【024】反響

 □葉山 武彦


 ……おかしい。

 もう、一週間だ。一週間も井上の姿を見ていない。

「葉山部長、そろそろお休みになられたほうが」

「休んでいられるかッ!」

「ひっ!」

 後輩の言葉にも、怒鳴って返してしまった。僕としたことが。情けない。

「……すまない」

「いえ、……こちらこそ。不躾なことを言ってしまいました……」

 後輩はそう言うと、去っていく。

 僕は机の上で頭を抱えた。

 井上が行方はほとんど掴んでいない。

 考える限り、最悪なものが浮かぶ。

 井上は田中明夫殺害事件を追っていた。おそらく、僕には言わなかった何かを掴んでいたんだ。そして、犯人に――。

 考えるな。私情を挟むな。

 今は、犯人を特定することに、集中するんだ……!!

 僕は隣のデスクを見る。

 散乱された資料の数々。井上のデスクだ。

 僕は井上のデスクを探索することにした。資料はどれも田中明夫殺害事件のものばかりだ。

「……これは、ネット掲示板か?」

 コメント欄を見ると、秋ヶ丘の学校裏サイトだろう。内容はかなり酷い。〇〇先生がうざいとか、〇〇ちゃんは無視しようとか。人の悪意がそのまま書き込まれている。

 特に酷いのが、ある一人の生徒に対して、集中的に誹謗中傷をしていることだ。

 名はT。……確か、多村弥咲のことだろうか。

 かつて起きた痴漢事件と、田中明夫殺害事件の犯人として噂されてしまっている。

 ……いや、待てよ。

 井上は、生徒が犯人かもしれないと言っていた。

 まさか、こいつが……。

 僕はさらに井上のデスクを漁る。

 何か、確証がほしい。

 お前は、何をしていた。

 誰を探していた。

 何を、知ったんだ。

 井上――!!

「……見つけた」

 それは井上の記帳だった。

 あいつは些細なことでもメモをとるメモ魔だった。おそらく、何か書かれている、はず。

 僕は、記帳を開いた。


 □井上麗奈 記帳 p.34


 痴漢事件と田中明夫殺害事件

 繋がり あり

 多村を犯人に仕立て上げる?

 電車 痴漢事件 学校裏サイト

 佐藤茜音 ✕

 多村弥咲 ✕

 西田孝平 ✕

 高橋美香 ?

 中野奈々花 ?

 高橋 中野 どちらか?


 すべての黒幕がいる

 許さない。絶対逮捕してみせる!



 □高橋 美香



 ナナは、変わった。変わってしまった。

 元から大人っぽい雰囲気を、持っていたけど、それがさらに色っぽさも加えられた。

 たぶん、そういうことなのだと思う。

「ねえ、美香」

「……ん? なに?」

「最近、なにかあった?」

 放課後、ナナに呼び止められた。

 その質問にどきりとする。ナナはどこか心配そうに訊いている。そんな目を向けないでほしい。

「なにかって、なにが?」

「んー、なんだろう。最近、少し様子が変だから」

 変にもなる。

 でも、今のナナの対応は親友を心配するものと変わらない。

「……ううん。なんでもないよ」

「そう、ならいいんだけど……」

「心配かけてごめんね。大丈夫だから」

「うん」

 私はそう言ってナナと別れる。

 いつまで、気づかないふりをしているのだ。疑っている自分も嫌だ。親友を疑うなんて、私には、できない。したくない。

 ナナは私が勘付いてるかもしれないことに気づいてるのだろうか。

 恐ろしい、と思ってしまった。

 あの完璧美少女の裏に潜む何かが心底怖かった。

 気づかないふりをすればいい。

 多村が痴漢事件の冤罪になったときも、彼が犯人ではないことは知っていた。そのうえで無視した。空気に逆らわずに、ただ流れに従った。それと同じだ。

 知らなくていいこともある。知って良くないこともある。

 知らなくていい。

 それでいいじゃないか。

「高橋美香さんですね?」

 声を掛けられた。いつかの記憶が甦る。あの正義のヒーローのような人。

 声は女のものではなかった。

 男の、少し低い声。

「あなたは……」

 見覚えがあった。 

 三十ほどの男性。確か、井上さんと以前一緒にいた刑事だ。

「葉山です。少しお話をおうかがいしても?」

「……話ならもう、井上さんに、しましたが」

 私の言葉に葉山さんは僅かに目を見開いた。まるで今その事実を知ったかのような表情だ。

「なら、尚更です。車を停めてあります。来てもらえますか」

「え、車、ですか……」

「大切な、話なんです」

 大の大人と車という密閉空間に二人きりになるのは、それが非常事態であっても抵抗感を覚えた。

 それでも、葉山さんは私に頭を下げた。

「頼みます」

「…………わかりました」


 ◇


 車の中は散乱していた。

 前と同じ車に乗っていたはずなのに、全く違う車に乗ったかような、そんな感覚を覚えた。

「田中明夫殺害事件……」

 葉山さんはぽつりとこぼした。

「以前起きていた痴漢事件。この二つの事件……。高橋さんはご存知ですよね」

「……はい。……その、」

「?」

 私は声を掛けられたときから不思議に思っていた。なぜ、井上さんがいないのだろう。てっきり、車の中で待機していると思っていたが、そういうわけでもない。

「井上さん、は?」

 私の質問に、葉山さんは目を伏せた。

「……なるほど」

 何かを、納得していた。

 再び葉山さんは私を見た。

「井上は以前、あなたと会ってるんですね?」

「え、ええ。まあ」

「井上は現在行方不明です」

「――!?」

 行方、不明……?

 それって、つまり……。

 ああ、なるほど。そういうことか。

 私は視線を落としていた。

「高橋美香さん。あなたは、この事件について、何か知っているんじゃないですか?」

「……」

 井上さんと私は会っていた。

 その時、井上さんは気づいたんだ。

 ナナが犯人であることを。

 そして、ナナに会いに行き――

「僕は、井上麗奈に惚れてました」

「――え?」

「完全なっ、私情ですけどね。向こうも多分、僕のことが好きだったんじゃないか、って思ってます。実際はどうだかわかりませんし、そもそも、おっさんの勘違いかもしれない。……ただ、やるせない」

 葉山さんは力なく笑う。

「僕も、なんとなく気づいちゃいます。アイツはすぐに突っ走る性格なもんで、巻き込まれ上等な感じはありました。僕はただ、アイツのできなかったことを、最後までやりきりたいんです」

 葉山さんはそう言うと、懐から一冊の記帳を取り出した。

「井上のものです。このメモの最後には、あなたともう一人の人物が挙げられていました。あいつの推理はいつも正しかった。あなたの反応を見ればわかります。そういうことなんでしょう」

 葉山さんは頭を下げた。

「恥も承知です。どうか、僕に力を貸してください」

 気づかないふりをすればよかった、なんて嘘だ。

 私自身にわだかまりは残り続ける。

 それを一生背負っていけと?

 無理だ。私にはできない。

 私は井上さんのような正義のヒーローにはなれない。

 なれないけど。

 目を背けていてはいけない。

「…………知ってます」

 私はそれを口にしていた。

「私の親友――中野奈々花が、犯人だと、思います」

 ナナ。私はあなたとちゃんと向き合うことにするよ。

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