【010】憶測

 □高橋 美香


 このクラスは歪んでいる。

 私たちのクラスにはいじめられている男子生徒がいる。名前は多村弥咲。その一番の要因になったのが佐藤茜音の痴漢事件だ。

 要因について、同情の余地は無い。多村は女の敵だ。それは変わらない。けど、今の多村には、少しばかり、同情はする。

 クラスはきっと、多村のいじめをいじめとすら認識していないだろう。

 最初に始まったのは、同じクラスメートの男子だった。確か、茜音のことが好きだった男子だ。彼が足を引っ掛けて多村を転ばせた。多村は鈍臭いやつだったから、顔面から床に激突していた。鼻血を出していたのが印象的だった。

 それはいじめではない。

 これは制裁である。

 多村を制裁してもいい、という空気が当然のように蔓延している。

 それに疑問一つ持たない連中が溢れ、酷く気持ち悪い。

 今日も、せっせと多村の机の中にゴミ箱を入れていた男子生徒数人を見て吐き気がした。

「ほんと、よくやるよねぇ……」

 私は親友のナナにだけ聞こえるように話した。

 ナナは高校に入ってから仲良くなった初めての友達だ。話も合い、すぐに仲良くなった。

 ナナは絵に書いたような美少女だ。私はどちらかと言えば、運動とか得意で男勝りな部分がある。釣り合いは取れていない。けど、ナナは私と親しく接してくれている。それが嬉しいことで、ナナと親友であることが誇らしかった。

 ナナは私の言葉に反応していなかった。

 ただ、何か考え事をしているようだった。

「ナナ?」

「ん? なぁに、美香」

 ナナは笑みを返しながら聞いてきた。

「ほら、あの多村のやつ……」

「ああ……」

 ナナは一瞬だけ多村の方に向けたが、すぐに視線を元に戻してしまった。

 ナナは多村のいじめに対して、不干渉を貫いている。私も同じだ。クラスの中では少数派に位置するだろう。

 空気に流され、むしろいじめに加担しなければいけない、という中でナナはそれに従わなくてもいい、特別な位置にいた。

 私はナナの親友ポジにいるため、同じくいじめに加担していない。

「大変だろうね」

 ナナはただそれだけ言った。

 これは、珍しいことだ。

 人柄の良いナナは誰に対しても平等に接する。その中で多村に関しては必要以上に消極的である気がした。

 無関心を、装っているような。

 とにかく、多村の話題をすると、ナナは冷たくなる。

 それが、たまに、少しだけ怖い。

「そういえば、ナナ、聞いた?」

「なにを?」

「ねっちーを殺したのは、実は多村なんじゃないかって、話」

「……? 知らないなぁ」

 ナナは首を傾げた。その動作一つですら可愛らしく映る。

「ほら、アイツ、よくねっちーに名指しされたりしてたでしょ? それが動機じゃないかって、噂してるの」

「ふぅん。でも、噂、なんでしょう?」

 本当に、ナナはやさしい女の子だ。

 あくまでも、擁護するような言い方で返す。

「あ、そうだ。そういえば、ナナ。例の人とはどうなったの?」

 例の人、とは。

 親友である私だけが知っていること。

 この学校一の美少女とまで言われるナナは恋する乙女だと言うこと。ナナが惚れた男というのが一体誰なのか、心底気になるが、ナナはそれだけは教えてくれない。

 もしかして禁断の恋? とか思った時期もあったけど、そうでも無いっぽい。

 ナナは彼の家に毎日のように通い詰めているとか。もはや通い妻だ。

「昨日はねぇ、彼と一緒にお鍋を作ったんだけどね――」

 その‘‘彼’’という人物は、本当に幸せ者だろう。こんな美少女に好かれてもらって。本当に、女である私でも羨ましい。

 けど、同時に嬉しくもあった。

 完璧才女であるナナは、どこか他人とは一線を引いている部分がある。容姿や能力のせいだ。だから、寄ってくる男も不純な動機を持った男共ばかりだ。

 ナナの話を聞く限り、その‘‘彼’’は誠実そうな人だった。話を聞いただけで判断するつもりなど毛頭ないが、ナナにも恋を楽しめているのが、嬉しかった。

「本当に、彼、優しくてね――」

「その人のこと、やっぱり好き?」

 私の言葉にナナは目を丸くした。

 何を当たり前なことを、とでも言いたげに。

「うんっ、大好きっ」

 ナナは楽しそうに話している。

 そんなナナを見ながら、私は一抹の不安を憶えていた。

 一つ、ナナにどうしても聞きたいことがあるの。

 それがどうしても口に出ない。

 あの日。ねっちーが死ぬ前の日。

 私は、部活動を抜け出して、教室で忘れ物を取りに行こうとしていた。

 一年三組の教室の窓からは、旧校舎の姿が見える。

 その時、見てしまった。

 二階の教室でカーテンを閉めるナナの姿を。そこにねっちーが向かっていたのを。

 ねえ、ナナ。

 貴女は、何か、隠してるの?

 そんなこと、ない、よね?



 □井上 麗奈


 田中明夫殺害の捜査会議が終わる。

「井上」

 捜査会議が終わると、私は声を掛けられた。巨体と威圧感を持つ男の声だ。

「野山署長、なんですか?」

 野山署長は今年四十六のバツイチ男性。髭と巨体が特徴的なこの署内においてリーダー的存在。人望が厚く、柔道も黒帯の経験者。いわゆる、エリートだ。

「これ、食堂の割引券。葉山と一緒に使ってくれ」

「えっ、いいんですかっ」

「今日は弁当でな」

 署長が弁当だなんて珍しいなぁ。

 手に持つ弁当箱を見る限り、手作り感がある。あの巨大な手から繊細な手付きは少し考えられない。ギャップに笑いそうになった。

「ありがたく受け取りますっ」

「おう」 

「今回の事件も頼むよ、名探偵」

「それは言わないでくださいっ!」

 私は野山署長と別れると、葉山部長と合流する。警察署食堂へ向かい、そこで葉山部長と共にランチタイムを過ごしていた。もちろん、割引券も使う。

「なあ、名探偵」

 葉山部長がカツ丼を食べながら言う。

「名探偵って言わないでください」

「なぁに、有名な話じゃないか」

「だとしても、です」

 私が名探偵と揶揄されるのは珍しくない。署内でも笑い話の一つにされている。事件が起きると、推理してしまうクセがある。何度か犯人を独自に探し当てたことはあったが、それを上に報告しても単独行動をするな、憶測でモノを語るな、女が出しゃばるな、と言って話を聞いてもらったことがない。

 葉山部長はそんな中、唯一、私の話に耳を傾けてくれた上司だ。

「今回の事件、どう思う?」

「えっと、田中明夫のことですよね?」

 今回の事件は難航していた。

 凶器が見つかっていない。

 どこで殺されたのかがわからない。

 田中明夫が放課後から姿を消していたのが一つの原因だ。田中明夫は職員室からいつの間にかいなくなっていた、と他の教師は証言している。よほど、田中明夫は職員室でも無関心な存在としていたのがわかる。

 犯人の目星も付かない。

 真っ先に挙がったのは、田中明夫が援交していたときの女子高生たち。今捜査に当たっている。

「お前、本当に援交JKがやったと思うか?」

「JKって……。なんか部長が言うと犯罪的に聞こえますね」

「おい」

「冗談です。でも、部長がそういうってことは、援交していた女子高生たちは犯人ではない、と考えてるんですか?」

「ああ」

 葉山部長は声を小さくして言う。

「この事件は間違いなく計画的犯行だ。じゃなきゃここまで捜査は難航しない。手口が徹底されている。援交していた女子高生たちの資料は見てみたが、どうもそれを行える頭があるとは思えない」

「つまり?」

「僕は学校関係者じゃないか、と睨んでいる」

 葉山部長の言葉にお、と声を出した。

 なんだ、と葉山は訊いてくる。

「私も、同じことを考えていました」

「ほう、名探偵と一緒とは嬉しい限りだね」

「だから、やめてくださいって、それ」

 私はごほんっ、と咳をつく。

「犯人はきっと、恐ろしく頭が良いです。けど、不自然な部分もあります」

「不自然?」

「掃除用ロッカーに遺体を詰め込んだことです。あそこまで徹底された犯行をぶち壊してるようなものです。犯行を秘匿するなら、わざわざ掃除用ロッカーに入れ込む必要はない」

「なるほど。最初から遺体を見つけさせることが目的だった、と」

「ここから先は完全に私の推測なんですけど……」

「ん? なんだ。言ってみろ」

 葉山部長はここで拒んだりはしない。

 それが嬉しく思う。

 この人にために頑張りたい、と思えるほどに。

「仮に遺体を運ぶにしても外部の者が学校に潜るのなんて目立ちますよね。だから、限りなく外部の線は薄い。となると、学校関係者。教師なら学校を彷徨いていても問題ないでしょう。けど、遺体を運ぶ場合、何かに詰め込む必要があります。当然目立ちます」

 葉山部長の頭上には疑問符が浮かんでいただろう。

「私が思うに、一番自然に遺体を運べる方法の一つとして台車が浮かびます」

「台車じゃあより目立つだろ」

「いえ、目立たなくする方法があります。手伝いですよ」

「ん? んん??」

「ほら、よく授業終わりや放課後に生徒に大きな荷物を運ばせようとする教師がいるでしょう。その時に台車を使います」

「は? おい、それって、つまり」

「先生に頼まれやすい、あるいは頼んでも問題ない。優秀か、あるいは押しの弱い人物……が、怪しいと思いませんか?」

 私は葉山部長の目を見ながら言った。

「秋ヶ丘の生徒が田中明夫を殺したと考えてます」

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