第30話 神明裁判Ⅶ イニィ・ラピスメイズ
「……降りろ。『
「…………」
黒い四頭立ての馬車は目的地に到着した。馬車からイニィが降りると、そこは王城アロンダイトの裏側の門に繋がる跳ね橋の前であった。
「……正門ではないのですね」
「不浄な【
「ハッ、あの人の言いそうなことなのです」
ダンジョンから『
『
——かくして、異変は発生した。
しかも『深層域で発生した
(……そして今に至る、と。我ながら進んで貧乏籤を引いていますね)
魔封じの手枷と
「……泣きも喚きもしないか。フン、ご立派な事だな」
馬車の中で監視役として同行していた城の騎士がイニィに話しかける。その言葉に冷え冷えとした鋭さを隠そうともしない。
「お前の所業を忘れていないぞ、魔女め。……俺は南部の出身でな。……あの町には俺の老いた父と母、そして歳の離れた弟が住んでいた」
「それ、は……」
騎士の瞳の中に宿る怨嗟の焔を見たイニィは思わず口籠もる。
「お前が成したことは確かに大勢の命を救ったかもしれん。だがな……俺はお前を決して赦さん。それが南部に関わる全ての人間の遺志だと知れ」
「…………」
「……ふん、
騎士は場内の衛士にイニィの身柄を引き渡すし、
その後ろ姿には、十年経ってなお忘れ得ぬ、深い苦しみと痛みがあった。
(…………)
手枷に繋がれた鎖を引かれながら、イニィ王城の中を進んで行く。
離れた場所から、こちらを見て密やかに噂する声が聞こえてくる。
「ほら、あれが穢れた【
誰かが投げ放った陶器のコップが飛んできて、イニィの額に当たった。割れたカップの欠片が切り傷を付け、血が流れる。
血を見た城内の群衆たちは、さらに興奮して罵声と物とをイニィ目掛けて投げつけた。
硬いものや
「…………」
だが。
イニィ・ラピスメイズはただの一度も視線を下に落とさず、ただ前だけを見て、胸を張って歩き続けた。
++
先導する騎士が扉の前で中に声をかけ、自らは入室を固辞する。……ここから先は一人で進め、ということだ。
「…………」
開けられた扉の中に入る。
そこには豪奢な調度品が品よく並べられた
「止まりなさい」
テラスにいる人の気配が私を呼び寄せた張本人だろうと予測し、そちらに向かおうとしたところでイニィの背後から声がかけられた。
「そんな身なりで我が主人の前に立つことは許しません。……こちらに着替えなさい」
黒い衣に身を包んだ若い男がそこにいた。
仄かに香の匂いがイニィの鼻を掠める。
「……
「ほう、我々の教義にも明るい様ですね。流石は『古き神族』の末裔、と言ったところでしょうか」
その言葉を聞き、イニィは黒衣の男を一つ睨みつけてから、面倒そうに溜息をこぼす。
「……はぁ。本当に、永く生きるのも考えものなのです。遠い昔のことを掘り返してきては、鬼の首でも取ったみたいに嬉しそうに僕に告げに来るお馬鹿が百年に一人はいるのです。——それを知ったからといって、僕に対して何ができるのです?」
「貴女を普通の人間に戻せる、と言ったら?」
イニィはそれを聞いて、少し固まる。
……少し間を空けてから、話し出した。
「……お
「ああ、そうですか。あの【
「……本当に、余計なことをベラベラとよく喋る男ですね。——そんなに見たくば、我が呪いの真髄を今この場で披露しましょうか?」
イニィの足元から黒い闇が這う様に漏れ出していく。魔封じの首枷は反応していないにも関わらず、部屋の中には黒々とした瘴気が拡がり、広がり続ける
亡者の呪いが黒衣の青年に手を伸ばし、その裾を捕えようとした、その時。
「——遅いぞ。戯れを優先して
外に繋がるテラスから部屋まで届く、低く落ち着いた声。張り上げるような大声ではないのに、耳に届き、意識に浸透する声。
その声が空間に響き渡った瞬間に、イニィから溢れ出た呪いと
——自然と人の心を揺さぶり、闇と魔を打ち祓う。王族の声とは、元来そういうものなのだ。
「……ふ、ふふふ。やはり貴女は恐ろしい。もう少しで私も貴女の陰に潜むものたちの仲間に入れられてしまうところでした。我が主人には感謝しなければなりませんね。……さぁ、こちらへ着替えなさい」
黒衣の青年はイニィに黒いドレスを手渡す。それは黒百合の意匠があしらわれた可憐でいてどこか不吉な印象のドレスであった。
(これは……!)
内心でイニィは驚きを噛み殺す。
見覚えのあるドレスだった。
「…………はぁ。まぁいいでしょう。どうせ捕囚の身です。なんなりと従いますとも」
するりと今着ている装備を脱いでいくイニィ。青年の目の前ではあるが一切気にした様子はなく、慣れた手つきでその黒いドレスを身に纏う。
(う……予想はしていましたが、これは重いですね……)
着替えを済ませると黒衣の青年に連れられてテラスに出る。……先程までの夕景はとっくに過ぎ去り、もう夜空が広がっていた。
テラスに置かれた大理石のテーブルの向こうで、男が夜風に当たりながら葡萄酒を飲んでいる。
「全く、待ちくたびれたぞ。……久しいな。そのドレスの着心地はどうかね、我が英雄殿?」
第二王子、エドワルド・『
「——最悪なのです、エドワルド。女性への贈り物のセンスはもっと磨いた方がいいのですよ? ……あと、僕のことを何と呼ぼうとも構いませんが。——僕は貴方のものにはなりません」
イニィの瞳に映る怒りと嫌悪の色を見て、王子エドワルドは愉悦げに目を細めて笑った。
「本当によく似合っている。——かつて叛逆の罪で処刑された王女が、死の瞬間に着ていたという『黒百合のドレス』。……まさに、お前の最期を飾るのに相応しい衣装だろう?」
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