第31話 神明裁判Ⅷ 王子の異形な愛情
『黒百合のドレス』
かつて大国の狭間に存在した小国に、一人の才気煥発な王女がいた。
王女は国の行く末を案じて世界を巡り、数々の知者と勇者を国へ連れ帰った。だが、そのことが兄王子の疑心を招き、やがて断頭台へと送られた。——最後の瞬間、王女はこう叫んだという。
『国も王も民も、全てに等しく呪いあれ!』
そしてその願いは成就した。
王女の処刑からたった五年で、その国は歴史から姿を消したのだ。
首を落とされた王女が今際の際に着用していたというその黒いドレスは、持ち主の強力な残留思念によってある種の『呪物』と化していた。……ドレスの内側でイニィの体に長く黒い女性の髪の毛が巻きつき、ギチギチと骨が軋むほどに強く締め付ける。
(ぐ、ううぅっ。呼吸が……)
「……本当に可憐だ。イニィ・ラピスメイズよ。今からでも遅くはない。我が伴侶として共に世界の
繊細な刺繍とレースの縁取りが施された漆黒のドレスを纏ったイニィは、確かに王族の伴侶として相応しいほどの美しさを帯びていた。
エドワルドの瞳は熱で浮かされたように危うく輝いている。……興奮するエドワルドとは裏腹に、まるで小さな子供が欲しかった玩具を前にした時のようだ、とイニィは冷めた頭で考えていた。
「……っ、前にも言ったはずです。僕はもう、何一つ貴方に与えるつもりはありません。……それに貴方が欲しいのは僕ではなくて、僕の『力』なのでしょう?」
エドワルドは十年前のあの日から、イニィの【
幾千の魔獣を食い止め喰い破る幾万の亡者。
死の濁流を操り、更なる死を運ぶ冥界の神。
エドワルドはあの地獄の戦場の中で「死の女神」を見つけた。
十年前の南海の惨禍の後も、エドワルドが何度もこの国に留まるように申請し、依頼し、懇願しても受け入れられなかったが故に、国中を扇動して不名誉な蔑称を押し付け、遂には永久国外追放とした、かつてエドワルドが恋焦がれた想い人。
——それがイニィ・ラピスメイズだった。
「何を言う。『力』こそがお前の本質、お前の全てではないか! その闇の力があれば、世界などとうの昔に平伏させることができたであろうに。あの日、お前が俺の手を拒んだりしなければ今頃は……!」
エドワルドは手の中のグラスを握り砕く。
砕けたグラスから葡萄酒が鮮血のように溢れて溢れる。
「……はぁ。貴方は相も変わらず、たった一人で戦場を蹂躙できる『英雄』を追い求めているのですね。——
「……残念だ。お前には俺の一番近くで天から世界を見下ろす景色を見せてやろうと思ったのだが。——だが、まぁ良い。別に、どうしてもお前である必要は無いのだ。幸い、次の『英雄』の当てもできたところだ」
「それって……!」
「今頃はお前の後を追って、この城に向かっていることだろう。……初級の【
「ナギくんは関係ないでしょうっ!?」
イニィの激昂を、エドワルドは冷笑で返す。
「関係あるとも。お前のよこした報告が俺の血をどれだけ滾らせたか。……深層域から迫る『
視界のもっと先。
王子エドワルドは「ここではない、どこかの戦場」の光景を見ているようであった。その瞳には、ただ自らの『理想の英雄』が戦場で躍動することだけを夢見る、澄んだ憧れだけが宿っていた。
(
「そう。お前は彼の者を招き寄せるための『餌』だ。——死を超克するもの、イニィ・ラピスメイズよ。最後に一度だけ問う。俺のモノになれ」
「……お断りなのです。僕は、ただ世界を歩むために力を得たのです。貴方のような自己中心的で幼稚な男に僕の人生を上げるのなんて、真っ平ごめんなのですよ!!」
拘束具と呪いのドレスによって著しく能力を削られていながら、イニィは真っ直ぐエドワルドの目を見ながら彼の願いを鼻で笑った。
「………………っ!! 愚かな女だ。我が手をこうも拒むなど。……貴様の望み通り、明朝に刑を執行する。貴様の正体は知っているぞ、
エドワルドが指差した先。
王城の中庭に据えられたのは巨大な石柱が立ち並び、中には石造りの棺が設置された祭壇があった。
「【
美しい虫を蒐集して壁に飾り付けたいと願うように、王子エドワルドはイニィ・ラピスメイズを『永久に保管しておく』ことに決めた。
こうすることで、やっと自分の物にできると思ったのだ。
++
その後、イニィは騎士達に再度伴われて王城の北端にある尖塔へ連行された。
窓にはめ殺しの鉄柵が並ぶ。
冷たい石床に薄いボロ毛布が敷かれただけのここは、罪を犯した王族を刑を処されるまでの期間、または永久に幽閉しておくための『監獄塔』なのだ。
(こう言う場所での寝泊まりも久しぶりですね)
イニィ・ラピスメイズは千年を生きる不死人だ。遥か昔、まだこのヨトゥンヘイム王国も、その前の国も成立する前の時代に生まれた。
永い生の中で、聖女と崇められることもあれば魔女と蔑まれることもあった。……そのため、
(当然、石の床で寝るコツも心得ています。毛布があるだけマシ……う、くさいのです)
残念ながら、これなら無いほうがマシとイニィは判断して、今晩眠ることを諦めた。
……それに今夜は星が煩くて眠れそうにない。
「 ……ィさん。……イニィさん!」
「! ……えっ、ナギさんの声? いったい何処から?」
「窓の外です」
尖塔の鉄格子の窓は張り出した出窓になっている。
当然、窓の外側は傾斜が反っているために壁に取りつくことなどできない構造になっている。……ただし、それは通常の人類を相手に限った場合だ。
「この身体、いろいろ思い通りにちょっとずつ形が変わって便利なんですよ。……今、手のひらに出来た吸盤でくっ付いてます」
「吸盤!?」
僕の知ってるナギくんからまた変身してるんです……? と不安になるイニィではあったが、自分を追いかけてくれたことに嬉しさと、あの第二王子の手の近くに来てしまったことに不安を同時に覚える。
「ナギくん。……来てくれて、嬉しいです。本当に嬉しかったのです。……でも、私のことはいいから早く帰りなさい。ここにいたら、貴方は」
「大丈夫です」
ナギは、明るく断言した。
「俺がなんとかします。……イニィさん、俺が怖かった時に助けてくれたから。今度は俺が助けたいんです」
「……っ、だ、ダメです! 私はもう長く生きているから大丈夫なんです! こんなところで寝るのだって慣れっこなんですから!」
「それは、イニィさんがこれ以上辛い目にあってもいい理由にはならないですよね。……ごめんなさい。俺が嫌なんですよ、イニィさんが酷い目に遭うなんて」
「…………なん、で」
頼りたくなってしまう。
助けを求めたくなってしまう。
でも、でも。それは許されない。
イニィは口から出かけた言葉を飲み込んだ。
そして、努めて冷たい声を出して突き放す。
「ナギくん、帰りなさい。僕は君の助けなど不要なのです。……私なんかのために、君が犠牲になる必要は無いのです」
だが。
予想に反してナギからの返答はなく、ただ『監獄塔』の石床に冷たい月光が落ちるばかりであった。
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