第29話 神明裁判Ⅵ 命の刻限



「くっ、そ! 勝手に決めてんじゃねぇぞ、ギース!!」


 首筋から針を引っこ抜いて床に捨てる。

 身体の痺れはまだ少し残っているものの、腕も、脚も、手指も全部思い通りに動かすことができた。


「うおっとぉ!? マージかよお前、人間には絶対効く針なんだけど、それが効かないっていよいよじゃねぇか。ハハッ、お前初めて俺の予想を上回ったなぁ!」


 ギースは何が面白いのかケラケラと笑う。

 こいつの無邪気な笑顔を見ていると、これまでに積み上げてきた数々の悲劇が馬鹿にされているみたいに思えてきて頭に血が昇る。


「フンッッ!」

 

「あっぶねっ! なぁにしやがるっ!」


 俺の拳はギースを捉え損ねて木製のテーブルを真っ二つに叩き割る。それをひらりと避けておいて大袈裟に怒ってみせるあたりに、俺のフラストレーションは爆増していく。


「お前、この、一発殴らせろ」


「やぁだよ、なんかお前キモい感じに変身してるんだもん。なんか人間辞めちゃったんでしょ? ナギくんさぁ」


 ヘラヘラと笑っているこの男の姿をさっきから生命と魔素マナを見通す『魔眼』で見透そうとしているが……


(こいつ……魔素マナの動きが見えない!?)


「阿呆め。お前は本当に物を知らん奴だなぁ。ちょっと『視』えるようになったからってはしゃぎすぎ。物を考えてねぇモンスターじゃあるまいし、お前より技量が高い人間なら大概その手の【鑑定】系の能力は妨害するよ? 知らないの?」


 ぐぬぬ、知らなかった。


「はぁ。お前ねぇ。ちゃんと人のお話は最後まで聞きなさい、って学校で言われなかった? はい、移動しますよ、移動」


「移動って、どこにだよ?」


「王城アロンダイトさ」


「!」


 王城アロンダイト。

 さっき見ていた『幻視ヴィジョン』の中で、イニィさんが向かった先。

 どうしてギースが王城からの使いとして俺を迎えに来るのかも分からないが、今はイニィさんのことがどうしても気掛かりだった。


「……連れて行く、と言ったな? 誰が俺を呼んでいるんだ? 理由は?」


「そりゃあ着いてみてのお楽しみ……と、言いいがマジで時間が無くなって来た。悪いことは言わないから着いて来た方がいいぜ? 理由については走りながら話す」


「ちっ! 仕方ないが、碌でも無い内容なら俺は逃げるからな」


「はいはい、それでいいから早よ行くぞ。……後五秒で来るぞ」


 俺は石材の床を思い切り踏みしめ、蹴り砕く勢いで走り出す。「うおっ、速ぇぇな」というギースの声を置き去りにして通路を直進する。


「はい。そこ右な」


 通路の分かれ道が見え始めた瞬間に、ギースから方向の指定が入る。俺は走る勢いそのままに鋭角にコーナーを回って先へと急ぐ。


「次を左」


「右、次の三叉路を左」


「そこは真っ直ぐ。落とし穴があるから二秒後に飛べ、今!」


「左に魔物二体がいる。後で使うから魔石をいけ。……俺の分も合わせて二つ共だぞ?」


「走れ走れ! 遅いぞ遅いぞ!!」


 いつの間にか、ギースは俺の少し後ろにぴたりとくっつき、ダンジョン内を駆け抜けながら絶妙のタイミングでナビゲートしてくる。

 こちらの情報処理能力の上限ギリギリにまで様々な注意点や留意点、地形情報、魔物の出現傾向、弱点部位、解体のコツ、刃先の角度などの情報を伝えながら加速し続ける。


 情報の濁流の中で溺れないように、いつしか俺は意識を半分抜いて、一点ではなく全体を見るとなく見、思考と反射の両側に意識のバランスを取りながら動きを最適化していく。


(すごいな、今の身体なら行動に思考が追いつく。ギースの言葉を理解できる)


「はい、じゃあそこの衛兵から心臓を抜いて」


 ——鋭い爪を持った手で貫手を作り、移動する勢いを殺さないように歩幅を調整しながら接近し、真っ直ぐに手を突き出————


「っ!! あっ、ぶねぇ!!」


 すんでのところで、衛兵の心臓に向かって突き入れかけた掌を広げて押し飛ばす。それでも勢いを乗せた押撃プッシュは衛兵をダンジョンの壁にぶっ飛ばし、昏倒させる。


「ギース、お前……っ!」


「なんだよ、ナギくん出来ないのぉ? 


 左側から幽鬼のように忍び寄っていた衛兵に対し、ギースはするりと横を通り過ぎた……ように見えた。

 次の瞬間、衛兵の胸元からビシャァッ!!と夥しい鮮血が溢れる。……そして、ギースの手には


「ほれ、この通り。ね? 簡単でしょ?」


「お、お前ええぇぇぇぇ!!」


 こ、こいつっ!! 何の躊躇もなく殺しやがった。顔見知りではなかったものの、ダンジョン低層階の見回りをしているところを何度かすれ違った事がある衛兵だった。それを——


「何キレてんの、おバカ。お前のその眼でよーく『視て』みなって」


 ギースの言葉通り『魔眼』に意識を集める。


「!?」


「ほら、こいつらもうとっくにお亡くなりになってるのよ? てか普通に見たら分かんないかね?」


 ……体内の魔素マナが動いていない。生命が無くなっていた。


「で、でも、どうやって……」


「バカ、バーカ。お前もよく知ってる筈だろうが。【屍霊魔術ネクロマンシー】に決まってるだろ」


 衛兵の死体を雑に足で転がしながら、


「あ、ホラあった。首筋に穴が二つ。……吸血種ドラクル系? にしちゃあ仕事が雑だなぁ。まぁだがこれで分かった。このバカをやったのはだな」


「他国……オルドビス大公国とかか?」


「他国つったら他にもいろいろあんだろうが。この手の【式】を打つ国って言ったら大概あそこだが……まぁ今はいい。重要なのは、コイツらはもう死んでて、それでも襲ってくるってことだ。……ちょーどいい練習台だな?」


 ギースはニヤリと嗤う。

 

「さぁ。どんどん来るぞう? 悩んでる時間はねぇぞー。


なんせ、『混沌奏者カオスプレイヤー』イニィ・ラピスメイズの処刑まで、あと一時間ってところだからな」


 は?


 コイツは今、なんて言った?


「言葉の意味と、それを今言う意図とを分けて考えろよ? それが相手の術中にハマらないポイントだな。……んで、俺の意図は分かるか? 、だ」


 亡者化した衛兵たちは意外に確かな足取りでこちらに向かって来る。手には剣を抜き放ち、俺たちのことを殺そうとやってくる。


 イニィさんが処刑される? 何故?

 馬車に乗ってイニィさんが王城に向かって行ったのはそういうことなのか? 

 頭に湧き上がる疑問と不安によって、焦りはどんどん強くなる。


「心臓の位置は分かるだろ? なーに、魔石と何も変わらんよ。サッと近付いて、スッと切ってってくる。それだけ。さーぁ、やってみよう!」


「ぐ、うぅうわぁあああぁっ!!」


 我武者羅に身体を前へ進ませた。

 硬質な爪は鎧の隙間を抜いてするりと衛兵の体内に入っていき、魔石を抜くのと同じ要領で一手ワンアクションで心臓を抜く事ができた。……できてしまった。


 俺の手の中で、未だ収縮を繰り返して血を吐き出す臓器。——心臓。


「…………っ、こ、これ、どうしたら」


「おめぇは本当にトロ臭えバカだなぁ。そこら捨てとけ。いちいち考えるなバカ。次来てるぞバカ」


「バカバカ言うな……っ!」


 怒りが現実感を薄めて、俺はもう一度衛兵の亡者たちに立ち向かっていく。……数瞬後、俺の手の中には心臓が三つ掴まれていた。


「終わったか? もうおっせーよ。モンスター相手にいつもやってんだろうが。ほんとダメダメ。……ま、でもやり方は分かったろ?」


 ギースは俺を見て本当に楽しそうに嗤った。


「おめでとう! これでナギくんは! ヒューー!!」


 モンスター相手にいつもやってんだろうが。

 その言葉が耳について離れない。

 本当だった。

 

「俺は、俺は……!」


「ほら、さっさと行くぞ。……あぁ、すまん。時間間違えて伝えてたわ。イニィの処刑な、あと一日の間違いだったわ」


 ギースの醒めた笑顔が心底恐ろしい。

 俺は、自分が化け物になっていることを自覚した。

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