序章の終章Ⅰ 葬神機関の夜



「それからどうしたって? あーもう、ひでぇ目に遭ったよ。もう金輪際お前からの仕事は受けてやんねーからな!」


 安酒のグラスを傾けながら、串焼きを片手にクダを巻いている一人の男がいた。


 草臥れたヨレヨレの黒革の外套にこれまた古びれた革鎧とブーツ。『歴戦の強者』というよりは、冒険者ギルドの隅っこでいつも油を売っている『ロートル冒険者』といった風体の、冴えない男——に、偽装したギース・クロムウェルが大衆向け居酒屋の一角に座っていた。


 変装したギースは青銅ブロンズ色の鈍い光を放つ冒険者証をに首から下げ、赤ら顔で向かいに座る男に何やら絡んでいる。

 その光景はどこからどう見ても、三流冒険者が飲んだくれて酔っ払っているだけにしか見えない。——いや、それは半ば事実なのだが。


「撤退時に追い回されでもしましたか? ……あの姉妹とやり合うのも久々だったでしょう」


 ギースの差し向かいに座り、酔っ払いの与太話(を装った報告)に相槌を打つのは、身なりの良い商人風の衣装に身を包んだミアキスであった。驚くべきことに、髪の長さ、瞳の色、身長や骨格までもが変化しており、たとえ王城勤めの者がこの場にいたとしても“第二王子エドワルドに仕えていた黒い神官服の男”であるとは誰も気が付かなかっただろう。


「お前ねぇ、こちとらもう十年も前に隠居してるオジサンですよ? あの永遠に歳を喰わない『不滅の戦乙女ヴィヴィアン・ガールズ』共と追いかけっこするのは体力的にシンドイんですけど?」


 ギースの愚痴に対して、薄い色眼鏡をかけたミアキスは口の端に乾いた笑いを浮かべた。


「ハハハ、ご冗談を。ギース師だってどっちかというと『化け物そっち』側でしょう? たしか御歳おんとし百歳超えてましたよね? お元気そうで何よりです」


「ケッ、だったら老骨をいつまでも働かせないで欲しいモンだが、なッ!」


 食べ終わった串を乱暴に屑籠クズカゴへ投げるギース。酔った勢いか、鋭すぎる投擲によって串は籠を貫通して地面に突き刺さった。


 見た目には三十代後半から四十と少し、といった中年男性に見えるギースであったが、その実年齢はミアキスが言う通りに百歳を遥かに超えている。

 ……教会の裏工作を一手に取り仕切る暗部において、実行部隊のおさを長年勤めていたはずのギースは、どういう術を使ったか加齢による老化が起こっていないようだった。


 見た目がどうあれ、先日の一件の折に王城からそーっと抜け出そうとしたところで『神聖騎士ディヴァインナイト』エルミナ・エンリルに撤退を阻まれたのだという。……しかも、手間取っているうちに妹の『混沌奏者カオスプレイヤー』まで現れる始末。


「お前もいっぺん二人同時に相手してみ? マジ絶望的過ぎて笑えてくるから」


「……と言いつつ、なんだかんだで逃げ切ってくるあたりが流石ですね。——私は最後まで見れなかったのが心残りでしたが、どうでしたか? 生で見る【天壌種エターナル】は」


 その名を口にしようとも、二人は特別に顔を近づけて耳打ちしたりはしない。特殊な訓練により、狙った人にのみ声を届け、その声を聞き取る技を二人は当たり前に習得していた。

 ……だというのに、ギースは声のトーンを落として、慎重に言葉を選んだ。


「……我らの教義では、人間の中に生まれた『聖者』こそが人を導くに値する、と教えているな? ——そして、それ以外の『神』と名の付く全ての存在を許していない。そうだな?」


「……ええ。だからこそ我々【葬神機関】が存在しているのです」


「だよなぁ。だから俺たちには凡ゆる神を殺すための凶器として【神器】が貸与され、運用されている。……だがなぁ」


 いつになく会話の歯切れが悪いギースをいぶかしむミアキス。


「それが通用するのは、のは、『深淵種アビス』までだ。あの【天壌種エターナル】ってのはマズい。がそこにあるのと変わらんぞ、アレ。……そんなモン、人の身でどうにかできると思うか?」


 自嘲気味に嗤ってから、ギースはまた酒を飲む。ヤケ酒にも見えるその飲み方は、いつになくペースが早い。


「ギース師。それ以上は教義への疑念あり、と報告書レポートに書かざるを得なくなります。……個人的には、気持ちはよく分かりますが」


「かーっ、優等生め。ジジイ共の覚えをよくしたところで仕事が増えるだけだぞ? ……少なくとも、今の【葬神機関】でまともに闘争になるのは【神器】持ち以上だぞ? つかそれでキツいって話だが……まぁやりようは無くはない、か」


「——ナギ・アラルですか。……師はあの男とどういうご関係なのですか?」


 問われたギースも「なんと言ったものか」と無精髭をじょりじょりしながら腕を組む。


「うーん、弟子ではないし、下僕にはならないし、宿敵ってほどの脅威レベルじゃないし。……なんだろうね、玩具オモチャ?」


「いや疑問形で訊かれましても」


 ニヤっと笑ってギースは答える。

 ……【天壌種エターナル】なんていう化け物をわざわざ真正面から相手する必要は無い。その隣にいて、どう見ても「アキレス腱」である“ただの人間の男”を狙う方がイージーというものだ。


「まぁ、機関には俺も近いうちに顔を出す。ジジイ共がなんと言おうがどうということはないが、『第一席』がグダグダ言ってくる方が厄介だからな」


「期待していますよ、貴方のために開けていた『第三席』ですので」


 手の中のグラスを勢いよく干すと、ギースは苦ーい顔で


「あーあ、折角表の世界でウダウダ冒険者ゴッコを楽しんでたってのによ。結局まーた裏街道だぜ。嫌んなるね、まったく」


 と吐き捨てた。


「口元がニヤついてますよ? そんなに愉しみですか? 『異端者ナギ・アラルの討滅』が」


「バァカ、楽しみなもんか。関わりたくねぇよあんなバケモノ共と」


 親父、お会計ー! と言って、勘定分の硬貨コインを放って投げる。

 そのまま店の外に出たのでミアキスは後を追うが、大通りに面した店の扉の外にはもうギースの姿は無かった。


「相変わらず、せっかちなお人だ。……だがこれで【葬神機関われわれ】も動き出すことになる……世界はもう止まれないところまで来ているのだから」


 そう言ってミアキスもまた、雑踏の中に身を隠す。

 まるで二人とも初めから居なかったように、忽然と姿を掻き消した。




 …………

 ……


「やれやれ、今の話でどこまで時間を稼げるかね」


 大通りに面した建物の屋根上で、硝子瓶に入ったエールを飲みながらギースはひとりごちる。


 今、ギースがミアキスに語った手段は『まやかし』だ。


伴侶ナギを狙って、あのバケモノが大人しくしている訳ねぇだろ。……もろに逆鱗だろうが)


 過去にそうとは知らずにナギにちょっかいをかけ、厄介な負債を背負い込む羽目になったギースは、その矛先を増やすことで自分の身を守ろうとしていた。……速い話が古巣の組織を身代わりにしようとしていたのだ。


「だが」


 だが、こうとも考えられる。

 そこまで大事な存在が脅かされたのなら、たとえカミとて、動揺し、致命的な脇を晒すのではないだろうか。


「……まぁこれも希望的観測ってヤツだ。だがなぁ、神ならぬ人の身にできることは、何でもやってみないと、な」


 ギースの手の内で黒いナイフがくるくると廻される。

 ナギを王城まで連れてくる仕事と引き換えに再び渡されたギースが昔から使っていた馴染みの神器。


 神器【神変万化インビジブル


 自在に姿を変える魔導具にして、武器。

 『自在に』の意味は持ち手の創造力によってどこまでも拡大解釈することができる。

 その数や、その能力まで自由自在だ。


 かつてギースが組織を抜ける時に『危険過ぎる』として没収されたこの神器を、幼い子が縁日で親に買ってもらった玩具のように弄びながら、



「——さぁて。次は何して遊ぼうか、ナギ」



 子供のように、目を輝かせるのであった。

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