第36話 神明裁判ⅩⅢ 狂乱の饗宴



「ったく、本当に手のかかる小僧だ。仕方ねぇな、っとぉ……?」


 ギースのそんな呟きが、風に乗って聞こえた気がした。

 自由落下によってめちゃくちゃに乱回転する視界の中で、白銀の煌めきが流星のように真っ直ぐこちらに飛び込んでくるのが見えた。

 なんだっ、ぶつかる——ッ!?


「うわぁあああっああっ、ぁぁぁぁ、あれ?」


「ふぅ。なんとか危機一髪、というところか。……怪我はないか? ナギ・アラル」


「エルミナさんっ!」


 ふわり、と不思議に重力を感じさせずに落下する俺を抱きかかえてくれたのは『神聖騎士ディヴァインナイト』のエルミナさんだった。……ていうか、エルミナさん空飛んでないか!?


「う、うわ! 飛んでる!!」


「もっと高所から落下してきた割にここで怯えるのか? ……ていうか、コラ、君! どこにしがみついている!」


 正解は「腰など」、だ。

 ……さっきから手の震えが止まらない。自分でも驚くほど、

 ティアとの経路パスが途切れて元の人間の体に戻った途端、さっきまでなんとも思わなかった高さが腰が抜けるほど怖いのだ。

 エルミナさんのリアクションに対応できないほど必死で、俺は自分よりも小柄な女の子にしがみついていた。

 

 そんな俺の様子を見て、エルミナさんは「……っ」少し憐れむように眼を伏せて、そのまま俺をゆっくり地上まで降ろしてくれた。



『ぎゅあああああぁぁああああぁぁ!!!!』



 断末魔のような絶叫。

 全身に赤黒い鎖が絡みつき、時折罰を与えるように黒い雷が暴れるティアへと突き刺さる。

 それでもティアは支配を振り解こうと抵抗をしていたが、時間と共に縛鎖の数は増えていく。…………そして。


 赤黒い呪いの鎖ではりつけになったティアが、ぐったりとこうべを垂れた。



「……お、おい。ティア、起きろティア!!」


 俺の呼びかけに、ティアはて、


「ぎゅかかかかかかかかかかかかか!!!!」


 ……笑った。いや、いる。

 ティアの八つの瞳には、全身覆おう縛鎖と同じ赤と黒の禍々しい光が宿り、炯々けいけいと輝きを放っている。


 中庭からその様子を見上げて、魔人となったエドワルドは満足気な笑みを浮かべる。


「……なんとも心地よいものだ。神の如き者を我が配下に降すということは。————喜べ、小僧。貴様のペットの化け物は、これから幾千の戦場で幾万の敵を殺すだろう。そして、やがて『死をもたらす神』として敵味方に畏怖される存在となるのだ。……これ以上の悦びは、またとあるまい?」


 それは冷静で、そして狂った台詞だった。


「何を、言っている……?」


 目の前の男が何を言っているのか、本気で理解できなかった。

 エドワルドはきっと、戦争で人が死ぬことをなんとも思っていない——それは心が冷たく、他者を思いやれないということなのではなく『人間という種族が生存競争の中で戦い、死んでいくこと』を、ごく当たり前の自然の摂理だと考えているからだ。


 朝目が覚めるように、人を殺す。

 パンを食べるように、


 それがエドワルドという男なのだ。

 そんな男が、ティアを使役するのだ。

 

「……ふざけるな! ティアにそんなことをさせてたまるかよ!!」


「威勢だけはいいが、今のお前に一体何が出来る? ……最早お前など興味もない。黙ってそこで見ていろ。俺がの『正しい使い方』を教えてやろう」


 エドワルドが左手を天に掲げる。

 左手の甲に輝く【従魔紋】がより一層赤黒い輝きを迸らせ、ティアへ強制的に指令を送る。


「——やれ」


「ぎゃきゃきゃきゃきゃきゃきゃ!!!!!」


 ティアの背中から、無数の赤黒い光線が四方八方に向けて一斉に放たれる。

 光線は目標に対する誘導能力こそないものの、無差別に撒き散らされる細く長い光線は、王城の周りを囲む城壁をバターのように粉々に切断し、その先にある城下の民家をも次々に溶断していく。


「なっ!? ティア、やめろおおおお!!」


 天から降り注ぐ赤い光に触れてけ落ちた家屋から出火し、王都城下町のあちこちで火災が発生した。……街の方角から、人々の悲鳴と叫び声が遠く聞こえる。


「お前……自分の国の人間をっ!!」

 

「はははは。そうだ。俺が殺した! だがな、それが一体なんだというのだ?」


 エドワルドは心の底から愉快そうに笑う。


「本来民など、温室の花のように、畑の野菜のように、いつでも好きに収穫して良いのだ。……そうだな、今日は本当に気分がいい。お祝いに

 

「王子エドワルドッ!! これ以上の蛮行は許しません! 即刻、『深淵種アビス』の使役を止めなさい!!」


 エルミナさんが激昂してから剣を抜く。

 何もないところから取り出された剣は、刀身に精緻な紋様が刻み込まれ、剣自体がぼんやりと光を帯びている。

 あれは……!?


「ふむ、それが世に名高い【聖韻剣ノア】か。だが『神聖騎士ディヴァインナイト』よ、本命の星神剣はと見える。——そういえば、いつか貴様も我が誘いを断ったことがあったな。……今日がその報いの日だと知るがいい!」


「ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ!!!!」


 ティアの触手が太い触腕の状態のまま、エルミナさんの頭上へと猛然と振り下ろされる。それも、左右の十本を無造作に、乱雑に、ただ力の限りに滅茶苦茶に叩きつける!!


 ズガガガッガガガッ! ドガガガガガガ!!


 中庭の美しく整備された庭園があっという間に原型を留めない荒地に変わる。あの暴力の嵐の中、エルミナさんは神懸かった運動能力でティアの触手の雨の隙間を縫って、回避し続けている。

 それに引き換え俺は、ティアの触手から逃げるために地面を転がりながら物陰に身を隠すので精一杯だった。


「はぁっ、はあっ、はぁっ、……くそっ!!」


 歯の根がカチカチ鳴る。

 手の震えが止まらない。

 ——怖い。ただひたすらに恐ろしかった。


 冒険者としての最低限の資格である【基本職】すら失って、ただの一般人となった俺はこれまで以上に、いや、冒険者を辞めて実家に戻ることになったあの頃よりも更に、弱くてちっぽけな存在になってしまった。


 ティアが砕いた大理石のテーブルの破片が頬を掠める。ほんの小さな破片は俺の頬をザックリと切り裂いて、すぐ後ろの壁に突き刺さっていた。……まともに当たっていたら、あの小さな石ころ一つで俺は死んでいた。


 さっきからずっと、怖くてたまらない。


 だが、だが。


「ティアァァァ!!!!!!」


 頬を流れる血の熱さよりも、

 心臓を凍えさす死の恐怖よりも、

 ティアを失った喪失感の方が、ずっとずっと痛い。


「くそっ!! ティア、止まれぇぇぇっっ!!」


「はっはっは! 何をしているのだ、小僧! そこで怯えているだけで何もできていないではないか!!」


 エドワルドは不様に逃げる俺を見て嘲笑う。

 

(うるせぇよ!! 何にもできていないことは、俺自身が一番よく分かってるんだよ!!)


 エドワルドのニヤケ面も、煽り文句にも腹が立つが、自分の無能さ加減に一番腹が立つ!!

 でも、【調教師テイマー】ですらなくなった今の俺には、ティアへ声を掛け続ける以外に何も出来ることがなかった。


「はぁ……お前にも何かあるかと期待したが、やはり無価値な人間であったか。……ならばこれ以上は時間の浪費でしかない。——もうよい、


「ぎぎぎぎゅぎぎぎぎゅぃいいいい!!!!」


 ティアの悲鳴が一層強くなる。

 これまで聞いたことがない耳を塞ぎたくなる痛々しい声。……エドワルドの『隷属の呪い』に抵抗を続けているせいで、ティアの美しい乳白色だった体は傷だらけになっていた。



 ——だが、それでも。 


 ティアの意に反して、

 触手のうちの一本が俺に狙いを定めて、

 ゆっくりと持ち上がった————。


 

 

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