第17話 迷宮迷路Ⅴ 『深淵種』
冒険者イニィ・ラピスメイズはダンジョンを必死に走っていた。
「やばいやばい、死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!」
今度という今度は死ぬかもしれない。
轟然と地面を揺らす地響きのような足音が、もうそこまで迫ってきている。
イニィは小柄な少女の身体を精一杯に伸ばして、躍動させて、ダンジョンを駆け抜ける。
……その速度は引き絞った弓から放たれた矢のごとく、常人どころか【クラスチェンジ】を経た中位冒険者をも置き去りにするほどの速さだった。——だが、これでもまだ敵の方が速い。
「深層域の
深層域から走り続けて約半日。
下層の入り口に近いところまで戻ってくる事ができたが、遂に背中に敵の吐息を直接感じるところまで追いつかれていた。
(ぐううっ! 僕の術式はこういう狭い通路とイマイチ相性悪いんですよおっ。なんとか、なんとか広い場所に出られさえすれば……!)
そう思い続けて、下層のフロアを既に数階層踏破してしまった。……基本的に“師団規模の軍勢を展開できるスペース”はダンジョン内には存在しない。そのことをイニィは失念していた。
『がああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!!!!!!!!!!!』
「ひぃええっ!」
一つ前に曲がった角の向こうから、無数の怪物たちの咆哮が聞こえる。
もうほんの僅かな距離しか残されていない。
「あああぁああぁあー、神様ぁぁっ!?」
下層入口のフロアに駆け上がる。
狭い階段の通路を抜けて、視界が開ける。
すぐ後ろで、イニィの首筋を魔獣の爪牙が掠めた。
——その刹那。
「きゅるるるるるっ!!」
パパパパパパパァンッッ!!
「……え?」
真後ろで破裂音が連続する。
思わず振り返ると、階段を登り切って顔を出した無数の魔獣たちが、頭部を炸裂させて死んでいる。
『ガアアウッ! ゴアアアアッッ!!』
階段の下からは無数の怪物達が苛立ちの唸り声を上げている。
死んだモンスターの死骸で階段が堰き止められ、後続のモンスターたちを一時足止めしていたのだ。
一体何が——? 自分が助かった事の安堵よりも、イニィは何が起こったかが気になって、周囲を確認した。
……そして、見つけてしまう。
「——————……何、あれ」
イニィは思わず息を呑む。
——異形の獣が、そこにいた。
見上げるほどの
はじめイニィは、真っ白に凍る樹氷をイメージした。
黒雲立ち込める暗黒の空に漂う無数の白糸。
眼を凝らすと、それらは髪の毛ほどの細さにまで分割された無数の触手であると分かった。
大元の一対の太い触腕から伸びるそれらは、途中で枝分かれを繰り返し、その獣の背後に三対六翼の大きな
ゆらり、ゆらりと空に揺動しているそれを眺めているだけで、イニィは寒気を覚えるほどの美しさと深海を覗き込んだときに似た「畏れ」を同時に感じ、金縛りにあったように身動きが取れなくなってしまった。
「え……あ……」
こわい
きれい
(せいしんへの、きょうりょくな、おせん)
きれいこわいきれい
こわいこわいきれい
(れじすとしないと、まず、い)
きれいきれいきれいきれいきれいきれい
こわいこわいこわいこわいこわいこわい
「……『
イニィ・ラピスメイズの全身に黒い魔術光がぼうっと灯る。呪詛や精神汚染などへの高位抵抗呪文は正しく効力を発揮し、イニィの精神を正常時に戻した。
(あ、あ、あ、あぶなかったのですーっ! 今のは本当に危なかったです! 脊髄反射で解呪できた僕マジぐっじょぶ!! ってかなんで!)
「なんで、こんなところに『
「きゅおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!!!!!!!!」
『ガアアアアアアアアアアッッッッ!!!!』
階段を堰き止めていた死骸を蹴散らし、階下から怪物達の洪水が噴き出した。
——『
イニィは一瞬迷う。
前か、後ろか。
「えっ、どっちに行っても死では?」と。
『そこの人! こっちへ!』
「念話っ!? は、はいっ!」
脳内に響く念波に即断で反応。
飛び込むように左前方へローリング回避。
「くるるるるっ」
イニィが転がったそのすぐ後ろを『白い
先ほど空中を漂っていた無数の白糸が、そよ風に乗りさらさらとモンスターたちに向かって流されていく。
「……? ひっ!!」
あまりの光景に悲鳴が漏れる。
風に運ばれる白糸に触れた魔物たちが、生きたままバラバラに解体される。細切れになって地面に内容物を撒き散らしながら、その場に崩れ落ちた。
イニィは、最初それを「攻撃」と認識していなかった。最初の一手として、糸をまとわり付かせて敵全体の行動を阻害するような「
だが、違う。
それは余りにも常識と異なる「攻撃」であった。
(……なんなんですか、あれ。触れるだけで即死の風!?)
深層域で発生した今回の『
場合によっては、たった一体で中位冒険者パーティを喰い散らかすことが出来てしまう真性の怪物たちだ。当然、物理的な防御力も、魔術的な抵抗力も高い。——だが、その全ては無意味だった。
触手が『
「あ……あ……そんな」
つい今し方までその牙と爪に命を脅かされていたはずのイニィは、深層域に棲む恐ろしくも力強い、畏怖すべき魔物たちが一方的に蹂躙されていく様に、酷く生命への冒涜のようなものを感じていた。
「きゅるるるるるるるるるるるふふふふっ」
笑ってる……?
いや、嗤ってるんだ。
イニィは目の前の真白き魔獣への恐怖で背筋を凍らせる。——殺戮を、愉しんでいる。
モンスターを解体し終えたティアは、細い触手を器用に操り、拳大の大きさの魔石を次々に拾い上げる。
「きゅっ!」
バキン、パキン、パキッ!
生命や魂を直接見ることができる『見鬼』スキルによって、イニィには空に光が溢れたように見えた。魔石から抽出された、
「るるるるるっ!」
それが、一息に呑まれた。
生命の輝きは一瞬にして真白い魔獣に吸い込まれ、その体内の中で
生命を喰らい尽くした真白き魔獣は、みりみりみりみり、と音を立てて急速に成長していく。——また、一回り
(——これ、もう『
冒険者イニィ・ラピスメイズ。
『
遺骸と死霊を意のままに操作するという邪悪な術理を用いながら、それでも世界の維持と人類の安寧のために活動する真の英雄の一人。
その英雄を持ってして、
「あ、これアカンやつ……」と絶望させるに足る、異常な光景であった。
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