序章の終章Ⅲ 冒険者たちの夜明け前


 冒険者アルベド・リーンウッドは、冒険者ギルド本部の一室で、まんじりともせず夜を過ごしていた。


 既に時刻は深夜を超え、朝が近づいてきている。——だが、アルベドの神経は一時も休まる事なくキリキリと尖り続けていた。……一晩もの間そうやって気を昂らせていると、ドアの向こう側を歩く音を聞くだけで誰が入ってこようとしているか分かるようになっていた。


「……どうでしたか!?」


 ドアが開くのと同時に問いかける。

 入室してきた人物は、苦笑いをしながらそれに答えた。


「——アルベドよ。俺にも椅子に腰掛けるくらいの時間の猶予が欲しいのだがな? ……しかし、お前の急く気持ちも分からんではない」


 一見すると粗暴に見える巨大な筋骨を備えた身体を、大型のネコ科魔獣を思わせるしなやかな動きでソファに座る。

 アルベドの向かいに座った男——ギルドマスター・マードックは懐から一本の巻物スクロールを取り出した。

 ご丁寧にも表に血蝋による封印が押されている。


「……王家の家紋ですね」


此度こたびのことが無くとも、冒険者ナギの処遇はとなるはずだった。——だが、それも今となっては、だ。……中をあらためてみよ」


 巻物スクロールの封印を解く。

 封蝋を開くと、広げた紙の内側からいくつかの小さな光がパチパチと立ち昇って、弾けて消えた。いくつかの機密保持のための魔術が発動し、巻物スクロールの紙面に文字が浮かび上がる。


「————!! ……やはり、こうなってしまいましたか。この決定は、もう覆らないのですね」


「あぁ、最終決定事項だ。……俺も、『神聖騎士エルミナ』も八方手を尽くしたが、ダメだった。……力不足で済まぬな」


「いえ……」


 それはギルドマスターが謝ることではありません……とアルベドは言いかけたが、手の中の巻物スクロールに記載されたその「最終決定事項」の重さに、思わず口を閉ざしてしまった。


 ——そこには短くこう、書かれていた。



【冒険者ナギ・アラルおよびその従魔ティアを『世界に仇なす放浪者ローグ』として裁定し、王国全土に対する侵入を永久に禁ずる】



「これで二人目、ですか……」


「イニィ・ラピスメイズのことか。……彼女についても当時散々抗議をしたが、このヨトゥンヘイム王国では受け入れられなかった。我々は仲間を護るための互助組織として『ギルド』を名乗っている。これまでも、これからもな。……だからこそ、この決定を我々は断固受け入れない、と王国側には伝えてきたところだ」


 ギルドマスター・マードックの眼には、静かだが激しい怒りの炎が宿っていた。正面でその視線を受け止めたアルベドはそれに少し気圧けおされる。


「……『冒険者ギルド』の基本方針として、王国とはたもとを分つ、ということですね」


「あぁ。これは以前より議論されていた事項でもある。……我々は『迷宮ダンジョン』という存在に依存し過ぎているのだ。我々は今一度、本来の存在意義に立ち返る必要がある。——『冒険者』とは、世界中を渡り歩き、まだ見ぬ光景を探し求める者のことを指す言葉だ。……迷宮ダンジョンで資源採集者の真似事をす時代は終わりだ。これより我らは、知恵と武勇によって


 それは澱みなく、力強い宣言であった。


 マードックの考えに、アルベドは何個かの現実的に障害となる要素が頭に浮かんだが、すぐにそれらは『どうでもいい事』だと捉え直した。……今が変革の時なのだ。ならば道理ではなく、理想を掲げてそれに邁進するべきだ。


「では、本部ここも引き払いますか?」


「あぁ。早ければ早い方がいいだろう。……王国政府は先の騒動でまだ指揮系統が混乱している。今のうちに準備を進めろ。……あぁ、それと」


 マードックは懐からもう一枚、紙を取り出した。

 ……先ほどの巻物スクロールとは異なり、安物の、普段冒険者ギルドがクエストの表示に使っている紙と同じ低品質のもの。

 ——だが、そこにはこう書かれていた。



【冒険者ナギ・アラルおよびその従魔ティアを『世界を旅する冒険者ワンダラー』として認定し、世界各地での活動権限を永久に保証する。国家、宗教、その他団体はこの権限を阻害することはできない。冒険者ギルドは彼らの活動を永続的に支援する】


 

「これは……!」


「朝になったら、これをギルドの掲示板にでも貼り付けておいてくれ。……どうせ国外追放になるのだ。で、あればこの機会に彼らに方が、都合がよかろう?」


 『世界を旅する冒険者ワンダラー

 冒険者ギルドが認定する、冒険者としての最上位の認定資格。

 それは、他と隔絶した実力と高い精神性を備えた一握りの冒険者にのみ名乗ることを許される肩書きであった。


「……これは法的根拠も何もない、ただ冒険者ギルドが『そう定めた』というだけの区分でしかない。——だからこそ、これから彼らがが重要となるのだ。願わくば、人類の希望になってくれると良いのだが、な」


 マードックは脳裏にティアの奇怪だが荘厳な威容を思い浮かべる。

 人智を遥かに超えた上位存在。

 容易く人命を奪い、乱獲する恐ろしき神。

 ……だが、それと同時に大切なつながりを奪われることに痛みを感じ、最後には全てを癒してみせた姿に、『人と共に生きることができる』という希望の光を見た。

 

(——楽観だとも。次こそあの神の怒りが人類全てに向くこともあるかもしれぬ。……だが、信じてみたくなったのだ。彼らの絆をな)


 ナギとティアを国外に出すことで、世界がどう変わっていくかはまだ分からない。

 だが、冒険者ギルドが彼らを孤独にしなければ、あるいは共に肩を並べて戦う気概を見せることができれば、あの神は案外人類に絶望しないでいてくれるのではないか。……マードックには、そんな風に思えて仕方がなかった。


 同じように、アルベドの胸中にもある想いがあった。


(ナギ……お前が先にことになるとはな。——先に旅を始めているがいい。俺もすぐに追いつくさ)


 あの馬鹿ナギは覚えているか分からないが、冒険者教習所の同期として、『どちらが先に世界を巡り歩けるか』について語り合ったことがあった。まだ初級職を得る前の本当の新人の頃の、今となっては気恥ずかしい夢と憧れの話。だがアルベドは、その時の約束を胸に今日まで研鑽を積んできていたのだ。


 ……今日は少しだけお前が先に行った。だが、このまま終わらせるつもりはない。


 アルベドの眼に強い意志の輝きが宿る。

 ——マードックは、そんな若者をしばし眩しそうに眺めていた。



 王都に朝日が昇る。


 うらびれた歓楽街の居酒屋にも、

 薄暗い路地にも、

 冒険者ギルドの一室にも、

 朝の光は等しく降り注ぎ、明るく照らす。



「……朝だ。今日は忙しくなるぞ、冒険者アルベドよ」


「ふぅ、しばらくはそんな日が続きそうですね。……ですがお供しますよ、マスター」



 また一日、新しい日が始まる。

 冒険者たちはその先陣を切るために、動き始めた。

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