【008】残虐

 □井上 麗奈


 その死体を見たとき、私は吐き気がした。

 憧れの警察官になって初めての殺人事件。

「おい、ルーキー、大丈夫か?」

 私に声を掛けてきたのは、先輩の葉山巡査部長。二十五でその地位に就いた刑事課のエースだ。私は彼のペアだ。

「大丈夫ですからっ。それと、ルーキーってあだ名やめてください」

 私は口を押さえながら言った。

 あまり説得力は無かったと思う。

 葉山部長は死体を見て、うへぇ、と顔を歪ませた。

「こりゃあ酷いな」

「話によると、この教師、援交をしていたようですよ」

 学校内での噂はそれに持ちきりらしい。

田中たなか明夫あきお、四十二歳。独身。数学担当の教員。学校でもかなりの嫌われ者だったようです。裏からはねっちーと呼ばれていたとか」

「ねっちー」

「生徒を名指しして、解けもしない問題を解かせようとして、出来ない生徒に対してネチネチと罵倒を浴びせるようです。教師失格ですね」

 それに加えて、裏では援交もしていたようだ。女子高生ばかりを狙い、乱暴まがいなプレイも平気で行っていたとか。人格面でかなりの問題があっただろう。

「死因はナイフのような鋭利なもので何度も刺されたことによる刺殺で間違いないだろうとのことです。死亡推定時刻は昨夜の十六時から二十四時まで」

「範囲広くね?」

「それが放課後田中は急にいなくなったようです。だから、どこでいつ殺されたのかもわかってません」

 葉山部長はお手上げとでも言いたげに両手をひらひらとさせた。私は手帳に記した内容を読み続ける。

「犯人は田中を殺したあと、一年三組の掃除用ロッカーに押し込み、逃走した」

 なぜ、掃除用ロッカーに押し込む必要があったのか。私がそれを考えようとするよりも早く、葉山部長は催促した。

「第一発見者は?」

「えっと、一年三組の生徒だそうです」

「今どきって、朝に掃除すんのか……?」

 葉山部長は首を傾げていた。

 ここから先の情報を話すのは気が引けた。

 私は葉山部長を手招きする。葉山部長は顔だけを近づけてきた。私は耳打ちする。

「そのクラス、どうやらいじめがあるみたいです。机の中にゴミを入れられ、それを片付けようとするときに、見つけたようです」

「うわぁ、いじめかー」

「ちょ、葉山部長っ。声が大きいですって!」

「君のほうが大きくない?」

 私たち二人は現場を後にする。

 一度報告しなければならない。車に乗り込む。私は助手席だ。葉山部長は運転席に座ると、ポツリと言った。

「いじめって、本当にあるんだねぇ……」

 どこかしみじみとした様子だった。

「どういうことですか?」

「いや、僕は生まれてこの方、いじめには遭ったことがないし、いじめられた子を見たこともなかったからねー。どこか別世界の話に聞こえるわけさ」

「まあ、私もそういう経験はありませんし……」

「お、無いの?」

 葉山部長は意外そうな顔をした。

「なんで、そういう顔をするんです」

「いや、君は意見がぶつかっても真っ向から向かうでしょ? 女子の社会ってそういうのに厳しいんじゃないの?」

「偏見です。これでも、私、昔は流されやすい体質だったので」

「ふぅん」

 葉山部長はエンジンをかけて、進み出した。車が動き出してから暫く。葉山部長は言った。

「いじめってさ、よくいじめられている人にも原因がある、って聞くだろ?」

「? はい……」

「それ聞くと、何抜かしてるんだ!! って思うんだけどさ。よくよく考えてみると、何もないのにいじめが起きるわけないだろ? 人にも相性が合って、コイツのこと嫌いって直感的に思うこともあるわけよ。それがいじめの原因になることもある」

「は、はぁ……」

「つまりな。いじめは個人じゃなくて、集団ってことだ。それは、自分ひとりじゃ何も出来ない裏返しでもある。いじめられてるヤツは本当に気の毒だと思う。けど、僕はそれ以上にいじめてるヤツを憐れに思うよ。そうすることでしか、自分を自分として確立できないんだから」

 葉山部長は時々語り出す。

 大抵は難しいことで、私にはちっとも理解できない。それを一度言うと、葉山部長は笑っていうのだ。

 別に理解しなくていいんだよ。個人の意見をどう捉えるかはその人次第。

 だから、今言った葉山部長の言葉も私流に解釈するならこうだ。


 いじめとは、悲劇だ、と。


「学校側は一年三組のいじめを認知していないのかな?」

 葉山部長が思いついたように言う。

「恐らく、認知してはいるんでしょうね。話によると、秋ヶ丘学園は昔に不祥事を起こしていて、これ以上揉め事を起こしたくないとか」

「だったとしたら酷い話だなぁ」

 と、私たちが口にしても、あくまでも他人事。いじめを実際に受けている被害者の気持ちなんて理解できない。理解しようと思ってはいけない。

「そういや、不祥事って何やらかしたんだ?」

「えっと、それは……なんだったっけ? ちょっと待ってください。手帳に書いた記憶が……」

 私は手帳を取り出し、ペラペラとページをめくっていく。最近、情報が整理されずに次から次へと記載しているのでごちゃごちゃになっていてわかりづらい。

 ようやく、見つけた。


「――強姦事件、だそうです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る