第40話 神明裁判ⅩⅦ 紅き死の大河


「お前さ、大事な回復アイテムを最後の最後まで取っといて使う機会タイミング無くしたことなーい?」



 ギースはおどけながら俺にそんなことを言ってきた。


「……あったら、なんだってんだよ」


「うんうん、やっぱりな。そうだよな。お前はそういう『普通のヤツ』だよな。お前、本当に冒険者のセンスってもんがねぇよ。辞めちまえバーカ」


「な……なんで今そんな話になる!?」


 突然の口撃に思わず怯んでしまった。

 思い当たる節がある分、余計に腹が立つ。

 くそ、本当にムカつく奴だな!

 

「あのな? 愚かでお馬鹿で脳足りんのお前にも分かるように言ってやろう。


 ギースは他人を心底馬鹿にした話し方で説明をする。……とてつもなくイラつく。


「アイテムだ装備だをケチるのヤツはな、思考が守りに入ってんだよ。モノには使いどきってもんがあってな? いつまでも後生大事に抱えてるなんざ阿呆のやることだ。必要な時に正しく使えなければ、それははじめから『無い』のと変わらん。…‥分かるか? 俺は今、お前の『命』の話をしているんだ」


「…………っ!!」


 ギースの道化じみた話し方はいつしか、教会の神父のような深く聴き入らせられる、威厳のある落ち着いた声へと変わっていった。

 

「お前は今や、何の力も持たない唯の人間だ。だが、それでも『荒ぶる深淵の神アレ』を止めたいのだろう? ——ならば生半可な方法では絶対に不可能だ。だからお前の全部を賭けろ。文字通り『全部』だ。お前の場合それでやっと、この戦場ゲームに参加する資格となる」


 命を賭ける程度のことを躊躇っていたらお前に価値などないと、ギースは冷たく突き放すように俺に告げる。

 いつもと違うギースの様子に、心の底に不安と緊張を感じるが……俺にも譲れないものがある。


「……やるよ。命でもなんでも賭けてやる。それにここでティアを失ったら俺に生きていく価値なんて一生なくなる。……それくらいは、俺も分かってるんだよ」


「ふむ、馬鹿なりに機を見ることを理解したか? ……覚悟の方も、嘘じゃねぇみたいだな。結構結構。無軌道な若者一匹の命なんざ、こんな高値で売れる事なんかまずねぇぞー? 良かったな、意味のある命の使い途ができて」


 ——ザクッ


 ギースは笑わずに、嗤わずに、親のような優しい眼をして

 

「ご、ぼぉっ!?」


 内臓を傷付けられて、勢いよく喀血する。

 全身から力が抜け、立っていることができない。膝から崩れ落ちてしまう。

 

「こ、ひゅー……。がはっ! な、に、しやが……」


 アリサさんにナイフで刺された時はしっかり傷口に痛みを感じた。だが、今はとてつもない倦怠感によって体が動かないという感覚で、痛み自体はほとんど感じない。……そのことが怖い。自分の肉体が死に近づいていることを、俺は否応なしに理解してしまった。


 地面に這いつくばる俺の首根っこを捕まえたまま、ギースは


「が……あ……?」


「動くなよ? 動くと死ぬぞー」


 影の中の暗闇の空間を抜けて、俺はギースに抱えられたまま破壊された王城の影から影へ、短距離の空間移動を繰り返す。


(こいつ、一体どこへ……?)

 

 何度もギースと共に影潜りをしているうちに、俺は王城から城下町を一望できる高台に連れて来られていた。


 高台の崖からは、城下町を轟轟ごうごうと音を立てて流れる赤い濁流が良く見えた……この濁流に飲まれて、すでに多くの人々があちらこちらに浮かんでいた。『魔眼』などで『』ることなく分かる。あの人たちは、もう————

 

「ほらよ。あの赤い河が見えるか? あれぜーんぶ、お前んところの化け物が流した血だよ。あーあー、もう街が溶けて沈んじまってる。俺あそこの串焼き屋お気に入りだったんだがなぁ。今のお前には見えてないかもしれんがな、今この街の上には死にたての人魂がしてやがる。分かるか? みーんな死んじまった。可哀想になぁ。さぞ無念だったろう。お前らが王都このまちに来なければこんなことにはならなかったのにな」


「ぐ……そ……」


 そんなことはない、とは言えなかった。

 そうだ。ギースの言っていることは間違っていない。俺とティアは自分たちの願いのためにこの王都にきた。……その結果がこれだ。

 この惨状が「俺たちの罪」であることは間違いなかった。


「あの魂たちがどこへ行くか知っているか? 見えると分かるんだがな、。一見血を吹き出しているが、その実ちゃんと世界から『生命』をすすってやがる。……大した化け物だな?」


 そこでギースは言葉を区切る。

 そして、血塗れの俺を見下しながら、聖堂の司祭のように冷たく厳粛に俺に言った。


「お前はあの赤い河を渡り、彼のカミと対話するのだ。……今お前の命は尽きようとしている。あの河の中で死ねば、お前は魂を喰われる。さすれば、内的世界で会話することもできるだろう。——お前が、彼女を止めるのだ」


 そして俺の首を持って、崖の上から赤い河の上に吊り上げる。


「か……はっ……」


「んじゃな、うまくやれよ?」


 最後の瞬間はいつものギースのようにヘラヘラと薄笑いを浮かべて、俺を「ぽいっ」と赤い河の中へと投げ落とした。




 ザバァンン!!


 水飛沫と共に水中に落下する。

 

(!? 熱っ!! 痛い痛い痛い!!)


 赤い河はティアの血だ。

 それは石床を溶かし、王城を崩し、街全体を沈ませるほどに凶悪な溶解液だ。……生身の人間が触れればどうなるか、簡単に分かってしまった。



(あああああ、があああああっ! ぎゃああ



 まともな意識を保っていられたのは多分赤い河に落ちて数秒間だけで、俺は激痛と恐怖と絶望感の中で意識を失った。……この時、俺は多分死んだのだと思う。







 赤く、黒い水底からゆっくり浮かび上がる。

 周り全部真っ暗な世界の中で、唯一明るい場所に向かっていく。



 もやが晴れるように

 

 薄い膜を破るように

 

 扉の鍵を開けるように

 


 ——俺は俺である事を思い出した。

 


(こ、こは……)


 まだ意識というものを自覚できておらず、薄ぼんやりとした頭で、ひとつひとつ、思い出していく。


『自分』が『ナギ・アラル』であったか。


何をしていた冒険者で調教師』か。


『大切なもの』は何だったか————




「ティア!!!!!!!!」



 きゅるるるるるるる、くるるるるるるる



 近く、そして遠いところから彼女の鳴き声が響いた。



「……そうだ、ティア。俺の大切な仔ドラゴン。いつも一緒にいて、これからもずっと一緒にいる大切な、俺の大切な……」


 譫言うわごとのように口から独り言がこぼれ落ちていく。

 焦る気持ちと、もう一度出会える予感。

 すぐに会いたいと逸る心と、自分に自信がなくて躊躇ってしまう心。


 どちらの気持ちもあって、体の輪郭が不安定に崩れる。……では、『想い』だけが形になるみたいだ。

 俺は心を落ち着かせて、自分の願いを一つにまとめていく。


「でもやっぱり、会いたい。……ティアに、会わなくちゃ」



 たったそれだけを心に強く念じる。

 そうしたら、俺はちゃんと『ナギ・アラル』だった。

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