序章の終章Ⅱ 鴉人たちは間に囀る



「いやはやまったく! あぁ、驚いた驚いた。まさかこの歳になって真なる『カミ』を見ることになろうとはなァ。残った右目まで潰れるかと思うたぞ! ゲゲゲゲゲ!!」


老鴉ラオヤァ、五月蝿い」


「グゲーッ!!」


 肩に止まった大鴉が濁声だみごえで話し続けるのにいい加減ウンザリして、少女は小刀の鞘で「ズパーンッ!」と痛打した。


 夜明け前の最も昏い、「あわい」の時間帯。

 夜の歓楽街の喧騒とも朝の大通りの雑踏とも異なり、街はただ死んだように静まり返っている。

 

 そんな耳が痛くなるほどの静寂の中。

 踏まれたカエルみたいな悲鳴を上げながら、黒い彗星となって王都の路地裏をブッ飛んでいく自分のパートナーのことを、少女はとてもとても残念に思った。


「はぁ。あのが羨ましい。……私の相棒にも、もう少し威厳が欲しい」


「何を言うか。かつて『東方に武神あり』と謳われた儂よりも威厳に溢れる者など、そうはおるまいて!」


「うーん。じゃあ威厳というか、落ち着き?」


「ゲゲゲ! それには違いない」


 路地裏の彼方までぶっ飛ばされていたはずの大鴉は、次の瞬間何事もなかったかのように少女の肩に『再出現リスポーン』していた。


 それは不思議な二人組であった。

 王都このまちにまるでそぐわない、異物そのもの。そんな一人と一羽が無人の裏通りを歩いていた。


 その片方はまだ年若い少女だった。


 十代前半に見える幼い体躯。

 眠そうに半眼に見開いた瞳。

 艶めく闇色の髪を肩口で二つ結びに揺らし、この国では珍しい東国風の装いに身を包み、その上から小柄な身体をすっぽり覆える外套を羽織っていた。


 何らかの魔術で空中に鞘を固定した身の丈を大幅に超える大小の刀剣。無骨な黒の大刀に美しい白鞘に収められた小刀。その二つともが、少女の歩く後ろに浮遊しながら自動追尾している。


 そして、少女の肩にとまる隻眼の大鴉。

 口を開けば老人の声で永遠に話し続けており、五月蝿いことこの上ない。だが、たとえ世界の果てまでぶっ飛ばしても意味がないことを知っている当の少女は、無表情でそれをスルーするしかなかった。


「…………………はぁぁ」

 

「ん? ククク、なんじゃ? ワシの美嘴くちばしに見惚れておるのか?」


「……別に」


 少女は最早ツッコむ気を永久に失っていた。

 ジジイの戯言をまともに取り合うのは時間の無駄だと随分前に結論していたのだ。


「なんじゃい連れないのう…………まぁよい。しかし、くだんの少年とあの海母神ティアマト。奴らの存在は少々計算外じゃったなぁ。——いや。計算以上と言うべきか……」


 ダンジョンで最後に目撃した時。

 あの奇怪な怪物もその使い手も、まだまだ脅威とは考えていなかった。……だが、この短期間にあそこまで化けるとは——。

 少女の肩にとまる大鴉は、やっと一呼吸分、口を閉ざした。


「……どちらにせよ、またもまたも我等の計画は白紙に戻されたというわけじゃ。ゲッゲッゲ、折角第二王子エドワルドへの手土産に持ってきた『竜屍香ドラゴンノート』が無駄になってしまったわい」


 計画が御破算となったというのに、鴉は愉しげに笑う。


 『竜屍香ドラゴンノート

 あらゆる魔獣や幻獣の中で最も高き存在である「竜」がその生を終え、死の眠りにつく時。死した竜の遺骸からはえもいわれぬ芳香が立ち昇るという。その匂いを嗅いだ魔獣たちは、竜の大いなる力を得るために遺骸を喰らおうと正気を失い、『狂乱スタンピード』するのだという。


 そんなものを王国軍最高司令官であるエドワルドが持てば、どうなるだろうか。


「あの戦争馬鹿であれば、この香がなぜ禁制品なのかをはずなのじゃがなぁ! ゲッゲッゲ、口惜しいのう」


 イニィがその兆候を察知し、ナギとティアがその首魁を倒した『万魔氾濫スタンピード』は、人為的に起こされたものであった。


 くちばしの奥でくぐもった笑い声を出す大鴉。

 その様子を見て、隣の少女はまた小さく溜息を吐く。


「……老鴉ラオヤァ、回りくどい。王国を墜とすなら斬り捨てるだけで済むのに」


「……むぅ。お主には剣しか教えてこなんだからなぁ。立派な脳筋になってしもうて」


 隻眼の鴉は残った片目で少女を残念そうに見やる。……とはいえこの少女の育ての親は鴉自身であるため、ほぼ自分のせいである。


「あのなぁ、小鴉シャオヤァよ。わざわざ真正面から闘うとなのよ。真っ向勝負など阿呆のすること。……剣を抜き、敵と鍔迫り合い、大立ち回りの末に雌雄を決するなど、本来の策が成らなかった末の大失態と同義と知るがよい」


「むぅ。つまんない」


 表情の薄い半眼の顔立ちに、分かりやすく不満を浮かべて少女は口を尖らせる。

 手慰みにと、宙に浮かべた刀の大小をくるくると回転させていると、少女はに気が付いた。




「じゃあ……アレなら斬っても、いい?」



『うぅ。ぁ。ああ。あーーーー』


 細い路地の曲がり角から、中年の冒険者と見られる男が現れた。……だがどう見ても様子がおかしい。正気を失くした無有病者の如き足取りで、少女と鴉に向かって歩み寄る。

 ……その手に、分厚い刃のついた血塗れの鉈を握って。


「ふぅむ。最近は王都も夜は物騒なことじゃのう。……あれは、厭魅えんみか。傀儡の術を使うのは常夜の国の連中かのう。我らの動きを察知しているならば、なかなか見所があるが……」


「——ん。何か持ってた」


「これこれ。話は最後まで聞かんかい。……あぁ、この符牒は間違いないの。……フン、今更共同戦線もあるまいに。ククク、彼の神竜の威容に怖気付いたと見える」


 老鴉が少女の手の中の書き付けを見る。

 ……その裏で、冒険者の男性はその鎧ごと「ずるり」と斜めに斬り分かれる。

 ばっ! と花びらが散るように血煙が吹き上がり、どっと男の身体は地に倒れた。


 ——音にも聞こえず光にも見えぬ、神速の太刀筋。


「んー、つまんない。斬りごたえがない」


「馬鹿を言え。お主が満足する相手なぞ『神聖騎士ディヴァインナイト』くらいのものだろうが。……焦らずともよい。必ずお主の剣の腕が必要になる時は来る。それまでどっもしり構えておけばよい。——のう、『』よ」


「…………諾」


 で名前を呼ばれれば、もう拒否権はなかった。……それこそ、

 少女はつまらなさそうに剣を仕舞い、面白くなさそうな顔で外套のフードを被り、嫌そうに大鴉が大きく広げた翼のかげに入る。


(……)


 少女にとって、王都での任務は満足いくものでも、心躍るものでもなかった。

 ……でも。


 

「——また会おう、龍遣いの少年」



 唯一見つけた“特別”を思って、少女は唇に笑みを浮かべる。



「今度逢えたら……絶対に、斬るよ」



 そして「とぷん」と影の中に落ちていった。


 陽が昇り、この薄暗い路地にも朝日が差し込む僅かばかり前。

 未だ夜闇を残す路地裏の上にて。

 半分に割られた冒険者の遺体だけが、奇怪なオブジェのように静かに地面に転がっていた。

 通りすがりの遺体が発見されて、路地に悲鳴が木霊こだまするまで、もうあと少し。



 後には何も、残ってはいなかった。

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