【022】理想

 □葉山 武彦


 遅い。……遅すぎる。

 今日は井上と待ち合わせをしていた。が、一向に経っても帰ってくる様子が見られない。署に戻ってみたが、帰ってきていないようだ。

 あの、井上が約束を放り出すとは思えない。

 最近、妙に田中明夫の事件について執着している節がある。そろそろ小言一つ言ったほうがいいかもしれない、と思った矢先にこれだ。

「おう、葉山か」

「野山署長」

 署から車へと戻っている間に、野山署長に出会した。ちょうど帰宅しようとしていたらしい。

「どうした?」

 野山署長は鋭い。

 僕の些細な様子の変化に気づいたらしい。

「実は、井上と待ち合わせをしていたんですけど、姿が見えなくて……。約束を破るヤツじゃないんで、ちょっとですね。……野山署長、見てませんか?」

「んー、見てないな。少し辺りを探してみるのはどうだ?」

「わかりました。そうしてみます」

「こっちも見つけたら連絡するぞ」

「お心遣い、感謝します」

 野山署長はそう言って去っていく。

 本当に思いやりの溢れた人だ。

「……さて、探すか」

 もし、時を戻せるなら。

 なぜ井上に事件に深く関わりすぎないように、もっと早く伝えなかったのか。

 後悔しても、もう遅い。



 □井上 麗奈


 ……光が、見える。

 ここは、どこ……?

 目を覚ますと、どこか暗い一室にいた。

 椅子に座らされている。四肢に、手錠を掛けられ、ご丁寧にも縄でも雁字搦めにされている。

 少し体を動かしたが、抜け出せるとは思えない。

「あ」

 声を出してみる。声は部屋の中で反響していく。ここは地下なのだと、気づいた。

 ……やっぱり、犯人は中野奈々花だったのか。

 スタンガンで気絶させられ、この場所に連れてこられた、ということ。


 ――いや、待て。ちょっとおかしくないか?


 田中明夫を殺害したのが、中野奈々花だとする。遺体を運んだ方法がかつての推論(【010】参照)だと、まあ、当てはめることができる。

 だけど、今回は違う。

 公園で行われた。辺りは暗かったとはいえ、人の目がある。私をこの部屋に運び込むとしても、その制約があるはず。

 ただの女子高生が、私を運びきれるとは、到底思えない。

 一人では実行不可能。

 ということは、つまり――。

「あ、起きました?」

 それは突然と現れた。

 私は彼女の存在に気づくのに遅れた。

「中野、奈々花……!!」

「いちいちフルネームで呼ぶの、疲れませんか?」

 中野奈々花は会ったときと同じく、制服を着ていた。変わらない雰囲気のまま、私を見ていた。

「貴女が、田中明夫を殺したんですね?」

「ええ、まあ」

 あっけなく自供した。

 あれほどまで知りたかった真実をこうまで簡単に提示されて、むしろ私のほうが呆けてしまう。

「なんで、貴女が……」

「なんで?」

 中野奈々花は首を傾げた。

 何を言っているのだ、とでも言いたげに。

「わたしの、ミサくんを、侮辱したからですよ」

「…………………………………………は?」

「あ、それよりも聞いてください。実はわたし、彼と付き合うことになったんですっ。わたしの今までの努力が実ったってことなんですかね? 彼、わたしと釣り合うために色々頑張ってるんですよ。それを見るだけで本当に幸せなんです」

「…………なにを、言って、」

「今日の朝とかもそうっ。最近、髪も切ったおかげか、よりかっこよく見えるんですっ。彼の魅力が増すのはいいけど、それで悪い虫がつくのは大変。振り払うのも一苦労だし」

「ミサくん、とは、多村弥咲の、ことでしょう?」

 私は震えた声で訊いていた。

「ええ、そうですけど?」

「痴漢事件の冤罪も! 田中明夫の殺人犯の噂を流したのも! 全部貴女のせいでしょう!? なぜ、好きな人なら、その人にとって良くないことをするんですか!?」

「それでいいんですよ」

 もう、わけがわからない。

「ミサくんには不幸になってもらって、彼の世界を、わたしと彼だけのものにしなくては。わたしは、彼のすべてがほしい。そのためにすべてを捧げられる。わたしは彼を愛してるから」

 目の前の少女は、化物だ。

 少女の皮を被った化物。

 悪そのものだ。

 私は一度ひと息つくと、化物を睨み返した。

「貴女のそれは狂ったエゴです。知ってますか? そういうの、巷ではヤンデレっていうそうですよ。貴女の場合、ただ禁忌を犯した、ただの殺人犯ですけど」

「それって、悪いことなの?」

 化物は目を丸くして言う。

 あはは、相変わらず狂ったことを言う。

「禁忌を犯すほどの愛って、素敵なものだと思いませんか? 犯罪って、自分を犠牲にすることだと思うんです。殺人なんて、犯罪の中でも、特に良くないこと。それをみんなわかってる。わかってるからやらない。けど、そのために愛を捨てるんですか? 愛はその程度のものなんですか? 違うでしょう? 尊いものなはずです。素晴らしいものなはずです。けど、綺麗ではありません。その愛は、汚く、どんよりとしていて、どこか甘ったるい。人を陥れるものが、愛でしょう? 井上さんもそう思いませんか? 貴女も恋をしてますよね? 葉山武彦たけひこ、でしたっけ? 貴女の上司ですよね? 彼と付き合いたいでしょう? えっちをしたいでしょう? どこまでも堕ちたいでしょう? 彼のためなら、自分の身を幾らでも削りたいと思えるでしょう。わたしもただ好きな人に尽くしたいだけなんです。ヤンデレ……。良い言葉だと思いませんか? 病んでるほど愛しているのでしょう。そこまで好きな人を尽くせるなんて、本望じゃないですか。――ヤンデレって、理想の自己犠牲だと、わたしは思います」

 きっと、手遅れだった。

 この化物は、とっくの昔に壊れている。

 けど、一言だけ言いたい。

 言ってやりたい。

「貴女、自分を正当化してるだけでしょう?」

「…………え?」

 中野奈々花の表情がぴくりと動いた。

 ああ、動揺した。

 やっぱり、動揺するんだ。

「どれだけ取り繕っても、どれだけ愛を語ろうとも。結局貴女がやったことは、何一つ正しくない。――貴女は間違ってる」

 言ってやった。

 ねえ、貴女は今どんな顔をしている?

 中野奈々花――。

「…………え?」

 中野奈々花の顔を見て、私は声を漏らしていた。


「本当に、最後までむかつく人だなぁ」


 彼女は嗤っていた。

 違う。これは、違う。

 決定的に、私は間違っていた。

 彼女は――

 その結論にたどり着くと同時に、私の意識は途絶えた。

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