第34話 神明裁判Ⅺ 破穹



 はじめ、“それ”を見ても意味が理解ができなかった。


「————は?」


 雲が、途中で逆さまになっている。


 風変わりな自然現象をたまたま目撃したか、自身の目の疲労が見せた幻か。

 正体こそ分からないものの、その瞬間まで、目撃者には特別大きな危機感はなかった。

 ……だが、変化は立て続けに起こる。


 逆さまになった雲は渦巻きながら膨張していく。引き伸ばされて楕円状になった雲は、明らかに周囲の空模様と乖離している。——なんだ、この音は? 耳に遠くでガラスにヒビが入る時のような細かい破砕音が聞こえる。他の人は何故気にも留めないのだ!? 何かが壊れる時の音は一瞬ごとに、致命的に大きくなっていく。あぁ、もう駄目だ。もう保たない——!


 


 ただ一人、上空の異変に気が付いていた目撃者。王城に勤めるその内務官は、自分の理性が耳の奥で引きちぎれる音を聞きながら、叫んで気絶した。

 ……だが、それはまだしも幸福であったかもしれない。直後にもたらされた『大恐慌』を知らずに済んだのだから。




 ++


 空が、割れる。——いや、


 イニィさんが【呼びかけ】る姿を見て、祈りの言葉を聞いて、俺は気が付いたのだ。


(そうだ。ティアは何処にも行ってなかった。ずっと俺の側で、見守ってくれてたんだ)


 毎晩瞑想をして、探していたティアの気配。

 意識を天空に上昇させて、地上を見下ろしては探し続けていた。……だが、違ったのだ。

 左手の【従魔紋】からティアに繋がっている魔力の経路パスは、天に向かって、高く高く、伸びている。



 そうだ。

 彼女はそらに居た。

 宇宙という深淵ソラで、

 ずっとずっと、待っていたんだ。


 ——




『きゅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおんんんんんんんんんんんんんん!!!!!!!!!!』



 世界を揺るがす大絶唱が、天地に響き渡る。


 そして、


 世界全部が壊れるような音を立てて、王城中庭の上空200メイルの空間が砕かれ、その破片が虹色の光を乱反射させながら地上に降り注ぐ。


 世界の欠片から溢れた光に目を灼かれた群衆が再び空に目を向けたとき、


「な、んだ。あれは————」


 空に浮かぶ、視界を覆い尽くさんばかりの巨躯の怪物を見つけた。見つけてしまった。


「ああ、ああああああああああ!!!!!!」




世界破壊者ワールド・デヴァステイター


 深淵種アビス 『真白く輝く滅亡びの災厄ヌゥル・ティアマトリカ


 が顕現しました。】




 群主の悲鳴を掻き消すように、『世界の声』が王城を中心とする王都全体に響き渡る。

 ティアの姿はダンジョン下層で最後に見た時から十数倍にも巨大になり、空間を破って出現したまま王城の最も高い尖塔と立ち並ぶように中空に浮遊している。


おおきくなったなぁ、ティア。凄いなぁ、頑張ったなぁ」


  美しい蛋白石オパール色の体躯が陽光を浴びて七色に光る。

 背中からは左右五対十本の太く長い触腕が伸び、両手の指を広がるみたいに、ゆっくりと大きく動きながら空を揺蕩たゆたっている。

 背筋から繋がるように伸びる尻尾の先端が、優雅さすら感じる滑らかな動きで「するする」と天空から俺の目の前に降りてきた。


「乗っていいのか? ……うん、ありがとう」


 俺は尻尾の先をしっかり掴むと、俺の体ごと空に向かって引き上げられる。

 そのままティアの頭の上にまで連れてこられた。ダンジョンの下層で『無明の虚無シャドウ・ゼロ』と戦った時ぶりに頭の上に乗る。


「おお、広い。高い。……世界がよく見えるなぁ」


「きゅるるるるっ!」


 ティアの頭が大きくなって、俺の乗る場所も随分大きくなった。

 前はこの状態でティアの角を掴んでいたが、今は支えになるものがない代わりに、ティアの頭から伸びる細かい鱗毛が俺の足をしっかり掴んでいてくれるので落ちる心配は微塵もない。


 足元に視線を落とすと、中庭にいる人々が一様に皆こちらを見上げているのが『視え』た。


 絶望の表情で空を眺める中庭の群主たち。

 血の気の引いた真っ白な顔で見上げる国王。

 うっとりするような目が不気味な第二王子。

 口をポカーンと開けて惚けているギース。

 ……今にも泣き出しそうな顔で見上げているイニィさん。


(——イニィさん、ごめん。でも、俺も一緒に背負うよ。『世界に仇なす放浪者ローグ』の名前は)


 あの人一人にその悪名を押し付けて、自分は『世界を旅する冒険者ワンダラー』を目指す、というのはどうしても寝覚めが悪いのだ。

……だったら俺は、イニィさんと同じでいい。

 同じがいい。


「——ティア、お前の恐ろしさを見せてやれ」


「くぉおおおおおおおんっ!!」


 背中から伸びる十本の触腕が、途中でバラバラとさらに細い触手に無数に分割される。

 それらは真白い触手の嵐となって、王城の尖塔の一つに叩きつけられた。


 ヒュッ——ッパアァンッ!!!!


 昨晩イニィさんが軟禁されていた王城北側の尖塔は、その一撃で根本から削り尽くされ、消失した。


「まだだ!」


「くるるるるるるるるっっ!!」


 さっき俺を優しく頭上まで運んでくれた尻尾が遠心力によって加速され、“断絶”の意思を込めた闘気オーラを纏って王城の絢爛豪華な正門に叩きつけられる。


 シュッ……カッ!!!!


 ——戦時に王城を守護するための最後の障壁として、幾人もの魔導師によって硬度強化の魔法がかけられていた王城正門は、ティアの尾撃によって中心から真っ二つに断ち切れ、崩れ去った。


「まだだっ!!」


 王城の隣に肩を並べるように聖導教会の大聖堂が建てられている。聖導教会はヨトゥンヘイム王国の国教として、多くの国民の信仰を集めている。……だが、その実態は王家に対する権力と癒着して既得権益にしがみつくために神明裁判あんな茶番まで繰り広げる連中だ。——ペテン師どもめ、何が『聖なる導き』だ。


「きゅおおおおおおっっっっ!!」


 ティアの背中の中心に並ぶ鋭い背鰭。

 戦場跡に突き立てられた古びた剣槍のようなその背鰭の隙間から、深い蒼色の光が脈動している。


 一際ひときわ激しく発光した直後。蒼光の矢が一斉に解き放たれた。

 無数の光線は弧を描きながらティアの背面から正面に見える大聖堂へ飛翔し次々に壁面やドーム屋根を貫通する。そして、着弾した光線は空間ごと球形に削り取る小爆発を起こしていった。


「……ティア」


 足に絡みつくティアの鱗毛が、俺の意思を読み取ってくれる。——そうだ。まだ、ある。


「————ィィィィィィイイイイイイイ!!」


 人間の可聴域を超える、甲高い叫び。

 背中から伸びる五対十本の触手が、さらに大きく広げられて世界から【力】を掻き集める。

 触手を通じて集められた【力】は、眩く輝く光となってティアの体の中心に集積されていく。

 

 ティアは口を大きく開けて、その前方に力場を形成した。そこに、魔素マナに加工される前の自然そのものが持つ原初の力、星の力である【源素エーテル】が注がれていく。


 俺がピタリと指差した標的に向けて、ティアはその星の煌めきを解き放つ。


 

「…………【白禍叫喚砲声グロウル】」




「———————————————————— ————————————————————— ——————————————————————————————————————————————————————————————」                  



 王城の上空に、


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