第32話 神明裁判Ⅸ 神明裁判


 そして朝はやってきた。


 日の出とともに刑場に引き出されるイニィ。

 両側についた二人の騎士は、積層魔防鎧を着用した最上級の騎士たち『紫皇衛士インペリアルガード』であった。重厚な鎧の下に高位冒険者を超える暴力を抑え込んでいる怪物たち。


「ここまで厳重にせずとも、逃げたりしないんですけどねぇ」


「貴女はそうでしょうけどね。あの子や、貴女のお姉様が怖いのですよ」


 エドワルドの従者である黒衣の青年がいつの間にかそばにきて話だす。

 聖導教会の高位聖職者。イニィ・ラピスメイズを『異端者』として断じる機会を千年伺っていた組織の手先。……そんなのが最後の話し相手かと思うとイニィは落胆に吐息が溢れた。


「……エルは来ませんよ。あの子は人類の守護者なのですから」


 『神聖騎士ディヴァインナイト』エルミナ・エンリルは、冒険者ギルドの地下から脱走したナギの足取りを追って王城へと迫っていた。

 ……だから、たとえエルミナがここに現れたとしてもそれはナギという『人類への脅威』への備えなのだ。けしてイニィを助けに来るわけではないのだと、よく理解していた。


(……良かった。あの子は来ていないみたいですね)


 イニィは、本当にホッとしていた。

 自分の代わりに、たった少しの間ダンジョンでともに戦っただけの青年を巻き込むわけにはいかない。

 

「——イニィ・ラピスメイズ。前へ」


 中庭に設置された簡易的な裁判所にて、高所に国王ジョルジュ四世を中心にした裁判官が座り、これから形ばかりの裁判が開かれようとしていた。


「魔女が」「終わりだ」「これでもう安心ね」

「父の報いを受けよ」「世界の敵め」「死ね」

「これまでに冒涜した全てに許しを請え」


 中庭に集まった王城に勤める者、城下の民、出入り商人や冒険者たち。事情は知らずとも皆目を輝かせてこれから起こる非日常を楽しもうと集まって来ている。


 カンッ、カンッ! 木槌が二度叩かれた。


「神の名と王国法に則り、“神明審判”を開廷する!」


 最高裁判官である国王の宣言により、イニィの裁判は始まる。



 ++


 俺のことを案じているばかりのイニィさんに、正直言えばちょっと腹が立った。もうちょっと頼ってくれてもいいのに、と思った。


 だけど、俺は“これ”から守られていたのだと、今になって分かる。


 普段はごく普通の生活を送る人々から向けられる、罵詈雑言。恨み。悪意。

 冷酷に利用価値を値踏みをする王族と、その顔色ばかりを伺っている法務官や聖職者。


「なんだよ、これ……!」


 ここでこれから行われるのがとても「裁判」だなんて思えなかった。質の悪い芝居を見ているように、胸に不快感が募っていく。


「な? ダルいだろ、こういうの。俺、教会のこういうところホント嫌いなんだよなぁ。……ほら、見ててみろ、?」


 屋根の上に身を隠しながら中庭の光景を見下ろしていた俺とギースは、イニィさんの裁判の推移を見守っていた。……決定的な時までに、止めに入らなくては。


『汝の行いに対して、神の意思を問う。——其は正なるか、邪なるか』


 深い紫色に鈍く輝く鎧を着た騎士が、二人がかりで大きな大きな鍋を持ってくる。……その内側には油が並々とたたえられていた。

 そして、特設の炉に魔法で起こした青白い焔が巻き起こり、その上に鍋は設置された。

 ——すぐに、鍋の中の油は高温となり、あたりには気化した油の匂いが漂い出す。


『——手を漬けよ。神がこの者を正しき者と認めるならば、その手は護られるだろう』


「バッカじゃねぇの!?」


 どうしてそれが正しいかどうかと関係あるんだよ!と声を出さずに心の中で絶叫する。……こんな馬鹿な事がまかり通るってのかよ!


『はぁ。本当に進歩がないのです。……伝統的トラディショナルな、と言ったほうがいいですか?』


 イニィさんが冷笑する声が聞こえる。

 俺はもう飛び出そうと前のめりに構えた。


「おバカ。だ。……よく見とけよ? やれやれ、教会の連中は忘れちまったのかな? ……イニィヤツはホンモノだってのに」


 だが、隣のギースに頭をはたかれ飛び出す勢いを殺された。俺にはまだギースが何故ニヤニヤ笑っているのかが分からない。


『では、始めます。——【我が愛しき天の父よ、我が身に降りかかる全ての災厄から我が身を護り賜え】』


(!?)


 今のは、何だ?

 魔素マナや生命力の動きを見る事ができる『魔眼』によって、俺はその異常に気付く事ができた。……イニィさんが祈りの聖句を唱えた瞬間、


 そのまま、イニィさんは油の中に自分の腕までを突き入れる。

 ……五秒。十秒。三十秒。

 すぐに苦悶の悲鳴が聞こえると思っていた聴衆たちは、いつまでも変化がない様子に戸惑い、ざわめき始めていた。


「そりゃあそうだろうさ。あれさぁ、【魔術】でも【スキル】でも無いのよねぇ。。呼べばいつでも応えてくれるくらいに溺愛されてやがんのよ。……笑えるだろ? だから実在いるんだよ、神様って」


「…………!」


 そしてイニィさんは腕を油から出す。

 隣に控えた聖職者に、その様子を見せる。

 ……聖職者は一目見て、慌てたように何度も裏表を隅々まで見て、小さく『……ありません』と言った。


『……火傷も、爛れも、何一つありません』


『馬鹿なっ!!』


 裁判官と聴衆の騒ぎが大きくなる。

 神の意思がこれ以上なく、明確に示されたのだ。——それも、彼らの望まぬ方向で。


 カンッ、カンッ、カンッ!!


『——静粛に。皆、静粛に願う。……被告、イニィ・ラピスメイズ。今の結果に対して何か言うべきことはあるか?』


 壇上の国王からの問いかけに、イニィさんは存ぜぬといった顔で答えた。


『ありません。貴方がたが今、見た通りです』


『そうか……。それでは、判決を言い渡す。「世界に仇なす放浪者ローグ」イニィ・ラピスメイズを「国土侵犯罪」および「」によって、有罪とする!』


 カンッ、カンッと木槌が落とされ、この簡易裁判は結審した。


「……は、ぁ?」


「だから、使んだろ? それが『神を騙る罪』ってヤツだ。……この場合、事実がそうかは関係ない。流石にお前でもそのことくらいは分かるよな?」


 ……くそ、馬鹿馬鹿しすぎる。

 なにが『神明裁判』だ。

 なにが神の名と王国法に則り、だ。


「こんなもん、初めから決められたシナリオじゃねぇか」


「だぁから言ったろ? 、ってな。……さて。俺は俺でお仕事を終わらせるとするかね。……よっ、と」


「……仕事? ちょ、おまっ!!!!」


 スーッ、と。

 何の違和感も感じないごく自然な動作の流れで、ギースは俺の背中を前に蹴り出し、俺を屋上から中庭に突き落とした。


「ああぉぁぁぁぁいあいああっっっ!?!?」


「独創的な叫声だね、お前。はい、0点」


 そのまま頭から中庭の地面に激突する俺。

 その横にシュタッと軽く飛び降りるギース。

 ……こんの、クソオヤジがぁ……!!



「よーぉ、ミアキス。……頼まれてたもん、連れて来たぜ?」


「……ナギくんっ!?」


「な、何だ貴様らァッッ!!」


 中庭の裁判所は混沌の坩堝るつぼへと叩き落とされた。

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