【007】鮮血

 □多村 弥咲


「おっはよー、ミサくんっ」

 朝扉を開けると、奈々花さんがいた。

「今日早いね」

「うん、今日は一緒に朝ごはん食べようと思って。もう食べた?」

「ううん、食べてない」

「なら、ちょうどいいねっ。お邪魔しまーす」

 奈々花さんは部屋に入ってくる。既に制服姿だ。僕も一旦部屋着から制服に着替えたあと、居間に向かう。テーブルにはスープと焼いた食パンが並べられていた。スープはミネストローネ。食パンは簡易版ピザだ。

『いただきます』

 ハモった。

 お互い目を合わせてくすりと笑う。

「奈々花さん、何か良いことあった?」

「えっ、どうして?」

 奈々花さんは驚いていた。

 食パンを食べる手を止めている。

 僕はどうしてと聞かれて困った。

「えっと、なんでだろ? いつもより笑ってるとか、雰囲気に明るさが乗ってるというか、いつもより生き生きしてる気がする」

「そ、そうかなっ?」

 奈々花さんは照れていた。その照れ姿を見て僕も照れてしまった。

「今日は星座占いが一番だったから、嬉しかったのかも」

 明るい理由が奈々花さんらしいと思った。

 占い系を、奈々花さんは信じるタイプなのかな。

「あ、ミサくんも調べようか?」

「え、僕は……、」

 いいよ、と答えようとした。

「えっと、さそり座だよね。――あ、」

 奈々花さんは形態を取り出し、操作して、止まった。その表情だけで察した。

「最下位だったかな?」

「え、いや、そのー」

 奈々花さんはドキリとしたように飛び上がり、目を泳がしていた。

 奈々花さんは嘘が下手だ。僕は親しくなって長らく、奈々花さんの嘘なら大抵見破れる自信がある。

「で、でもねっ。ラッキーカラーは赤だって。何か赤いものあるかな? あ、今日のお弁当にプチトマト入れようっ」

 奈々花さんはそう言っていた。

 僕はその姿に微笑んだ。

 奈々花さんも遅れて笑った。

 今日は朝から良い日だった。

 けど、良い日だったのは、朝だけだった。



 □中野 奈々花

 

 昨日は作業に時間が掛かりすぎちゃった。

 だから、あまり眠れていない。

 だから、いっそのこと早めに起きて、朝食の準備をした。今日はミサくんた一緒に朝を過ごそう。それを考えただけで気分が高まる。

 朝、ミサくんを見たら、眠気も吹き飛んだ。ああ、やっぱりミサくんはわたしの全てだ。それを再認識できる。

「奈々花さん、何か良いことあった?」

「えっ、どうして?」

 ドキリとした。

 わたし、そんなにオーラが出てたかな?

 けど、それよりも嬉しいことがあった。

「えっと、なんでだろ? いつもより笑ってるとか、雰囲気に明るさが乗ってるというか、いつもより生き生きしてる気がする」

「そ、そうかなっ?」

 嬉しかった。

 本当に、嬉しかった。

 慌てて演技をした。

 じゃないと、泣きそうになる。

 ミサくんがわたしを見てくている。

 それが、すごく嬉しい。嬉しくてたまらない。わたしもミサくんのことを見ているよ。年中無休、二十四時間感じてるよ。

 ミサくんも、きっと、わたしと同じ想いを感じてくれているのかな?

 そうだったら嬉しい。

 いや、そうしないといけないんだ。

「で、でもねっ。ラッキーカラーは赤だって。何か赤いものあるかな? あ、今日のお弁当にプチトマト入れようっ」

 赤、赤かー。

 この占い、全然的はずれだなぁ。

 ちょっとだけおかしくて。

 でも、笑うミサくんを見て、どうでも良くなった。



 □多村 弥咲


 学校に着くと、教室は騒然としていた。

 というより、学校自体が、大騒ぎしていた。

 僕には教室に友達はいないので、あくまでも聞き耳を立てたものでしか情報は無い。けど、驚いた内容だった。

 曰く、田中先生が援交をしていた。それも女子高生を対象にして、乱暴な行為を行っていた、とか。

「オレはアイツはやると思ってたわー」

「うわ、それ後出しなヤツじゃん。まあ、俺はやると思ってたけどね」

「パクるなよー」

 けど、この雰囲気は、どこか違う。

 学校の教師が教師らしからぬ行為をしたことに対する、ショックではない。むしろ、この未知なる出来事に楽しんでいるようにも見えた。

 みんな、非日常を欲している。

 自分のことではない限り、それはテレビの先から見たワンシーンのような出来事としてしか捉えることができず。

 それを楽しむことすらできた。

「変態かぁー、それならウチのクラスにもいるだろ?」

 一人がそう言った。

 視線が集まるのを感じる。

「ああ、そういや、いたなー」

 ドンっ、と頭上に小さな衝撃が来た。

 同時に、異臭が鼻をついた。

 頭に手を触れようとして、思わず手を震えさせてしまった。

 濡れた、雑巾だった。

 汚く、一週間は放置されていただろう、雑巾を頭に投げつけられたようだ。

「お、ナイッピー」

 やりぃ、という声が聞こえた。

 今日は雑巾地獄かな?

 と、思っていたら。

 机に座って気付いた。

 机の中にゴミが沢山入っていた。

 教科書やノートは全て持ち帰っているので、机の中がゴミ箱状態だった。

 もしかして、このクラスはゴミ箱が僕の机の中だと思っているのだろうか?

 そんなふうにすら思えてしまった。

 僕を見てくすくす笑う声も聞こえる。

「今日の数学の授業どうなるんだろ?」

「自習じゃね?」

「なら、最高じゃん」

 僕はそんな会話を聞きながら、机の中のゴミを片付けるために掃除用ロッカーに向かった。

 ロッカーに手を付けたときに、気づくべきだった。

 ロッカーを開けた。

 バン――。

 扉の隙間からそれは倒れた。

 僕はスローモーションのように見えた。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 それは落ちていく。

 バン、という音が聞こえて、僕は初めてその正体に気付いた。

 幾つも穴が開いていた。

 あちこちが変な方に曲がってる。

 呼吸が苦しくなる。

 なんだこれ。それが倒れた際に、僕の頬に何かが飛来していた。

 赤い液体が――血が流れていた。

 そこに倒れていたのは。

 いや、死んでいたのは――。


 田中先生だった。

 

 教室から悲鳴が聞こえた。

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