【030】暗鬼
□多村 弥咲
昼食の雰囲気は最悪だった。
それも当然だ。なにせ人が死んだ。
死んだ人は僕をいじめていた谷山君。いじめられていたが、それでもずしんと来るものがある。人が死ぬ、という感覚は、人の心にぽっかりとした穴を開ける。
まさに、空虚な状況だ。
昼食は広場で集まり、一緒に食べる。
それは熊井先生が決めたことだ。たぶん、集団になって少しでも恐怖を紛らわそうと考えたのかもしれない。
僕は少し離れた席で昼食をとる。昼食はおにぎりと卵焼きや唐揚げなどが入った弁当。元々合宿二日目に食べる予定だったものだ。
「えー、とりあえず、話を聞いてくれ」
熊井先生がそう言った。
沈黙していたので、熊井先生の声はそこまで大きくなったが、よく響いた。
「今は、まだ。とりあえず。自分のことを第一に考えろ。明日の昼にはバスが来る。それまでの辛抱だ。自分の部屋で待機して、部屋には鍵を掛けろ。もし部屋の外に出るときは一人ではなく、二人以上で行動するようにすること」
「――あの、先生」
「ん? なんだ、小林」
熊井先生の話に小林さんが口を挟む。
小林さんはボーイッシュな雰囲気のスポーツ才女。自分の意見をちゃんと口にできる人だ。
だが、それは時と場合による。
「殺人犯を、捕まえなくていいんですか?」
殺人犯、という言葉にざわめきが起きる。
今、僕の知らないところで、谷山君を殺した人が高橋さんではないか、という話題が広まっている。高橋さんを庇ったことで、佐藤さんも怪しまれてしまっている。
「殺人犯がいるのに、こんなゆっくりしてるだけでいいんですかっ?」
小林さんはそう言う。
良くはない。そんなの、熊井先生だって気づいているはず。
本来であれば、小林さんもその事実に気づくだろう。けど、谷山君が死んだことは小林さんを確かに追い詰めていた。
誰もが空気に耐えるのに必死だった。
熊井先生は頭を掻いた。
「あのな、オレは立場上、生徒を疑いたかない。そもそも、プロじゃないんだ。オレたち一人ひとりが犯人かなんてわかるはずもない」
熊井先生は小林さんを見て、一度全員を見るように視線を動かす。そうして、再び小林さんを見ると口を開いた。
「犯人を見つけて、逮捕するのは警察の仕事だ。オレは教師で、生徒の味方であるのが仕事だ」
熊井先生の言葉に小林さんは黙り込んだ。
そこで昼食は終わることになる。
「小林、芽吹の様子、頼むぞ」
熊井先生は今この場にいない芽吹さんのことを小林さんに頼んでいた。小林さんは頷きだけ返すと、広場から出ていく。
僕も席を立つ。寸前、奈々花と目が合った。
奈々花は僕にだけ見えるように小さく手を振ってきた。僕は笑みだけ返す。
とにかく、部屋に戻ろう。
そう決めた瞬間だった。
「きゃああああっっっ!!!?」
悲鳴が響いた。
□高橋 美香
悲鳴が聞こえた瞬間には、私はもう何が起きたのかを理解した。
悲鳴は小林さんのものだった。熊井先生が真っ先に動く。
「お前たち、動くなよッ!!」
熊井先生はそれだけ口にすると二階へ上がっていく。
視線が時折私に向けられている。
危ない、本当に犯人に仕立て上げられようとしている。
「おいおい、何があったんだ……?」
「今の声、小林の、だよな?」
「ちょっと見に行こうぜ」
「おい、やめとけって」
「つうか、まじで誰かが犯人なの?」
誰が、犯人だって?
そんなの、一人しかいない。
熊井が遅れて戻ってくる。
「先生、何があったんですかっ?」
誰かが訊いていた。熊井は頭を横に振っている。それが諦観の意が込められている、と遅れて気づいた。
「……芽吹が、死んでいた」
ざわめくクラスメート。
私は奈々花を見ていた。
奈々花は何を考えているのかわからない表情だった。本当に、もう四人も殺したの?
人を殺すことに、躊躇がない。
あんなに、天使みたいに優しかったはずの、あなたが……。
私の知る中野奈々花と合致しない。
今私に映る中野奈々花は天使じゃなかった。
ただの、化け物だ。
――なあ、誰が殺したんだ?
クラスの中で、不穏な空気が生まれていた。
□葉山 武彦
秋ヶ丘学園でかつて起きた女生徒強姦事件。その担当者は野山署長だった。
これを偶然と片付けられるほど、僕は馬鹿になるつもりはなかった。
中野
中野奈々花の母。彼女はかつての強姦事件の被害者だった。その担当者――野山署長とも何らかの繋がりがあるはずだ。
考えたくはなかった。
本当に、考えたくなかった。
それでも、事件の状況や高橋さんの話を聞くと、どうしても辻褄が合ってしまう。
仮に全ての事件の犯行が、中野奈々花の手によって行われたとして。
物的証拠も残さずに犯行を女子高生が行うなんて、常識的に考えれば不可能だ。
当然、協力者がいると推測できる。
だが、その協力者はただの協力者ではあり得ない。
つまり、証拠やデータを事前に隠蔽することが可能である――内部の可能性。
署に戻ると、野山署長の姿が見えなかった。偶然歩いていた後輩に声を掛ける。
「野山署長がどこにいるか知ってるか?」
「あー、それが一昨日ぐらいから休暇でいないんですよー。珍しいですよねー」
そんな偶然あるわけない。
「それで、野山署長に何か用事が?」
「いや、なんでもない」
僕は後輩と別れると資料室へ向かう。
署内には実は資料室が二つある。署内の人間は第一、第二、と呼んでいる。
実際に使われているのは第一で、第二は物置小屋と化しつつある。サボり部屋としても密かに活用されているらしい。
僕が向かったのは第二だ。署内の最も日陰の場所にあり、中に入ると、既に目当ての人物はいた。
「よ、久しいな、葉山」
「成田、久しぶり」
同期の成田。鑑識課の男だ。
「わざわざこんなとこで待ち合わせなんて、なんだ、
「まあ……、そんなとこ。誰にも言ってないな?」
「ああ、もちろん。同期のよしみだから」
成田はそう言うと、僕をじっと見た。
「なに?」
「いや、思ったより元気そうで良かった」
「はは、元気そうに見えるか?」
「いや? けど、何もしてないよりマシさ」
成田はそう言うと、封筒を渡してくる。
僕がそれを受け取るのを確認すると、成田は部屋を出ていこうとする。寸前で呼び止めた。
「すべて終わったら焼き肉食おう。僕の奢りだ」
「なら叙○苑な」
「容赦ないな……」
手をひらひらと振りながら去る成田をよそに、僕は封筒を開いた。
封筒の中に入っていたのは、USBメモリだ。資料室に備えられていた型の古いパソコンに挿し込む。
USBメモリには、野山署長の個人情報が記されていた。完全に違法行為だ。
それでも、証明したかった。
野山署長が、中野奈々花の協力者でないことを、証明したかった。
僕が刑事課でもエースと呼ばれるようになったのは、すべてあの人のお陰だったんだ。
失敗も挫折も、あの人が支えてくれた。
あの人は、僕の恩人なんだ。
だから、信じさせてほしい。
個人情報の中には戸籍謄本があった。
そういえば、野山署長はバツイチだった。
……………………バツイチ?
「あ――、」
繋がった。繋がってしまった。
かつての個人情報の中に記されていた。
中野奈々花は、以前離婚によって別の名を名乗っていた。
野山奈々花、と。
父と娘――元は、親子だった。
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