の方に答える。
「井上さん、でしたっけ?」
「はい。覚えているようで何よりです」
彼女は井上さん。刑事さんだ。
役職などは詳しくないのでどの地位にいるのかは知らない。隣の男性は確か、上司の葉山さん、だったような。
「少し、話いいかな?」
「……はい」
話の内容はすぐに察せた。
移動した場所は小さな喫茶店だった。客も少なく、どこかひっそりしている。一番端の席に座ると、注文をした。井上さんが奢るとのことで、珈琲を注文した。
「えっと、それで、話、とは?」
「何度もごめんね。実は例の件について、また詳しく聞きたいんだ」
「は、はあ……」
例の件とは、田中先生の事件のことだ。
「田中について何か知ってることはある?」
いきなり無茶な質問をされた。
僕は正直に答えた。
「数学の教師であるのと、その、援交をしてた、っていう噂のことしか……」
「その援交の噂はどこから聞いたのかな?」
「僕、友達いないんで。ただクラスの会話を聞いてただけで、実際にそれを知ったわけじゃないんですけど」
「……その噂は、SNSにアップデートされていたみたいだね」
「そうみたいですね」
なんだろう。すごく違和感がある。
僕は言いようもない不安を感じた。
「ちなみに、多村君はその日の午後十六時から二十時の間に何をしていたか覚えたりする?」
……………………え?
その質問をされて僕は察した。
もしかして、疑われている?
僕が田中先生を殺したと思われている?
――人殺し!!
いつか見た紙切れを思い出す。僕は記憶を勢いよく押し込むと、井上さんの質問に答えた。
「あまり覚えてないですけど……、多分買い物をして、夕食を作っていたような気がします。あとは、家で勉強とかお風呂とか」
「あれ? もしかして多村君は一人暮らし?」
そこで初めて、葉山さんが聞いてきた。
「あ、はい。中学の頃に両親が死んでるので……」
「ああ、そう……」
それから僕は幾つかの質問をされたあと、別れることになった。それは話し合いというより、事情聴取に近かった。警察は、僕を疑っている、ということなのかな……。
僕はそんなことを思いながら、帰路についた。
□井上 麗奈
「やっぱり多村君との話は少し疲れるねぇ……」
多村君と別れ、車内に座ると葉山部長が言った。
「友達いないとか、両親死んでるとか、話の内容が重すぎて。プラスいじめを受けているのだろう。同情するよ」
「そう、ですか……」
葉山部長の言葉に私は素直に頷けなかった。葉山部長は当然、その反応に気づく。
「どうかしたか?」
「私は、今日多村君を見て、言葉は悪いですけど……少し気味が悪いと思いました」
「気味が悪い?」
私はごほんっ、と咳をつく。
どう説明すればいいやら。私の思っていることをできる限りわかりやすく噛み砕きながら言う。
「今日の話で、多村君が田中明夫殺人の容疑者の一人であることは察せたでしょう。私たちもそのつもりでしたけど」
捜査は難航している。
その容疑者の一人として挙げられているのが、多村君だった。それも田中が援交していた女子高生たちにはアリバイがあり、実質、容疑者からは外されている。
「多村君、どこか他人事なんです。全部自分に関係あるはずの言葉なのに、それを他人事のように受け取っているような……、あの子そのものが空っぽに見えるときがあるんです」
「それなら、僕も感じたけどね……。あの年で嫌な経験を沢山したんだ。処世術一つ学んでいてもおかしくはないと思うけどねぇ」
「まあ、そうなんですけど……」
「とりあえず、野山署長に報告かね」
葉山部長は車を発進させる。
「それで、多村君は、犯人だと思うかい?」
「それは……、まだわかりません」
私はそう答えたが、確信にも似た感覚を既に掴んでいた。
恐らく彼は犯人ではない、と。
□多村 弥咲
家に着いて、独りになって気付いた。
もしかすると、僕はいじめを望んでいたのではないか、と。
僕はずっといじめられてきた。
でも、その間、僕は誰からも認識される存在であった。つまり、僕はそこにいたのだ。今は違う。僕は殺人者と疑われ、周囲は僕を無視する。無視するということは、僕はそこにいないのだ。
本当に孤独なのだ。
独りって、こんなに空虚だったの?
僕は本当に生きていると言えるの?
……こわい。
こわい? なんで今こわいと思った?
自分が自分で無くなる気がしたから。
僕が、多村弥咲がここにいた、という事実がまるで無かったかのように感じられるから。
いっそ、いじめられていたときのほうがマシだった。僕にとっていじめは救いだった。
呼び鈴が鳴った。
ああ、そうだ。
僕にはまだ独りじゃない。
いるじゃないか。
僕にも、天使がいる。
扉を開ければ、笑顔で立っている。
僕は扉を開けた。
「――弥咲、」
「――――――――――――――ぇ?」
そこにいたのは、奈々花さんではなかった。
僕を弥咲と呼ぶのは両親以外に一人しか知らない。ただそれを呼ばれたのは久しくなかったことだ。
佐藤茜音が、立っていた。
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