【039】拒絶

 □佐藤 茜音


 逃げた……!

 私は追いかけようとした。

 だが、寸前、私たちの前に人影が現れた。

「ここから先には行かせられない」

 見知らぬ初老の男性だった。

 年齢は五十ほどに見える。ガッシリとした体つき。今は黒のコートという出で立ち。顔は知らない。が、すぐに誰であるか察することができた。

「中野さんの……お父さん、ですね」

『なっ……!』

 高橋さんの携帯から息を呑む声。

『野山署長なんですか……!?』

「その声は、葉山か?」

 渋めの、男の声だった。

 それは肯定の意でもあった。

『やっぱり、野山署長、なんですね……』

 葉山さんから落胆と、絶望、軽蔑。それらがごちゃまぜになったような声が漏れる。

 私は中野さんのお父さん……野山に向けて言った。

「あなたは、中野奈々花さんがやっていることを、間違っているとは、思わないんですか?」

「それは思ってるよ……」

 野山から答えは予想外のもの。

「なら……! どうして……!?」

「娘だからだ」

 断言された。

「きみたちには、大切な人がいるかな?」

 野山の答えに私は答えなかった。

 けど、大切な人は、いた。

 お母さん、お父さん。学校の友達。

 最近は、元幼馴染みの男の子、とか。

「私はね。奈々花という人間を、誰よりも危険であると思う。あの奈々瀬の娘だ。奈々瀬の恐ろしさは、一番私が理解している。だから、多村君は気の毒に思う」

 何を、知ったような、口を。

「――しかし、そういうのを引っくるめて、私は奈々花に加担した。私は奈々花の父だ。親としての責任。娘を大切に思うのは、遅々として、当然の感情だ。……私は、償いをしなければならない」

 ……この人は、覚悟を決めているのか。

 娘が犯してしまった罪を背負う覚悟が。

「その覚悟があるなら、どうして、ナナを助けてくれなかったんですか……」

 高橋さんが、言う。

「父親なんでしょう!? なら、娘を正しい道に、正すことだって、できたかもしれないのに……!」

「……」

 野山は答えない。

 高橋さんから、悲痛の声が漏れる。

「大切だと思えるなら、どうして……」

 野山はふっと、息を吐いた。

「もう、私も狂っているから、かもしれないな……」



 □中野 奈々花


 逃げてる。逃げていた。

 どうして? なんで?

 何かから、逃げるように。

 だから、ミサくんが呼んでるのに、気づけなかった。

「――奈々花っ!!」

 引き止められる。ハッとした。

 いつの間にか、わたしは館が見える場所にいた。宛もなく走っていたせいか、その場をぐるぐると回っていた。

「はぁ、はぁ……」

 ミサくんは、息を切れ切れにしていた。

 それでも、わたしを見ている。

「奈々花……聞いて、ほしいことが……」

「ミサくんは、わたしのこと、好きだよね?」

 畳み掛けるように、言っていた。

 わたし、なにを……?

「こんな、わたしでも、ミサくんは、好きだよね?」

 違う。わたしは、ミサくんのことが、嫌いだったはず。

 けど、なぜだ。今、ミサくんからの言葉を欲している。その言葉を聞きたい。満たされたい。証明したい。

「ねえ、ミサくんは、わたしのこと、愛してるよね? わたしは、ミサくんのこと愛してるよ。すごく、すごーく。愛してるよ。ミサくんもそれは知ってるよね? わたしがどれだけミサくんのこと好きなのか、知ってるよね? だから、ミサくんも、わたしのこと好きだよね? 愛してるよね? ミサくん――」

「お願いだ、

 心臓を鷲掴みされたような。

 そんな表現が、一番似合う。

 衝撃を受けた。

 なんで、その名前で、わたしを呼ぶの?

 あなたも、もう一人のわたしがいいの?

 どうして、わたしを拒絶するの。

「僕は、どうしても、きみに言わなきゃいけないことがあるんだ」

「聞きたくない」

「聞いて、綾瀬さ――」

「その名前で呼ばないでッ!!」

 そっか。ミサくんも、わたしを拒絶するのか。

 ……ああ、なんか、痛い、な。

 わたし、ショックを受けているんだ。

 やっぱり、本当に、ミサくんのこと、好きなのか。

 嫌いで、憎んで、不幸にして。とことん絶望に落とすのが、目的だったはずなのに。

 どうしてこうも、人の感情は、ままならないものなのだろう。

「ミサくん」

「――え?」


 バチッ!


 スタンガンを押し付けていた。

 ミサくんは、地面に倒れる。遅れてうめき声が聞こえてきた。どうやら、気絶はしなかったっぽい。痺れた体で、わたしを見上げる。

 目が、合った。

 ああ、この目だ。

 わたしは、この目に惹かれたんだ。

「奈々、花……!」

 ミサくんは、動こうとする。

 スタンガンの効力は、しっかりと発揮していた。

「ミサくん、わたしは、すべてを終わらせに行くよ」

 この、どうしよもなく、続いてしまった悲劇を終わらせる。

 憎んで憎んで憎んで。それでも結局愛してしまった。

、大好きだよ」

 わたしは、館に向かって歩き出した。

 後ろから、声が聞こえる。

 まだ、何か喋っている。


「奈々花っ! 僕は――!!」


 振り返りはしない。答えもしない。  

 ばいばい、ミサくん。

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