第19話 迷宮迷路Ⅶ 混沌奏者/カオスプレイヤー


 驚きと共に、「そりゃあそうか」という納得感もあった。


 俺の目の前にいる小柄な女の子に見えるイニィさんが、実際には見た目通りの『文系眼鏡ロリっ子委員長』的な存在ではないことには、俺も当然に気が付いていた。


(イニィさん、深層域から逃げて来たって言ってたもんな……ということは、そこまで単独ソロで潜ってたってことだろ? おいおい、やっぱとんでもねぇな『世界を旅する冒険者ワンダラー』……!)


 ぶるり、と背筋が震える。

 たった一人で何者にも止められることなく、どこまでも歩いて行ける者。——まさに、俺のなりたい『世界を旅する冒険者ワンダラー』という存在そのものだ。


「ふふん……ビックリしたのですか? それならオマケで面白いものを見せてあげるのです」


 そういうと、イニィさんは白い短杖ワンドを振りながら悪戯っぽく笑う。

 ——次の瞬間、その小柄な身体から濃密な闇の魔力が噴き出した。


く目覚めよ、冥府のともがら。汝らに安寧の眠りは無く、永劫の苦闘をこそ歓喜せよ——【亡者兵の百人隊デッドマンズ・センチュリオン】!』


 呪文の詠唱と共に、ぼおっ、とイニィさんを中心に黒い魔術光が波形を描きながら周囲に広がっていく。

 すると、ダンジョンの地面が沸き立つように隆起し、一部白骨化した蒼白い手が地面から次々に這い出してくる。瞬きをする間に、見るもおぞましい、亡者の歩兵たちが一斉に整列した。


「——ちょっ、これっ、イニィさん!?」


 『不死者アンデッド』の軍勢!? 

 こんなのを一度に大量に召喚できる、ってことはイニィさんの職位クラスは——


「——そう。僕は遺体を弄び死者の魂を操る、不浄なる【屍霊魔導師ネクロマンサー】。……驚きました?」


 眼鏡の奥で、「してやったり」という顔でニヤッと笑うイニィさん。


 【屍霊魔導師ネクロマンサー

 古くはイニィさん自身が言うように「不浄なる邪悪な魔法使い」というイメージで語られる職位クラスであったが、昨今ではその認識は見直されてきている。

 実際には能力に善悪はなく、上位の鬼神や怨霊を従えて彷徨える霊魂を導き、救いを与える『闇属性の高位聖職者』なのだ。

 ……だがまぁ、急に目の前に『不死者アンデッド』が現れたら誰だってビビると思う、普通。


「……意外にお茶目なんだな、って思いました」

 

 俺は強がって見せたが、心臓がバクバクしているのがどうも隠せていないらしく、イニィさんにニヤニヤされてしまった。くそぅ。


「くくく、僕ばっかりビビっててバランス悪いので、ナギもちょっとは驚くといいのです」


 そんな。一体俺が何をしたと言うのか。

 ちょっとティアとの絆を見せつけて、深層域のモンスターを百体ばかり解体しただけだというのに。要らぬところで俺は偉大な先輩のヘイトを買ってしまっていたらしい。


(何故だ、俺はこんなにも『世界を旅する冒険者ワンダラー』なイニィさんを尊敬リスペクトしていると言うのに……ハッ、呼び方か?)

 

「……あの、これからイニィ先輩って呼んでもいいですか?」


「ぬふふふふ! いいですとも! 存分に先輩をたっとび、うやまっていくとよいのです!」


 どうやら当たりだったっぽい。

 大冒険者であるイニィ先輩は、上機嫌で白杖をくるくる回して、


『行け! 征け!! 逝け!!! 敵を探して殺せ。殺せぬならばれらも諸共に死ぬがよい!!』


 と指令を下す。

 部隊の中央にいた羽兜を被った指揮官っぽい亡者兵が剣を掲げて百人隊に指示を出す。亡者兵たちは一糸乱れぬ歩調で、隊列を組んだまま下階へ向けて進軍していった。


「これであとは反応あるまで放置でおっけーなのですよー」


「イニィ先輩流石っす! カッケーっす! ステキっす!!」


「にゅふふふふ、見る目のある子は好ましいのですよ、ナギくん。しっかり先輩の一挙手一投足を見て学ぶのです!」


 先輩風というハリケーンを吹かせながら、イニィさんは嬉しそうに他にもせっせと設置型トラップの魔法陣を展開し始めた。


 ふっ、他愛もない。

 イニィ先輩ったら、チョロかわいいぜ。



 ++


 ……その反応は、突然やってきた。


「あ、やられたみたいです。——ほんの一瞬で全部の反応がロストしました」


 イニィさんは至って平静な声で呟く。

 平然としている先輩の隣で、俺は急に緊張感の高まりを感じていた。……死の気配が、階下から近寄ってきている。


(うお、ぉ……! この体になったせいか、敵の殺気をビリビリ感じる……こえぇ)


「きゅるるるるる……」


 俺の緊張感が伝わったのか、ティアも低い唸り声をあげて、警戒を露わにしていた。

 

 ——音がない。静かだ。

 

 耳を打つほどの静寂。

 空気がびりびりと張り詰めていく。




 そして。

 ソレはやってきた。



 


 強大なプレッシャーの中、階段を登って姿を現したのは意外なことに子供ほどの大きさの、人型をした魔物だった。


「え?」


 隣から小さく驚愕の声が漏れる。

 

「違う! 深層域で見た個体と、姿も形も変わっているのです……! あれは一体……!?」


 イニィさんの緊迫した声。

 

 遠目には黒い体躯のゴブリンのように見える。だが、全身はツヤツヤとしたゼリー質な、いやもっと緩いゲル状の物質で構成されているように見える。


 そいつには貌がなかった。

 つるりとしたのっぺらぼうの頭が、俺とティアとイニィさんに向いて、


 


(! !?!?!?!?)


 怖気、なんてもんじゃない。

 「恐怖」という概念を固形にしたものを骨髄に差し込まれた感覚! 泣き出したくなるほどの絶望感と、立ち向かうのが馬鹿らしく思えるほどの無力感。


 それら「負の感情」を砲撃のようにブチ込まれたのだ。


「あああっ、あああぁぁああ、あああ!!」


 無意識に口から絶叫があふれる。

 俺は口の端から合わせを飛ばしながら、喚くことしかできなくなっていた。

 発狂してしまった方がいっそ楽になれると思える程の、魂の苦痛。


「ナギくんッ! しっかりするのです——【対抗恐怖呪文アンチ・フィアー】!」


 精神を脅かす「恐怖」を退けるための呪文を掛けてもらって、俺はなんとか立って歩くことができる精神状態まで持ち直すことができた。


「ぐ、ううぅ。……な、なんだ今の……?」


「……今のは攻撃ではないのですよ。あの敵、『万魔の首魁リングリーダー』が、


「そ、んな……!」


 胸の中を再び真っ黒な絶望が覆う。

 イニィさんに回復してもらえなければ、俺は今のでもう

 ……あまりにも、レベルが違いすぎる。


「——仕方ないですね。ナギくんは落ち着くまでここで待っていてください。大丈夫、先輩はこう見えて結構強いのですよ? ……ふふ、そこでちゃんと先輩が活躍するところを見ていてくださいね」


 肩を震わせて蹲る俺にイニィさんは安心させるように微笑んで、颯爽さっそうと飛び出していった。


 白く尖った骨杖ワンドを素早く精密に動かして、空間に呪言語カーズワースを書き連ねてゆく。黒紫の魔力光を帯びた杖の動きに連動して、前もって設置していた魔法陣が次々と発動。次元の壁を破りながら、上級の鬼神や悪霊が次々に召喚された。



「——さぁ『混沌奏者カオスプレイヤー』の腕の見せ所なのですっ! 地獄の亡者の皆さん! 


 

 そうして、未だに立ち上がれない俺の目の前で、黒い粘体の『万魔の首魁リングリーダー』と、悪鬼羅刹を率いるイニィさんの激突が始まった——。


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