第39話 神明裁判ⅩⅥ 祈る者たち


「GRUUUUUUUUUUUU…………!!」


 魔獣エドワルドは対峙した二人の最上位冒険者のことを注意深く、油断なく見つめていた。


 ……正気を失い、理性を手放して怪物となっても、いや、怪物となったことでより一層、目前の敵から感じる『脅威』に対して、魔獣エドワルドは本能的に警戒を強くしていた。


 敵は複数人。

 ならば弱く、脆い方から叩いて数を減らす。それが戦場での常道セオリーだ。

 魔獣となった後も、軍司令官としてのエドワルドに染みついた“思考の癖”が、自然とそう判断をさせた。


「GYAAAAAAAAUUUUUUUUUUU!!!!」


 限界まで撓めて力を溜めた後ろ脚を、地面を爆発させるほどの勢いで蹴り出す——エドワルドは黒い砲弾と化して、——イニィに向かって猛然と飛びかかる!


「……昔からそうなのです。エルと二人でいると、狙われるのはいつも僕の方なんですよね」


 ギィィィィィィィンン!!!!


 城壁すら爆砕するほどの衝撃を、イニィは涼しい顔をして受け止めて見せた。

 ……その手にはいつの間にか白い骨でできた短杖ワンド——救世主の遺骨杖リメインズオブセイヴィアー】が握られ、地面から突き出された巨大な竜骨の爪が魔獣エドワルドの一撃を防いでいた。


「GAAA!?」


「……ですが、お生憎様です。


「おい!? その言い方だと私が尻軽女みたいじゃないか!」


 エルミナは動きの止まったエドワルドに対して間髪入れずに霊韻剣による斬撃を見舞う。イニィの召喚した竜腕に止められた方の腕に、切断とまではいかないものの深い傷を与えた。


「そこまでとは言いませんが……エルは今までにも彼氏いたじゃないですか?」


「む……だが、ここ十年程はそういった特別な人間は出来ていない……。べ、別に良いじゃないか! 『人類の守護者わたし』にだって、彼氏くらい居たとしても!」


 邪なる存在に特攻を持つ【聖属性】を武器に付与することができる『神聖騎士ディヴァインナイト』の一撃を受けて、堪らず距離を取る魔獣エドワルド

 ……だが、後ろに飛ぶのは愚策だった。

 イニィは【汎用屍霊魔術】として最上級の術式である【不死竜骨ドラゴンボーン】を召喚していた。


「そりゃあ構いませんがね。……エルは『勇者』候補を見つけると、割とすぐコロっと行っちゃうのでチョロいのです。——あ、そこは私の距離なのです」


 魔獣エドワルドが多少距離を取ったところで、そこが死地であることには変わらない。

 虚空から突如現れ、三方向から振り下ろされる竜爪。

 一撃は防御したものの、背面側の二撃をもろに喰らい、魔獣エドワルドは苦痛の呻きを漏らす。


「チョロいのはお前の方だろう! あんな二十歳ハタチそこそこのに入れあげて! わ、私はどうかと思うがな!」


 閃光を纏って高速飛翔するエルミナ。

 空中を歩き、天翔けるスキルを身に付けているエルミナは、空中地上どこからでも一呼吸でノーモーションから最速まで加速することができる。竜爪によってエドワルドが怯んだ次の瞬間には一撃で首を落とせる位置から剣を振っていた。


「取った!」


「GRAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!」


 鋭い銀閃が空間を切り裂く。

 だが、剣閃が魔獣の首に届く前に、エドワルドの背面から伸びる竜蟲ワームの群れが首との間に挟まり、剣の動きを止めた。

 竜蟲ワームの頭たちは、そのまま絡まり合うようにうごめきながらエルミナへと襲いかかってきた。

 エルミナは落ち着いてそれらを霊剣で弾き、切り払い、防御する。——何本かを切断することができたが、すぐに断面を内側から食い破って新しい竜蟲ワームの頭が生えてきた。


「……キショいのです」


「あぁ、同感だ。……それにあまり時間も残されていない。奴に奥の手を出させる前に倒し切るとしよう」


 ——空に漂う大怪獣は、苦悶の叫びを上げながら大量の血雨を降らせている。

 そのために王城の足元に広がる城下町で家屋の崩壊が進んでいることも、既に犠牲者が出始めていることも二人は分かっていた。……かつて味わった「悲惨な戦場」の時と同じ空気、人々の絶望の気配を感じていた。


「そうですね。今のあのティアを止められるのは、ナギくんしかいません。……それか、エルならば斬れますか? ——【星神剣セレスティアルディバイダー】の力ならば」


「…………どうだろう、か」


 エルミナは、自身の胸に手を当てて少しの間、瞑目する。

 ……胸の奥に宿る「星の囁き」は、まだ彼女に何も言ってこない。一国の王都が滅亡する手前の状況ではあるが、それは真の世界の危機とは見做されないのか。


「……これは、人の手で切り抜けるべき事態のようだ。——それに、私個人としても彼らを斬りたくはないよ」


「そう、ですか……。ならば、本当に急がないといけませんね。ナギくんの力にならないと!」


「あぁ、そうしよう。——久しぶりに、アレをやる!」


「ええ、やりましょう!!」


 白銀の鎧に星の煌めきを放つ神聖騎士と、

 黒百合のドレスに暗黒を纏う屍霊魔導師。


 二人は対極に在りながら、偉大なる母の導きのもとで真の『世界を旅する冒険者ワンダラー』としての心意を受け継ぐもの。


『——我が呼びかけに応じよ、冥界の盟主、煉獄の統制者よ。我は“審問官”にして“代行者”。汝の取り零した悪鬼デモンを送還す。地獄ゲヘナの大門、今ここに開錠せよ!!』


 イニィの足元の影がみるみる広がっていく。その影は陽の光が遮られて出来たものではなく、一欠片の陽光すらない深淵に繋がっているように、真っ黒で真っ暗であった。

 遠くで、亡者たちの嘆きの声が聞こえる。

 それは徐々に近づいて、影から形を伴って溢れ出そうとしている。


『—— 【黒死の呪詛ブラックカース】』


『——【霊韻剣・調律アコード】』


 エルミナの握る霊剣の表面に彫り込まれた紋様が眩く輝きを放つ。その光を覆うように、イニィの影から手を伸ばす死霊たちの黒呪が纏わりついていく。——【霊韻剣ノア】とは無色透明の霊剣。何にも穢れず、何にも染まることはない。だからこそ、剣の握り手の意思に応じて、凡ゆる属性をその刀身に宿すことができた。




【神遺神楽:『闇黒の救世神剣ダーク・セイヴァー』】



 

 地獄の門から呼び出した黒死の呪詛を汲み上げ、編み直し、無色の霊剣は極黒の輝きを放つ暗黒剣へと変化する。


「はぁ————ッッ!!」


 剣に纏う黒い闇を彗星の尾のように靡かせて、エルミナは空間が歪むほどの渾身の踏み込みによって爆発的に加速し、瞬く間に魔獣の懐に肉薄する。そして、袈裟斬りに暗黒剣を奔らせた——!!

 

 ズシャアアアアアアアァァァァッッ!!!!


「GYAAAAAAAAAAAAAAaaaaaa……!!」


 剣閃が通り抜けた部位がする。

 剣は魔獣の肉体を切り裂いているのではなく、悪呪の持つ力場が魔獣エドワルドに触れた瞬間に、“はじめから何も無かった”ように、エドワルドがこの世界に存在すること自体を『否定』していく。

 斬撃を受けた魔獣の肉体は、真っ黒いぐずぐずの物体へと変化し、ぼろぼろと崩れ落ちていく。壊疽えそが拡がるように身体は次々に黒い呪いに蝕まれ、呪いに触れた部分から即座に腐り落ちていく。


 魔獣は失った部位を再生しようとするが、身体中に広がった汚穢によって崩壊し続ける。耳を覆いたくなるほどの絶叫と悲鳴、再生と腐食が無数に繰り返されながら、魔獣エドワルドは徐々にその肉体を小さくしていった。


「……これが死の呪い。あらゆるものが逃れる術を持たない、必滅のことわり。——哀れなる咎人よ、輪廻の淵へ還るがいい」

 

 エルミナ・エンリルは霊剣を掲げて祈りを捧げ、そのまま大上段から真っ直ぐに斬り下ろした。

 

「AAAAAAAAAaaaaaa……」

 

 最期は一抱えほどの黒いすすのようなものの塊になって、エドワルドはその生を閉じた。


「……ご機嫌よう、エドワルド・ヨトゥンヘイム。輪廻の果てで、また会いましょう」


 イニィ・ラピスメイズは一時目を伏せ、彼の魂が安らかなることを祈り……そして顔を上げた。



「——さぁ行きましょう、エル。まだこの世界を終わらすわけにはいかないのです」


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