第30話 神明裁判Ⅶ イニィ・ラピスメイズ


「……降りろ。『世界に仇なす放浪者ローグ』、イニィ・ラピスメイズ」


「…………」


 黒い四頭立ての馬車は目的地に到着した。馬車からイニィが降りると、そこは王城アロンダイトの裏側の門に繋がる跳ね橋の前であった。


「……正門ではないのですね」


「不浄な【屍霊魔導師ネクロマンサー】を表から我が城に入れるな、と我が王子が仰せだ」


「ハッ、あの人の言いそうなことなのです」


 ダンジョンから『神聖騎士ディヴァインナイト』エルミナに伴われて帰還した後、イニィは『国土侵犯罪』によって、王国騎士達によって拘禁されていた。


 『世界に仇なす放浪者ローグ』という忌み名を与えられたイニィは、永久にヨトゥンヘイム王国の地に戻ることを禁じられていた。……だが、によって王国内のダンジョン、「ゲオマグス大迷宮グラン・メイズ」内で重大な異変が起こると知り、正体を隠して迷宮への侵入を果たしていたのだ。


 ——かくして、異変は発生した。

 しかも『深層域で発生した万魔氾濫スタンピード』という史上例を見ない最悪のもの。……そしてイニィは、我が身が表に出るリスクを取ってでも地上の冒険者ギルドに状況を伝えた。


(……そして今に至る、と。我ながら進んで貧乏籤を引いていますね)


 魔封じの手枷と首枷チョーカーによって体内の魔素マナの循環が阻害されており、常に車酔いのような気持ち悪さがある。だが、イニィ・ラピスメイズはそれを面に出さないよう無表情を貫いていた。


「……泣きも喚きもしないか。フン、ご立派な事だな」


 馬車の中で監視役として同行していた城の騎士がイニィに話しかける。その言葉に冷え冷えとした鋭さを隠そうともしない。


「お前の所業を忘れていないぞ、魔女め。……俺は南部の出身でな。……あの町には俺の老いた父と母、そして歳の離れた弟が住んでいた」


「それ、は……」


 騎士の瞳の中に宿る怨嗟の焔を見たイニィは思わず口籠もる。


「お前が成したことは確かに大勢の命を救ったかもしれん。だがな……俺はお前を決して赦さん。それが南部に関わる全ての人間のだと知れ」


「…………」


「……ふん、だんまりか。ならば、精々残された時間で自らの行いを悔いるといい」


 騎士は場内の衛士にイニィの身柄を引き渡すし、一瞥いちべつも無く去っていく。

 その後ろ姿には、十年経ってなお忘れ得ぬ、深い苦しみと痛みがあった。


(…………)


 手枷に繋がれた鎖を引かれながら、イニィ王城の中を進んで行く。

 離れた場所から、こちらを見て密やかに噂する声が聞こえてくる。


「ほら、あれが穢れた【屍霊魔導師ネクロマンサー】だ」「『南海の大惨禍』を引き起こしたって、アレか」「俺の親父が酷い死体にされたんだ」「私の妹は首から上がまだ見つからないの」「許せねぇ」「魔女め」「『世界に仇なす放浪者ローグ』め」「お前もあんな死に方をしてみろっ!!」


 誰かが投げ放った陶器のコップが飛んできて、イニィの額に当たった。割れたカップの欠片が切り傷を付け、血が流れる。


 血を見た城内の群衆たちは、さらに興奮して罵声と物とをイニィ目掛けて投げつけた。

 硬いものやけがれたものが投げつけられ、身につけていた衣服はインクや汚物や自らの血で汚れていった。


「…………」


 だが。

 イニィ・ラピスメイズはただの一度も視線を下に落とさず、ただ前だけを見て、胸を張って歩き続けた。

 



 ++



 先導する騎士が扉の前で中に声をかけ、自らは入室を固辞する。……ここから先は一人で進め、ということだ。


「…………」


 開けられた扉の中に入る。

 そこには豪奢な調度品が品よく並べられた瀟洒しょうしゃな部屋が広がっている。開け放たれた大きな眼下に王都が一望できるテラスが繋がっている。

 

「止まりなさい」


 テラスにいる人の気配が私を呼び寄せた張本人だろうと予測し、そちらに向かおうとしたところでイニィの背後から声がかけられた。


「そんな身なりで我が主人の前に立つことは許しません。……こちらに着替えなさい」


 黒い衣に身を包んだ若い男がそこにいた。

 仄かに香の匂いがイニィの鼻を掠める。

 

「……乳香フランキンセンス没薬ミルラの香り。。——教会に自らの生命全てを捧げた証として自らの葬儀を執り行い、儀礼的な『死』を迎えることで【列聖】された者。“量産品の聖者”。——聖導教会の『殉教者マーター』が、何故こんなところに?」


「ほう、我々の教義にも明るい様ですね。流石は『古き神族』の末裔、と言ったところでしょうか」


 その言葉を聞き、イニィは黒衣の男を一つ睨みつけてから、面倒そうに溜息をこぼす。


「……はぁ。本当に、永く生きるのも考えものなのです。遠い昔のことを掘り返してきては、鬼の首でも取ったみたいに嬉しそうに僕に告げに来るお馬鹿が百年に一人はいるのです。——それを知ったからといって、僕に対して何ができるのです?」


「貴女を、と言ったら?」


 イニィはそれを聞いて、少し固まる。

 ……少し間を空けてから、話し出した。


「……お生憎様あいにくさま。最近になって、まだもう少しこの世界を見ていたいと思えるようになったので、余計な気遣いは不要なのです」


「ああ、そうですか。あの【調教師テイマー】の青年のことが随分お気に入りじゃないですか。——貴女の希死念慮死にたがりが無くなるなんて、実に何年振りでしょうか!」

 

「……本当に、余計なことをベラベラとよく喋る男ですね。——そんなに見たくば、我が呪いの真髄を今この場で披露しましょうか?」


 イニィの足元から黒い闇が這う様に漏れ出していく。魔封じの首枷は反応していないにも関わらず、部屋の中には黒々とした瘴気が拡がり、広がり続ける昏闇くらやみからは囁くような亡者たちの怨嗟の声が溢れ出す。それは生きとし生ける全てのものを呪う言葉。それは少し耳にしただけで魂を蝕む『黒死の呪詛ブラックカース』。


 亡者の呪いが黒衣の青年に手を伸ばし、その裾を捕えようとした、その時。



「——遅いぞ。戯れを優先して主人あるじを待たす従者バカがどこにいる」



 外に繋がるテラスから部屋まで届く、低く落ち着いた声。張り上げるような大声ではないのに、耳に届き、意識に浸透する声。


 その声が空間に響き渡った瞬間に、イニィから溢れ出た呪いと昏闇くらやみ掻き消えていた。

 ——自然と人の心を揺さぶり、闇と魔を打ち祓う。王族の声とは、元来そういうものなのだ。


「……ふ、ふふふ。やはり貴女は恐ろしい。もう少しで私も貴女の陰に潜むものたちの仲間に入れられてしまうところでした。我が主人には感謝しなければなりませんね。……さぁ、こちらへ着替えなさい」


 黒衣の青年はイニィに黒いドレスを手渡す。それは黒百合の意匠があしらわれた可憐でいてどこか不吉な印象のドレスであった。


(これは……!)


 内心でイニィは驚きを噛み殺す。

 見覚えのあるドレスだった。


「…………はぁ。まぁいいでしょう。どうせ捕囚の身です。なんなりと従いますとも」


 するりと今着ている装備を脱いでいくイニィ。青年の目の前ではあるが一切気にした様子はなく、慣れた手つきでその黒いドレスを身に纏う。


(う……予想はしていましたが、これはですね……)


 着替えを済ませると黒衣の青年に連れられてテラスに出る。……先程までの夕景はとっくに過ぎ去り、もう夜空が広がっていた。

 テラスに置かれた大理石のテーブルの向こうで、男が夜風に当たりながら葡萄酒を飲んでいる。


「全く、待ちくたびれたぞ。……久しいな。そのドレスの着心地はどうかね、殿?」


 第二王子、エドワルド・『憤怒公フューリー』・ヨトゥンヘイムが泰然とした態度でイニィを待ち構えていた。


「——最悪なのです、エドワルド。女性への贈り物のセンスはもっと磨いた方がいいのですよ? ……あと、僕のことを何と呼ぼうとも構いませんが。——僕は貴方のものにはなりません」


 イニィの瞳に映る怒りと嫌悪の色を見て、王子エドワルドは愉悦げに目を細めて笑った。



「本当によく似合っている。——かつて叛逆の罪で処刑された王女が、死の瞬間に着ていたという『黒百合のドレス』。……まさに、お前の最期を飾るのに相応しい衣装だろう?」




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