序章の終章Ⅳ 旅立ちの朝



「いっつまで寝てるんだい! とっくにお天道様は登ってるよ!! さっさと……あら」



 王都ガルガンディア。

 冒険者ギルドに程近い区画に昔からリーズナブルな価格で営業している宿屋があった。

 その一室、普段ナギ・アラルが常宿にしている部屋に、宿屋の女将が毎朝のルーティンとして突入してきた。……宿屋なのに客のプライベートが考慮されていない点は問題だが、手厚いコミニュケーションがこの宿のウリの一つなのであった。


 だが、その朝の様子は普段と違った。

 部屋の主人であるナギが不在なのだ。


「あの子、今朝はこんなに早く出るなんて言ってたかねぇ。……おや?」


 ベッドの脇にある小さな机の上。

 封筒に入れられた手紙がそこに置かれていた。


 宿屋の女将はその手紙を開き、中身を読み出した。……すると、手紙を読み進めていくと共にその眼には涙が滲んでいく。


「……ったく、そんな改まった挨拶が必要な間柄でもないだろうに。……バカな子だよ」


 目元をそっと拭い、手紙をまた封筒に戻してそっと胸に抱いた。

 あの少年——今はもう青年になった——が、故郷の村から王都へ出てきて、五年間と少し。その間ずっと、王都でこの宿に住み続けた冒険者の男の子からは、こんなメッセージが贈られていた。



『もう一つの家で、家族みたいに思っていました。——またいつか、必ず帰ってきます』

 


「もう家族みたいに思っていたのはこっちも同じさ。……やっと、望んだとおりに世界を旅してくるんだね。……またいつでも好きな時に帰ってくればいいさ。私らも、それまで宿を続けてないとねぇ」


 王都の朝の大通りは既に多くの人通りで賑わっている。

 少し前に、この街が赤い濁流に呑まれて壊滅したことを正確におぼえている者は少ない。皆、夢を見ていたようにおぼろげにだけ記憶しており——自分がそこで『死んだ』ことさえ、悪い夢だと思われていた。


 王都の人々は、あの日確かに一度死んだ。

 だがそれを意識できている人は殆ど居ない。


「……んん、もう、朝ッスか……」


 宿屋の看板娘、ユリアもその中の一人であった。いつか見た「赤い夢」でなにか酷く恐ろしい思いをしたような気がする。事実、ユリアはその日から体調が思わしくなく、仕事も休みがちになっていた。


「……そっか。今日からもう、ナギっちは居ないんスよねぇ……」


 昨晩遅く、仕事終わりに自室で休んでいたところにナギが訪ねてきて、別れの挨拶をしていった。……本当に、この間まで行方不明になってたと思ったら急に国外追放されるなんて。


(ナギっちも大物になったもんスよ……まだもうちょっとヒヨっ子冒険者してくれてても良かったんスけどね)


 アリサはベッドの中で髪先を指で遊ぶ。

 ……ナギが王都を離れる前に直接挨拶に来てくれて嬉しかった。でも、今自分の胸中を占める寂しさから、どうしても離れられないのだった。


「私とナギくんは、そういう間柄でもなかったんスけどねぇ。……はぁ、今日はもうお休みに——」


「なぁにサボってんだい!! このドラ看板娘ぇ!」


「ひえっ!! び、びっくりしたぁ!」


 ドガーン!! と木製の扉が吹き飛ぶほどの衝撃音と共にぶち破られるアリサの部屋。

 部屋の前には仁王のように腕を組む女将が出現していた。


「とっとと起きなぁ! ウチにはタダ飯食いを置いておく余裕はないよ!」


「う、うぅ。お母さん、今日はしんどい……」


 いつもは元気に起きてくるはずの娘の普段と違う様子に、その原因に思い当たった女将も少しばかり声を和らげる。


「……しみったれた声をお出しでないよ。あの子はちゃんと帰ってくるって言ってたんだろう? なら、それまで“いつも通りの毎日”を守るのが私たちの仕事さぁ。……まったく、仕方のない子だねぇ。少し休んで、気持ちが落ち着いたら降りてきな」


 女将が部屋を出ていく後ろ姿を眺めながら、アリサは窓の外に視線を向ける。

 外は旅立ちにはもってこいの快晴で、今頃あの一人と一匹(一柱?)はどこを歩いてるんだろう、と想像する。


(——なんとなくだけど)


 世界のどこを歩いていたとしても、きっと笑ってるんじゃないかな、とアリサは思った。






 ++



「ねえぇぇぇっ!!? 想像してた旅立ちと違うんですけどぉぉぉぉ!!!!」



 王都上空四〇〇メイル。

 空気を引き裂く轟音と共に、大空を高速で飛翔する存在がいた。


 地上からはごく小さな「点」にしか見えないそれは、初めて体感する高高度の空気の冷たさと顔面にぶち当たる強風の圧力ですっかり恐慌状態となってしまった哀れなる冒険者、ナギ・アラルその人であった。


「ええい! 文句を言える立場か! 君はもう王国ではお尋ね者なのだぞ! 出来るだけ速やかに国境を越える必要があるから、わざわざこうして私が運んでいるのだぞ! ……っておい! ま、また変なところ触ってるっ!!」


 そしてもう一人。

 こちらは一人で飛ぶことには慣れていても、誰かを、特に男性を抱えて飛ぶことには慣れていない『人類の守護者』であった。

 ……どさくさに紛れて、ちょっと口に出せない場所にしがみつかれている『神聖騎士ディヴァインナイト』エルミナ・エンリルは、上擦った声をあげながらナギの手の位置を変えようとしている。


「そんな余裕ありませんてえぇぇ!!!!」

 

 煌めく白銀の鎧に身を包む少女の腰に必死でしがみつきながら、必死に叫ぶナギ。

 ……確かにその時、何か柔らかいものに触れていたような気がしないでもなかったが、全ての意識は「生きるか死ぬか」の瀬戸際の恐怖に持っていかれて、何かを愉しむ余裕など皆無であった。


「える、みな、さぁぁん!! あと、どれくらいですかぁぁぁぁあああーー!!」


「くっ、ううぅ、お腹に顔を押し付けたまま叫ぶなぁっ! もうあと十分もしたら国境だ! それまで黙っていろ!!」


 二人はお互いに別の必死さで叫びながら、雲ひとつない快晴の空を滑るように飛んでいく。




 ++


「や、やっと着いたぁ……! くっ、君のせいで無闇に精神力を削られたぞ! 大体、女性の体にしがみつくときには配慮がだな……」


「…………(白目を剥いて気絶している)」


「お、おい。ナギ? ナギ君? ——ダメだ、死んでいる……!」


 ぐったりと力無く地面に転がるナギ。

 目的地である国境線にたどり着いた時には、既に意識を失い、かろうじてエルミナの腰にしがみついているだけの状態であった。

 どうやら空の旅には向かないらしい。


「なーに大真面目な顔して大ボケこいてるのですか、エル。……ほら、ナギくん。朝なのですよー早く起きるのですよー」


 グダグダのコントを繰り広げる二人の前に国境線で先に待っていた人物が現れた。

 すっかり旅装を整えたイニィ・ラピスメイズである。


精神疲労回復呪キュアメンタル


 淡い魔術光がイニィの掌からナギの顔に降りかかると、ややあってナギは目を覚ました。


「……えらい目に遭いました。この痛みが『世界に仇なす放浪者ローグ』になるという事なんですね……」


「いやそれは関係ないのです」


 兎にも角にも。

 ヨトゥンヘイム王国国境線の地に三人は集結した。


 世界を旅する冒険者。

 それは二人の養母であるアルカ・レヴァリーによって示された冒険者の『在り方』。

 

 世界にはまだ見ぬ不思議なもの、奇妙なもの、謎と神秘に満ちた何か素晴らしいものがあるはず。

 それを探索し、見つけ出すのが冒険者なのだと、アルカはその冒険譚の中で世の子供達に伝え続けていた。


 それをそのまま受け取って、

 そのまま大きくなってしまった愚か者がいる。


 ナギ・アラル。

 才能が無いと言われ続け、足掻き続けてもずっと何者にもなれなかった男。

 

 旅立ちの朝に相応しい輝く陽射しに目を細めて、天に左手を翳す。

 ……その手の甲には、従魔紋によく似た、だが完全には一致しない【風変わりな呪紋】が浮かび上がって仄かに輝いている。


「よし。……じゃあ行こうか、ティア」


『くるるるるるるるるっ!!』


 ナギが声をかけた途端、背後の空間が「ぐにゃり」と歪み、そこからずるりと這い出すように子犬程度の大きさの『何か』があらわれた。


 真っ白な身体。

 背中から無数に生える触手。

 くりくりの八つの瞳。

 うにょうにょの腹足。


 とても不思議で、奇妙で、謎と神秘に満ちた——大切な相棒。


 運命的に出会ったこの不思議な生き物と、ナギはこれから旅をしてきっと何者かになっていく。


「きゅるるるるっ!」


 とても嬉しそうに喉を鳴らしながら頭を擦り付けてくるティアを撫でながら、ナギは


「さーて、じゃあ世界を見に行きますか!」


 と国境線を大股で踏み越えた。



















 とある森にて。

 深夜の森には深い闇が広がっていた。


 ——静かな夜であった。

 この森は何故か生き物の気配がしない。

 何もかもが眠ったように、死んだように。

 草木すら呼吸せずにいるようだった。


 年若い聖職者の少女が、二人の従者を伴って小さな祠を訪れていた。


「………………」


 その祠の扉を開く。

 そこには、手のひらに収まるほどの小さな神像が収められている。


 聖職者の少女がその神像に触れると、黒く悍ましい瘴気が噴き上がり、一気に森に溢れ出した。瘴気に触れて、恐ろしい勢いで立ち枯れていく森の木々たち。


「……やっとお会いできましたね。■■■様」


 その中にあって、口の端を、ゆっくり笑みに歪めて少女は笑う。

 


 神はいる。実在する。

 ならば、我らを助けてくれるに違いない。

 



「うふ、ふふふ、くふふふふふふふ!!!!」


 

 暗く、昏く、闇い森の中で。

 救い主を見つけた少女は、神像を胸に抱いていつまでも笑い続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

出戻りテイマーですが、近所の祠で拾った仔ドラゴンの様子がなんだかおかしい件について 紅谷イド @kthanid666999

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ